うつ病

うつ病が治るまで

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うつ病が治るまで

抗鬱剤(抗うつ剤)との付き合い方

治療中、私が服用していた薬は、おもに抗うつ薬、抗不安薬、安定薬の三種類でした。薬の成分や効能などを詳しく調べたりはしませんでしたが、のどの渇きを伴う副作用が少し気になる程度でした。
快方に向かっていれば、いずれ薬が必要なくなるときがやって来ます。ただし、薬をやめるタイミングを決めるのは、簡単ではないようです。だから、「飲まないに越したことはない!」などと、患者自身が勝手に判断しないでください。
気分のよさにだまされて、「完治した!」と早とちりをし、勝手に服用をやめてしまうと、やっかいなことになります。やめるやめないは医学の分野。素人が立ち入る域ではありません。「もういいでしょう」の一言はいつか必ずもらえますから、信じて待てばいいのです。仕事においても、友人とのつきあいにおいても、家庭においてさえも、安定した日々はそう長くは続きません。大なり小なり波があるものです。
たとえば、組織の中で生きていれば、配転や転勤も受け入れなければなりません。
辞令を受けて新たな職場に行けば、そこにはそこの環境があり、気が合う人ばかりとは限りません。眠れない新任地で、治ったと思っていたうつ病の再発かと、ドキッとするときもあるでしょう。慣れるまでの数カ月、とくに不整脈を覚えたり、寝つきの悪い日が続くようなら、ためらわずに医師に相談して安定剤を手にしてください。
飲んだほうがよければ飲む。それで眠りにつけるのならよいではありませんか。薬に頼るべきか、我慢すべきかと、深刻に迷わないことです。
いつもは「おだやかに、冷静に」と心がけていても、たまになら意見や主張で対立することもいいでしょう。大事なのは、そのことによって自分を否定したり、過剰に反省したり嘆いたりしないことです。何においても正解などありはしない、という開き直りを忘れないでください。
あなたのやり方や考え方に同意する人もいれば、非難する人たちもいます。だからといって、反対する人たちの意見はおかしい、などと思わぬことです。それでも、もし自分の考えに執着して、再び眠れぬ長い夜を招き入れそうになったら、躊躇せずに薬を手に取りましょう。
医師に連絡を取り、納得した上で服用する。何も難しくはありません。「飲まないに越したことはない!」など、焦りによる独り立ちへの過ぎた固執は回復を難しくします。そんな危険な独断は持たないでください。
そのうち、薬の置き場所さえも忘れてしまう日がきっと来ます。
悩みの袋が空になる
気持ちが軽くなり、よい方向に向かっていることを感じる朝があります。でも、まだ用心が必要です。もとに戻る危うさは、つねにあるのですから。
これまで書いてきたように、「悩まない」「考えない」「悔やまない」などを実行していれば、確実に抜け出せます。あきらめずに、その方向に歩いてください。妄想や焦りに惑わされて短絡的な判断をしたら負けです。だから、くれぐれも焦らないでください。
どんなときでも、謙虚さと控えめな気持ちは、どうか忘れないでください。そして自慢や誇り、信念や理想などは、あなたのこころの中に鍵をかけてしまっておいてください。というのも、元気になってくると、こころの中のそうしたものもムクムクと動きだし、価値観のぶつかり合いに結びつきやすいからです。人との衝突は、治りかけているあなたにとっては、マイナス要因になると思われます。
福岡に戻って四年半、私の状態もだいぶよくなりました。夕食をすませたあと、照明を少し落として音楽に包まれながら、体の中にあった、あの悩みと苦しみでいっぱいだった袋の存在を感じてみます。息も絶え、ひからびているのがわかりました。私を苦しめ続けていた、あの悪魔の臓器は死滅したのです。
仕事や日中のゴタゴタを引きずることも、少なくなりました。抱えている問題やその対応をまったく考えないということではなく、それらをよけいな心配として悩まなくなったのです。時間になると眠気が訪れ、布団にくるまればウソのように眠りへ落ちるようになりました。
もちろん、そうでない夜もあります。でも、神経が高ぶって心臓が縮むような、苦悩の夜とはおさらばです。
すべては、私の気の持ちよう一つだったのです。「よい答え」を過去の中に探そうとするか、しないか。それが回復するか、しないかの別れ道でした。過ぎ去ったものの中に何かを見つけようとしない。「過去にさまよわないこと」が回復のポイントです。こころが安定して、呼吸も乱れない。いいことが向こうから近づいてくるような気がする。落ち着いているけれども、気持ちが浮き立つ感じ。それこそ、うつ病に苦しんだ人に知ってほしい、「据わりのいいこころの安定」です。
とらわれ続けていた、あの苦しみの袋の底がパカッと割れている。そんな感覚を、あなたにも昧わってほしいと思います。ひょっとしたら、袋そのものが消滅しているかもしれません。

自分が変わって「憑き物」が取れる

苦しみの臓器の消滅を実感できたら、これからのことを考えましょう。
思い返すと、うつ病になって失ったものは、少なくなかったはずです。順風満帆で輝いていたときも、周囲から称賛を受けたときもあったのに、病気になった瞬間から、まわりの風景も人の顔つきもガラリと変わって見えたでしょう。まるで、カラーからモノクロの映像に切り替わったかのように。
モノクロの世界で病気と闘ってきたこの何年間も、もうじき終わりです。カラーの世界へ移るときが来ました。でも、かつてとまったく同じ世界が展開しているとは限りません。つらいところですが、そのことを納得するのが最後のステップです。
以前の、あの明るい世界であなたが活躍していた陰で、病気になる準備は着々と進んでいたのです。そうであれば、かつてとまったく同じ世界に戻っては意味がないとわかるでしょう。過去の栄光にすがらないこと。それがあなたの最後の仕事なのです。そこを乗り越えればもう大丈夫。脱出に成功したと言えます。
「うつ病から脱出したら、そこは天国か?」と問われれば、それは違います。なんのことはない、自分が元いた場所そのものです。
場所も人も、まわりは何一つ変わっていないのに、違って見えるのはなぜでしょうか。それは、あなたがうつ病から脱出できただけでなく、性格やものの見方、とらえ方も転換し、大きく成長したからです。
私もあるときから次第に変化を感じました。入口に立つガードマンも、職場の顔ぶれも、何ら変わっていないのに、なぜかやさしくおだやかに見える。不思議なことに、気恥ずかしささえ覚えるほどです。
人の顔が違って見えるのは、相手がやさしくなったからではありません。自分のこころがおだやかで、いわぱ普通の状態に戻ったからなのです。うつ病から解放されて邪気や邪心がなくなると、敵に思えていた人も親しい友人の顔に見えてくるのです。
「うつ病になって得たものは何か?」と聞かれたら、言い古された言葉ですが「生きていれば、いろいろある」という実感です。人並みの苦労をして、一人前の大人になれたということだと思うのです。いろんな出来事を経験し、通り抜けたおかげで、少々のことでは驚いたり、うろたえたりしない「腹が据わった自分がいる」ということです。
短期間の治療で回復された方は、医学書や闘病記などが参考になったでしょうし、薬や環境による治療が十分功を奏したと思います。しかし、四年も五年も苦しんでいる人は、医学的な治療に加えて、自分の性格や考え方を根本的に変えないと治らない、というのが私の実感です。
ここまで読んでくださったあなた、おだやかさを取り戻すヒントが得られたでしょうか。そうであれば、それは神さまが、これまでがんぱったあなたにくださったご褒美だと思ってください。
木々の緑が美しく感じられる
憑き物が落ち、解放された爽快感は格別です。
公園を散歩すれば、木々の緑が美しく、踊る木漏れ日にも楽しさがこみ上げてきます。風にそよぐ葉の向こうに広がる空の青さは、天の高さを教えています。風も心地よく感じます。
かつて、胸の中に去来し、自分を苦しめていた人の顔や言葉の妄想。たとえ、いまそれらがあらわれても、弱々しくて、すぐにどこかへ吹き飛んでしまいそうです。
心配や悩み事を抱えながら食べる食事の昧はわかりません。甘いソプラノに酔いしれることもできません。豪華な料理も魅惑の調べも、気持ちが健康であればこそ堪能できるものです。こころが自由でとらわれていないことは、何物にも代え難いのです。苦しみの袋が空っぽになることが幸せへの出発点。物事をあるがままに受け入れるこころの大らかさが、喜びの原点です。
店先の雑誌を立ち読みしたり、昼下がりに街を見下ろすコーヒーショップで新聞を読んだり、陽が傾くころに辛口の冷えた日本酒を買いに走ったり。ささやかで当たり前のことが、こんなにもうれしいものかと、奇妙にすら感じます。
気負わなければ、苦しむこともないのです。身の丈以上のものを欲しがらなければ、こころがきしむこともありません。風にはなびけばよい、重たい意見は聞き流せばよいのです。不愉快な態度も笑って無視すればよい、受け流せば重圧なんてどうってことはないのです。
いたずらに気分を高揚させないで、ひたすら自然体でいてください。気持ちが澄んでいれば、新緑の精気が入り込み、元気にしてくれます。そんな時間と空間の楽しみを、精神健康のバロメーターにすればよいのです。
こころの病を癒すのに、田舎に移ったほうがいいか、都会にいたほうがいいかといった議論があります。結論から言えば、どちらだっていいのです。どちらも正解だし、どちらも完璧ではありません。都会は人の多さに肺易することもありますが、便利だし、街中にも癒しの空間は見つけられます。田舎に行けば自然が身近にあって癒されるでしょうが、独特の人づきあいが面倒になるかもしれません。
田舎にしろ、街にしろ、どこで生きて行くにしろ、あなたのこころが何にもとらわれていないことが第一条件です。こころが自由であれば、どこでもお気に入りの場所になり得ます。逆に、こころが窒息状態であれば、どんなに素敵な街からも、緑あふれる郊外からも、きっと逃げ出したくなるでしょう。

良い人間関係を期待しなくなる

私たちが感じるストレスの多くは、人間関係の中で発生します。うつ病になったり、ストレスに苦しむ人にも、人づきあいを苦手とする人が多いようです。
そういうタイプの人は、人の集まり、それもパーティーの類には尻込みしてしまいます。うつ病になると、来訪者に会うこともひどく苦痛になります。
虚勢を張り、精一杯の笑顔を作って近づいても、顔が引きつっていないか、振る舞いや会話に力みが見えていないかなどと気にしてしまいます。華やいだ場では、気の利いたことの一つも言わなければならないとか、明るく元気に振る舞わなければと気負うから疲れるのです。できれば遠慮したい、というのが本音でしょう。
「恥をかかないように」などと、よけいなプレッシャーを自分に課すから疲れるのです。「大げさに考えない」「平常心で十分いける」「控えめに」を心がければ緊張もほぐれ、ずっと楽に過ごせます。自然体でいたほうが寿命も廷びますよ。
ちょっと冷たい言い方かもしれませんが、人間関係に悩む人は、「こころからのつきあいや、真に理解し合えることなどまずない」と達観してしまうのも一つの手です。恋人でも、夫婦でも、親子でさえも、なかなか難しいことがあるのですから、他人同士ならなおさらです。
失礼のない程度の誠意で良好な人間関係は保てる、そう納得することです。必要以上に近づいて、よい人間関係にこだわるから疲れてしまうのです。おだやかな人柄を印象づけて、クールな大人を演じる。それも一興ではないですか。慣れてくれば、自分自身も心地よくなります。
無理やウソがなければ、受け入れてもらえます。深いつきあいがよいなどと思わないこと。どんなに仲のよい友とでも、一定の距離は必要なのですから。距離を持つのは情が希薄だからではなく、摩擦を減らすためです。
飲み会の誘いを断るのに勇気が要るという人。冷たいと思われないか、人間関係を大切にしない奴と思われないか、上司の機嫌を損ねないか……などと頭をよぎるでしょう。それを大きなストレスと感じているなら、「良好なつきあい」なんて響きのよい言葉に引っ張られないで、自分の気が楽になるほうを選んでください。
つきあいが悪いとなじる人がいたら、こう公言しておきましょう。
「サラッと、長くつきあいたい」
「ベタベタしたつきあいは性に合わない」
「ドライだけれども温かい奴」というイメージが定着すれば、お互い都合がよいか
もしれません。
自然な笑顔を身につけよう
硬くこわぱるのではなく、柳のようにやわらかなこころを手にすれば、自然と笑顔になれます。悪口を耳にしても慌てないで、「それならそれでいいや、あながち間違いでもないから」と受け流せたらお見事です。
そうはいっても、未熟なのが人間。理屈ではわかっていても、評価や評判は気にもなり腹も立ちます。売り言葉に買い言葉を避けるために、ここで一つ仮面をかぶってください。
鏡の前に立って、見慣れたあなたの顔をまじまじと見つめます。気が沈んでいるときの表情をしてみてください。眉間にしわが見えませんか。目つきはどうですか。
口元は「への字」になっていませんか。出社したとき、考え事をしているとき、部下や同僚、上司から声をかけられて顔を上げたとき、どんな表情をしていますか。鏡の中のあなたを、客観的に観察してください。
そして、次に笑顔を作ってみてください。口を開けずに、くちびるの両端をつり上げます。その次は、口を開けて大きく笑ってください。きつい顔や暗い顔と、おだやかな笑顔、どちらのあなたがよい印象を与えるかは歴然でしょう。
人づきあいが苦手なことは、急には変えられません。でも、あなたの表情を変えることはできます。笑顔をつねに心がけてください。好感が持てるような笑顔で接していれば、必ず人との摩擦も減っていきます。そうすれば、いい雰囲気の中で楽しい話に大声で笑うこともできるのです。
最初は無理に笑っているようでも、続けるうちに、それがあなたの自然な表情になります。自分を楽にする一つの方法だと信じて試してみてください。

こころにユーモアを

自然な笑顔も身について、楽しい日々を送ることができれば大成功です。
おびえていたあのころと比べて、あなたの顔つきはどうでしょう。「締まりがないな」と思われるかもしれませんが、かまうことはありません。よけいな執着がないぶん、体の五感は研ぎ澄まされ、まわりがよく見えるようになったと思いませんか。
人の問いかけに笑顔で振り向けば、相手もこころを開いてくれます。おかしくもないのに口元がゆるみがちになることもあるでしょう。
こころが解放されると、冗談の一つも口をついて出てきます。みなさんにもぜひ実感してほしいと思います。人の輪における笑顔の効用は、誰もが知るところですが、それにはユーモアが欠かせません。冗談やユーモアが苦手という人は、この際、少し勉強してください。ユーモアに関する本は、書店や図書館のエッセイのコーナーなどで探すことができます。使えそうなショートストーリーをピックアップして、実践してみてください。受けないかもしれませんが、それはそれでいいではないですか。あなた流に少しアレンジして、その場に不思議なおかしみが残れば大成功です。
顰蹙を買う恐れもありますが、そこはご愛嬌です。出来が悪くてあきれさせたほうが、うまく笑わせるよりも不思議な効果が残るものです。
みんなを笑わせようと気負うのではなく、自分がハッピーな気分になって、それを周囲にも振りまくくらいの気持ちで、チャレンジしてみてください。

うつ病の闘病生活を振り返って

書店にも、インターネット上にも、うつ病に関する情報があふれています。専門家が医学的な立場から書いたもの、回復された方の闘病記などは、それなりに参考になるので、患者の方は情報・知識としてぜひ利用すべきです。
ただ皮肉なことに、うつ病のつらい症状の一つに、目から入るものへの拒絶があります。活字を読むことに対して極端に興味が失せ、新聞や本、仕事の書類などを見ることすらしんどくなるのです。これは細かいものを見る集中力が極端に低下する上に、内容を理解する力も落ちているからです。
そんなつらい状態にありながら、このブログを最後まで読んでくださった方には、こころから感謝を申し上げます。
このブログから、生きていくには「ある種の悟り」が必要であることを、感じ取っていただけたのではないかと思います。これから先も、悩んだりつまずいたりするでしょうし、そのたびにいろいろな方の言葉にすがり、励まされ、乗り越えていかれるに違いありません。それは回復してからも続く修行の旅と言えます。
うつ病の原因も症状も、治るまでのプロセスも、人によってさまざまです。このブログで紹介した内容も、私一人の体験からのものにすぎません。それでも、うつ病になりやすいとされるタイプの性格を有している方、四年も五年もうつ病に苦しんでいる方には、ある種の認識を促せたのではないかと自負しています。
うつ病になった人には、うつ病になるべくしてなる因果関係があります。言い換えれば、病気にならないのが不思議なくらいに、条件がそろった環境で生きてこられたのです。
真面目、正義感が強い、曲がったことが嫌い、深く考えすぎる、ミスを気にする、用心深い、気が小さい、神経質、虚栄心が強い、融通が利かない……など、挙げたら切りがありませんが、その性格の一つ一つを取り上げ、周囲の環境などもふまえて物事を選択していけば、意外と早く脱出できるかもしれません。
このブログに限らず、あなたが苦しみの中で出会った本があったとしたら、それはあなたにのびてきた「救いの手の一つ」です。疲れたこころを癒すのは、薬や医師のアドバイスだけではありません。しみ入るような言葉であり、親身になって助けようとする、ある種神さまの言葉かもしれません。
人生をこれからもやっていくのであれば、どんな苦況も現実として受け入れてい
かなければなりません。食い違いだらけの世の中を泳いでいくしかないのです。泳ぐなら溺れる覚悟も必要ですが、それでも腐らずになんとか生きていれば、お天道さまも無下にはしません。
いまは「人並みの、そして一通りの苦労を昧わって成長できた!」と素直に感謝しましょう。自然とそんな気持ちになれれば、苦労した甲斐があったというものです。
治療をはじめて数年がたち、回復が見えずにいたころは、生きながら地獄にいるような毎日でした。
もし、私がもっと早い段階で周囲の人に相談したり、医師の治療を受けていたら、長期化は回避できたのでしょうか。可能性をまったく否定することはできませんが、私の答えは「NO」です。
私は、うつ病にかかりやすい性格を持ち、病気に追い込まれやすい環境にいました。おそらく回避は不可能で、発症は時間の問題だったでしょう。そして、治療が
はじまってからも、この性格とものの考え方は、回復を遅らせるI因となっていた
と思います。
長い治療の甲斐あって回復しても、以前とはひと昧もふた昧も違った自分でなければ、また落ち込んでしまうのは目に見えています。何度でも言います。長期うつ病者には、思考の改善や状況への柔軟性を身につけることに加えて、「内面の悟り」が必要です。そうであってはじめて、うつ病を克服したと言えるのではないでしょうか。
ここで、人のあり方を饅頭(まんじゅう)にたとえて考えてみたいと思います。饅頭は中身と皮のバランスが大切です。まず、中身の鮑がおいしくなければ、食
べて損したということになり、中身が上質であれば、それに負けない皮が必要です。中身が多すぎて飛び出せば「破れ饅頭」と呼ぱれ、皮だけが上等でも人は納得せず、次からは手をのばしません。
練りに練られた餉、鍛えに鍛えられたあなたを目指してください。表面は柔らかく中はしっとりとした餉が詰まった、おいしい饅頭のような人です。「献上饅頭」とまでは言いませんが、甘さ控えめの上等な鮑とそれに負けない皮。バランスのとれた、少しなつかしい昧の饅頭はどうでしょう。
うつ病に打ちのめされたあなたは、そのおかげで少々のことでは傷つかない強いこころをさずかり、同時に人の弱さを包み込めるおだやかさも身につけられたのではないでしょうか。そのレベルまでいけば、素人が作ったにしてはまあまあの饅頭が、一個できあがったと言えます。
あとはさらに中身と皮を吟味して、少しでもおいしくなるよう、努力を重ねることです。皮がよくなれば、それに見合う上質な中身を、中身にこだわれば外皮に手を加えて……と切りがありませんが、どちらも手を抜いてはいけません。

今思えばうつ病も悪くない

回復しただけでなく、強いこころを手にした人は、うつ病に感謝さえしたくなるはずです。病気になったついでに、ぜひともひとまわり大きな人間になってください。
心静かな休日が来たら、振り返ってください。あなたが病気になる以前から病気になるまで、健康だったときの自分と回復したあとの自分を、比較してみてください。ものの見方、考え方、人との接し方や難題に直面したときの対応など、比べてみるとどうですか。
何事にも、ゆっくりと向かい合えるようになっているのではないでしょうか。あのころは、なぜあんなにキリキリカリカリしていたのだろう、と思えたら大成功です。あるときから、うつ病というトンネルに入り込んだあなた。すぐに回復できる短いトンネルならまだしも、いつ終わるとも知れない長いトンネルです。その「長くつらかった」という経験をどうとらえるかは、あなた次第です。
私は、回復したからそれだけでいい、とは思えません。それ以上の意味と価値を含んでいると思います。
再び迷い込みそうになったら、何かあなたを回復させたのか問い直してください。そしてあらためて考えてください。前と同じ環境、状況になったら、自分はまたうつ病になるのか? 薬があるから大丈夫なのか? 以前とは違うこころを持った自分がいる、以前と同じような物事のとらえ方はしない。そうなれたのは、うつ病になったおかげだ。
こんなふうに確認できれば、再発のリスクも減らせるでしょう。
このブログは、私自身がそうであったように、うつ病に苦しめられている人が解放されることを手伝いたくて書きました。
元気に働き、楽しい日々を送っている人から見れば、「何をグダグダと」と映るかもしれません。しかし、うつ病は苦しみのたうち回る者を死の淵までも引きずっていくのです。体に食いついた「うつの怪獣」は、精気を吸い取り、「死んだほうが楽」という選択を強いてくるのです。
百人には百通りの性格があるように、うつ病になった原因も症状も、もちろん同じではありません。回復へ至るプロセスも、失望の度合いもさまざまです。でも、
「耐えられないほどの苦しみ」を経験することだけは同じではないでしょうか。
現在、苦しみの真っただ中にいるという方。漫然と苦しいのではありません。あなたに苦しみを送り続けている元凶があるのを知ってください。その存在を消してしまえば、苦しみはなくなります。
もちろん、そのしつこさは並大抵ではありません。しかし、あきらめずにやっつければ必ず楽になります。やっつける過程で、強いこころも作り上げましょう。
どうか、必ずや克服できることを信じて、静かに立ち向かってください。現在、うつ病と闘っている方が、一刻も早く「自由に呼吸する頭とこころ」を取り戻されることを願ってやみません。
 
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