目次
禁煙の現揚
禁煙とパスタ料理
イタリア製のパスタマシン(製麺機)をつかえば、パスタのみならず、そばもうどん
もきしめんも中華そばも、わんたんの皮や鮫子の皮も作ることができるーーということ
は禁煙してはじめて発見できたことの一つである。
もともと休日の朝昼兼用の食事は、妻が洗濯などをしている間に、私が用意すること
になっていた。ついでに、飼っている犬(犬種はゴールデン・レトリバー、二歳半、メ
ス、体重二十一キロ、名前はもも)にも私がエサを与える。ももには動物病院から買っ
てくるアメリカ製の缶詰。私と妻はトーストと紅茶、それに私がそのたびに工夫する一
皿を加える。
工夫するといっても、至って不器用なたちである。ままどとの域を出ていない。せい
ぜい茄で卵に添える野菜を考えるとか、たまに鍋やフライパンを「駆使」しても、何と
か口に入れられるものを作るにすぎない。しかしそれでも料理といえるなら、私は料理がきらいではない。じっさい禁煙してから、台所に立つことにいっそう熱が入るように
なってきた。料理のみならず、日常のさまざまな営みをなすとき、その営みそのものに
自覚的になってきたといってよい。
禁煙治療薬チャンピックスの注文は、こちら→サプリ館
いま私は庭にホースで水をまいている。いま私は大を公園まで散歩に連れ出している。
いま私は食後のひとときをラジオを聴いてすどしている。いま私はももが破ってしまっ
た網戸の網を張り替えている。いま私は自転車で本屋に向かったところだ……。
たとえば休日のそうした営みの時間帯というものが、それぞれ、あたかも一つ一つ触
ることさえできそうな、透きとおったブロックのどとく感じられるようになってきた。
各々の行為が、ゆるやかな境目のついた時間のブロックをなし、それぞれのブロック
の中で私は意志的に、自覚的に勣いている。そうして一日の全時間が、大小のだくさん
のブロックの積み重ねのようになる。禁煙してから、そう感じるようになってきた。
正直なところを書く。私はこれまで自分のプライベートな時間の中で、夜、独りで本
を読むことにしか価値を置いてこなかった。読みたい本を読んでいるときが、私にとっ
ての自由であり、快楽であり、慰みであり、刺激であった。庭に水まきをしたり、大を
散歩に連れて行ったり、家の中の修繕をしたり、食事の仕度をしたりすることに価値な
どを考えたこともなかった。もしも独りで読書をする時間が一つの濃い色彩をもっているとすれば、それ以外の時間はおしなべて、ただの灰白色でしかなかった。つまり私の
休日には二色の時間しかなかったのだ。本を読んでいる時間と、本を読んでいない時間
この二つのいずれの時間にも共通していたのは、煙草のにおいだろう。いつも身近に
煙草とライターがないことはなかった。
煙草をやめてから変わったのは、ただ口から煙が立ち昇らなくなったということだけ
ではない。灰白色の時間帯が、いわばカラーになった。
個々の営みに、それぞれの色合いを感じるようになった。もちろん、あくまでも日常
の起き伏しのことがらである。発見や感動ばかりがあるわけではない。しかし愉しいと
きも、退屈なときも、いやなときでさえ、いずれもが私のもつ固有な時間だ。禁煙して
から、そう思えて仕方がない。
なぜかといえば、唐突なようだが、ニコチン離脱症状のせいである。二十七年間、煙
草を吸いつづけてきた。喫煙期間がそれくらいになると、離脱症状が完全に消えるまで
五年はかかるとか、あるいは十年はかかるとかいわれている。要するに、これから何年
か先まで、身体感覚の基調をなすのはニコチンヘの渇きということになる。つまり煙草
を吸いたいという気分がつねに身体の中に居すわりつづけるといっていい。その渇望感がじつは、かえって幸いしているのである。
たしかに禁煙してから何日かは、もしも手の届くところに煙草があれば、ただちに火
をつけて吸いかねない心的状況ではあった。渇望が何に向かっていたかといえば、もち
ろん煙草そのもの、そして煙草に含まれるニコチンそのものにほかならない。しかし、
一つのことだけを四六時中、いつまでも思いつづけ、求めつづけるというのも、どうや
ら生理的に不可能なことなのである。渇望の感覚が消えることはないが、それがほかな
らぬ煙草への欲求であるという思いが失せてくるのだ。
煙草への渇望から、目的である煙草そのものが消えて、いわば裸の渇望感だけが身体
の中にうずき、わだかまり、ときには衝き上げてくる。その渇望感が、いま自分のして
いる営みへの意識を冴えさせる。何かしたいことへの自覚を高ぶらせる。煙草を欲して
いるはずの気分が、むしろ何かほかのことへの欲求に転化してしまう。ニコチンが欲し
いくせに、その欲しい気持ちだけが鋭く残って、ニコチンそのものへの思いは隠れてし
まう。禁煙してから、そんなふしぎな生理のメカニズムが動きはじめるとは予想外のこ
とだった。
ニコチンの裏をかいてやる
つまり私は知らぬうちにニコチンの裏をかいてやることを覚えたのだ。
禁煙とは、煙草という、喫煙者にとって暮らしの不可欠の要素といえるものを切り捨てることである。日常に穴をあけることである。人生に欠損を生じさせることである。
喫煙者であった頃、私は禁煙に対して、ひたすらそのようなマイナスの価値しか考えて
いなかった。
ところが、そうではなかった。禁煙は減算ではなく、加算だった。これまで知ちなか
ったことまでも、禁煙によって千に入れたといってよい。日常のさまざまな所作の局面
を意識的にとらえること。時間帯というものを営みの単位どとにくっきりさせること。
それらをほとんど生理的な感覚として、つまり熱さや冷たさを感じるのとひとしい、直
接的な感覚として手に入れることができたと思う。
また喫煙をつづけていたならおそらく思いもつかなかった新しいことをはじめる意志
も、手にすることができた。たしかに禁煙は、これまでつづけてきた喫煙という習慣を
断つのだから、その意味で暮らしの欠損といえるにはちがいない。しかし穴は埋められ
るのである。それも、どく自然な身体反応によってリカバーされるのである。
ニコチンの喪失態が、同時に、新しいことへの志向を生む。志向といっても、自制や
忍耐や克己の果てに得られる精神性などではなく、あくまでも生理反応のIつなのだ。
これまで知らずにきた遊びを遊んでみたいという心持ちも、禁煙してから動きはじめた。
それがたとえば、パスタマシン購入につながった。喫煙者であった頃なら、私としてはほとんど信じがたい行為である。たしかに、スパゲッティなどもときには茄でたりす
ることがあった。しかし、まさか自分で粉をこねるところから始めて、マシンで麺を作
ろうなどとは思わない。自分で自分の意表を突く。これもまた禁煙のせいなのだ。
買ってきたのはイタリアのアトラス社製。そのほかにパスタ料理の参考書、材料とし
てデュラム小麦のセモリナ、強力粉などを買ってきた。
パスタマシンの箱を開けるときの期待と高揚は、まるでおもちゃを与えられたときの
子供の気持ちである。禁煙はそんな「退行」さえ、もたらしてくれるのだ。「へーえ、
呆れた」という妻を尻目に、また新しいものを見るとシッポを激しく振って飛びついて
くる大の攻撃をかわしつつ、私は説明書を見ながら部品をたしかめる。
おお、これがこねた生地をシーート状にのばすローフーか。おお、このカjでIから、
シートが麺になって出てくるのか。おお、説明によれば、そばやうどんまでできるのか。
次の休日の昼、いよいよスパゲッティを作ろうというとき、私は少し緊張していたか
もしれない。なにしろマシンまで買ってきたのだ。もしもうまくいかなかったら情けな
いではないか。セモリナと強力粉をそれぞれスケールで計量し、ボウルに入れるときの
手つきなど、自分でもその神妙さが少し滑稽なほどだった。
作るのは三人分。私は大盛りにして食べたいし、妻は普通の量だが、ももにも少しはやらねばならない。セモリナと強力粉を大きなボウルの中で混ぜ合わせ、まんなかに穴
をあけたドーナツの形をつくり、そこに、つなぎのための卵を二個半、落とし入れる。
これがおそらく自家製パスタを作るときの最初のハイライトだろう。粉の砂漠に黄金色
の卵が浮かんでいるさまは抽象芸術のオブジェのようでもあり、しばらく見つめていた
くなる。
禁煙を苦行のようにみなすのが誤りであることを、この「オブジェ」を見ていると、
つくづく思う。煙草をやめて、離脱症状に駆られるままに、私はとうとうパスタマシン
まで買うという意想外の行為に打って出て、わざわざ小麦粉からスパゲッティを作ろう
としている。禁煙は遊びだ。仮に、喫煙者としでの元の私がここにいるとして、いまの
私が小麦粉を相手に嬉々としているのを見たら、きっと開いた口がふさがらないだろう。
カントの研究者にしてそば打ちの名人、石川文康氏によれば、そば粉に触っていると
砂遊びの思い出がよみがえるという。初めてそばを打とうという人物が来ると、石川氏
はその人にまず、そば粉を触らせてみる。あるいは手を突っ込ませてみる。たいていの
人は、その感触のよさに驚きをおぼえたり、感激をしめしたりするということだ。「は
じめてそば粉に触れて、だれもが『気持ちいい』と言うのは、おそらく、深層心理的に、
だれもが砂遊びの感覚を懐かしんでいるからであろう」(『そば打ちの哲学』ちくま新書)
禁煙は遊びだ
そば粉に限ったことではない。はじめにセモリナと強力粉を混ぜているとき、私もま
ったく同じ感覚を味わった。粉というものの感触には、たしかに独特のものがある。石
川氏の書くとおり、私も砂遊びでもするように「無邪気」になり、「幼心」に帰るよう
な気がした。大人になってからも、ときには子供の頃に退行してみるという心理の動き
の大切さを、精神科医の野田正彰氏が、たしかどこかに書いていた。野田氏自身にとっ
ては、就寝のとき、かつて母親が直してくれたように布団と身体との隙間をなくし、首
まですっぽりと布団にうずまるのが退行の儀式であるらしい。
喫煙していた日々、私にそのような退行のスタイルがあっただろうか。だれもが自分
では意識しないうちにそれぞれの退行のスタイルをもっているとすれば、私にもきっと
それはあっただろう。しかしこれほどはっきりと、退行というものの気持ちよさを自覚
したことはない。私はその気持ちを禁煙をきっかけに知ることになったわけだ。
しかし、パスタ作りにおける「退行」はまだそれだけでは終わらない。粉と卵とを混
ぜ合わせて生地を作ると、今度はそれをこねる作業に入る。手前から向こうのほうヘ
掌をつかって押しては返すという動作をくりかえす。掌に力と気持ちとをこめるとい
うのは米を研ぐときと同じだ。料理の心はたなどころ。
右に引いた石川文康氏によれば、そば打ちにおける「こね」は子供の粘土遊びを思い出させるという。粉に手を突っ込むのは砂遊びだった。それが「精神衛生効果その1」
であるというのが石川氏の説で、さらに「こね」の作業がもたらす粘土の手触りの記憶
が「精神衛生効果その二」であるというのである。そばをこねることで、少年少女の頃
の粘土遊びが思い出され、爽快感や朗らかな気分を味わえるのであると、石川氏は書く。
パスタの生地をこねるのも、もちろん同じことだろう。単純な動作をつづけていると、
たしかに身体のうちに気持ちよく高まってくるものがある。力は要る。疲れもする。し
かしこのプロセスこそが、きっとパスタ作りの一つの醍醐味でもあるのだろう。そう思
い、自分を陽気に励ましながらこねつづける。粉ばかりではなく、自分の気分をもまた、
練り合わせ、こね返し、まとめ上げていく。ニコチンヘの渇望感をさえ、何かめずらし
くて愉しいものであるかのように、胸の中で丸めたり、延ばしたりして、つやつやさせ
てみる。
生地の表面がつるりとして、こねる作業は完了。ボール状にした生地の固まりは、手
にのせ、窓からさす陽光に掲げてみると、セモリナの黄色と卵の黄身のオレンジ色とが
一つになって、さながら柑橘類の果実のように美しい。
次はいよいよパスタマシンの使用である。説明書にしたがって、マシンを動かぬよう
に食卓にネジで固定しているうちに、やはりまた胸の内から高揚してくるものがある。説明書によれば、パスタマシンには二つの機能がある。一つは包丁で何枚かにスーフイ
スした生地をさらに薄いシート状に延ばすこと。もう一つは、そのシートをほそくカッ
トして麺を作ること。要するに、素材は何であれ、第一の機能をつかえばラザーニャや
わんたんの皮などもできるわけだし、第二の機能までつかえばそばもうどんもできるこ
とになる。
ローフーにかけ、何枚かのシーートができた。しかし説明書や参考書の写真にあるよう
な、きれいな長方形をなして布地のように滑らかな肌触りを思わせるシートとは似ても
似つかない。どれもまるでアメーバのように不定形で、しわが寄り、でこぼこしたシー
トばかりである。これで果たして麺ができるのか。私は焦り、不安にかられる。かつて
なら、ここで一服つけていることだろう。
しかし、いよいよカッターを作動させたとき、焦りも不安もみどとに消えた。
じつに、このカッターが回転しはじめる瞬間こそが、パスタ作りの絶頂である。たと
えアメーバのどとく不定形なシートであったにせよ、また本来は布地のようにすべすべ
しているはずのシートが凹凸だらけのシートになったにせよ、ハンドルを回してカツタ
ーを通せば、まるで魔法にかかったかのように、きれいにそろった麺が出てくるのである。私は背中を向けてソースを作っている妻を呼び、ふてくされて寝ているももを呼んだ。
みにくい不定形のアメーバが、忽然として、何本もの黄金の紐になってカッターーから現
れ、流れ、波打ち、あふれ、皿の上に折り重なっていく。その何という面白さ。整然と
ぞろいながら、皿にうずたかく畳まれる麺の何という美しさ。
私はハンドルを回す。シートが紐にほどける。時間はそこに滞ったように、ゆらゆら
揺れるばかり。私はただ、パスタマシンのハンドルを回すばかり。
日常の時間のうちに頂点というものがあるとするなら、いま、その頂点の一つにいる
のだなと私は思った。禁煙がそこまで運んでくれたのだ。先に記したように、まさしく
禁煙は減算ではなく加算である。こうして日常における小さなハレの時間、この上なく
愉しい退行の時間を恵んでくれたのは、ほかならぬ禁煙であるのだから。
禁煙は晴れやかだ。禁煙は朗らかだ。麺を茄で、妻の作った魚介類のソースをかけて
食べた。うまかったと私は思う。ただし麺はどうしたわけか、茄で上がってから見ると
太さが均一でなくなり、歪み、曲がり、縮み、さながら迷路ゲームの迷路のような形に
化していた。妻は「おいしい」とはいいながらも、笑いながら食べた。
ももはスパゲッティが迷路の形をしていようと一向に関心がないらしく、いつものよ
うに必死のスピードで平らげた。
禁煙と犬の散歩
こっそり煙草を吸っているところを、飼い犬のももに目撃されたことがある。まだ本
格的な禁煙に入る前、数えきれないほどの「最後の1本」を吸っていた頃のことだ。
ももは一歳を迎えたばかりだった。ある日曜日、妻が外出したあと、私は居間で仰向
けに寝ながら本を読み、ももは私の腹にあごを乗せて眠っていた。とてもおもしろい本
で、しかもちょうど山場にさしかかるところであったが、私の頭は六割ほどしか本に向
いていなかった。一割はももの重さに、あとの三割は煙草のほうに向いていた。たしか
通勤用のバッグに一本だけ残った煙草の箱が入っているはずだ。バッグは二階の私の部
屋にある。
しかし、いま少しでも身体を動かせば、ももを起こしてしまうだろう。ひとに対して
はいつも騒々しいほどじやれるばかりで、身体の上で寝てしまうことなど、めったにな
い。あどを乗せて眠るのに、どうやら私の腹がちょうどよいクッションになるらしい。ももはいかにも気持ちよさそうに目を閉じていた。
本への関心は六割から三割ほどに落ち、その減った分の関心が、ももと煙草とに振り
分けられた。そのとき、バッグが二階ではなく、私の頭のすぐそばに置いてあることを
思い出した。さっき本といっしょに二階から下ろしてきたはずなのだ。ももを起こさぬ
ように、手だけそろそろと伸ばしてみた。果たしてバ″グはそこにあった。指先はさら
に、バッグの外側のポケットに入った煙草の箱に触れた。煙草への関心が一気に満ちみ
ちて十割になった。
次の瞬間には、庭先に降り立って煙草を深々と吸っている私がいた。
居間のガラス窓が鳴るのが聞こえ、ふりかえると、ももが後ろ足で立って大はしやぎ
にはしやぎながら、前足でガーフスを引っ掻いている。こちらに向かって、必死になって
さわいでいる。その目が、私の指にはさまれた煙草をまっすぐに見ているのが分かる。
これまで、もものいるところで煙草を吸ったことはなかった。新しいものが大好きなも
もは、私のもった白くて細くて煙を出すものがめずらしくて仕方がないのだ。ゴーールデ
ン・レトリバーは元来が興奮しやすい犬種である。しかしこのときのはしやぎぶりは並
でなかった。
そのとき私をいきなり揺さぶった感情を、私自身、いまだに理解しきってはいない。それはいままでに感じたこともない強い恥の感情だった。どうしてこれほどまでに恥ず
かしいのか。水を浴び、鳥肌が立つ思いだった。
激しく振られるシッポが居間の床をたたき、パン、パンと音を立てている。こちらを
全身を挙げて信頼しきっている生き物が、ガラス窓の向こう側から、大よろこびしなが
ら訴えている。その白いもので遊んでほしいと叫んでいる。私はその場に立ちつくした。
ガラスの向こうの生き物のあまりの邪気のなさが、かがやいて見えた。それだけにこち
らの卑しさが思い知らされるようで、身動きもできなかった。自分への疎ましさが突き
上げた。まるで存在していること自体の恥を味わわされているようだった。
では、それほどの恥ずかしさを覚えた私は、ただちに煙草を消しただろうか。そこが
喫煙者の悲しさで、一炭火をつけた煙草を途中で捨てることはできない。訴えつづける
ももを無視して、結局はフィルターを焼いてしまいそうになるところまで吸いつづけた
のだった。もちろん、禁煙そのものもあっけなく先延ばしになった。とはつまり、その
ときに感じた恥ずかしささえ捨ててしまったということである。
かつて喫茶店で煙草に火をつけようとしたとき、隣のテーブルにいた女の客が手で煙
を払う仕草をしながら、眉をひそめ、声は出さずに口の形だけで「いやあねえ」と連れ
の女にいっていたことがある。近くにはほかに客がいなかったので、私のことを指しているのは明らかであった。しかし「いやあねえ」といっても、ここは病院の待合室では
なくて喫茶店である。当然、煙草を吸う者がいるだろうということは入るときに予期し
なくてはいけない。それに私はまだ煙草に火もつけていないのである。手で煙を払うこ
とはない。
おかしなことに、女客の于の振り具合と、もものシッポの振り具合とは
悪と拒絶のサインであり、もう一方は歓喜と懇願のサインであるにせよ
一方は嫌
、見かけは
じつによく似ていた。その女客も学の振幅をもっと大きくしていれば、ももが床を鳴ら
したように、きっとテーブルをパン、パンと鳴らしたにちがいない。
いずれにしても、私はその人物に対しては恥ずかしさを感じなかった。後ろめたさも
覚えなかった。その私が大に対しては強い恥に打たれ、その場を動くことすらできなく
なった。いまでも、ときとしてその恥ずかしさを思い出すことがある。それはももにと
って幸せである。なぜなら、思いもしないときにいきなりクッキーーを恵んでもらえるの
だから。
禁煙中の井の頭公園散歩
休日には、そのももを連れて公園まで散歩に行く。井の頭公園である。
私たちの住まいは三鷹市の井の頭線沿いにある。三年前に、世田谷区から転居した。
家は玉川上水の流れに面している。上水沿いの道を歩いて十五分ほどで井の頭公園だ。公園はもちろんのこと、一帯に樹々の緑のゆたかな土地で、広々した畑など農村風景も
いまだに健在だし、いかにも武蔵野の名残りの色濃いところである。
玉川上水をはさんだ私の家の対岸は、現在は拓かれて宅地になっているが、がっては
奥深い森林であったらしい。昭和の初め頃、そこに若い詩人や彫刻家たちが集まって
「森の家」と呼ぶ共同制作場を建てていて、荻窪に住んでいた中原中也などがしばしば
遊びに来たことが知られている。
いまでも景色はわるくない。玉川上水沿いの道を逸れて高台に向かう坂道をのぼって
いくと、いきなり眺望のひらける場所があり、晴れて空気のよく澄んだ冬の朝など、白
く大きくそびえる富士山がそこから見える。ももに「おすわり」をさせ、いっしょにポ
カンとして富士を眺めているのが好きだ。ところが、この坂道を通る必要性というもの
が一般的にはあまりないらしく、ここから富士山が望めるということは近所でも案外に
知られていない。
やはり近隣に住まいする絵本作家の舟崎克彦氏が、その思いがけない「発見」を三鷹
市の広報に書いている。
去年の元旦はとてもめでたかった。初日の出を拝もうと近所の高台へ散歩に出ると、彼方に白銀輝く富士山が見えるで
はないか。いつもはガスがかかっているせいで手前の山並さえ見ること叶わないのが、
帰省した人達の自動車が一掃されたおかげだろう。景色が澄み渡っている。
信仰を持だない私が、思わずかしわ手を打っていたというのも不思議だったが、そ
れから玉川上水の方へ坂道を下って行くと、今度は梅林の上空を鷹が旋廻しているの
である。(略)「一富士二鷹」である。その日のうちに私がスーパーマーケットヘ出か
け茄子を購入した事は云うまでもない。 (「広報みたか」一九九七年一月一日号)
舟崎氏の目撃したという階は、同じ梅林の上空を舞っているのを、私も犬を迪れた散
歩の途中で三度見たことがある。たしかに元旦の「一富士二階」はありうるだろう。た
だし私の知るかぎりでは、近所に元日にも開店しているスーパーマーケットというのは
ない。「三茄子」までは疑問である。
それはともあれ、私とももが散歩で行き帰りするのは自然の気に充ちた風光の中であ
る。玉川上水はコンクリートなどによる護岸工事をほどこされていない。両岸に生い茂
るエゴノキやクヌギやイヌシデやコナラなどの雑木をはじめ、さまざまな植物は、おそ
らくそのほとんどが自生のものだろう。それらが夏には涼気を呼んですがすがしい。秋には黄葉がきれいだ。冬は冬でそこかしこの陽だまりがあたたかく、春は両岸をいっぱ
いに覆う若葉の浅い緑が目に沁みるかのようである。
そうした風景の中を、犬と行く。
つまりは心地がよい。うららかである。さぞや禁煙した身体にとってさわやかではな
いか??といえば、ここで強く否定しておかねばならない。
禁煙者にとって危ういのは、快いときである。新車の助手席のシートに深々と腰を下
ろしたと同時に、するどい喫煙衝動が起こったという禁煙中の女性がいる。その感覚は
私には分かるような気がする。いつも車をつかっている人には分かりにくいかもしれな
いが、たまに車に乗ってシートに坐ったとき、それがとくに新しい革の匂いを発してい
たりすると、一種の快感を覚えることがある。そういうときが危うい。
小高い山をハイキングしていて、見晴らしのよい山頂にたどりついた瞬間、思わず胸
ポケットに手を入れ、もっていない煙草の箱を探ってしまったという禁煙者がいる。ど
うしてこんなに気持ちのよいところで煙草を吸いたくなるのか。それが非喫煙者には分
からない。喫煙者には分かる。禁煙者にも分かる。空気の清い、晴ればれしいところに
立ったときは、かえって煙草を吸いたくなるものである。
E・A・ボーに「天邪鬼」という作品がある。主人公の男が、自分の内に棲む天邪鬼の怖さを語る告自体の短篇小説である。天邪鬼とは、幸福になりそうになると逆方向に
屈折し、自分から不幸の淵に滑り落ちていこうとする心性だ。男はある完全犯罪をもく
ろみ、成功する。まさしく完璧なしわざで、誰一人、それに気づく者はいない。男は
「大丈夫、大丈夫、自分さえ黙っていれば」とつぶやいたあと、慄然とする。いったん
そう思ってしまったからには、黙っていられなくさせるのが男の内なる天邪鬼なのだ
私には、喫煙者と禁煙者の誰もが、それぞれに極く小さな天邪鬼を飼っているように
思えてならない。どんなにつむじ曲がりの煙草好きでも、山頂に立って清浄な風に吹か
れたならやはり心地よいだろう。しばらくこの清浄さを味わっていたいと思うだろう。
そうして、きっとつぶやくのだ。「大丈夫、大丈夫、煙草さえ少し我慢していれば」。そ
の瞬間、小さな天邪鬼が目を覚ますのである。次の瞬間には煙草を口にくわえ、ライターの火が風で消えぬように片方の手のひらで囲っていることだろう。
煙草を吸えば、清らかな風の味わいは失せて
煙草を吸えば、清らかな風の味わいはたちどころに失せてなくなる。身体が一瞬は歓
喜するものの、すぐにあの馴れきった、いがらっぽさが口中にみちる。もちろん煙草を
吸う者にはそれが分かっている。分かりすぎるほど分かっている。それでいながら吸わ
ずにはいられなくさせるのは、天邪鬼のしわざだ。
天邪鬼とは、つまりはニコチンの記憶である。これがただものではない。というのは、
気持ちのよいときに、それを否定する方向に働くだけではないのだ。気持ちのわるいと
きに、その気持ちのわるさをいっそう助長するようにも働くのだ。
たとえば車道のわきを長時間、車の排気ガスをたっぷり浴びながら歩かねばならない
としよう。ひどく汚れた、塵埃をふくむ空気が肺の中にみちる。喫煙者はそんなときに
きっとポケットの煙草をまさぐるだろうし、禁煙者も一服したいという衝動にかられる
だろう。排気ガスに包まれながら吸う煙草がうまいわけがない。それは汚れた肺をさら
に汚し、まずい口の中をさらにまずくするにちがいない。それでも吸いたくなる。それ
だからこそ吸いたくなる。まったく困ったものなのである。
ともあれ、武蔵野のおもかげのある玉川上水沿いの道を犬と行くとき、私はときにあ
いまいな気分に浸される。心地よいはずなのに、なかなか楽しめない。小さな天邪鬼が
胸の中で目を覚まし、あくびをしたり、ウーンと伸びをしたりしているのが分かるからだ。
ももと走る。走ると犬は大よろこびだ。ときどき跳び上がって自分のリード(引き綱)
にかみついたりする。うれしいときの、ももの身体表現である。私が走ると天邪鬼のほ
うはちょっとびっくりするようだ。それでも私の中で、私といっしょに走りはじめる。しぶといやつなのだ、こいつは。
そうするうちに井の頭公園に着く。この広い公園の中で私が最近もっとも好きなのは、
玉川上水にかかる「ほたる橋」という名の橋を渡ってすぐのあたりだ。近くの人たちの
間では通称、御殿山というこの一角は、ケヤキを主とする雑木林の中にある。
人でにぎわっているのは、この林を下ったところにある。神田川の水源でもある広い
池があって、その周囲が散歩道になっている。井之頭弁財天にお詣りする人たちもいる。
絵を描きに来る人もいる。ジョギングをしている人もいる。鵠に餌をまいている人もい
るし、鳥を集めて餌をやる人もいる。食べもの屋はあるし、大道芸はやっているし、ボ
ートの浮かぶ池にはさまざまな水鳥が遊んでいる。鯉もいるし、亀もいる。
しかし御殿山のあたりはいつも静まりかえっている。たまにフルートを吹く人や、太
極拳の稽古をする人たちを見かけるばかりである。いつ頃からだろうか、ここに兎たち
が棲みつくようになった。行けばたいてい数匹の兎が、下草のあちらこちらから、グレ
ーと白とが混じった毛並みをもつその姿をのぞかせている。ひとが近づいても逃げない。
その日、小うるさい天邪鬼を胸の中で遊ばせながら、ももと来てみると、やはり五匹
ばかりの野兎が見つかった。「ほら、見てみろよ」と、あたかも子供を動物園に連れて
来た父親のように、私はももにも一匹の野兎に注意を向けさせた。秋の陽だまりのなかに、その一匹はじっと動かずにいた。怖がる気配はない。
思いきって、かなり近寄ってみた。一メートルほどの距離になったと思う。ももがそ
ろそろと横に動き、私と兎とももとで、ちょうど一辺がIメートルほどの正三角形をな
す格好になった。ももに「伏せ」をかけ、私もしやがんだ。兎は逃げない。うずくまっ
た体はまるで緊張を帯びていないように見える。グレーの毛が陽光にきらきらしている。
よく見ていると、丸めた背中がゆっくりと微かに高まり、またゆっくりと微かに低く
なるのが分かる。ああ、呼吸しているのだなと思う。ももを見る。下草につけた腹がわ
ずかにふくらみ、また元にもどる。こいつも呼吸している。そして私もいまはゆったり
と呼吸している。吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて。
まわりはケヤキの木立である。ケヤキは仰ぎ見るほどに丈が高い。一本のケヤキの上
からいまこちらを見おろしてみるならば、兎と犬と男、この三つの生き物が三角形をな
してそれぞれに息をしているのが見えるだろう。
喫煙は呼吸である?と、私はいきなり妙なことを思った。煙を吸って肺の中まで送
り込む。肺の中からその煙をまた送り出す。火をつけた一本の煙草を消すまでは、ただ
その繰り返しである。喫煙がいったん習慣として身についてしまうと、なかなか止めら
れなくなるのは、一つにはそれが呼吸と同じであるからではないか。呼吸ほど自然で、あたりまえの営みはないからだ。
そして、もちろん禁煙もまた呼吸である。これはもう絶えざる呼吸である。煙の混じ
らない、色も味もない、ただの空気だけの呼吸である。兎と大を眺めながら、私は林を
渡る風を大きく肺をふくらませるつもりで吸ってみた。そして口をぶうとふくらませな
がら吐いてみた。吸って、吐いて、吸って、吐いて。
立ち上がり、ももにも「立て」と命じると、私の声におどろいたのか、野兎はたちま
ち走り去って草の中に見えなくなった。
禁煙と漢詩
煙草を吸う夢をしばしば見る。禁煙してから丁年、憶えているだけでも、これまで三
十回くらいは煙草の夢を見ているだろうか。つまり私は眠りながらすでに少なくとも一
箱半の煙草を吸っているのだ。
吸いながら、私はいつも少し悲哀を感じているようだ。この悲哀感は何だろう。つい
に禁煙を破ってしまったという悔いだろうか。悔いというより、禁煙という新しい体験
がとうとう終わりを告げたという残念な気分なのかもしれない。いずれにせよ、夢の中
で私は茫然として火のついた煙草をくわえている。
例によって、これもまたニコチン離脱症状の一つであって、おそらく当分はこうして
煙草の夢を見ることになるのだろう。そのうちにワン・カートン(十箱入り)くらいは
吸ってしまうかもしれない。
おもしろいと思うのは、禁煙してから初めて煙草の夢を見たとき、その煙草は未開封の箱のままであって、それを夢がさめるまでとうとう開封しなかったことだ。禁忌の感
覚でも働いたのだろうか。我ながらいじましい。二度目の夢で、私は煙草の箱の封を切
り、そこからそっと一本を抜き出して口にくわえてみた。しかし火はつけなかった。嘘
ではない。三度目に、ようやくライターで火をつけて煙を吸い込んだ。そのあとは、も
うはじめから火のついた煙草を指にはさんでいる。
夢は第二の人生であるという。私は第一の人生(現実)では禁煙しつつ、第二の人生
(夢)ではみごとに禁煙に失敗し、喫煙者として暮らしているのだ。
どんな夢でもそうであるように、いつも不意打ちの風景がそこにある。あるときは小
学校の教室のような部屋で吸っていた。水泳の苦手な私には縁のないプールサイドで吸
っていることもあった。中国の砂漠で巨大な蜃気楼を眺めながら煙草を吸うという奇怪
な夢を見たこともある。人物は自分万人であったり、知人たちの誰かれがいっしょに吸
っていたり、足もとに大のももがいて、首を傾げながら、私の口から立ち昇る煙を見て
いたこともある。
いずれにせよ、煙草を吸うことを夢にまで見る。それほどに禁煙はつらいかといえば、
しかし、それはちがう。痩せ我慢でいうのではない。これも何度も書くことになるが、
我慢とか自制とか辛抱などで禁煙がつづくことは、私にいわせれば、ありえない。煙草をやめるのに、歯を食いしばったり、踏ん張ったりしてみてもだめなのだ。ニコチンは
依存性の物質である。意志の力だけで打ち克てるものなら、そもそも依存することには
ならない。
煙草の夢も、見るにまかせようと私は思う。それが禁煙して何年かはつづくはずの自
然な生理反応であるし、そもそも夢に逆らおうとしても仕方がない。しかし目覚めたあ
とはいつも、わずかに悲哀の感じは残る。そうしたときに、私はベッドの上で横になっ
たまま、一篇の漢詩を口ずさむようになった。ささやかな厄払いのつもりである。
もとより私には漢詩・漢文の素養などはない。しかし充分に読めないにせよ、訓読し
たときのリズムや響きには抗することのできない魅力があって、ときにはあたかもドラ
ム・ソロでも聴くような腹に応える快さを感じる。
高校生のとき、同じクラスの優等生から「おまえは漢文の朗読だけはうまいな」とい
われたことがあった。ほかにほめるべきところがないという意味であり、決して感心さ
れたわけではない。しかし、たしかに教師に指名されると張り切って教科書を読み上げ
ていた。
大学を了え、世間に出てから数年たった頃のある日、ラジオで聴いた漢詩の朗読に強
い印象を植えつけられた。朗読していたのは声優にして俳優の鈴木瑞穂氏である。さまざまな感情をひそかに折り畳んであるような、深みと静けさとをもつ声だった。読まれ
ていたのが誰の何という作品であったのか、それはもう憶えていない。
それから半年ほど、暇さえあれば漢詩を読んだ。とくに気に入った何篇かは、いつの
まにか暗記していた。しかし、いつのまにか憶えたものというのは、やはりいつのまに
か忘れるものであるらしい。確実に記憶に残ったのはただ一つ、杜牧という晩唐の詩人
による七言絶句「清明」のみである。どうしたわけか、この「清明」という詩が私はと
ても好きで、その頃、何度口ずさんでみたか分からない。
駅から職場の図書館に向かう路上で、昼休みのコーヒー店で、図書館からの帰宅途上
で、また家では居間で風呂で自室で寝室で、つまり日常的にいつでも、どこでも、ふと
思い出すたびに口の中でよんだ。そうして完全に暗記してしまったのは、やはりその詩
の喚起する光景が私にとって、この上なく快適なところのあるイメージだったからだろ
う。一篇の全体を引いてみる。
清 明 清 明 杜牧(晩唐)
清明時節雨紛紛 清明の時節 雨紛紛(あめふんぷん)
路上行人欲断魂 路上の行人 魂を断たんと欲す
借問酒家何処有 借問す 酒家は何れの処にか有る
牧童遥指杏花村 牧童遥かに指さす 杏花の村
杜牧は八〇三年生まれ、八五二年没。晩唐の京兆(長安)の人。字を牧之といい、はん川と号した。才名は在世の頃から高く、社甫が「老社」とされたのに比して「小社」と
呼ばれた。宰相をつとめた祖父をもつ名門の出身であり、官吏にはなったが免職なども
経験し、その生活は不遇であったという。五十歳の冬、みずから死期の近いのを感じて
墓誌を作り、これまでに書いた詩文をことごとく焼却した。
清明とは、丁年を暦の上で二十四等分した「二十四節気」の一つで、現行の暦では四
月五日頃にあたるらしい。すなわち春のさかりであって、さまざまな花が競って咲き乱
れている時節である。ところがラストの三文字に至るまでは、この詩には何の色彩もな
い。春の景色はすっかり霧雨によって暗いモノクロームとなり、道行く男を包んでいる。
雨は男の衣服を通して沁み入り、男は気分までそぼ濡れて、ますます沈み込む。春と
はいえ、冷たい雨にしとどに濡れ、身体の芯まで寒い。見知らぬ村は道もぬかるんで、
辺りには暗く田畑がひろがるばかりだ。そこへ、牛飼いの子供が通る。男は声をかけ、
たずねる。酒を飲ませるところはないか。牛飼いの子は、ほらあそこというふうに、はるか先の林を指さす。どうやら杏の樹の林だ。雨にけむるなかを、じっと目を凝らせば、
ああ、たしかに白い杏の花がかたまって咲いているのが見える。
その白さの、うれしいおどろき。そこにたどり着けば、きっとこの辺りでは知られた
酒家が幟を上げているのだろう。このときの男の明るく晴れた気持ちが、私にはしみじ
みと分かる。あたたかい居酒屋で酒に憩おうとする男のはずんだ期待が、よく分かる。
口ずさむうち、とりわけ最後の一行「牧童遥かに指さす 杏花の村」のところでは、
おそらく杏の実を特産としていた農村の春景色のおだやかなたたずまいが思い浮かんで
胸がなどむ。どうやら私にとってトランキライザーのような働きをもたらす漢詩なのだ。
煙草を吸った夢を見たら、この「清明」をとなえてみる。わずかばかりの悲哀感など
は、窓から杏の花がいっぱいに見える酒家の中で、蒸発してしまうような気がする。こ
うしたとき、私はつくづく、この詩をただ読んだだけでなく、記憶ということをしてい
てよかったと思う。記憶して胸におさめていればこそ、いつでも取り出したいときに取
り出せるのだ。忘れた言葉は役に立だない。
もちろん漢詩だけのことにかぎらない。胸におさめた言葉というものをもっていると、
いざというときに救いになる。私など、記憶して胸に入れることのできた言葉は微々た
る量だし、それもせいぜいこの「清明」のように、いささか酒の香る享楽的な言葉などが多いが、それでも億えていればこそ、それが支えになることもある。
私がそのように「言葉」にこだわるのは、じつは、これまで重ねてきた禁煙の失敗か
ら得た教訓なのである。たしかに丁年前に禁煙してからは丁本も吸っていない。しかし、
それまでに何度「最後の一本」を吸ってきたことだろう。これが最後だと決めて、時間
をかけて一本を吸ってみる。やがてニコチン離脱症状がはじまる。やはりもう一本だけ
と思い、吸ってしまう。そしてそのまま元の喫煙者に戻る。いつかまた禁煙することに
しよう・::・。そんなことを、呆れるばかりに何度も繰り返してきた。
問題は、禁煙し、離脱症状がはじまったときだ。その症状に身を焦がされるうち、結
局はまた煙草に手をのばしてしまうのは、私の場合、必ずある「言葉」が胸に生まれ、
その言葉に誘われるせいであった。それは恥ずかしい言葉だ。あまり書きたくない言葉
だ。「まあいいじやないか」というのである。吸いたくなったら吸ってみればいい、辛
抱は似合わないじやないか。どうしてそんなに頑なになるのだろう。まあいいじやない
か。
その言葉は、一見、硬直に対する柔軟である。狭量に対する寛容である。こわばった
精神よりも、ときに応じて弾力をもつことのできる心持ちのほうが、何といっても魅力
がある。
ニコチン離脱症状
ニコチン離脱症状のただなかにいるときは、どうしてもそうとしか思えず、その言葉にこもっている自堕落な気配に気づこうともしない。「まあいい」というのは、
この場合はもちろん、はじめたばかりの新しい体験の足を引っ張り、これまで馴れてき
た旧態に戻ろうという意味でしかない。
たとえば、この「まあいいじやないか」という言葉が人の顔をもっていると想像して
みよう。きっと見た目には、少しばかりの苦労をしてきて酸いも甘いも噛みわけた男で
ある。なかなか気さくで快活だ。こざっぱりしている。鷹揚である。その男がこちらに
向かって苦笑を浮かべながら、うなずいてみせている。まあいいじやないか。
ところがそれが仮面なのである。この「まあいいじやないか」の男の仮面をはずすと、
のっぺらぼうの茶褐色の顔が現れるような気がする。ニコチンとタールの固まりである。
そう考えると、何だか怖くて可笑しい。
もう一つ、「良い子になったもんだ」というのがある。喫煙と禁煙とでは、世間の評
価はもちろん圧倒的に禁煙のほうが高い。これまで煙草を吸ってきた者が禁煙すること
は、社会的な順応につながると見えなくもない。すなわち禁煙者は良い子、喫煙者は悪
い子。ちょうど禁煙しはじめた頃、ある雑誌で煙草の煙が大気を汚染しているという意
見を気持ちよさそうに述べている投稿を読み、あたかも自分がこの投稿者のサイドに立
ったような気がして妙に恥ずかしくなったことがある。「良い子」であるということは後ろめたいものである。居心地のよくないものである。
そう感じるだけに、ニコチン離脱症状がはじまってデリケートな心境にあるとき、この
「良い子になったもんだ」などという皮肉な言葉が自分の内に生まれると危ない。何し
ろ、身体は必死になって煙草を吸う口実を求めているのである。自分で発した皮肉に自
分で反発したつもりになって、「悪い子」に戻ろうとしかねないのである。何とバカげ
たことだろう。
思えば、禁煙したからといって「健康」が約束されるわけではないように、煙草を止
めて「善良」な市民になるというものでもない。あたりまえのことが判断できなくなる
のが、あるいは判断しようとしなくなるのが、禁煙をはじめた頃の危ういところである。
「まあいいじやないか」という、柔軟なように思えて、しかし自堕落でしかない言葉。
「良い子になったもんだ」という、急所を押さえた皮肉であるように見えて、じつは見
当はずれにすぎない言葉。せっかくの禁煙が、そうしたつまらない言葉によって足をす
くわれ、失敗に終わることを、私はこれまでさんざん経験してきた。問題は、言葉だ。
しかし言葉は、言葉をもって制することができる。自堕落な言葉や見当はずれの言葉
を力ずくで撃退しようというのではない。禁煙をめぐって闘わない、力まない、気負わ
ないというのが私の立てた方針だ。ただ、いやな言葉を自然に骨抜きにしてしまうような、快い言葉を胸にストックしておきたいと思うのである。杜牧ファンの私は、杜牧か
ら「清明」のほかに少しでも平明で、腹にストンと落ちる作品をいくつか選び、暗記し
はじめた。億えたものは胸の中に然るべくおさまり、いざというときに出てきて、私の
中のつまらぬ言葉を分解してくれるような気がする。
ただし、どんな言葉の力によっても、煙草を吸う夢そのものを抹殺することは、これ
から少なくとも何年かの間は不可能だろう。それがニコチン離脱症状というものであり、
その身体症状はたやすく消えるものではない。
ある日の明け方の夢の中で、私は丘のようなところに坐っていた。雲がたれこめ、空
気は沈んでいる。風景はモノクロームである。私には思い出したいことがあるのに、そ
れが思い出せない。言葉が言葉にならず、身体の中にわだかまっている。
私は遠くを見ている。口からは煙を吹いている。
禁煙とひょうたん
禁煙してから1年たっても、ニコチン離脱症状、すなわち煙草への渇望感は消えない。
禁煙をめぐることの中で、これは私にとってもっとも意外であったことの一つである。
離脱症状がどのくらいつづくものか。喫煙歴にもよるだろうし、身体的条件などの個人
差もあるだろうが、私は勝手にせいぜい1カ月か2カ月、良くて3ヵ月もたてば、日常
的には煙草のことなど忘れてしまうだろうと考えていた。ところが違った。
常習的な喫煙者であれば、おそらくは誰にとってもそうだと思うが、ニコチンがもっ
とも「効く」のは朝の目覚めの一服である。寝ている間はずっと吸っていないのだから、
体内でのニコチンの効果が消えている。それだけに朝はとりわけ煙草が欲しい。
この何よりもまず煙草が欲しいという朝の感じ。禁煙すると、それが何とずっとつづ
くのである。起きている間だけではない。眠っていれば煙草の夢を見る。禁煙すればじ
きにニコチンが身体から消え、ニコチンを欲しがる気分も消え、さっぱりした心持ちになるだろうというのは浅はかな予断にすぎない。
だからといって禁煙をはじめからあきらめてしまうのもまた、早計なことだろう。す
でに書いたように、離脱症状が盛えって気持ちを冴えさせ、快く律してくれることがあ
る。高揚させてくれることもあるし、鎮めてくれることもある。愉しさを味わわせてく
れることもある。だからこそ、こうして禁煙をつづけているのである。
それでもなお、ときには喫煙衝動がするどく尖ることがある。ある日、近所の公園の
ベンチに坐った老夫婦が煙草を吸っているのを見かけた。煙草は一本である。夫が二、
三服して妻に渡す。妻がまた二服ほどして夫に渡す。貧しい感じではない。品のよい、
落ち着いた暮らしぶりを思わせる夫婦だった。ちょうどレストーフンで、料理にふりかけ
る胡淑を渡し合っているような景色である。早春の昼の光がさらさらと二人に射してい
た。わるくない光景だった。春の光が私にも暖かい。そんな景色の中を歩いているだけ
でも、喫煙への衝動を自分に焚きつけるきっかけになる。
ともかく、そのとき欲求が喉もとにきつく突き上げてきた。
禁煙して何カ月かをすどせば、どんなに衝動が強くても、じっさいに煙草とライター
を買い、煙草の箱の封を切ってT本取り出し、口にくわえて火をつけるという行為にま
で、なかなか至るものではない。このときも、突き上げた強い欲求は飴玉のように口の中でころころと転がしているうちに、だんだん小さくなって、そのうちに何とか収まっ
た。
ただし、このような喫煙衝動のあとは、どうしても快々として楽しめぬ気分が残る。
そんなときにどうするか。前に記したように、胸の中にストックしておいた快い言葉を
繰り出すのもよいけれど、喫煙衝動がきわめて強いときはそれなりの奥の手というもの
がある。
それは二つの心理作業から成る。まず一つ目の作業は「イメージ体操」である。
箒を手にもつ。現実の箒ではなく、箒のイメージである。足元には煙草(一本一本の
紙巻きや、煙草の箱)のイメージを転がしてみる。あるいは煙草を吸いたいという気分
をどつごつした茶色い石のイメージに仕立てて、やはり足元に落としてみる。それを袷
で掃くのである。掃くのは、しかし、頭の中で行うのではない。箒はまぼろしだが、そ
れを両手に握って、その手は掃除をする要領でじっさいにサッサッと動かすのだ。煙草
や、喫煙衝動の固まりを、そうして箒で掃いてチリ取りに入れ、ゴミ箱まで運んで捨て
てしまうのである。
笑ってはいけない。いや、笑ってもいいのかもしれない。このほほえましくも愉しい
「体操」が、案外に役に立つ。おそらく、ほほえましいからこそ効くのである。これを私は、藤岡喜愛『イメージと人間』(NHKブックス)から学んだ。禁煙につい
て書かれた本ではない。人間の精神活動とイメージとのかかわりを「精神人類学」とい
う視野から一般向けに説いた一冊である。煙草のことは何も出てこない。
藤岡氏によれば、空想の箒によるイメージ体操を提唱したのは、ドズワィユというス
イスの精神病理学者であるという。ドズワィユは、心配ごとのある人、苦労にひしがれ
た人に、一種の心理療法として掃除の体操をすすめた。心配や苦労のたねがあれば、そ
のたねが足元に散らかっていると思う。それらを掃くための箒を手にしていると思う。
そうして手を動かして、心配のゴミを掃き清めてしまうというのである。
箒で掃けるほどの小さくて軽い心配どとなら、それでよい。箒などではびくともしな
い大きな重い抑圧はどうしたらよいか。ドズワィユは、大きなカゴを背負うように教えて
いるそうだ。もちろん空想の龍である。身体をかがめて、目の前にある大きな悩みどと
の固まりをヨイショと持ち上げ、背中のカゴに放り込む。ゆっくり立ち上がり、ゴミ捨て
場まで運んだらカゴを背中からおろし、その中身を捨ててしまう。そうした身体運動によ
って、じっさいに気分が晴れてくることがあるという。
幸いにして私はまだカゴまで背負ったことはない(カゴいっぱいに煙草を詰めるようにな
ったら大変である)。箒だけで片づいてはいる。しかしニコチンヘの渇望感はつねに基本的な身体感覚としてえんえんとつづいているのだから、いったんは煙草のイメージが片づいたにせよ、それは応急の手当にすぎず、ただちにまた衝動が噴き出てくるかもしれないのである。
そこで二つ目の作業に入る。これはドズワィユではなく、私が手前勝手に考えた「作業」である。すなわち、ある一定期間、何か自分にとって新しい遊びのテーマを決め、いつでもその遊びに取りかかれるようにしておく。遊びは必ず身体を動かすもの、少なくとも手をつかうものでなければならない。箒で煙草のイメージを掃き出し、さっぱりしたところで、その愉しみに入る。それが第二の作業だ。この夏から秋にかけてのテーマは「ひょうたん」であった。初秋のある日、久しぶりに強い喫煙衝動が湧いたとき、私は待ってましたとばかり、例のまぼろしの箒で煙草をサッサッと掃き、それからすでに採取しておいたひょうたんの実の一つを手に取った。
箒で煙草のイメージを掃き出し
実の中身を溶かして空洞にするという作業に入ったのである。
じつはこの夏、妻がひょうたんを栽培した。私は何も手伝っていない。ただ、庭のフ
ェンスに吊り下げた五つの鉢からぐんぐん伸びていく蔓を見ているうちに、花が咲き、
実が結ぶのを心待ちにするようになった。
夏の休暇になると、せめて朝と夕の二度、ホースで水をやるのが私の愉しみになった。その蔓がフェンスに巻きつきながら伸びつづけ、青い大きな葉がフェンスいっぱいに茂
るのを見て、近所の人が「何ですか、これは」と声をかけてくる。「ひょうたんですよ」
と答えると、「ほう!」と感心してしみじみと眺める。それがまた愉しかった。
ひょうたんは夕顔の亜種である。その白い花を、おおまかに「夕顔」と呼んでも間違
いではない。縮織りのようにしわをつけた花の姿は、夏の夕べの光の中で、妙に目を惹
きつける。花が咲きはじめると、実が成ることへの期待がいよいよ高まった。その花に
も苓の下に枝豆のようなふくらみができるものと、できないものがある。雌花と雄花と
があるのだ。そんなこともこれまで知らなかった。なにしろ、ひょうたんを育てるのは
初めてなのである。
枝豆状の実が大きくなりはじめると、それは誰が見てもひょうたんの形になった。し
かしほとんどが小さなうちに凋んでしまい、結局、何とか大ぶりの実をなしたのは三個
にすぎない。それでもその三個はさらに少しずつ着実に大きさを増していった。両手で
包むようにして握ってみると、外皮は相当に固い。その固さが、手のひらに快かった。
しかし見れば見るほどに味わいのある姿かたちではないか。一度など、ひょうたんに
水をやるために早起きさえした。夏の早朝の光を受けて、実の淡いグリーンがきれいだ
った。ひょうたんの実の中身を酵素で溶かす「バイオひょうたんどっこ」という薬品のことまで聞き知り、早速、手に入れた。これもまた何とも心愉しいネーミングではない
か。
いよいよひょうたんの実を採り、はじめて実そのものの重さだけを手に受けたときの
感じがよかった。ああ、いま自分はこんなこと(ひょうたんどっこ!)をやっていると
いうことを、手のひらにリアルな重さとして実感する。その実感が心地よい。
採取した三個のひょうたんは、妻がそれぞれのくびれの部分に紐を巻いて玄関の中に
吊り下げた。私は私で食事のときにワインを一本明け、もちろん中身は飲んでから、コ
ルク栓の先をナイフで削った。ひょうたんの栓を作るためである。ついでに割りばしも
半分ほどの太さに削り、先を尖らせた。ひょうたんの口から中を突き、「バイオひょう
たんどっこ」の酵素液を注ぎ入れる穴をうがつためである。
準備はできた。あとは中身を溶かして空洞にするという、このひょうたんどっこのク
ライマックスを迎えるばかりだ。
まことに都合よく、しばらくぶりの喫煙衝動はちょうど休日の午後、そろそろひょう
たんの中身を取り出さなくてはと思っていたところに噴いて出た。煙草のイメージなど
はあたふたと玄関の外に掃き出してから、私はその玄関先で勇んで作業をはじめたのである。まず、ひょうたんの口にキリで穴をあけ、そこから割りばしで底に近いところまで挟
る。酵素の粉を湯に溶かし、ひょうたんの中に流し込む。しかし穴はきわめて細く、私
はきわめて不器用である。はじめに作ったカップー杯の酵素液は、ほとんどひょうたん
の外にこぼしてしまった。割りばしで何度も突いて穴を広げ、あらためて作った酵素液
をまた注ぐ。口をコルク栓でふさぎ、液が果肉によく沁みるように、激しく擬ってみる。
近所の人が、通りがかりにふしぎそうな顔をして覗き込む。
そのうちに私は(声は立てずに) 一人で笑ってしまった。何が可笑しいのか、いわく
いいがたいところがあるが、つまり、これが禁煙ということではないかと思ったのであ
るo
禁煙とは、煙草をやめるという行為のことである。あるいは煙草を吸わないでいる持
続的な状態のことである。一つの習慣を中断するという行為、その中断を持続するとい
う状態、いずれにしても、禁煙というのは断つこと、止めること、捨てること、制する
こと、忘れること、諦めること、廃すること、つまりはマイナスの価値をもつ行為であ
り、状態であると考えられる。
ところがすでに記しているように、禁煙は減算のように見えて、じつは加算なのだ。
日常に、むしろこれまではなかった何かがプラスされるのである。
禁煙とは煙草をやめていること
たとえばいまの私にとって、禁煙とは煙草をやめていることであるとともに、ひょう
たんに穴をあけていること(!)でもあるのだ。そのひょうたんの穴から酵素の液を注
ぎ、コルク栓でふさいで振っていることなのである。もしも喫煙者のままでいたなら、
こうして休日に玄関先でひょうたんを振っているだろうか。汗までかきながら、こんな
ことをして遊んでいるだろうか。まず、そんなことはないだろうと思う。
煙草をやめるというマイナスのはずの現象が、こんな余分な遊戯に化している。そう
思って私は万人で笑ってしまったのだった。
翌日の夜には、酵素液のおかげで中身はきれいに溶解していた。薬品の説明書にした
がって桶に水を張り、ひょうたんを浮かべる。そうしてI、二週間、水に浸しておくと、
今度はひょうたんの表皮が剥けてくるという。皮が剥けると、白い肌が現れるらしい。
そうしたら太陽の光で一気に乾燥させて出来上がりである。
ひょうたんは私の部屋の窓辺においたプラスチックの桶に、いま、ぷかりぷかりと浮
かんでいる。淡いグリーン色をしていた表皮は、すこし茶色がかってきた。それにして
も、ひょうたんの形というものは、何と奇妙な、滑稽な、そして人の気持ちをほぐすよ
うな、懐かしい記憶を呼びさますような、明るい光をまつわらせたような、つまりは何
とふしぎなものであることだろう。結ぶのを待ちに待っていたひょうたんの実を、しみじみと眺める。「ひょうたん」(昭
和四十二年)と題した幸田文の短文に、「こうしたなんでもないことが、もしかすれば一
生のうるおいになるかもしれない」と書かれてあった。
たしかに、こんな「なんでもないこと」が、禁煙にも効く。
禁煙と旧約聖書
聖書専用のバッグがあるのをど存じだろうか。留め金もしくはファスナーがついてい
て、B6判の聖書をぴったり収める。素材もデザインも色もさまざまなものが作られて
いる。何に使うのだろう。やはり教会などに行くときに持っていくのだろうか。
私のものは濃いブラウンのビニール製で、手提げのベルト(布地)がついている。そ
う、じつは私も聖書のバッグを手に入れたのである。
私は信仰心をもっていない。しかし聖書は読み進めている。禁煙してからのことだ。
べつに煙草を止めたからといって、キリスト教の伝統の一つである禁欲主義に関心が向
いたというわけではない。禁煙は禁欲ではない。
もともと禁煙を開始したなら、その記念に本を一冊、特に選んで読んでみたいと思っ
ていた。これまで読みたいとは思いつつも機会のなかったもの、読むのに覚悟が要るほ
どに大部なもの、もしも読了すればそのことが忘れられなくなるもの、そうした条件をつけて絞り込んだ結果、禁煙のメモリアルは聖書と決まった。
まさに大冊である。私のもっている新共同訳版(旧約続編つき)でいえば、本文は二
股組みで旧約が一五〇二ページ、旧約続編が三八二ページ、新約が四八〇ぺージ、合計
二三六四ページもある。分量ばかりではない。いうまでもなく聖書は目もくらむほどに
遠い過去からはるばると読みつがれてきた。旧約聖書の諸篇など、イエスその人が読ん
でいるのだ。そうした法外で、途轍もないところが、禁煙という人生の一大事を迎えた
ときに読むものとしてまことにふさわしいと私は思ったのだった。
禁煙は暮らしから単に煙草を差し引くだけのことではない。それだけのことであれば、
まず確実に禁煙は失敗する。現に、私は何度も失敗してきた。もとより禁煙そのものが
喫煙者にとっては法外なことなのである。朝から晩まで、何があってもなくても、煙草
だけは吸いつづけてきた。何年も果てしなく吸いつづけてきた。それを一気に断ってし
まうのだから、これはとんでもないことなのである。暮らしが旧態のままで、そのとん
でもないことが持続するはずがない。
禁煙とは、暮らしに新しい水路をつくることである。そこにこれまで手を浸したこと
のない川の水を呼び込むことである。何か心に思い設けることがあれば、その思いの極
みともいえることを禁煙とともに開始すべきだ。二股組み二三六四ページの書物は「いつか読む本」のIつとして、何年も前に買って
あった。まだ禁煙など思いもしなかった頃のことである。しかし「いつか読む本」など
というものは、結局は読まずに終わってしまうものだと、私自身、はじめから分かって
いた。それは「いつか禁煙する」と思いながら、えんえんと煙草を吸いつづけるのと似
ている。禁煙が途方もないことであるのと同じように、いつかは読もうという本には、
どこか途方もないところがあって、だからこそいま読むことができないのである。いま
読めなければ、まず間違いなくいつまで待っても読めるときは来ない。
聖書は私にとって、その途方もない本の典型的な一冊であった。何かを果たそうとす
るのに、禁煙こそは最大のチャンスの一つである。ニコチンを断つことによる感覚の惑
乱に身をまかせるうち、やがてこれまで予想もしなかった暮らしの律動をきっと覚えは
じめる。べつに暮らしが早寝早起きといった規律性をもつようになるなどということで
はない。禁煙そのものの法外さが、暮らしに揺さぶりをかけ、いままでは暗に不可能だ
ろうと思ってきたことへの意志を発動させたりもするのである。
語学が好きな人であれば、これまで知らなかった言語を学びはじめるのに、またスポ
ーツ好きであれば、未体験のスポーツをはじめるのに、禁煙が一つの大きなきっかけに
なるだろう。逆にいえば、何事かをはじめたいと願っている喫煙者が、そのことになかなか踏み切れずにいるとすれば、考えるに値する方策の一つは禁煙することである。思
いもしない暮らしの力学が働きはじめ、不可能なはずの試みが可能になるかもしれない。
いや、なることがある。いや、きっとなる
と見得を切っておく。
ともあれ私は禁煙してから聖書を読むようになった。しかし一息に読んでしまったと
いうのではない。それどころか旧約冒頭の「創世記」からはじめて丁年たっても、いま
だに旧約の全部を読み切っていない。禁煙によって打ちはじめた暮らしの律動は、決し
て忙しいものではなく、私を急がせはしない。ただし確実である。読もうと思ったもの
を、少しずつでも途絶えることなく読みつづけさせる。
これまで、本はときに応じて読みたいものを読み散らしてきた。これからもそうする
だろう。それは勤勉というより、放恣というほうがはるかに近い。目的がなく、計画が
なく、秩序がなく、規律がない。思えば、その習慣はほとんど喫煙と軌を一にしている。
高校をおえる頃から、読書と喫煙とがはじまった。本と煙草と灰皿と。それが夜の私の
もっともあたりまえな小道具であった。
禁煙してからは、もちろんのことながら、そこから煙草と灰皿とが消え、本が残った。
本を読むことにかわりはない。ただ、煙草と灰皿がなくなり、そこに聖書が加わると、
読み方というものに異変が生じてきた。
煙草と灰皿がなくなり聖書が加わる
すなわち、こういうことだ。いかに禁煙の記念とはいっても、私はべつに聖書ばかり
を読んでいるわけではない。聖書のほかにも読みたい本はある。いくらでもある。とい
うより、誰にとってもそうであるように、これから読もうという本はあらかじめ定まっ
たものがすべて書棚に並んでいるわけではなく、何を読むのかはむしろ未知の状態にあ
るのがふつうである。次に読む本として自分が何を手にするのか分からない。そうであ
ればこそ読書の愉しみも湧くのだろう。その未知の愉しみを抑えつけて、二段組み二三
六四。へIジの書物だけを読んでいたいとは思わない。
とはいえ、この大冊をあくまでも読んでしまいたいのである。聖書を読んでいると、
相当のあいだ、ほかの本が読めなくなる。しかしほかの本を読んでいると聖書が読めな
い。そうした板ばさみは聖書のみならず、さまざまな大作に向かおうとする読者に必ず
や生ずるものだろう。たとえば『失われた時を求めて』であれ『太平記』であれ『アン
ナ・カレーニナ』であれ、それらを読み通すことがむずかしいのは、それらを読んでい
る間、ほかの本を読みたいという欲望を抑えつづけるのがむずかしいからである。
その欲望を抑えかね、中途でほかの本に移ってしまうと、こんどはその本に触発され
てさらに別の本へと関心が向き、とうとうせっかく挑んだ大作に戻れなくなってしまうのだ。ところが禁煙して聖書を読みはじめてから意外なリズムが私の中に生まれたのである。
聖書を少し読む、ほかの本を一冊読む、また聖書に戻って少し読む、ほかの本を読む。
そうした読み方を何度か重ねるうちに刻みはじめたリズムは、たとえば子供の頃、夏休
みの朝に近くの公園などでやらされたIフジオ体操に似ている。ほかの本がいわばラジオ
体操の「第一」であるとすれば、聖書は「第二」である。「第二はさほどに違和を覚
えず、調子を破らずにクリアしていくことができる。「第二」はこれまでにほとんど習
ったことがない。四肢の動かしようがぎこちなく、とてもス了?トにはいかない。それ
でも新鮮でめずらしい思いがする。「第二から「第二」へ、また「第二」から「第二
へ、そうした往復が、私などにはふしぎなほど長つづきする規則的な拍子を打ちはじめ
たのだ。
聖書に書かれているのは砂と岩と風とからできた言葉だ。それは私たちが慣れ親しん
できた言葉とは根本から異なっているように思える。それを読むことがあたかも、ふだ
んは動かすことのない筋肉を運動させるようにも感じられるのである。その感じが私に
はうれしかった。そうしてこの遥かな時空を生きてきた本を、みずからを律しながら読
みつづける暮らしのリズムを得たことがうれしかった。禁煙がそのリズムを支えている、
あるいは逆に、そのリズムがまた禁煙を支えている、そう思えることが快かった。
新約聖書が禁煙をささえている
聖書の文章は、声に出して読むのにふさわしい、強くきびしいトーンをたたえている。
たとえば七千匹の羊と、三千頭のらくだと、五百頭の牛と、五百頭の雌ろばとを財産に
もつ富豪であり、また敬虔な信仰者でもあるヨブが、主の苛烈な試練によってすべてを
失ったあげく、頭の天辺から足の裏まで、ひどい皮膚病に冒されてしまうという悲惨を
語る「ヨブ記」。素焼きの破片で身体中をかきむしりながら、ヨブが自分を呪って語る
一節を引こう。
この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。傭兵のように日々を送らなければ
ならない。奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ、傭兵のように報酬を待ち望む。
そうだ、わたしの嗣業はむなしく過ぎる月日。労苦の夜々が定められた報酬。横たわ
ればいつ起き上がれるのかと思い、夜の長さに倦み、いらだって夜明けを待つ。肉は
姐虫とかさぶたに覆われ、皮膚は割れ、うみが出ている。わたしのT生は機の俊より
も速く、望みもないままに過ぎ去る。忘れないでください、わたしの命は風にすぎな
いことを。
とくに旧約は、しばしば酷烈ともいえる戦いや殺戮や刑罰の劇に満ちていて、音読していると、あたかもその文章が低音の弦を弾くように胸にひびきわたることがある。そ
れがまた夜の読書のリズムにふさわしい。しかしそればかりではない。
おどろいたのは「ヨナ書」を読んだときであった。二股組み三。ページ半ほどのこの短
篇には、打ってかわって、大らかな笑いがある。皮肉な笑いもある。いずれにせよ右の
ような旧約特有の血なまぐさい匂いを洗い流し、また強く張ったトーンなどもゆるめ、
むしろ戯画的ともいえるユーモアに満ちみちている。それは次のような物語だ。
ヨナは、紀元前八世紀頃のヘブライ人預言者。あるとき、主がヨナに言葉をかけ、ア
ッシリアの首都ニネベに行って人々に悔い改めを呼びかけよと命ずる。ニネベはティグ
リス河畔にある奢侈と淫蕩の都である。しかしヨナは主の命に逆らって逃げ出し、まる
で方向の違う町(スペインの町と推定されているらしい)に向かう船に乗り込んだ。主
が風を吹きつけたため、海は大荒れに荒れ、船乗りたちは助けを求める叫びを上げなが
ら積み荷を海に捨て、少しでも船が軽くなるようにする。ところが、誰もが恐怖に陥っ
て右往左往しているときにヨナだけは万人、船底に横になって安眠をむさぼっていた。
船長がヨナをたたき起こして問いただすと、ヨナは自分が神に反抗したせいで海が嵐
に見舞われていると白状する。そして荒れた海を穏やかにするため、自分の手足を捕ら
えて海に投げ込んでほしいと頼む。船乗りたちがヨナを海に放り込むと風は凪ぎ、海は静まった。
主は巨大な魚に命じ、海に沈むヨナを呑み込ませる。三日三晩、ヨナが魚の腹の中で
主に祈りをささげていると、主が魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させる。そうして結局
は都于不べに行ったヨナは、主の命令にしたがい、「あと四十日すれば、ニネベの都は
滅びる」と触れて回るのである。
ところが于不べの都では、人々のみならず牛や羊など家畜に至るまで、ひたすら悔い
改めて神に祈願したため、主は于不べを滅ぼすのを取り止めてしまう。ニネベが主によ
る災いで滅びるのを予期していたヨナは、この結果に怒り、主に不平をぶちまけて……。
可笑しなところはいくらでもある。ヨナが主の命令に逆らってスペインに逃げ出そう
とするのも可笑しいし、嵐の烈しさに船乗りたちが恐怖にかられて叫びを上げる一方、
ヨナは船底でぐっすり寝込んでいるというのも可笑しいし、平然として海に投ぜられる
ところもどことなく可笑しい。またメルヴィル作のモービー・ディックもかくやと思わ
せる「巨大な魚」に呑まれながら、ヨナが三日三晩、その腹の中で主に祈りをささげる
というところ。ヨナが少し触れ回っただけで、ニネベでは牛や羊たちまで悪の誘いをし
りぞけて悔い改めてしまうところ。そして主が于不べの町と人々を許してしまうと、ヨナがにわかに怒り出すところ。イエスもこの物語を読んで笑っただろうか。
イエスキリストと禁煙治療薬チャンピックス
宮田光雄『キリスト教と笑い』(岩波新書)という本には、いみじくも「神のユーモア
=ヨナ物語」と題した一章が設けられ、そこに宮田氏はこう書いている。
純粋に様式的にみれば、これは、一つの短編小説のように読むことができる。じっ
さい旧約学者ゲルハルト・フォン・ラートによれば、この「軽妙で微笑をさそう物
語」は、聖書では他にちょっと見当たらないものだという(中略)。人によっては、
心世界文学の中で、もっとも美しい短編小説y(R・A・シュレーダー)と評する声もあ
るほどである。ヨナの物語を残してくれた、この未知の作者は、疑いもなく、ストー
リー・テラーとしてすぐれた才能をもっていた。
禁煙とともに旧約を読みはじめた私が、あいかわらずニコチン離脱症状を覚えつつも、
どうやら煙草をまったく断つことができると思えたのは、じつはこの「ヨナ書」を読む
に至ってからのことである。旧約の言葉は一方で、岩と岩とを打ち合わせるごとき苛酷
な音をひびかせながら、他方で、この「ヨナ書」にあるような軽やかな笑いをほとばし
らせる。一方では石であり青銅であり、他方では水であり植物である。それが読書のリ
ズムに、そして暮らしのリズムに重なって、私の日々に弾みをつける。禁煙とは、つまるところ一日一日に弾みをもたせることであり、拍子をつけることである。そうしたこ
とがなければ、また遠からず煙草を吸いはじめてしまうことだろう。
さらにまた聖書専用のバッグまで手に入れたのも、「ョナ書」を読んだためである。
ある休日の午後、外出する用事ができたとき、電車の中で「ョナ書」を読みかえしたい
と思ったことがあった。しかし聖書をはだかで持ち歩くのも妙な気のするものだし、カ
バーをかぶせるのもおかしいように思う。キリスト教図書の専門店で、聖書のためのバ
ッグを扱っていることは知っていた。翌日、私は勤務のあと、その書店に立ち寄った。
それでもバッグの棚を前にして、私は買おうか買うまいかと長いこと逡巡した。これ
から聖書を入れたバッグを持って電車に乗ることなど、いったい何度あるだろうか。信
仰者でもないのに聖書のバッグまで買っていいものだろうか。迷っているうちに、この
優柔不断の気分には覚えがあると思いはじめた。ああ、本格的な禁煙に入る前、煙草を
吸ったり止めたりしていたときの気分に似ている
と恩ったら急に可笑しくなって、
私はバッグを1つつかみとり、レジに差し出していた。
禁煙とビールと映画
禁煙はそれを果たしつつある本人にとって、人生における一つのめざましい転回であ
る。禁煙してからの暮らしを巨大な刃物でスパリと切ってみると、そこにこれまで見た
こともない色彩の切断面が現れるはずだ。そうでなければ、あるいはそう思い込むこと
ができなければ、そもそも禁煙をなしとげることはむずかしい。
とはいうものの、禁煙による暮らしの変わりようが本人にはいくらあざやかであって
も、他人の目にはたいていばかばかしいほどの些事に映るであろうことも想像できる。
その些事を
恥ずかしいばかりの些事を、また一つ書く。
耐熱ガーフス製の「とっくりデカンタ」(商品名)を買った。このガラス容器に酒を入れ、
電子レンジで温めると、じつにほどよい澗がつく。まことに取るにたらぬことで、何が
人生におけるめざましい転回であるかと自分でも反省するが、要するに禁煙してから夕
食どきに酒を飲むようになったのである。これがじつは禁煙によるニコチン離脱症状のためなのだ。
喫煙していた二十七年間、家で飲む酒はもっぱら寝酒であった。深夜になるまでは酒
を飲まなかった。寝しなになって、ウイスキーやウオッカやズブロッカなど強い蒸留酒
をガブリと飲む。もちろん仕上げには煙草を吸っていた。肺の中いっぱいに煙を充たし、
ゆっくりと溜め息をつくように煙を出す。それをしないと一日が終わるという気になれ
なかった。そうしなければ寝つけなかった。
幸田露伴に『潮待ち草』(明治三十九年刊)という随筆集があり、そこに収められた短
文「酒」の一節に、「酒の力を仮りて酔ふが如きは、不自由の事なり、冷水を飲みて酔
ひて快く眠るべし」と書かれていて、我が身の「不自由」を省みたものの、まさか「冷
水」などを飲んで快く眠れるわけがない。寝ぎわの飲酒と喫煙とは、一日の嬉しさ、辛
さ、切なさ、悔い、退屈、心配、その悲喜こもごものすべてを始末するための(あるい
は始末すると思い定めるための)必須のセレモニーだった。
しかし本当はニコチンには覚醒作用がある。逆にいえば、ニコチンの欠乏が催眠効果
をもたらすことがある。禁煙の「稽古」中に予感はしていたが、いざ煙草を断って、そ
のことが判然とした。つまり何時とはかぎらず、一日の果たすべきことを果たしたと思
うと、呆れるほどタイミングよく眠れることがあるのに気づいたのである。ときには、あたかも定規でラインを引いたかのように、ここまでが起きていた時間、
ここからが眠りに入る時間と、二つの時間が画然と分かれる
すなわち、サッと眠り
につくことさえある。それは二十七年間、およそ味わった覚えのない心地ともいってよ
い。あるいはすでに書いたように、まだ煙草を知らなかった頃の覚醒と睡眠とのリズム
が身体の中によみがえったのかもしれない。
ともかく私はまさしく幸田露伴が書いたとおり、酒ではなく、「冷水を飲みて酔ひて
快く眠る」ようになってしまったのだ。
そこで困ったのが寝酒である。寝酒は私にとって、神経を酔わせて自分を眠りにみち
びくための「不自由」な手段であった。むろんそれが一日の愉しみでもあった。禁煙と
ともに、その愉しむべき就寝儀式が要らなくなってしまったのだ。飲もうにもボトルに
手をのばす気になれないのだから、情けないといえば情けない。
酒がなくても眠れるのは、けっこうなことのようで、どうにも中途半端な気分である。
片づいた気持ちになれない。そこで飲酒の時間を繰り上げ、夕食どきの酒を一日のけじ
めとすることにしたのだ。そうなると、たいていの場合、ズブロッカなどは強すぎて料
理に合わない。味を殺してしまう。ニコチンとタールが失せることで味覚がはっきりし
てきたということぢあるのだろう。味覚が、物の味わいの四つの基本(塩からさ・酸っばさ・甘さ・苦さ)をより直接的に受けるようになった。強い蒸留酒はたまにバーのカ
ウンターで飲むばかりにとどめ、家ではやはり清酒やビールなど醸造酒を飲むことになる。
禁煙によって夜の飲酒の時間帯が変わった
禁煙によって夜の飲酒の時間帯が変わった。さらにはその酒が、蒸留酒から醸造酒に
変わった。そうして夕食どきのその酒が、いったん習慣になってしまえば、こんどはそ
れが一日の愉しみになる。さまざまに思いがけぬことがあるものである。
さらに思いがけぬことをすることにした。
夕食どきの酒はもちろん日常の小さな営みの一つにすぎない。それは節目のようなも
のである。朝からの公的な時間が、その節目を通ると、夜の私的な時間に切り換えられ
る。酒をたしなまない人であっても、そうした節目の働きをなす装置を胸のどこかにも
っていて、夜になればおのずと気分はそこを通って私性を帯びるのだろう。
その小さな節目を、週に一度、大きな節目にしてみることにした。土曜の夜、私はそ
の大きな節目を全身で通り抜け、仕事という仕事をことごとく忘れる。果たすべき世間
的な用事があっても、よほどのこと(たとえば冠婚葬祭)でないかぎりは打ち捨ててし
まう。そればかりか自分で愉しみにしている読書などさえ、一切しない。聖書もバッグにしまい込む。万難を排して、妻とビールを飲みながら映画のビデオを見るのである。
かつて二年間に見る映画の本数を少なくとも百本と自分で決めていた時期がある。二
十代の頃だ。まだビデオなどというものはなく、足しげく映画館に通っていた。それく
らいには映画が好きだった。映画を愉しもうと思うなら、ある程度を超える本数を見て
記憶のストックを増やすという物理的な努力が必要である。映画狂と呼ばれる人たちは
二年に軽く二百本は見る。私はシネフィルになりたいとまでは思わなかったので、その
半分の百本に決めたのだった。
それでも百本というのはなかなかに辛い。しばしば短篇特集などを見に行って本数を
稼いだものであった。バカなことのようだが、そうして見ていた頃の映画の記憶はふし
ぎに充実している。しかし、もはやすっかり映画館から足が遠のいてしまった。そこで、
せめて週一本、年間五十本、レンタルビデオを自宅で見ることにしたのである。
ビーールを飲むこと。料理を口にすること。映画を見ること。土曜の夜は、そのことだ
けをする。ほかのことは何ひとつしない。もしも土曜の夜にどうしても都合がつかず、
自宅にいることができないときは、このビーールと映画の宴を金曜の夜に繰り上げる。す
なわち週に一度は必ず、不可避的に、映画に没入せざるをえないようにしたのである。
何のためかといえば、何のためでもない。いかなる目的もないし、志もない(自宅でビールに酔いながら映画のビデオを見ることに、志などあるわけがない)。その映画の
択び方もたとえばある監督のものはすべてを見ておこうとか、ある俳優のこの作品だけ
は見逃してはならないといった「意志」をまったくもだない。見る映画は、そのつど、
私の希望と妻の希望とを折り合わせながら偶発的に決める。
そうして、ひたすら映画に包みこまれる夜を過ごす。何も思わず、何もせず、映画の
時間の中に我が身を沈めてしまう。土曜の夜は、いわば生活の中の空洞である。禁煙し
てからの生活を土曜の夜のところで切断してみるならば、そこにぽっかりと穴があって、
ただビールの匂いばかりがただよっていることだろう。
喫煙していた頃はこういう夜はなかった。もちろん何もせずに怠惰に時を送るのは常
のことであったし、映画のビデオを見てすごすのもめずらしくはなかったが、いまのよ
うに「万難を排して」そのような時間をつくろうとすることはなかった。みずからいそ
しんで我を忘れるということの面白さを、知らなかったのである。
目的をもたないとはいえ、そうした時間をもつことが禁煙の生活を保つのに有効であ
ることは確かだ。禁煙は、煙草を忘れるだけのことでは、おそらくつづかない。煙草の
みではなく、ほかのすべてをも忘れること。少なくとも、そんな時間を自分の暮らしの
中に定例として組み込むこと。それが暮らしの一つのうねりとして成り立つようになれば、きっと禁煙を支え、助けることになる。
禁煙中は飲酒も控えたほうがいい?
禁煙してしばらくは酒を控えたほうがよいと、世の禁煙マニュアルには決まって書い
てあるものである。せっかく固めた禁煙への意志が、酒によって弛められ、つい煙草に
千をのばしてしまうことになるという。これはまったく違う。ニコチン離脱症状を甘く
みてはいけない。たしかに、酒を飲んでいて煙草が吸いたくなることはあるだろう。し
かし喫煙衝動というものは、飲酒だけではなく、ほかの何をしていても湧き上がるので
ある。
風が吹いても、雨が降っても、日が射しても、煙草は吸いたくなる。喫煙のきっかけ
は至るところに潜んでいるといってよい。それを思えば、酒を飲むことなど何ほどでも
ない。あらゆるものが、いついかなるときでも、煙草への欲求を誘発するのである。そ
れがニコチン離脱症状なのだ。だからこそ禁煙するには意志を固めるのではなく、禁煙
そのものを愉しむ工夫が要るのである。暮らしから煙草をマイナスするのではなく、暮
らしに禁煙をプーフスする術が要るのである。
ただし土曜の夜は、私はそういうことさえ忘れてしまう。私が愛してやまない俳優バ
スター・キートンが映画館の映写技師に扮した『キートンの探偵学入門』(一九二四年)
で、仕事をしながら居眠りをはじめた映写技師は、夢の中で客席からスクリーンに飛び込み、映画の物語の住人になってしまう。私もどうやら土曜の夜になると、この夢みる
映写技師のように映画の中に入ろうとしているのである。
もちろん、見たい映画がいつも都合よくレンタルビデオ店にあるとはかぎらない。あ
る土曜の夜、見るべき映画が定まらず、私と妻は「刑事コロンボ」のビデオを見ていた。
ドラマはこれから終盤に入るというあたりだった。ハムにナイフを入れ、私の皿と妻の
皿とに一片ずつ載せたあと、私の目は主役ピーター・フオークの顔に刻まれたしわを見
つめていた。この俳優の来し方をしのばせる深いニュアンスをもったしわだ。そう思い
ながら、さらに見つづけるうちに私はふと、まさしくいま自分が映画の中に入っている
と感じた。
あとになって、そのときのことを考えると、私はかつて英文学者の加島祥造が試みた
「老子」邦訳の一節に思い当たる。加島氏は伊那谷に建てた山荘でたまたま「老子」の
英訳を読み、その明快な訳文に触発されて、みずから新しい日本語訳を試みるに至った。
その成果が氏の文集『伊那谷の老子』(淡交社)という本の中にある。
土をこねてひとつの器を作る。
中がくりぬかれて、うつろになっている。
うつろな部分があってはじめて
器は役に立つ。
中までつまっていたら、なんの使い道もない。
家の部屋というものは、当り前のことだが、
なかに空間があるから有用なのであり
そこがぎっしり詰まっていたら、使いものにならない。
その空間、その空虚が、その部屋の有用性なのだ。
我々が役立つと思っているものの内側に
空のスペースがあり、この
何もない虚のス・ヘースが
本当の有用さなのだ。
むろん私は「刑事コロンボ」を見ていただけである。ピーター・フオークの顔のしわ
に感心していただけである。「老子」を持ち出すのはおこがましいというものだろう。
しかしこの明朗な訳を読み返してみると、私もまた「空虚」の中で遊んでいたのだと、
ある手応えをもって感じることができる。「空のス。へIス」には昨日から今日へ!今日から明日へと、いやおうなしに直線的につづく、支配的で強迫的な「時間」というもの
はない。時間はあくまでも、いまここで、溢れては消え、消えては湧き、私は映画に見
入り、映画に見入られ、心踊りの時をすごすばかり。
禁煙は心踊りのする時を味わわせるものでなければならない。快いエモーションを誘
うものでなければならない。かつて禁煙の「稽古」をしていた頃から予感していたこと
を、そして禁煙の「本番」に入ってからは確信していたことを私は肌に実感した。加島
祥造訳の老子は、次のようにも語っている。
無為とは何もしないことじやなくて
していることだけを喜ぶことだ。
無為ということのうれしさを、私は老子と加島祥造とピーター・フオークの顔のしわ
から、そして禁煙から、教えられたと思っている。
禁煙と謡曲
喫煙していた頃の私は胸式呼吸をしており、禁煙してからは腹式呼吸になった。
これはもちろん大雑把な話で、ふだんは呼吸について胸式なのか腹式なのか意識して
いるわけではない。したがってどんな呼吸をしているのか、本当のところは分かりよう
がない。しかしはっきりといえるのは、誰でも煙草を吸っているときはきまって胸式呼
吸をしていることである。煙を吸い込みながら腹式呼吸などをすると、煙が気管だけで
なく食道にも充満し、むせてしまって仕方がない。
歌を大きな声で、あるいは深い声でうたうときなどは、腹式呼吸になる。あえて胸式
呼吸をしながら発声しようとすると、ぺらぺらした薄べったい声しか出てこない。
ふと思い立って
というより、予期もしなかった意志が働いて、謡を習うことにし
た。まさか腹式呼吸のためなどではない。謡を習いはじめたあと、練習中に自分の腹が
大きくふくらんだり、へこんだりするのを見て、初めて腹による呼吸というものを意識したのだ。
ともあれ禁煙してから体験した新しいことのうち、私にとって最大の出来事といえば、
何といってもこの謡の稽古をはじめたことである。
ある日、頭の中が白くなるような思いで、つまりそれだけ緊張を感じながら、私のい
ちばん好きな、いちばん畏怖している能楽師の門をたたいた(もちろんいまどき、いき
なり本当に門をたたきはしない。じっさいは電話をかけたのである)。
すでに月に何度か、能楽堂に能を見に行く習慣はついていた。およそ遠い世界としか
思っていなかった能に熱を入れるきっかけは、六年前、たまたま見た舞台に強い印象を
刻まれたことであった。役者たちはまるで弾けるのをこらえて震えるバネのような気迫
をみせ、笛も大鼓も小鼓も太鼓も高揚の果てにあわや乱れるかというぎりぎりのところ
で調和していた。つまりは初心者の胸をもさわがせる演劇性でつらぬかれた舞台で、私
は内心、度肝を披かれたのである。
そのときから能のもつ引力のごときものに惹きつけられるようになった。そうしてせ
っせと能楽堂に通いはじめるうち、やがて、ある能楽師の謡を聴くのを愉しみにするよ
うになった。静かな力を包んだ、強くてしなやかな声である。ときに凛々とした力感を
帯びる声である。聴いていると、気持ちよく身の引き締まる思いがする。励まされる思いがする。
いつか能を見るだけではなく、実技のIつとして謡を習うことになったとき、この人
のもとにこそ入門したいと感じた。しかし、それはあくまでも空想であって、まさか本
当に稽古をつけてもらうことになるとは思っていない。そもそも稽古どとと名のつくも
のを、私はこれまでにしたことがない。
もしも禁煙という「事件」がなければ、空想はそのまま果てていたにちがいなかった。
禁煙して心境が変わった。煙草を吸っていた頃なら信じられない方向へ、大きく転じた。
その人に電話をかけた。
主は不在で、受話器の向こうの夫人に稽古日のこと、時間帯のこと、授業料のこと、
用意しておくべきもの(謡本、扇など)のことを手短に聞き、ともかく「よろしくお願
いします」と申し込んでしまいながらも、頭のどこかでは自分のふるまいが信じられず
にいた。謡を習うことは、私自身にとって二重、三重の意味で、意想外のことであった。
まず一つ。謡にかぎらず、稽古どとというものは生活の中のかなりの時間を支配する
はずだという予感がある。そのために暮らしが大きな影響をこうむるかもしれない。好
きでやることとはいえ、それだけの覚悟が私にあるのか。
もう一つ。その師が、謡では当代の名手といえる人である。舞台での芸に観客席で聞きほれているだけなら、こちらも安全地帯にある。しかしそのプロフェッショナルに直接、対面しながら習うのである。こちらの声も聞いてもらうのである。もちろん私はまったくの初心者だ。それだけの度胸があるか。
謡や仕舞と禁煙
もう一つ。これは書きにくいが、私は謡や仕舞の稽古をしている人たち(大半は女性)に好感をもっていなかった。能楽堂の観客のうち、かなりの部分を占めるのが、その日の舞台に出演する能楽師の弟子たちである。それがどうもマナーがよくないという
印象を
偏見にすぎないだろうとは思いつつも??、私は抜きがたくもっていた。上
演中に私語を交す。狂言になると席を立つ。休憩時間もさわがしい。能はいま隆盛にあ
るという。しかしじっさいは、能楽堂は「師」を見に来る「弟子」でにぎわっているに
すぎないのではないか。その「弟子」の万人に、私もなるのだ。
とにかく、習いたい気持ちはあるにせよ、いろいろと心理的な調整の要ることではあ
る。面倒なことではある。それがどうして決心がついたのか。禁煙のせいとはいっても、
煙草を吸うのと煙草を止めるのとは、どこがちがうのか。何が変わるのか。
私は自分の感情の許容量というものが、喫煙者であった頃と禁煙者になってからとで
は、はっきりとちがうのを体感として感じている。前者がいわば一間のアパートの部屋
であったとすれば、後者はいくつもの見知らぬドアのある居住空間である。喫煙していた頃、もちろん状況に応じて、さまざまな感情の起伏に揉まれてきたにせよ、いま思え
ばそれらがすべて脂で黄ばんだ壁の内側でのことにすぎなかったような気がする。いが
らっぽい暮らしの味はいまも喉のあたりに残っている。
禁煙することで、私はそこを出て遠いところに移ったのだ。まだどんな部屋が、いく
つあるのかも充分に分かっていない、広いところに移ったのだ。いまだにつづくニコチ
ン離脱症状とともに、身体感覚としてそう思う。
禁煙は引越しである。そんな気がしてならない。それがじっさいの立居振舞いにどん
な変化をおよぼしているのか、よく分からない。しかし少なくとも、何かにつけて意志
的にはなったようだ。畏れている師について習おうと決めたとき、私は緊張しつつも、
そこにある見知らぬドアの一つを開けて中に転がり込んだのである。
起き上がってみると、そこは二十畳ばかりの板敷きの部屋で、奥には師がたった一人
で見台を前にして坐り、こちらを見てにこやかに笑っていた。言ってみれば、そんな次第だ。
「ともかく声が出せればいいのです。声がまったく出ないと、ちょっと困るけど。よく
いわれているように、声は腹から出します」といって、師は千で自分の腹のあたりを撫でた。舞台でのきりりときびしい面持ちと比べると、稽古傷での師の表情はまことに柔和で
あった。しばしば笑みをこぼした。
入門者向けの短い曲のIつから稽古がはじまった。まず適当なI区切りずつ、師が手
本に謡ってみせてくれる。次に同じ個所を師に合わせて私も謡う。その次に、私だけが
T人で謡う。私に間違いがあれば師があらためて謡ってみせ、それにならって謡い直す。
何度もつまずきながら謡ううちに、私は謡の稽古がこれから長つづきするのを、その
初めての稽古のときに確信した。私の中に愉しい高揚感が生まれ、それが皮膚を張らせ
ながら、せり上がってくるのを覚えたからだ。新しい体験の部屋に、思い切ってドアを
開け、転がり込んだのが幸いであったと、師の声を聴きながら実感した。
稽古の最後に、次の回に習う部分を、師がカセットテープに吹き込んで渡してくれる。
名手中の名手が、私だけのために謡ってくれる正真正銘のライブ版である。これほど貴
重なものはない。さあ、それからというもの、そのカセットテープの存在が私の日常を
刷新した。師のもとでの稽古は月に三回だが、練習は毎日である。朝、出動前に聴く。
聴きながら小声で謡う。電車の中でも聴く。このときは口の中だけで謡う。夜、帰宅し
てから聴く。雨戸が閉まっていれば、聴きながら大きな声で謡う。何度も謡う。シッポ
を振ってももが来れば、「おすわり」をさせてテープの声と私の声との合唱を聴かせる。すっかり憶えてしまったら、テープを聴かずに自分だけで謡ってみる。そのあと、自
分は謡わずにテープだけを聴いてみる。さらにまたテープの声に合わせて謡ってみる。
師の澄み切った声は聴いていて飽きることがない。老練な味わいをもつといった声では
ない。きっぱりと明晰な声であり、謡いぶりである。その謡い方に少しでも近づけよう
と思うと、それがまた愉しくて、自分がいかに下手でもいやになることがない。
むずかしい節をきれいに謡えたときのうれしさはまた格別である。はじめ師が謡うの
を聴いたときは、むずかしすぎて、混沌とした音の集合としか思えないことがある。そ
れがテープを何度も聴くうちに、やがて一音一音が明確に立ち現れ、それぞれの高低や
強弱が細かく聴き分けられ、自分でも謡い分けられる。それがうれしいのである。
そうして、さらに練習を重ねる。無理なところを努力するとか、苦しいくせに骨を折
るとか、そんなことではなくて、自分で自分を律しながら声を出すことに打ち込んでみ
るのが快いのである。
そして気づいてみれば、稽古によって、ほかのことに千が回らなくなるということは
まったくない。私が恐れていたことの一つはきれいにクリアされているのだ。夜、これ
までと同じように本も読める。遊ぶときは遊んでいる。友と酒も飲んでいる。映画のビ
デオもきちんと見ている。時間は決して奪われない。これまでの暮らしに謡の稽古が加わって、しかも何の差し障りもない。つまり時間はかえって増えていることになる。
ああ、これが禁煙だと思う。
禁煙すると一日の時間が増える。それこそが、禁煙が私にもたらした最高のプレゼン
トの一つだろう。喫煙していた頃は、煙草を吸うことが時間の小さな区切りをなすよう
な感覚があった。思えばそれは、ニコチンが切れかけてきたときに生まれる細かな判断
停止にすぎない。その空白の時間をもって、「煙草は暮らしの句読点」などといってい
たのだ。
禁煙することで「句読点」は失せる。禁煙したいと思う喫煙者が抱いている恐れの一
つはそのことではないだろうか。間がもてない。とりつくろえない。気分が切り換えら
れない。私自身、禁煙に対してさんざん二の足を踏みつづけたのは、その恐れのせいで
もあった。
しかし禁煙してみて分かった。煙草を止めると、あらためて時間の抑揚はつきはじめ
るのである。ゆるむときはゆるみ、しまるときはしまる。そんな時間の律動が、おのず
から、あらたに打ちはじめるのである。
そうした時間の鼓動のようなものが感じられるだけに
しかもそれが、煙草という手段を惜りるのではなく、身体がおのずと刻みはじめたものであるだけに、同じ1時間であっても、禁煙してからのほうが密度が高い。それはあるいは錯覚かもしれない。
しかし、一時間が濃くなった、さらに一日の時間が増えたという感覚は、疑いようもな
く身体の内にある。もしも錯覚であるならば、それは禁煙が与えてくれたもっともチャ
ーミングな錯覚といえるだろう。
そしてもう一つ、私にとっては謡という回路を通してのことだが、呼吸の仕方を意識
するようになったことも禁煙の贈り物である。
ある夜、職場を出た私は歩道橋の上を歩いていた。厄介な仕事で残業をして、ずいぶ
ん遅い時間になっていた。身体は疲れていた。自分で謡おうと思ったのではなく、謡の
文句がどこからか私の頭の上に降りてきた。「橋弁慶」という短い曲のうち、牛若と武
蔵坊弁慶が五条の橋でめぐり会って闘うくだりである。歩道橋を歩いていて五条の橋の
一節を思い出すというのは、まったくの偶然で、その頃ちょうどその部分を習っていた
からにすぎない。
牛若は少しも騒がず っ上丑ち直って 薄衣引き除けっゝ
しづしづと太刀抜き放って っ上又へたる長刀の 切先に太刀打ち合はせ
詰めっ開いっ戦ひしが 何とかしたりけん 手許に牛若寄るとぞ見えしが畳み重ねて打つ太刀に さしもの弁廃合はせ兼ねて 橋桁を二三間退って肝をぞ消したりける
「橋弁慶」というのは、剛勇をもって鳴る弁慶が弱冠十二、三歳の少年牛若の技に完敗
し、主従の契りを結ぶという単純で童話じみた内容の曲で、もちろん文学的な深みや奥
行きなどがあるわけではない。その単純さが初心者にはふさわしいとされている作品で
ある。たしかに、読んでみるかぎりでは、その言葉には何の屈折も陰影もないとみえる。
しかし謡ってみると、とても「単純」とは思えないのだ。
右の一節はもっともリズムが高潮し、速度のつく部分の一つだが、音を延ばすところ、
詰めるところ、あるいは揚げるところ、抑えるところ、強くするところ、弱くするとこ
ろ、鋭くするところ、丸めるところ、加速するところ、減速するところなど、師のテー
プを聴いているとまことに多彩で、私などにはめまぐるしく思えるほどに転変の妙を帯
びている。その一節が、夜の雑踏のなか、歩道橋の上で、私の口をついて出た。
むろん、下を行き来する自動車の騒音が消してくれるとはいえ、あくまでも人の通る
場所である。大きな声を出して謡ったのではない。すぐ傍らを誰かが通りすぎたにせよ、
その耳にも届かないほどの小声であったはずだ。しかし私はそのとき初めて、自分自身の呼吸のありさまというものを明瞭に体感したのである。
具体的に何を感じたのかといえば、おかしなことだが、横隔膜の上下運動である。た
とえば、調子よく坂を上るように息継ぎなしで謡う「しづしづと太刀抜き放って つゝ
支へたる長刀の」のところでは、謡うにつれて横隔膜が少しずつ上昇し、それにつれて
腹筋に力が入って腹がすぼまる。そこでいったん息を継ぐと、横隔膜はにわかに下降し、
それとともに腹筋の力はゆるんで腹がふくらむ。
つづいてすぐ、「切先に太刀打ち合はせ 詰めつ開いつ戦ひしが」のところで、また
声とともに横隔膜が上りはじめ、その「戦ひしが」の「が」のところで頂点に至り、次
につづく「何とかしたりけん」の直前の息継ぎでスツと落ちる。
あたりまえのことなのである。声を出すにつれて横隔膜が上がって腹がへこみ、声を
止めて息を吸えば横隔膜は下がって腹はふくらむ。何のふしぎもないことなのである。
それでも私は歩道橋の途中に立ち止まり、橋の下をこちらへ向かってくる車の白いヘツ
どフイトと、向こうへ遠ざかっていく車の赤いテールライトとが、それぞれ群をなして
往来するのを眺めながら、妙な快感をおぼえていた。横隔膜が上がる。下がる。腹がヘ
こむ。ふくらむ。そのくりかえしを、私はきわめて心地よいものに感じていた。
それはこれまで意識もしなかったことを初めて意識したからだ。声を出すということは、横隔膜を上げることなのだ。横隔膜が動く。この胸と腹との間にある筋肉が、胸の
ほうに上がって息と声とを外へ出し、腹のほうに下がって息を吸わせる。その動きを、
私はそのときあたかも身体の中が見えるような思いで実感したのである。
かねてから日常における発声の大切さに着目し、独自のプログラムで「自分の声」を
引き出させる「竹内レ″スン」を広めてきた演出家の竹内敏晴氏が、「ああ、これが自
分の声だ、と納得した時、自分が現れる」と書いている。「これが自分だ、と発見する
ということは、自分をそう見ている自分もそこにしかと立っているということで」あっ
て、そうして身体の奥底から声を出しながら「深ぶかと息をすると、自分の存在感が変
る。自分がこの世に落ち着くのだ」(『日本語のレッスン』講談社現代新書)
歩道橋の上で、私は初めて私の声を聴いたと思った。
すべてが禁煙のおかげであるなどとはいわない。喫煙していたって、気づくときは気
づくことであるかもしれない。しかしかつての私であったなら、横隔膜が動こうが動く
まいが、自分の声を知ろうが知るまいが、そんなことに感動することはなかったと思う。
そんな余計なことに気をとめる暇があれば煙草を吸っていたと思う。
余計なととを考えさせる「暇」をつくってくれたのは、まさしく禁煙にほかならない。
それだけは確かだと思いながら、私は歩道橋を降り、駅に向かった。
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