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避妊用ピルの教育現場

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ピルと避妊と性の教育

そもそも欧米キリスト教文化にはかつて厳格な堕胎罪があって、中絶の合法化と避妊の自由化は、主に女性たちを中心とする運動の結果、大変な思いをして勝ち取ったもの。中絶の合法化にはず、中絶に至る前に、望まない妊娠を防ぐための避妊の普及・教育というのがセットになっていまね。
日本の場合は、戦後まもなく優生保護法という法律で、条件付きで中絶が合法化され、その条件を満たせば堕胎罪で処罰されないことになったけれど、このとき国民は完全に蚊帳の外でした。
ある朝目覚めたら中絶が合法化されていたというわけです。
国会でもあまり議論がなくて、優生保護法はあっという間に成立してしまった。それに比べて欧米では、中絶合法化に際して、さまざまな分野の人が参加して、これでもかというくらいに徹底した議論をしています。生命とは何か、産む・産まないのプライバシー権とは、女性の人権とは……中絶の問題がそういう高度なレベルで議論されているんです。
 中絶合法化の大きな推進力になったのは、個人の自由意思による避妊、不妊手術、中絶の保障を要求してきた世界的な女性運動ですが、最近、国際的にリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康/権利)ということがいわれるようになってきたのも、そうした女性運動が背景にあるんですね。

10代の避妊へのアクセス権と多様な選択

リプロダクティブ・ライツというのは、一般的には、「性と生殖に関する権利」というふうに訳されて新聞なんかでも使っています。もっとわかりやすくいえば、「私の体は私のもの」をスローガンにした女性の運動の中で使われるようになった言葉です。〃私の体、私の性、私の人生は私のものだ〃ということで、つまりはそこでの自己決定権を尊重しよう、ということなのだけれども、自分の体をコントロールする、性をコントロールするというときに、やっぱり中心に来るのは産むか産まないかの選択です。でも、産むか産まないかの選択は基本的人権であるといってみたところで絵に描いた餅で、具体的な手段があって初めて理念が生きるわけですから、その具体的な手段として、ピルも含めて避妊法を選べるということが大切です。
避妊の選択肢とリプロダクティブ・ライツということを、教育現場から考えるとどうですか?
「産む・産まない」の前に、妊娠したいか、したくないかがあります。
その前に、セックスするかしないかという選択がありますね。それも、誰とセックスをする
かしないか。だから、セックスをしない権利もあるし。
そのときに、やはり成り行きで事が進んでいくのではなく、主体的に、自己決定できるためには、それだけの知識と情報がないと駄目ですよね。今の時代は、若者たちがセックスはするもの、するのが当たり前、という情報の渦の中にいて追い立てられていくんですね。そうした状況が周囲にあるものだから、ある大学での講義のとき、「先生の講義を聴いていると、大学生はセックスするのが当たり前というように聞こえる。セックスしない人間は遅れているというような気がする」と男子学生に言われたことがあります。僕は「君たちは、セックスのことを知りたいと思って授業を聴きに来ていると思い込んでいた。そして学ぶことで予知力をつけ、それが自己決定力を支えるのだと考えて講義をしていたが、君にそう思わせてしまったのは悪かったね」と謝りました。
それは面白い話ですね。でも一般にはやっぱり、遅れていると見られたくないという若者のほうが多いんでしょうね。日本には、村八分的な精神構造が強いから、少しでも他人と違うとはじき出されてしまう。最近のいじめを見ていると、それがますますエスカレートしている感じですよね。
10代向けの電話相談を聞いていて最近驚くのは、女の子から「彼が何もしてこない。彼は変なのではないでしょうか?」という質問があること。それも聞いてみると、つき合ってからまだ一〜二ヵ月しか経っていない。それほどに、セックスが強迫観念になっているんですね。でも、自己決定権とか、選択の自由というのは、多様性を認めるということなしにはあり得ないと思います。これは私の選択、それはあなたの選択ね、ということを認め合えてこそ、個人の自己決定権というのが成り立つわけでしょう。性についても、みな違って当たり前。多様性を認めるところから始めないと、性教育というのは成り立たないでしょうね。
それにしても性や避妊に関して、個別に気軽に相談できる場所がもっとあればいいのですが、本当に少ないですね。
日本家族計画協会は若者向けに「思春期クリニック」を開いているので、ティーンエイジヤーがたくさん来ます。そういった場所がもっともっと欲しいですね。
低用量ピルが使えるようになっても、いきなり産婦人科を訪ねるには気後れがするし、といって相談するところも見当たらない、となれば10代がそれにアクセスできるかどうか。実際には四割ほどの高校生が性交体験を持っているという状況の中で、確実に望まない妊娠を防ぐためにはピルは効果的な方法であるわけですが、もっときめ細かな施策がないと、仮に本人がそれを使うことを強く望んでも実際にアクセスするのは難しいと思う。
大人が10代の性や避妊をネガティブにとらえているために、高校生が産婦人科などに相談に行きにくかったり、必要な指導や処方を受けられなかったりすれば、検査もしないで安易に処方するいい加減な医師や、友だちなどから横流しされるピルを使うような方向に行く恐れがあるのではないでしょうか?
そう。それは大いに考えられるし、大いに心配なことです。
アクセスできるようになるためには、どうしたらいいのですか?
女性たちが厚生省に、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、まさに体の自己決定権、性的自己決定権を行使できるための環境づくりを要望するときには、必ず相談所の必要性を含めて言っているんですね。厚生省の母子保健牒が「生涯を通じた女性の健康支援事業」というのを一九九六年度から始めて、現在二四の都道府県で実施しているんですが、これが看板に偽りありというか、もっぱら不妊治療に力を入れている。どうも少子化対策という感じなんです。だからぜひ二〇〇一年の省庁編成替えのときに、「女性保健課」のような、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを推進する課が新しくできるといいなと思っています。
保健所はどうなのですか?
思春期相談はほとんど電話相談。あとは赤ちゃんを抱いてのふれあい体験学習などで、避妊相談はほとんどやっていないですね。それに保健所だと、まず若者は行かないでしょうね。だから、政府がお金を出して運営は民間がするとか、工夫が必要だと思います。政府や国会議員に相談所の話をすると、予算を付けるのは難しいという答えが返ってくるんですが、そんなに莫大な予算が要ることではないので、要は何を優先させるかという認識の問題だとつくづく思うんです。もっといえば、今の予算枠の中でも、工夫次第によってはもっとできることがあると思うんですよ。
例えば、学校でも何校か集まって「性」に関する相談の場を設けるとか、地域ごとにつくるという発想が出てくるといいですね。
市民が行政に働きかけるということも重要だと思います。それにピルを認可する以上、市民が手に入れやすくすることが大切で、そのためには健康保険の適用、やがて無料化。それから病院以外でも処方できるようにするような施策があって、それで初めてリプロダクティプ・ヘルス/ライツが実体化するのだと思います。そうした方向をぜひ展望して努力したいですね。
それからさっき、多様性という言葉が出て改めて思ったんです。今ここではピル認可をめぐって話をしていますが、一般にはどうも「ピルかコンドームか」という論議が中心になっていて、「ピルもコンドームも」という考え方、それからIUD、とくに今回ピルと同時に認可された銅付加IUDや、つい最近認可された女性用コンドーム(1999年11月認可、日本製のものとしては大鵬薬品が二〇〇〇年上半期に発売を開始)、それから緊急避妊法のことなどが目立たなくなってしまっていると思います。選択肢はたくさんあったほうがいいのは当然ですが、それを実際に使ったり、アクセスできるところまで噛み砕いた情報提供をしないと、多様な選択もお題目で終わってしまいますね。
 おっしやる通りだと思います。シンポジウムなどでも「ピルかコンドームか」という問題の立て方がよくされるんですが、かねがねそれは間違っていると思っていました。「ピルもコンドームも」なんですよね。だから、医師や家族計画指導員は、クライアントにすべての入手可能な避妊法を示して、それぞれの効果や副作用についての情報を提供し、「最終的に選ぶのはあなたですよ」という指導をすることが重要だと思います。

快楽の性″を肯定する避妊教育

 ピルを含む避妊学習について、どんな展望をお持ちですか?
人間が生きていくうえで性的な関係をつくっていくことはとても重要で、生きがいにもつながるポジティブな営みであるという、そこから発想していきたいですね。学校における性教育は、一つはトラブルに近づかないようにするための予防、非行防止の教育というJ祠潔教育〃的なやり方、もう一つは、自分の性は自分の生き方として自己決定できる能力を育てる、という二つの方向があるのですが、従来は前者のほうが主流でした。
 日本の性教育が少し新しくなったのは、一九七〇年くらいから。「人間の性は両足の間の問題ではなく、両耳の間の問題」というセクシュアリティの概念をSIECUS(全米性情報性教育評議会・一九六四年設立)が打ち出して、それが何年か経って日本に入ってきた頃からですね。でも、そした影響を受けて新しく性教育を始めた主流の人々は、次第に日本の教育行政の中に飲み込まれていったんですね。そうしないと存続できなかったからでしょうが。私たちのように少し遅れて性教育にかかわり出した人々は基本的に自己決定路線で、そのためにずっと在野の立場でいるわけです。
 その考え方が他の教育の分野の運動と結びついてどれだけ広がるかということが重要なんだけれど、他の分野で民主的な教育運動に携わっている人たちも、こと「性」にかかわるとなると随分保守的だったりするんですね。ジェンダーによる偏見を持っていたり、子どもには性は関係ないとか早すぎるとか、それに性を卑しんだり軽んじたりというような。そういう日本の教育の状況の中で、避妊の教育・学習がどう位置づけられるかということなんです。純潔教育路線の中にはピルは絶対に位置づかない。初めから教える必要がないとされる。それよりは中絶やエイズについて、「セックスしないことが唯一の予防」と教え、性に対する否定的なイメージ、警戒・抑制の方向で扱うわけです。そういう迫り方は結構、親をはじめ大人の支持を得たりするわけです。面倒はないし、脅したり禁じたり、そして失敗すれば子どものせいにして罰すればいいわけですから。
 しかし、人間のセックスは妊娠・出産のためにするのは一生のうちごくわずかであって、ほとんどはふれあいやコミュニケーション、軟びや心地よさ、快楽のために行っているという事実から目を背けたくはないし、背けるべきではないと思うんですね。しかも自分だけのエゴイスティックな欲求をコントロールし、お互いに軟びを分かち合っていくことによって、きわめて人間的で対等な関係を生きることができる。そのために、お互いトラブルに巻き込まない知恵と思いやりと理解が必要ですよね。
 そうして行動ができるためには、性は卑しいもの、秘すべきもの、隠すべきものではなく、事実をきちんと教えていくことが大切だということ。そして、自分も相手も抑圧し合わずに、人生を歩んでいける男と女を育てるという、それが性の学習なのだし、避妊学習もその中にしっかりと位置づくと主張したいのです。
 そういう話をしたときの若い人たちの反応はどうですか。
 もちろん共感し賛成してくれます。とくに女性たちが。以前は性は男中心の快楽みたいに考えていたけれど、そうではないと考え方が変わったと。男たちも「相手が歓んでくれることによって自分も嬉しいという関係でないのなら、マスターベーションすればいいわけですよね」といいます。快楽というのがお互いの人生の充実や生きがいに通じるものだという、そこまで話を深めないと、快楽を追求するのはエゴイスティックでよくないこと、ということになってしまう。
 望まない妊娠から身を守るというとき、メディカルな部分だけみると、どうしてもセックスの負の部分が強調されてしまいがちですが、そういう面ももちろんあるけれど、快楽のための性を肯定して、それを大事にするために避妊するというポジティブな考え方で避妊を語ると、とても元気が出てきますね。
 そうでしょう。しかし、教師がことなかれ主義で問題が起きないように、と思っている人の多い学校体制の中で、それをどう伝えていくかというのが難しい。自己決定は性だけの問題ではないですからね。何でも管理、管理で。
 村瀬さんがそういうお話をすると、みんな〃そうだ〃と頷いてくれるわけでしょう。つまり、そういう情報を求めている人は多いのではないかと思います。私もときどき無力感を感じながらも、ささやかながら、地道に情報を出し続けていくことしかないと思いながらやっています。

「セクシュアルライツ」とは何か?

性を楽しむという意識を持つ人は増えていると思うんですが……。
増えていますね。これは先ほど純潔路線か、自己決定路線か二つの筋道ということをいったけれども、その自己決定路線の中にも、極端な言い方をすると生殖路線と快楽路線というのがあるんですよ。路線といっても決して対立したり矛盾するわけではない、むしろ「傾向」としてですが。つまり、妊娠・出産ということを軸にして、産科学や生理学によって成り立つ性教育、これが現在行われている性教育の基本です。しかし性は、生殖にとどまらず、それを超えてふれあう喜びや人間関係とか、精神医学とか心理学や法学とか、ジェンダー論とか女性学、社会学とかそういったことの中で論じられるべき問題でもあります。これまでの学校教育の「性」にはここが欠けていたんですね。女の子だけ集めて妊娠・出産の話をする、それが性教育だというのは、今でも根本的には変わっていなくて、だから女子校では熱心にやるけれど、男子校ではほとんどやらないということがあるんです。現在でも。
 これから必要なのは、人間関係論やジェンダーなどからのアプローチも含めて、まさにコミュニケーションとしての性の喜びや、結婚や買売春やレイプ、セクハラをどう考えるかという社会的な問題を含む性教育だと思います。これは子どもたちからも求められている。だって高校生に「性についてどういうことを聞きたい?」というアンケートをとると、男女交際のあり方とか、恋愛とか結婚についてという答えが返ってくるのですから。それから、もちろんエイズやSTD。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツという考えのどこが新しいかというと、そのポイントの
一つは、まさにジェンダー、つまり社会的・文化的につくられた性差という問題意識を持って、性や生殖の問題をとらえ直したところなんですね。WHO(世界保健機関)が作ったリプロダクティブ・ヘルスの説明図の中には、買売春や性暴力、FGM(女性性器切除)のような問題も含まれている。

FGM(女性性器切除)

 Female Genital Mutilation。アフリカ中西部、中近東、アジアの一部の地域に古くからある儀式的な習慣。初経が始まる前の女の子のクリトリスや小陰唇、大陰唇を切除する。欧米に移住した人々の問の一部でも続けられており、現在世界で1億人前後の女性が受けているといわれている。女性の゛性の快楽。を否定し、健康を障害する習慣として問題になっている。
いる。これはジェンダーの視点があったからこそなんですね。初めてこの図を見たときは、新鮮な感激を覚えたものです。それにしても、学校の性教育が相変わらず、「寝た子を起こすな」式なのには、ため息が出ますね。「寝た子を起こす」のではなくて、ニーズがあるということをちゃんと認識しないといけないですよね。
 今回のピルのことも、生殖路線でピルを語るか、コミュニケーションおよび快楽を含めた人間関係の問題として語るかということによって、全然位置づけが変わってくるわけです。
 「ピルが普及すれば中絶が減る」という説明の仕方があるけれど、それはまさに生殖路線だといま気がつきました。こういう言い方は、性をネガティブに考える危険性を生み出してしまうことにもなりますね。
北京会議の時に「セクシュアル・ライツ」という言葉が出てきましたよね。
 カイロ会議でも、北京会議でも、欧米の女性たちはそれぞれの行動計画に「リプロダクティプ&セクシュアル・ライツ」という文言を入れるよう頑張ったのですが、同性愛を認めることにつながるということもあって、バチカンやイスラム原理主義の国々が猛反対して、最終的には削られてしまったんですね。だからバチカンは、リプロダクティブ・ライツを「子どもを産む権利」という、まさに生殖路線で解釈していると思う。避妊や中絶には絶対反対なわけですから。
 それでも、女性たちの努力の結果、北京会議では進展があって、「行動綱領」の中に「女性には自分のセクシュアリティや産むか産まないかをコントロールする権利がある」という意味の文章が入ったんです。「セクシュアル・ライツ」という言葉そのものは使われなかったんですが、一般にはこの文章が女性のセクシュアル・ライツも含んでいると解釈されています。
 実はカイロ会議の「行動計画」には、リプロダクティブ・ヘルスの説明の中に、「人々が満足のいく性生活が持てる」という文章が入っています。これは私は「性を楽しむ権利」と解釈できると思って、もっと強調してもいい点だと思っています。セクシュアル・ライツにつながる文言ですよね。ただ、やはり「セクシュアル・ライツ」という言葉をバーンと使うことのインパクトは大きいから、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」と同じように、「セクシュアル・ライツ」という言葉がこの種の国際文書にきちんと明記されてほしいですね。
それがきちんと入ると、「セクシュアル・ライツ」という視点から避妊をとらえることができますね。セクシュアルーライツと、避妊の権利というのは、すごくわかりやすい。避妊がもっと明るくボジティプに語れる気がしますね。
 小学校の性教育といえば、昔は月経教育で、しかもすぐ「赤ちゃんが……」という話になったのですが、僕らの研究会のメンバーでは、性の学習をぐふれあい〃というところから始める人が増えているんです。ふれあう安心感、心地よさ、ふれあうところから人間関係が生まれていくということ。そしてお互いにいやなことはしない、「ノー」と言うことの大切さ。そして自分の体のプライベートなところを大事にすること。ふれあうことは楽しいね、心地よいね、という感覚を子どもの頃から持ってほしい、というところから性教育を考えていくという試みなんてすね。そういう授業が増えてきています。それをもっと一般に広げていきたいと思います。
小学校五年生の頃、性病がいかに恐ろしいかという授業を受けたのを今でも覚えているんですが、真っ暗な中でスライドを見せられて、まさに恐怖教育。性について教わる第一歩がこれではネガティブなイメージしか持てませんよね。
ピルをきっかけにして、10代の子どもたちだけじゃなくて親や先生も、避妊のことと共に、ふれあいとしてのセックス、人間関係としてのセックスを一緒に考えていければいいと思います。性の問題というと、すぐ10代がやリ玉にあげられますが、中絶にしても、数が多いのは二〇代、三〇代の大人だし、性のことで悩んだリトラプルを抱えているのは実は大人のほうが多いのではないでしょうか。大人の性意識が歪んでいれば、子どもの性意識にも影響するし……。
 その子どもが大人になって、自分の子どもに歪んだ性意識を伝える……今のままだとこういう悪循環がどんどん繰り返されていきますね。更年期の問題にも、セクシュアリティのことは必ずかかわってきますしね。親の世代の意識が変われば、子どもに対するアプローチも変わってくるのではないか、と思います。
つまり、自分の性に肯定的になれれば人の性に肯定的になれるんですよね。大人たちが子どもたちの性を抑圧したり否定したりするというのは、実は自分たちの性が貧しいことの反映なのではないでしょうか。
 大人たちが自分の人生をどう生きるか問い直すとき、パートナーとの性的な関係も含めて肯定的に見ていくきっかけがつかめると、子どもとの距離が近づいたり、子どもの言動に対しても柔らかい目で見ることができるようになる。大人たち自身、子育てが終わった前後から、夫婦のパートナーシップの破綻などの深刻な問題を抱えるわけで、そのときにこれからの後半生を性的な関係を含めてどうつくり直すかということは大問題ですよね。これがうまくいかないと、子どもを大人の不幸に巻き込んでいくことになるのではないかと思います。
 そういう意味で、今日、「性」というのは子どもや若者だけにかかわることじゃない。大人も一緒に学んだり、考えていく必要のあるテーマだと思うのです。

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