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専門アパレル通販の現場

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専門アパレル通販の現場

フランス発保温下着「ダマール」
本章では、カタログ通販の中でも、最もハンドリングが難しいといわれる衣料系の単分野
通販について述べていこうと思う。
このジャンルは外資系の躍進が目覚ましい。中でも一九八〇年から日本にも進出している
老舗の保温下着・ダマールは、フランスでは総合衣料通販として、国民の九六%に知られて
いる。ダイアナ妃が八六年の来日時にも着用していたとも聞く。
「それでも日本ではわずか10%の認知度」と語るのは、同社社長の長崎起哉。三八歳とま
だ若い。台湾の大学を出たマーケティングの専門家で、その職歴も欧米キャリア並みに多彩
だ。
計測器会社や公共団体などを経て、ダマール社に入社。しかしその後、無形商品のマーケティングを行うため、通信教育の会社に三年間勤務していた。だがそのころ、古巣ダマール
の業績が悪化、最高業績が年商五〇億だったのが、二〇〇二年度期は三五億円ほどに終わっ
てしまった。そこでテコ人れのため、急速長崎に白羽の矢が立ち、二〇〇二年九月、同社
に復帰する。外資系はこういう自在さが面白い。特にフランスにある同社の本部は、純粋な
オペレーション会社だが、人事決定権も持っている。
本部は一九五三年に創業、下着工場からスタートした。店舗販売をメインに始めたが、通
販に移行しやすい土壌はあった。小切手を同封して注文というスタイルはもともと普及して
いたし、出先の店舗という感覚で徐々に浸透。そして、CMでブレイク。
「もっとも、フランスは通販に日本以上に抵抗感を持つ国で、本部売上げの七割が通販、三
割が店舗という状況です」
日本では、一度着用して気に入らないのに返品せず泣き寝入りという客も多いが、フラン
ス人は「金を使うことにシビアで、悪いものは有無をいわさず返品する」。そんな国民性に
同社の品質は鍛えられた、と長崎は言う。
「通販の手段は多岐にわたりますが、まず商品自体がコミュニケーション。そこに共感を覚
えて買っていただく。きっちり商品でお客と対面し合わなければ。われわれは通販企業という前に、衣料品製造販売会社なんです。しかし、そ
の意識が強すぎて、これまで、外商的・ご用聞き的
立場でお客様とメンタルな接し方ができるなど、道
服のよさをなおざりにしていたところはあります
ね」
同社が開発した繊維「サーモラクティル」によっ
て作られた製品の多くは、「日本にないタイプなの
で支持される」。この繊維は原素材にポリ塩化ビニ
ルを多く含み、マイナスの静.電気を発生し、熱を通しにくく、汗を素早く外に追い出す特徴
がある。その暖かさは「カシミヤの比ではない」といわれ、気温五度以下の環境に適すレベ
ル5の上下スパッツなど、かつては類似商品もなく、山岳部の御用達だった。
また、フランスでは「腹巻は薬局かダマールで]と相場が決まっているらしく、他のヨー
ロッパ諸国に比べても、冬でも暖房があまり効かない住宅環境と、見栄からくる薄着傾向が看てとれる。
事実、ダマールはアメリカにも進出したが、すでに撤退している。つねに車で移動し、セントラルヒーティングによって暖かいアメリカでは、保温下着のニーズは低い。だから、日
本でも長崎の故郷、「北海道では売れない」のだ。
「やはり空っ風の北関東で一番売れますね。北海道は車も寒冷地仕様ですから。その点、フ
ランス車は暖房の効きが悪くて。それから、ドイツ人というのはフランス製品を買いません。
その逆もあるでしょうが」
中世以前から、なにかと複雑な両国の関係が窺える逸話だが、お洒落なフランス発であり
ながら、日本ではドイツ的な合理主義でサポート下着に徹し、「競合と喰い合わないナンバー1」を衿持とするダマール。画一的なサービスから脱しようと、顧客が住む地域に最も近
い山に「雪が降りましたか?」などの冒頭文で始まるメッセージを送ったり、「表層的でな
いコミュニケーションを築きたい」と長崎は言う。今はカタログ(年総合四〇〇万部とイレ
ギュラーのアウター系が九〇万部)のみをツールとするが、「近々、ネット受注体制を整え
たい」とも。新機軸のアウターが受け入れられるのも、その基礎改革の進行次第だろう。

薬の通販は、こちら→サプリ館

アメリカで認知度抜群「ランズエンド」

外資をもうひとつご紹介する。アメリカではよく知られたブランド、ランズエンドだ。シカゴの広告代理店のコピーライターで、ヨットを趣味としたゲリー・コマーが、一九六
二年にヨット関連商品の販売から事業を興し、翌年には法人化し、カタログ通販を開始。80年代を通じ、カジュアルウェアを中心に急速に拡大し、いかなる場合でも、一〇〇%返品
可能なIGURANTEED.PERIOI)・リ{」を旗頭に世界を席巻した。米『カタログエイジ』誌
(二〇〇二年八月号)によれば、同年度の売上げは一三五五万ドルで前年より二〇〇万ドル
ほど落ちてはいても、逆に純益は九三%増で、押しも押されぬ衣料通販のトップ企業だ(総
合ランキングで一三位)。
米国本社の全額出資子会社、日本ランズエンドも九三年に設立され、七時から二四時まで
稼働するコールセンターとともに神奈川県新横浜の地にある。PR部の関根利江子と島津裕
子に話を聞いた。
「バブル崩壊後のアメリカンカジュアルブーム
これはユニクロのブレイク以後も継続し
82
ていると思いますが?を受けての創業です。九四年には第一号のカタログを出しました。
九九年には現社長の林恵子が就任し、日本人により合った商品の開発を進めています。それ
がジヤパンフィット、ペティート(小)サイズの展開です」
と、海外生活が長かった関根は流暢な英語交じりで語る。関根はロンドンやイタリアの有名ブランドでもPRの仕事をしていたという。島津も留学経験がある。林を筆頭に、社員の
多くがそんなバックグラウンドを持っているのだそうだ。
「目本人って体型が薄っぺらく、それでいてフィット感を求めるんですね。だから、Tシャ
ツみたいなものすら立体裁断の必要があるんです」
サンプルを手にしながらのわかりやすい説明に、こちらもうんうん肯くばかり。
「L.L.ビーンなどとともに語られるアウトドアのイメージ脱皮も図り、カジュアルからテ
イラードまで日本向けの商品はかえって充実してますよ」(関根)
スプリングコートやコットンジヤケットなど、日
本独特の需要があり、オリジナル展開している。
贅沢な店舗や社Mを構えたり、無駄な経費を使う
ことはしない、という主義を体現するためか、米本
社はアメリカ中西部、ウィスコンシン州郊外のダッ
チビルの、四〇エーカーほどの豊かな自然のただ中
にある。
ちなみにアメリカでは、ランズエンドのブランド認知度は七〇%以上と商い。

ネットで仮想試着

米国本社は二〇〇二年六月からはシアーズ・ローバックの傘下に入った。そのことで、シ
アーズはランズエンドを変える存在として差別化を図り、アパレル商品群を改善し、顧客と
のダイレクト・ビジネスの成長を加速させている。ランズエンドも、これまでのカタログに
オンラインショップを加えた多様なチャネルを通じて、顧客の幅を広げている。
アメリカではむしろ、通販は男性の領域とも聞く。売上げベストを見れば、パソコン販売
やオフィスサブライが上位を占めるが、アウトドア用品や工具類販売も強い。ちなみに、日
本でも、序章で述べた通り、ここ数年、男性の利用串が急激に増えている。
ランズエンドはまた、ネットで仮想試着ができるという「マイ・ヴァーチャル・モデル」
サポートを二〇〇二年度より開始した。これは自分に似せて作った3Dモデルが好みの服を
着てみせるという、ゲーム感覚のサービスだ。
同社のキー・ターゲットは「三〇歳の気持ちを持つ四〇歳代」。その男女比も四対六くら
いで、他社より男性の支持が厚い。カタログの発行ペースは、ほぼひと月ごとの年九回に、スペシャル・リーフレット(これが「よく機能する」のだそうだ)が随時。使用される写真
も本社のカタログ制作時に、アングル、ポーズ等日本独自の発注をするという。二〇〇三年
の初春号を開くと、パステルのレディス用セーターの次に、メンズのカシミヤ・ジップアッ
プ・カーディガンが並ぶ。こんな風に、高級素材も実用的に仕立てるのがランズエンド流と
いえよう。
関根は、「カタログ通販はとてもロジカルな世界」と、その方程式を楽しげに語る。売れ
線は一五ページ目までに並べるとか、ユーザーごとの副読ツールの選択や発送タイミングな
ど、「仕掛ければ仕掛けるほど」リアクションが変化するという。
インタビューも終盤、島津は同社の製品を次々に取材場所の会議室に持ち込む。「せっか
くですから、ぜひ着ていただきたいと思って」。
私はジャケット類をいくつか試してみた。大柄な私は日本製だとLでも小さいことが多い
が、袖丈以外はMでもずいぶんゆったり着られる。仕立ては確かにしっかりしており、ヘビ
ー・デューティなアメカジの醍醐味は味わえた。確かにユニクロの台頭以降、私がよく利用
するような町のアメカジ屋はどこも立ち行かなくなり、閉めた店も多い。そんな中、ランズ
エンドの存在価値も高まっていくのだろう。

日本流通産業新聞のデータによると、二〇〇二年度の売上げは七五億円で、成長率は六・
六%。二年前に比べて顧客のリピート率も二〇%ほど増えた。まず着実な浸透度だ。

パラェティに富んだ子供服「ルプラン」

さて、今、小学生も高学年になると、「メゾピアノ」「ポンポネット」「エンジェルブルー」
などの人気ブランドで知られる、ナルミヤ・インターナショナルのファッションに身を包む
のが、女の子たちのトレンドになっているかのようだ。それは子供服の常識からすれば驚く
ほど高価で、親の負担もいかぱかりかと心配にもなるが、それらブランドのフラッグショッ
プが集中する東京・渋谷の109?2は、週末ともなれば、母親の手を引いた女子小学生たちで
溢れ返っている。以前から、ファミリアやミキハウスなど子供服の高級ブランドはいくつか
あったが、ここまで時代を画すことはなかった。ゆえに、その勢いに乗じた、この″ローテ
ィーン″世代に向けた雑誌や商品も雨後の笥のように現れている。
今後のアパレル通販にとって、こんなおしゃれなジュニア層をどう捉えるかも課題の一つ
だろう。私は子供服通販の中堅、ルプランの存在を知り、東京・中野の駅裏の一等地とは言
い難い場所にある同社を訪ねた。

子供服を中心に抜う通販会社はそう多くはない。明治乳業の100%子会社として一九六
六年に創業、育児用品に特化したナイスデイなどは老舗として知られるが、慢性的な売上げ
低迷の中、マリーフオーレなど消えていった会社も少なくない。その中で、一九九三年に設
立され、10年目を迎えたルプランはかなり健闘している。
そもそも子供服は消耗品の最たるもの。通販においても、いまだ子供服は使い捨て感覚で、
ともかく安さにウェイトが置かれがちだ。しかし、フランス語で「仔馬」を意味するルプラ
ンは、高級ブランドが持つ洗練さを、より低廉な価格帯で追求しようとしており、そこに根
強いファンがついている様子だ。

自然体な女性社長
ルプランを訪れた私は、そこで備く社員の熱気に圧倒された。彼らは1フロアにひしめき
合うように、受注やカタログのデザインをこなしていた。
道に面したオフィスの一部はショップで、サンプルやアウトレット品を販売している。通
販で同社を知った近所の主婦たちが直接買いにくるのだそうだ。そこにはなかなか可愛らし
い品々が揃っていて、私は友人の息子に、と早速一点買い求めた。

「まずは上顧客を相手の、こうした試験販売はとても大切なの。
その反応を見て追加オーダーをするから。大手とはロットが違
うんで、できるのよ。生地は中国産が多いけど、少数でもいい
品を確保して、縫製メーカーの協力がないととてもやってられ
ないわ」
と、ざっくばらんに語る高島恵子に、肩で風切る女性経営者
のイメージは微塵もない。業務の実際は取締役の遠山幸子に任
せており、自分は「黒子」だと言い切る。
[客観的に(物事を)見られる立場が社長でしょ。私は子供服
のことはよくわからないし、そりやあ、新しい商品を見て、意
見くらい言うけど。でも、勘は働くほうだから、私のことを人伝てに聞いて売り込みにきた
遠山と話して、『この人ならやる』と即断即決。支援することに決めたの。私白身がそうい
う出会いを探っていたし」

フツーの人たちの感性を信じて
 とはいうものの、ルプランはこの高島なしでは回らないだろう。遠山とは取材交渉の際、
簡単に話しただけだが、互いがそれをよく承知し合っている間柄に見えた。
「売れる確実性、整合性をどう見ていくか。受注と在庫のバランスを大手とは違って細かく
取れるのが、私たちの強味でしょうね。まず六か月から二歳までの乳幼児向けでスタートし、
その子供が大きくなって、自然と就学年齢までターゲットが広がったの。子供たちといっし
ょに成長してきたようなものね」
創業当初は、保守的なアパレル業界の気質に悩まされもした。素人扱いされ、現余で支払
うと言っても、卸を渋られたという。商品は自
ずと見栄えのしないものが集まり、お陰で第一
号カタログは大惨敗。そこで、競合の多いベビ
ー下着を少なめにし、人気が出つつあったバン
ダナなどカジュアル品にシフトしていった。加
えて、オーガニック、ピーターラビットのブラ
ンド品を投入。また、四〇〇円を別途徴収する
会員制を導入し、価格において差をつけ、顧客の固定化を図るなど、コンセプトを明確化していった。
カタログは年二回合計三〇万部の発行の固定化を図るなど、コンセプトを明確化していった。
カタログは年二回合計三〇万部の発行ペース(他に年一回程度クリアランスカタログを発
行)だが、九五年春夏号で月間売上げ一千万円台に乗り、親子のペアルックや、子供をオー
ディションでカタログモデルに選ぶなどの顧客参加型提案で、秋冬号では二千万円台にも漕
ぎ着けた。現在の年商は約六億円。特に宣伝広告はしていないにもかかわらず、年間二万人
ほど新規顧客が増え続けている。
バラエティに富んだラインナップを誇るルプランだが、子供を着せ替え人形のように扱う
親たちに、高島は懐疑的だ。
「キッズフアッションって貧富の差とか階層とか、どうしても露骨に反映しちやうでしょ。
定番って今はないからね。でも、もっと日常的なお洒落感を追求したい。うちの顧客は二〇
代後半から三〇代前半の母親たち、『中の中』という層ね。彼女たちが歓迎する、目新しく
って、生活を楽しく彩れる子供服を手がけていきたいの」
「一億総中流は幻想」といわれて久しいが、その中で育ったヤンママ世代の価値観はそう
易々と揺るがない。子供服・育児用品にはまだまだ可能性が眠っている。狙いどころは「無
理のない高級感」、といったあたりに落ち着きそうだ。ペース(他に年一回程度クリアランスカタログを発
行)だが、九五年春夏号で月間売上げ一千万円台に乗り、親子のペアルックや、子供をオー
ディションでカタログモデルに選ぶなどの顧客参加型提案で、秋冬号では二千万円台にも漕
ぎ着けた。現在の年商は約六億円。特に宣伝広告はしていないにもかかわらず、年間二万人
ほど新規顧客が増え続けている。
バラエティに富んだラインナップを誇るルプランだが、子供を着せ替え人形のように扱う
親たちに、高島は懐疑的だ。
「キッズフアッションって貧富の差とか階層とか、どうしても露骨に反映しちやうでしょ。
定番って今はないからね。でも、もっと日常的なお洒落感を追求したい。うちの顧客は二〇
代後半から三〇代前半の母親たち、『中の中』という層ね。彼女たちが歓迎する、目新しく
って、生活を楽しく彩れる子供服を手がけていきたいの」
「一億総中流は幻想」といわれて久しいが、その中で育ったヤンママ世代の価値観はそう
易々と揺るがない。子供服・育児用品にはまだまだ可能性が眠っている。狙いどころは「無
理のない高級感」、といったあたりに落ち着きそうだ。

クイーンサイズに特化「浜口通販」

ところは変わって京都。私は太めの女性に向け、クイーンサイズに特化した品揃えで成長
を続ける浜口通販のユニークな業態転換を人伝てに聞き、取材に向かった。
浜口染工という染物業の傍らで誕生した浜口通販は、一九八七年から福井に拠点を持ち、
アルミホイール鍛造や販売会社などで形成される小野グループの一員となって、本格的に通
販に乗り出した。まずは折込で撒き餌をし、固定客化を睨んでカタログを配布するベルーナ(1つ前の記事)にも通ずる手法で、二〇〇二年度は年間推定一五位円を売上げている。
この二年ばかり伸び悩んでいるが、ラージサイズに専念してから数年は二桁成長を続けて
いた。副社長の小泉昭二と営業部長の小西和広に話を聞いてみる。
「前身は趣味手芸の頒布会でしたが、買収後はアバレルを中心に化粧品や雑貨を取り扱うよ
うになりました。最初はごく普通にやっとったんですが、お客様から『サイズがない』とい
う苦情が相次いで、九三年くらいから差別化路線で生き残りを賭けたんですわ。婦人服はス
ーツならそれまで7、9、11号が標準サイズ。うちは一三号から三一号まで取り揃えてま
す。これで注文の七割にはなります。大手には在庫管理上、難しいんちやうかな。特異な客にかまけなくても、十分儲かるやろし(笑)。ま、人助けですわ」
好々爺然と語る小泉は旭化成出身。″糸へん業界″は知り尽くしている様子だ。
「女性は意外に自分のサイズがわかってないですよ。太めの方は総じてお洒落で、いいもの
が着たいという人が多く、一〇〇万円以上買う人も相当数いる」という小西。「家ではジャ
ージなどの部屋着で仕方なく過ごしている人に、存在感を示せた」と好調の原因を分析する。
抜う商品のほとんどが国産。というのも、3L以上はJIS規格になく、メーカーによる
サイズのばらつきも大きいので、親身につき合ってくれる経験豊富な業者との連携が不可欠
だからだ。自ずと受注生産体制に近い状況になるらしい。
カタログを見れば、総絹の大島紬のスーツなど七万円近くするが、これがけっこう出ると
いう。島精機製作所という、日本の高級セーターのシェア七割を占める編み機で作られたセ
ーターも自慢の品だ。小泉は「水着もよう売れたね」とカタログの該当ページをめくる。
「これで『家族いっしょに海水浴行けます』ゆうて、ずいぶん感謝されましたよ。また、太
めの方には派手なプリント柄なんかが似合うんやね」
「下着でも、Gパンでも10枚まとめ購入とかね、買い替え需要で売れますな。定番で売れ
るもんはカタログ掲載八年継続いうのんもあります。ショーツはね、おへそ見えた写真はあきまへん。これ売れない」
などと、あまり笑みを見せない小西だが、なかなかオモロイことぱかりいうのである。
「太めの女性の気持ちに立つため」、年四回、西は姫路から束は名古屋までの主婦モニターを
集めて、意見を聞いてからカタログ制作に入るが、みな積極的で、ここから商品が生まれた
ケースも珍しくないらしい。
「みなさん、明るくて活発。太めであることにこだわりがない。首回り四二センチっちゆう
のがネックレスの標準ですが、それだと『首輪になっちやう』から、もっと長めのを作って、
などという意見は参考にさせてもらいました」
およそ太めといってもいろいろで、モニター呼びかけに応じる女性が、小西の目には「以
前くびれがあったのが、そうでもなくなった程度」で、自分で言うほど太って見えないこと
も再三だという。

シニア向けカタログモデルの女王

同社の主要顧客は五〇代プラスマイナスー五歳だというが、その年代に到ると諦めの境地
に達するのか、みな「ダイエットしようなんて思わない」のだという。「ウエストを絞ったものも売れない」とか。二〇〇二年に売り出したパジャマの注文も4〜7Lに殺到している。
ジャストフィットのものより、さらなるゆったりめのものを求めるからだ。
「最近、特に告知に力を入れてもいないのに、太めの方同士のサイトなど情報交換から知ら
れていくみたいです。若い男性、というイメージだったネットショップも、いざ(二〇〇〇
年に)始めてみると、七〇代のおばあちゃんもアクセスしてきます」(小西)
ウェブサイトは社内スタッフで作成。費用対効果も商いそうだ。
「クイーンサイズ専門の実店舗は値段も高額。同じメーカーから、うちと同一のものを仕入
れていても、例えば、うちのカタログで一万九八〇〇円で売られる商品が八万円もしていた
ことがありました」(小西)
カタログの体裁だが、一時は千趣会風のきれいな構成にしていたこともある。しかし、ま
ったく購買に結びつかなかった。細かい話だが、紙が厚いほうがユーザーのレスポンスが上
がる。また、マット紙(ツヤなしでユニクロなどが用いる)よりコート紙のほうが、ユーザ
ーテストの結果、圧倒的に評判がよかったという。印刷で色を忠実に出すと、素材感が損な
われる。印刷工たちは、通販カタログは嫌がるものなのだそうだ。
「雰囲気重視の外資系の某社さんなどは色々クレームも多いらしく、そのぶん返品率も高いらしいいいますな」(小西)
年七回計二〇〇万部発行の、全七〇ページほどの同社の薄手なカタログの一国には雑貨類
も充実している。
「痩せ薬にクレームはきへんなぁ。スキン、これ必需品どすな。岡本理研の『愛の小箱』、
これ今じゃ、どの総合カタログはんのにも哉ってますが、最初に手がけたのはうちですわ。
よう売れますねん。老いてなお盛ん? そりゃそうや。遊びでセックスする年代やなし」
そう語る小西はまた、活版カタログには「この人が出ると売上げがめっぽう上がる」とい
浜口通販のカタログ『花もめん』。
表紙は上條恵理子
うモデルの存在も教えてくれた。
「上條恵理子さん、いいましてな。着こなし、
ポーズからしてまるで違って、見栄えがような
ります。ベルーナさん、ニッセンさん、京都通
販さん、どこも使うてはります。ギャラはもう
大阪のモデルの倍収られよりますけど、その価
値は+分ですわ」
所属事務所に問い合わせたら、上條は一般女性誌でも一線級のベテラン。だが、実際はカタログの読者の年齢層に比べれば若い。しかし、
小西日く「モデルも肥えた年輩の方やったら夢がない」。通販カタログに夢を見出す女性た
ちの目も、とても肥えているのだ。

女のコ心をくすぐるインナー「ビーチ・ジョン」

下着に特化しているビーチ・ジョン(以下PJ)は、斬新なカタログ作りで、今若い女性
に圧倒的に支持されている。同社の二〇〇二年度年商は一三四億円で、JADMAのランキ
ングでは五四位から四二位と着実に伸長。歌手の浜崎あゆみとも深い親交があるという社長
の野口美佳は、日本テレビ系の人気番組『マネーの虎』などにも出演し、その生き方も含め、
ファッション・リーダーとしてカリスマ的存在だ。
二〇〇三年の一月中旬、東京・池袋にある同社を訪ねると、まずはそこで働く女性たちの
キビキビとした姿に圧倒された。広いワンフロアの片隅で、私はまず野口と取材交渉をした。
分単位のスケジュールで勣く野口に本書の趣旨を説明する私自身が、その鋭い眼光に『マネ
ーの虎』の出演者のような緊張を強いられる。ちなみに『マネーの虎』は、出演者がベンチ
ヤーの成功者たちを説得し、開業資金を提供してもらおうというビジネス・エンターテインメント番組だ。
十数分の交渉の結果、野口とは日を改め、カタログ制作の現場で会う了解を得て、まずは
ひと安心。社長秘書の安倍もと子に同社のカタログ作りについて説明してもらう。
「通販ですからお客様は写真とコピーが頼り。ウソがあっては信頼関係が築けません。現物
により近い色と形をお伝えできる写真と、見えない部分(ディテール、素材、機能など)を
謳ったコピーがカタログ制作の基本。写真の修整は最小限に抑えています」
ところで、女性下着が『PJ』のように華やかになってきたのってどういうわけだ?
「最近、外国ではシンプルな装いにシームレスなインナーが好まれています。しかし日本で
は、たとえ外見はシンプルであっても、内側では自己を表現しようと、下着は可愛いものに
惹かれ、カラフルにとなるんです。奥が深い世界ですよ」

社長であり現場監督であり
取材当日、私は広尾にある某スタジオを訪れた。そこでは、白ホリゾントの上下ニフロア
を使って、五月半ばに発行の『PJ』夏号の表紙と内容の一部を同時進行で撮影中だ。
クロアチアから来日したというモデルのイレーヌが、華奢な体躯をフェミニンなナイティウェアに包み、すっくと立つ。バックは平面的に彼女の部屋をイメージして装飾されている。
スタッフは約一〇名。女性ディレクターの演出に基づき、スタイリスト、メイクアップがテ
キパキと準備、カメラマンの小林和史がスタジオの係に指示を細かく出し、慣れた調子で撮
影を進める。それぞれに助手がつき、彼らの顔には緊張感も漂うが、どこか和やかなチーム
ワークの場。そんな中で、イレーヌが所属するプロダクションのマネージャーは宣材を広げ、
PJ側のスタッフと次の撮影の相談をしている。
「ウェアー点につき一五〜二〇コマ回します」と小林。グラビアからすると実に経済的な数
だ。それだけ要求されるカット数が違うのだ。総合通販のカタログには較べるべくもないが、
それでも下着だけで一五〇ページ前後はある。モデルも、
「二週間前に何日かかけてオーディションでフィッティングし、適合者を採用します。モデ
ルのほうを服に合わせる恰好ですね」(小林)
となる。あくまで主役は下着だ。壁のコルクボードには今回の撮影のサムネイル(綿密な
スケッチ)がピンナップされ、ほぼその通りに進行していることが、横に確認のため貼られ
たポラロイドから理解できる。全撮影には、およそ一か月、のべ日数で二週間かけるという。
上階での撮影が終了し、社長秘書の安倍に呼ばれて、私は社長の野口と彼女の右腕、クリエイティブ・ディレクターの佐藤知代とあらためて挨拶を交わす。野口と佐藤はコピーライ
ターの糸井重里との鼎談集『胸から伝わるっ』(朝日出版社)で息の合った問答を披露して
おり、今回もぜひ二人揃って取材を受けて欲しかったのだ。
宮城県仙台出身の野口は一九歳で上京。そこでアルバイト入社した制作プロダクションで
佐藤に会う。七歳年上の佐藤はすでにコピーライターとして独立していた。
「イラストレーターになろうか、スタイリストでもいい。とにかくなにかを作る仕事がやっ
てみたかったけど、どうしたらいいかもわからなかった」そんな無垢な野口を、佐藤は「捨て置けな
いタイプ」と評す。その会社は、いかにもギ
ョーカイ人を気取るような連中ばかりだった
が、野口と佐藤は昼食のサンドウィッチを分
け合うなど、さり気ないことから通じ合って
いった。
同じように野口に目をかけてくれ、仕事の
一切合切を手取り足取り教えてくれたアートディレクターがいたが、八五年の日航機墜落事故で還らぬ人となったという。その後、野口
が通販に乗り出した際、最初のカタログは全部自分で作ったが、その時枝に叩き込まれたノ
ウハウが大いに役に立った。

「下着はいい商材」

それから野口は、後に夫となる野口正二(現PJ会長)が興した会社に入った。正二は当
時三五歳で大手通販企業を退職したぱかりだった。
社長のほか従業員は野ロー人きり(広告作りから電話受け、発送手続きまで一切を野ロー
人でこなしたという)。自然の成り行きで同棲、二I歳で「できちやった婚」に至った。翌
年長男を、二四歳で次男(長女を三二歳で出産。三人の子持ちである)を生み育てつつ仕事
を続けていた。その後主婦と母親業に専念していた野ロだが、あるとき自ら「お受験ママ」
になり切ることで、装いとはそもそも「コスプレ」なのだということに気づく。着るもの次
第で「見せたい自分になれる」。それがPJのコンセプトとなった。
やがて、夫の要請もあり仕事現場に復帰。すでに立ち上げていたカタログ『PJ』の四冊
目を作ってみたら、これが当たった。野口が二七歳の時だ。カタログを読んで共感した佐藤ともまた急接近。そして、九四年には株式会社として独立した。
今は生産拠点を中国に置く同社だが、最初のころはニューヨークをはじめアメリカ全土に、
野口自身が商品買い付けに出かけた。「英語もわからず、ただ体当たり」と野口はその当時
を回想する。
ところで、そもそも野口はなぜ下着通販に着目したのか。
「下着はいい商材。シーズン性がなく、リピート買いがある。大量ロットでオリジナル商品
が持ちやすい。それで下着から始まった大手も多いんでしょう。ただ、うちと他社との違い
は商品ニーズ。はっきりいって、見た目プラス機能性を重視し、丈夫さとしての品質は追求
してない。デザインを優先させると、どうしても頑丈には作れないんです」
たしかに、洗濯を何+ぺん繰り返しても平気な、ただし見た目は冴えない商品で訴求する
か、お洒落で「見せたい自分になれる」ものを掘り下げるかではスタンスは自ずと異なる。
「うちはランジェリーでファンタジーを売っている。洗濯して破れたとかクレームがきても、
よく聞けば洗い方に問題があったり、他社商品のように扱われちやうんですね。ネットを使
わず、普通洗いされたら、パッドも水を吸い型崩れします。俗に『勝負下着』っていうけど、
なにも恋人のためだけでなく、自分がテンションを上げるために着てもらう下着がうちのウリなんです」
背中や胸の開いたドレス、きれいにバストが浮き出たTシャツ……洋服をかっこよく着た
いから、「なりたい胸を作る」。そんなユーザーの願いに、野口らは独自のブラの型をいくつ
も編み出し、応えてきた。乳房を底から持ち上げ、自胸で谷間を実現するボリュームアップ
機能を持ったボムバストブラは、PJがメジャーになるきっかけとなった。
そこまで話を聞いたころ、表紙モデルを務めたタレント、こずえ鈴が帰り支度を済ませ、
野口に挨拶をし、テスト用のポラロイドにサインを求めた。野口はにこやかに応じ、軽くこ
ずえを抱きしめる。興奮気味のこずえを尻目に、私はこのカリスマ女社長を独占する後ろめ
たさを感じた。

カタログにこめられた数々の「仕掛け」
ところで、ビーチ・ジョンのネーミングは野口夫妻の合作だ。Pの響きを好んだ野口が
「ビーチ」を使いたいというと、「桃太郎だから英語ならさしずめジョンだ」と夫。そんな
侃々としたやり取りも、この夫婦ならではと思わせる。野口の通称も″みかじょん″とい
う。そして、佐藤は″リンダ″だ。大好きなザ・ブルーハーツの代表曲『リンダリンダ』から取られたのだという。みかじょんが言うには「バースディのない名前、もっとフェアな呼
び方がしたかった」。日本人的な名前による束縛がない、新たな呼び掛けを用いるセンスで、
この二人は女のコ世代をハートでつかんでいく。それはリンダのコピーや誌面構成にも現れ
る。
「何回も何回もページをめくってもらえる仕掛け、商品から見る人の気持ちが離れないよう
にする秘密がたくさんあるんです」(佐藤)
例えば、ページをわざと窮屈に見せ、モデルの頭が端で切れたりするのにも、「その先に
は空かあるはずだ」という、狭い空間の
外(消費行動)へ連れ出す心理操作かお
るという。こうした経験に裏打ちされた
カタログ作法をしっかり持ちながら、斬
新な表現への挑戦を怠らない。それがユ
ーザーの感覚を常に半歩リードし、厭き
させないコツといえよう。
「OLが通勤着の下に着るような無難な下着も、うちではあえて赤い背景を使ったりする。その際モデルはブロンドのショートカッ
トでなくてはならないと決めていた。そして今回適任者が現れ、やっと実現した」(佐藤)
該当ページを見れば、マリリン・モンローを彷彿とさせるモデルが軽快に動き、オーソド
ックスな下着を軽やかに、艶やかに見せることに成功している。また、ユーザーと等身大の
語りかけコピーも革新的と評価される。取り澄ましたところのないその言葉は、佐藤が野口
の懸命な説明にひたすら耳を傾け、「売りたい」という気持ちを汲むことから生まれる。
「それで私も買いたくなったんですよね。会長は社長と違って無ロなんですが、私はこの二
人の言葉を理解する悦びに支えられてる」(佐藤)
夫が正面に出ることはないが、野口も「会長のデータで会社がある」と、通販そのものの
セオリーを伝授した夫を讃える。
それにしても、女性の下着がこれほどの「表情」を持っており、しっかりとした「立場」
に支えられているとは驚きだ。また、野口・佐藤コンビ自慢のひとつとして、日本の女の子
ヘベビードールを伝道したことが挙げられる。「アメリカではポルノ扱い」なものを、男性
に「愛されていることのシンボル」として楽しんで着こなすことを提唱、多くの女性に受け
入れられた。「やっぱり、そういう女のコって可愛いじやないですか」
そんな女性たちを応援したいと佐藤が言えば、野口は、
「私もフリル付きのドレスなんて着ないけど、下着だったらいろんな女になれる。そんなメ
ッセージを伝えたい」
と語る。佐藤日く、そんな野口とは「実際の血の繋がりはなくとも、同じ魔法を使う血族
のようなもの」だという。彼女が敵ではなく、「味方でよかった」と。
間違いなく、この友情を超えた二人の密度がPJの原動力なのだ。

通販コンサルタント事始
昭和に入る前、前のページの末尾で紹介した種苗通販ほど隆盛した通販業
種はなかった。ただ、明治末期から大正初期にかけて、宇治製茶通
販などが、かなり流行したり、また、文具専門店の老舗・伊東屋や、洋
書販売の丸善は、そのころすでに通販に乗り出していた。時計の天
賞堂も、前身の印判店の時分からDM(ダイレクトメール)通販を始め
ていたという。
当時は団扇を広告媒体として利用することが盛んで、現在の折込
チラシ的な扱いをされていた。その販売元大手であった大阪の島田
整美堂は自社の肉筆団扇地紙の販売に、通販を積極的に採り入れ
たことで知られる。扇風機もクーラーもない時代、庶民の夏の必需品
だった団扇の普及率は、雑誌や新聞以上。そこに呉服商や酒屋など
が自社の名を入れて、得意先に配るのが夏の到来を知らせる風習だ
った。この種の広告進物は、夏は団扇、冬は日めくりと決まっており、
多くの団扇商がその両方を手がけ、顧客獲得にシノギを削った。
島田整美堂の社主、島田武夫の特筆すべきところは、通販という
商法それ自体に刮目し、「実業界」などのビジネス誌に盛んに研究理
論を発表、今日でいう通販コンサルタント的な立場を築いたことだ。島
田は同誌に「通販経営五原則」として、こんな稿を寄せている。
第一 品質においても価格においても他に勝れる特徴を有す
る一自信ある一商品を販売せねばならぬ。
第二 相当の資本金を準備して、せいぜい規模を大きくしてか
からねばならない。
第三 大都市または取り扱う生産地に営業所を設けねばならぬ。
第四 広告に独特の技能ある者および通信に親切に執筆する
者がいなければならぬ。
第五 初期(信用の基礎を作る歳月間)はたとい収支相慣わな
くとも、事業を継続するだけの覚悟がなくてはならぬ。
これは通信販売の成功条件として今でも立派に通用するセオリー
だ。島田は、10年、20年後、通販は市場において絶対勢力を占める、
と予測したのだった。

単分野通販の現場 ファンケル

多角経営に成功「ファンケル」
JADMAの「全国通信販売利用実態調査」(二〇〇一年度版)で興味深いのは、「主な購
入商品の購入率変化」のところ。下着・婦人服が、一九九四年には他を圧していたのが、二
〇〇一年にはそれぞれ10ポイント前後ダウン。代わりに化粧品・医薬品、食品、健康食品
が同じ数伸びている。
ここでは、単品、単一分野通販の動向を追うが、この分野における現在の大きな流れは、
化粧品、健康食品といった、どちらかといえばシニア向けの商品と、企業(特に中小)向け
のBtoBの二方向に分かれる。
化粧品の分野はまさに群雄割拠という状態だが、私はその市場形成のイノベーターとなっ
て久しいファンケル、さらに究められた牙城を守る再春館製薬所に取材した。この両社、ロケーションもビジネスの方法論も両極端なところが、数多ある取材候補の中から絞り込む要
因となった。
まずはファンケル横浜本社に出向いた。
「そもそも弊社会長の池森(賢二)が無添加の化粧品を開発したきっかけは、奥さんが肌の
トラブルに悩んでいたからなんです。それは添加物の防腐剤が合わなかったためで、ならば
添加物抜きで小分けし、鮮度の商いうちに使い切ればいいという発想で、殺菌剤、酸化防止
剤などよけいなものはすべて排除した化粧品を作り、アンプル容器に詰めて、少量完全密封
の製造年月日入り使用期限付きで売り出したのです」
ファンケル広報部課長・松下秀人は同社の成り立ちをこう説明する。
これが「容器の豪華さも化粧品のうち」という常識を破って大ヒットした。しかし、池森
には長い雌伏の時がある。小田原ガスを脱サラ後、仲間とコンビニ経営を始めるが失敗。親
戚のクリーニング業を手伝いながら考えついたのが、無添加化粧品だった。起業は一九八〇
年、株式会社となったのはその翌年だ。
「不安、不満、不便など『不』の付く事柄を解消する仕組みづくり」が、池森の問題意識か
らくる同社の経営理念だが、もう一つ「一つの事業は永久には成長しない」というものがある。池森は「中核事業が軌道に乗った段階で次の新規事業を立ち上げる必要」を常に問う。
現に、無添加化粧品でスタート、第二の事業の柱である健康食品には九四年に参入、大胆な
価格破壊に挑戦し、成功。九九年には東証一部上場も果たしている。
男の私には、正直、看板商品の無添加化粧品より、同社が矢継ぎ早に繰り出す健康食品、
特にコンビニにも置かれる青汁や、ブームの先鞭をつけた発芽玄米のほうになじみがある。
広報部の松下もまた、それらの品質の確かさを強調する。
「東京駅八重洲地下街の『元気ステーション』という直営店舗にジューススタンドを設けま
した。PRの側面が大きいんですが、一日五〇〇杯ほど出てますね。味、喉ごし、栄養価な
どに徹底的にこだわり、テストを何度となく繰り返しました」
通販で名声を得た企業の多角経営は必ずしも成功していないが、同社とDHC(オリーブ
バージンオイルが有名)はサプリメントや健康食品に活路を見出して、通販に緑のない消費
者をも惹きつけている。
実際、ファンケルの売上比率も大まかに通販が六割、店販が二割、卸売が二割といった具
合。店販というのは、九五年に「ファンケルは通販だけ」というイメージからの脱皮を図っ
た直営店「ファンケルハウス」(現在全国に一三〇店)での販売のことで、卸とは、オリジナルのパッケージングや容量だけを替えた流通向け商品などを指す。
ライバルDHCは、このコンビニ化粧品をテレビCMなどで鮮明に押し出し、二〇〇一年
度にはついに通販化粧品売上げでトップ(通販総合でも五位につける)に立ち、二〇〇二年
度の売上高も約九七七億円と、八六四億円超のファンケルを頭一つリードしている。
DHCは元々一九七二年に委託翻訳業務から興り、八三年になって化粧品事業部、九五年
に医薬食品事業部を創設(最近では発芽玄米にも参入)した。ファンケル側から見れば、常
にDHCはファンケルの先例を追随してきたかたちになるが、松下はそれに関しては淡々と語る。
「私どもは特許出願件数が二五〇件を超える、トップクラスの技術開発力を持つ研究開発型企業です」
非常に紳士的な松下の態度には、創業者のプライドが乗り移ったかのような自負が覗く。

工場→物流センターの連係プレー

現在、ファンケルは発芽玄米を第三の柱に育てようとしている。これは発芽させることで
栄養価を高めた玄米だが、二〇〇丁年四月の発売以来、売れ行き好調で二〇〇三年三月期には六八億円を売上げた。青汁も前年度の一一億から二五億円と格段の伸びを見せる。現在、
業績の「踊り場」にありながらも、次なるステップを着実に見据える同社の馬力はここにも
健在と見た。確かに、健康食品をはじめとするシニア向け商品の充実は、通販企業の必須テ
ーマになっている。
もっとも同社の業務の中で、やはり高いウェイトを占めるのは化粧品。私は千葉県流山市
にある同社千葉工場を訪れ、化粧品生産・発送が一つの拠点
で行われる様子を確認することにした。
二月下旬の朝八時半、私とカメラマンは東武野田線の江戸
川合駅から、パートの女性たちを運ぶマイクロバスに便乗し、
工場へ向かった。
住宅街を縫うように走るバスはやがて、いかにも関東平野
然とした田園地帯に達する。目的地の[流山工業団地」は、
11年前の開設時には二四社の工場があったが、そのうち一
四社がすでに撤退し、かなり閑散としている。実際、九九年
に竣工したファンケルの新設工場も、隣接する工場が倒産したため、そこを買い取って建てたのだという。
それでも、正面に「荷前畑」のマンナンライフ、斜向かいに卓球の三栄の工場などが操
業中。私を「社会科見学」の郷愁へ誘う。
工場というものは横に広いのが普通だが、ファンケルの工場は逆に縦に長い六階建て。工
場部分は五階が最上階で、上から次第に製品ができてくる仕組みだ。したがって、清浄度は
上から順に商い。化粧品に限らず無添加品の命は衛生面。従業員たちは細心の注意を払って
二〇〇品目に及ぶ製品を作る。といっても、化粧品を調合するステンレスの釜から製品を充
填するパイプまで、すべてがフルオートメーションで動くのだから、従業員はひたすらチェ
ック役に回っている。
懇切丁寧に案内してくれた広報部の松下や総務グループ次長の田子正幸には申し訳ないが、
商品の細かい製造工程はここでは省こう。問題はその化粧品が瓶詰めされ、ベルトコンベア
の行き着く先、物流センターだ。
無添加化粧品は廃棄につながる不良在庫を持つことができず、可能な限り新鮮なうちに消
費者の手元に届けなければならない。注文生産とまではいかないが、「受注結果を毎日、生
産計画に反映させている」(田子)という。同社は横浜にも物流センターを持つが、これは直販その他のルート用(子会社のアテニア化粧品《ファンケルとは製品コンセプトの違う別
ブランド》)で、千葉では主に通販ルートで受注した商品を発送する。むろん、ここでも化
粧品に加え、健康食品や肌着なども扱い、都合約一五〇〇品目、一日平均一万三〇〇〇件の
発送を行っている。
東京・高田馬場の受注センターが、様々なメディアを通じて受けた注文が専用光ケーブル
を通じて同センターまで届き、リストになって出力されたも
のに基づき、ピッカーと呼ばれるパートたちがラインに並び、
棚に常時充填される商品を選り取って(ピッキング)箱詰め
する。伝票に重量表示もされ、ライン最後のチェッカーがバ
ーコードと数字の適さない箱をはねる、といったところまで、
その流れ作業は完璧を期されている。簡易包装に努める同社
では、送り状=ガムテープ代わり、などの点も非常に合理的
だ。
「毎月下旬に情報誌『エスボワール』『元気生活』などが・発
送されるので、受注の波は二五目からの一週間ほどでしょうか。繁忙期には、通常九時半から一七時までの稼働を八時〜一九時までに延長します」(松
下)
配送には日本通運とヤマト運輸の二社が入っている。宅配事業で佐川急便やヤマトに押さ
れっぱなしの日通だが、ファンケルのニーズのために「置き場所指定サービス」を展開し、
最近、一気に挽回申だ。同センターの取扱量もハ割は日通担当。ただ、代引きやクール便は
ヤマトの範疇である。
ともかく、この物流センターと工場の連携は、同じ敷地内に建つという物理的な近さに加
え、センターの在庫量をダイレクトに掌握できるため、無駄な生産と欠品を防ぎ、在庫を適
正量に保つのに大いに貢献している。工場はまず、本社の生産管理部門が出した三か月ごと
の需要予測を柱に、一週間単位で生産計画を立てる。これに対し、物流センターは毎日の受
注状況を見ながら、必要に応じて工場に製造を依頼する仕組みだ。「三〜四日ごとに微調整
がある」(田子)とのこと。ファンケルの多品種少量生産を可能にする秘訣は、ここにあっ
たのだ。
こうしてすべてに開放的なファンケルの体質は、業界でもとかく評判になるようだ。一九
九九年には障害者雇用促進のための特例子会社「ファンケルスマイル」を設立するなど、社会貢献にも熱心。ここに勤める知的障害者たちは、カタログ、資料類のセットアップ、商品
の出荷作業、紙資料の廃棄業務など、ファンケルグループ内から委託された仕事をこなすこ
とで、仕事に対する能力を高め、社会的自立を目指せるようになっていく。
「一つの事業として、この部門も黒字化させることを目標にしています。そうやって認めら
れ、知的障害者雇用の輪が全国に広がるのを期待してるんです。彼らにはホントに、いつ行
っても元気をもらえる、励まされますよ」
温厚な松下は喘みしめるようにそう言う。付け焼き刃で出たのではない、その言を私も受
け止め、「いずれ、そちらも見学を」と約した。
しかし、理想家肌のオーナーが多い通販企業にあって、ファンケルは不思議な会社だ。そ
の後、会長の池森があるウェブ雑誌の取材で「今後」の同社についてこう答えていたのを発
見し、私は少し納得した。
「……10年後には″わけのわからない会社″にしたい。……スタートしたときも、『こう
いう会社にしたい』というビジョンは特になかったんです。知人には漠然と『起業するから
には100他企業をつくる』と言ったりもしましたが、達成しても全然満足感はなかった。
私は今も目の前にある不便や不満を変えていくことに夢中。まだやらなくてはならないことがいっぱいあるんです。いつも『自分かやらないで誰がやる』
と思っています」(『IRマガジン』1999.8‐9月9 vo1.39
より)

売上げ至上主義から納得購入ヘ「再審館製薬所」

ドモホルンリンクルの再存館製薬所もまた一風変わった通
販企業である。
「申し訳ありませんが、ドモホルンリンクルは初めてのお客
様にはお売りできません」
江守徹のナレーションが被るイメージ広告も独特だ。ホン
トにあの通りなんだろうか? 素朴な好奇心に衝き動かされて、私は同社のある熊本市に飛
んだ。
市内のやや外れ、水前寺公園などがあるあたりの幹線道路沿いに同社は建つ。フアミレス
にコンビニ、ほ販店がぽつぽつといった光景の中で、築一〇年になるその社屋は実にモダンで目立つ。その日はなにやら大掃除のようで、受付で取材担当者を待つ間、オペレーター(同社では
コミュニケーターと呼ぶ)風のI群がジャージ姿で化粧っ気のない顔を紅潮させ、せっせと
手拭きで床を磨く姿に思わず見惚れてしまう。そこへ、統括室ディレクターの山田暢史がや
って来る。
「取材してもらう以上、すべてを見せたい」という山田は、まず三階の業務フロアの中央円
卓に主要スタッフを陣取らせ、段取りを説明した。社長の右腕ともいうべきチーフマネージ
ャーの山口和子、マーケティング部責任者の片岡強らが、私をバトンにリレーをするように
同社を隈なく案内するという。最初は山田の番だ。
「では、ガレリアから参りましょうか」
山田は建物を貫く大階段に舞い戻る。壁面すべてに隙間なく、スローガン、「お客様の声」、
業績表等が張り出され、どの社員にもこの会社が今どんな状況にあるかがわかる仕掛けにな
っている。これを「情報公開の導線」とはよくいったものだ。そして、三階踊り場には「お
客様の椅子」とだけ書かれたシンプルな椅子が置かれ、背後には「目標二〇〇億円突破」と
貼り紙された売上げの伸びを示す棒グラフがある。実感できない客の姿をここに映し出そう
というのだ。いやが上にも士気は上がるだろう。お客に対してだけではない、「すべてに感謝する」が同社のモットー。例の床磨きも、「ク
リーン隊(清掃係)」への感謝を込め、月に一度の持ち回りで割当社員たちが総出でかかる
のだそうだ。三か月に一度の給与現金支給も「お金への感謝」ということになる。給料袋を
手渡す上司も部下に対する責任感が養えるというわけだ。「経理は大変ですが、ピン札でも
らえるから、けっこう嬉しいもんですよ」(山田)。
二階には研修ルームに会議室、昨年までは工場にあった開発室が入る。「営業現場に近づ
き、客の感度をつかむ」開発室はまさにCMで見たような雰囲気だ。もちろん本格的な施設
は工場にあるが、それでも多くの実験機器や道具、生薬を主とした薬類に囲まれ、私も白衣
に身を包んだかのような錯覚をおぼえる。優秀な主婦の人材確保のため、仮保育室までここ
に用意されているのには驚く。
再度、三階フロアヘ。ここに再春館のすべてが集約されているといっていい。仕切りなく
開放された空間に、社長席からオペレーション・エリア、広告や企画セクション等々が効率
的にレイアウトされ、全部が筒抜け。欠伸などしようものなら、社員全員に注視されるよう
で、これには身が引き締まる。
そして、時折、太鼓を叩く音が聞こえる。それによって各部門のリーダーが全員集合し、所属長の命令を聞く。そこかしこで戦闘が行われる合戦場のような趣だ。実際、コミュニケ
ーターの各パソコンには、各人の名前をプリントした小さな幡が立てられている・全員が女
件で、彼女たちの背後には大きな集計板が刻一刻と変化する受注状況を映し出す。個々人の
成績もPOPで示され、色別に売上げ、購入者、その目の会話(相手)数まで一目瞭然だ。
「社員コミュニケーターは四五〇名。パートを含めれば六〇〇人を超えます。その多くを正
社員でまかなうというのも、他社とは大きく界なる点。それ
だけの責任感を持って仕事をして欲しいんです」
山田の眼は「戦場」を見つめる指揮官のそれになる。多忙
を極めている様子の山田は、その間もひっきりなしに鳴る携
帯に、無視ときどき早口で応対といった感じ。申し訳ないが、
私としては喰らいつくまてだ。

ある反省

大きくアウトバウンド(営業)とインバウンド(受注)に
分かれるコミュニケーターの職務だが、当然、前者のほうがスキルは高い。これもサンプル隊(文字通りサンプル使用者の反応を確かめる)、育成隊
(二〜三回購入者に継続を促す)、会員向けに分かれ、難度は順に低くなる。
時計は昼の一二時五〇分を指す。十数分前に日本テレビ系の『おもいっきりテレビ』でC
Mが流れ、電話が集中したようだ。そんな時は「アウトバウンドはインバウンドのヘルプに
回る」のだという。ともかく電話に出ていないコミュニケーターはほぼ皆無、というほどの
目まぐるしさをしばらく眺め、「少し休みましょう」という山田と円卓に戻る。山田は再春
館がなぜこうまでガラス張りなのかについて説明を始めた。
「九三年、当社の電話公害が問題視されました。売上げ至上主義の弊害です。一部で『売ら
んかな』姿勢が強く出すぎて、実際、返品も多く、それまでほぼ二桁成長で来たのが、かつ
てないほど売上げも落ち込んだんです。そこで三か月間、一切アウトバウンドをやめました。
そして、お客様がなにを求めているかの見直しを図り、インバウンドを能動的にし、お客様
に好印象を持っていただくことが売上げに結びつくという基本に立ち戻らされたのです。そ
のころ、アウトバウンドが七割を占めていたのが、今では逆転しています」
確かにCMからして変わった。以前はキャラクターに泉ピン子や中村玉緒を起用し、イケ
イケどんどんの印象が強かった。それが、例の江守のナレーションCMが象徴する、必ず試用してもらった上での、納得購入という商法に変わっていく。
その後山田は、セールスプロモーション部お客様満足室の綾部隆一を私に紹介して、ひと
まず自分の仕事に戻った。研究開発担当の綾部は、私に同社製品について事細かに説明して
くれたが、ここでは省かざるを得ない。ただ、ドモホルンリンクルは肌の老化を止めるので
はなく、加齢とともに落ちる肌機能をふたたび高める「医薬品」という、いつものコピーも、
漢方を熟知した綾部の口から聞けば新鮮に響く。綾部は漢方を「経験の医学」だという。
「ヨモギが薬とわかったのも誰かが試したからです。そうやって絶えずスクリーニング(検
査)を繰り返して、その発見を製品に応用していくわけです」
これは通販というビジネス自体にいえることではないだろうか。
ふたたび一階フロアに降りる。再春館を訪れたのは午前一一時。午後二時になって、私と
山田はようやく遅い昼食を取った。社員食堂を見れば、その会社がわかると誰かがいってい
たが、同社の社食は自然食グルメ垂涎の豪華版。メインの海鮮丼に様々の副菜が取り合わせ
られ、その皿数およそ二〇。ふんだんなサラダ類に筑前煮やひじきなどお袋の味をめいめい
好きなだけよそって並べている。工場敷地内の農園で作られた無農薬有機野菜を使用するな
ど、素材にもこだわり抜き、屋台の鍋さながらにおでんまで用意。白玉あずきなどデザートも数種類揃う。ソース、漬け物、佃煮、七味
唐辛子に到るまで全部手作り!
この厨房隊をはじめ、先のクリーン隊ら
「縁の下の力持ち部隊」は社長直結の社員た
ちだ。厨房は工場の給食センターも兼ねてい
る。廃油は石鹸に、残り滓は件の有機農法に
回される。まさに食のリサイクルだ。食事の
ありがたみを感じる「お弁当の目」も月にI
度あるそうだ。
「ご覧の通り、外に食べに行く所もろくにないですから、食事くらい楽しんでもらわないと。
それに栄養竹垣も仕事のうちですからね。三か月一品たりとも同じメニューは出さないのが
社長方針。自己負担分は毎食三百数十円ですが、しっかり食べれば、一〇〇〇円以上の価値
は十分あります」
と、ようやく寛いだ表情の山田にその経歴を聞けば、元は圃家志望だったという。大学院
(筑波大)まで油絵を学んだが、地元九州に職を得ようと.肖存館に入社。美の探究者が今は顧客サービスという表現を追究しているわけだ。今では忙しくて絵筆を握ることも滅多にないという。

言葉の魔術師による経営学

食後も山口チーフによる社史についての「講義」があり、私はまるで大学校舎内にいるよう。
一九三二年に漢方薬製造販売店として発足した再春館製薬所は、当時から今でいうDM通
販を手がけていた。再春館のもう一枚の看板、痛飲湯は創業当時からの商品だ。
五九年には株式会社になり、七四年にはドモホルンリンクルを開発、翌年に発売した。と
ころが、ちょうどそのころ、オイルショックの煽りを喰らって経営困難に。そこへ八二年に
現社長の西川通子と亡夫(会長・元九州警備保障社長)が再建役を買って出て、テレマーケ
ティングで活路を開いたのだ。フリーダイヤルの番号を日本で初めて獲得したのも同社とか。
年間売上高は九六年に飛躍的に伸び、一五〇億円を突破。以降も緩やかな右肩上がりで推
移し、昨期(二〇〇二年)は一八三億円を記録する。
私は山口と対談中、西川の姿を目にした。威勢よく社員に喝を入れながら、社長席まで揚々と歩く様は、「お嬢」と呼ばれた昭和の大歌手を想起させる。派手な和服の着こなしも
堂に入って、要はカリスマを絵に描いたような人なのだ。
「熊本弁でね、『もっこすとわさもん』という言葉があります。肥後もっこすは頑固もんて
意味ね。守るところは守り、変えるべきは変えるというこってす。社長はよく『木っ端集め
て材木流し』などといいますね。小枝のような細かいことばかり気にしよって、一番大切な
材木を流しよるのはいかん。ただ流されて『しょんなかね』はもっとダメね(笑)」(山口)
山口によると、かつては主婦が中心だったコミュニケーターも今では大卒者ばかりだとい
う。商品特性上、全社員(約五〇〇人)の九割は女性ということになる。ちなみに、そのマ
ナー教育の徹底ぶりから、「嫁をもらうなら再春館」と地元では囁かれもするとか。
「一日のインバウンド数は平均しとりますね。多くても少なくてもいかんの。多すぎるとお
客様への対応がそのぶん遅れてしまう」
大体、注文集中時は客に断ってから連絡先を聞きだし、いったん電話を切って再度、指定
時間にかけ直す。これをスムースに運ばないと信用に関わる。日に待ち呼(通話を待たせる
こと)は三〇〇、放棄呼(通話を切られること)は三〇件以下が鉄則だ。
広告が販促のためにあるのではなく、販売ツールそのもの、というのも同社のいわばキモだ。電通・博報堂・アサツーDKの三大広告代理店が常時乗り入れているのだが、このあた
りの話をマーケティング部の片岡に聞こうにも、なかなかガードが堅い。聞けば、片岡は二
〇〇二年にヘッドハントされたばかり。それまでは長くアメックスやフィリップ・モリスな
ど外資のマーケッターだったという。
「それぞれの役割分担があるだけです。広告費支出も会社の規模として普通ですよ。テレビ
が目立つだけ」
確かに主婦向け番組が流される昼の時間帯には、実際の使用者を起用した実効性の高いC
Mを打ち、落ち着いた夜の時間帯には既存客への宣言として企業理念を流す。二つの異なる
効果を絶妙に組み合わせているのでインパクトが強いのだろう。
紙媒体もぐっと絞っていて、週刊誌にはまず広告は出さないし、『家庭画報』や『ミセス』、
『壮快』、『安心』などの主婦層やシニアが定期購読する雑誌ばかりに固定している。この
「泥臭さと洗練」の使い分けが再春館の伝統であり、その継続の中で片岡のいう「マイルド
な成長」がまだまだ期待できるのだろう。
同社での取材をすべて終えると、そろそろ暮れなずむ時間。私はタクシーを飛ばして、そ
こから三〇分ほどの場所にある工場「ヒルトップ」を目指した。広大な牧場の一画にちょこっと工場の建物があるといった恵まれた環境。まさに「丘の上」にあって、そこから望む熊
本の夕景は素晴らしかった。
その日の操業はすでに終わっていたけれど、工場長の真暗由也は、その内部の逐一を、通
るごとに明かりを点けて見せてくれた。テレビCMでおなじみの玄関ピロティ「出会いと交
流の広場」に私も立った。通販の現場を追ううち「思えば遠くに来たもんだ」という感慨が
湧く。こんな大自然の下で備くのも悪くなかろう、と東京での生活が淀んで見えてきもした。

売ることをしたくない会社「アサヒ緑健」青汁

感傷に浸っている場合ではない。せっかく九州まで来たのだ。当地で活発な単品通販の世
界をさらに見て歩かねば。
1つ前のページで挙げた四国のセシールを皮切りに、西日本全域に通販企業が勃興してきたが、特
に九州は、福岡に化粧品のヴァーナル(一九九二年設立)、「香酢」で大躍進中のやずや(一
九七七年設立)、一九四九年に日本で初めて明太子を生産したふくや(通販着手は一九七〇
年)があり、鹿児島に本社、熊本に配送センターを持つ「人生一〇〇年」のキャッチフレー
ズでおなじみ「伝統にんにく卵黄」の健康家族(一九九三年設立)など、ランキング100位以内の企業が存在する。
私はその中で「緑効青汁」で一躍浮上した福岡のアサヒ緑健に向かった。
博多駅から徒歩でわずか数分、海港なビルを構えるアサヒ緑健の青汁は、ケールを使うこ
れまでの青汁とはまったく別途のものだ。社長の古賀良太は脱サラ組で、寝たきりの祖母を
抱えていたことから、かねてから健康を斬り口とする仕事を望んでいた。身体の中心は胃腸
であり、すべての健康に繋がると信ずる古賀は、ある時、大
麦の若葉が胃腸の働きを助けるのにいいと聞きつけ、これを
刈り取って乾燥させ微粉砕し、食物繊維として体内に取り入
れたらどうかと思いついた。そして、より効果的な摂取のた
めオリゴ糖と乳酸菌を配合し、新たな「青汁」を生み出した
のである。
まず占賀はアサヒライフィックスという健康食品や健康器
具の販売会社を始めた。その後他展開を考え、心機一転と、
青汁だけ提供する別会社を興したのだ。
眼目皿通販で同社の売上高は二〇〇二年度で約一〇〇億円強。

同業態で同社の上位にあるのは前述のやずや、蜂蜜製品の山田養蜂場(岡山・前身が通販制
を発足させたのが一九九〇年)くらいである。
しかし同社広報室室長の竹内孝規は、同社を「売ることをしたくない会社」と定義付ける。
「サンプル訴求し、お客様に納得していただき、電話というアクションを起こしてもらうだ
けですから」
製品はOEM(下請け)生産だが、完全な同社の管理下に置かれている。また、「お試し
品」は一回用を二袋。効果はすぐ出るかどうか疑問だが、そこからの[説得↓納得】の構図
が大事だという。その上で、自然食品工房という、無農薬茶や古代塩など一次加工品を扱う
会社の商品を会員販売している。継続顧客サービスの彩りには打ってつけだ。
「最初から太公望なんですよ。商品に自信があるから待てた:・・:と今なら言えますが、設立
は九七年なので、五年ならそれだけ『お客様の声=歴史』も積み重ねてきて、そこで胸も張れるわけで」(竹内)

青汁でアメリカ進出を狙う
大都市固より地方で売れるから、東京で同社のCMを見る機会も少ない。「コストパフォーマンスが第一」だという。
「オペレーターの基本はインハウス(自前)ですが、リスクヘッジとして外注分も抱えてま
す。応対もシステマティックにはわざとしていない。会話は個人任せです。ノルマもI切な
い。ただ動機付けの仕組みはいろいろ考えますけどね。日本人の民族性を考えればマニュア
ルは不要でしょう。うちは働きやすい会社だと思いますよ」
竹内は、あまり儲かっても困る、というような口ぶりだ。
「原材料自体に限りがある。熊本周辺を主に契約農家に無農薬栽培を委託していますが、支
払いだけして使わない分も出る。台風等の心配もあって、バックアップは必ず取って置かね
ばならないんです。大規模拡大思想は持てません」
ただし、もっと別の夢もある。フアイバーフーズのメッカ、アメリカでも「Shizen Green」という名で評判を取っている。大麦は世界のどこででも栽培が可能、そこで現地生
産も視野に入れ、今は着々と進出を図ろうという段階なのだ。

ご用聞きの復活「アスクル」

急成長といえば、オフィスワーカーで知らないものはいないのがオフィス用品通販のアスクルだろう。中小企業を主な顧客とし、時代を画するBtoBビジネスモデルを作ったと
いわれる。
親会社は文具製造大手のプラスで、一九九〇年に同社内に現社長・岩田彰一郎も参加した
構想委員会が発足し、九三年には事業部が誕生、九七年には別法人として独立した。現在で
は年間約九二五位円を売上げ、総合ランキング六位に位置し(6ページ参照)、なおも来期
には二三%の成長が見込まれる優良企業だ。プラス本社自体は売上高三六八位円なので、ま
さに「出藍の誉」。連結ベースでも二〇五五位円で、その約半分をアスクルが稼ぎ出したと
いえる。
しかし、当初は数人規模のスタートであったと、事業部創設当時からのメンバー、同社ソ
ーシャル・リレーションズ/チームリーダーの加藤千香は語る。
「バブルが弾けた危機感が背景にあったのかもしれません」
それにくわえて、コクヨの一人勝ち状況にあった当時の文具業界ヘー石を投ずる意図もあ
ったろう。町の文具店の看板は、コクヨのシェア支配力をそのまま表す。
「日本企業約六二〇万社のうち、九五%は従業員三〇人未満の中小です。うち、法人向け外
商サービスをまったく受けられない、一〇人以下規模の会社がほとんど。ファイルやコピー用紙、業務用パックのノート・・かさぱって重いのに、女子社員が店に買いに行っていたん
です」(加藤)
そんな「常識」の打破がまずあった。そして、文具という消耗品の最たるもの?それぞ
れの会社ごとに″定番商品″が決まっている?に選ぶ楽しみを喚起することで、アスクル
のカタログは次第に厚みを増していった。
「当初は自社製品のみ五〇〇品目ほどを扱う程度でしたが、やがて他社製品を抜うようにな
り、飛躍的に増えました。現状一万三四〇〇アイテムあり、その中で、各企業ごとの特徴に
応じて、ご自由にお選びいただくこともできるのです」
他社品目も扱うという″文具のデパート″への移行。プラス自体、卸業からスタートして
いるとはいえ、メーカーという立場から、当初は反発も激しかった。
「お客様の要望に応えるためには、それをやらざるをえなかったのです。また地場に根付い
た文具店をエージェントとして協業していくビジネスを展開する上で、メーカーの立場に囚
われていてはいけなかったのだと思います」(加藤)
現在、アスクルの代理店は、文具業界に限らず約一五〇〇件を数えるが、当初は話を持ち
かけた一万五〇〇〇件のうちリアクションは八〇〇件ほどしかなく、前途は多難だった。この代理店制は、要は地域の文具店が周辺の中小企業に営業に回り、アスクルのカタログを通
した文具の購入を勧めることでマージンが入るという仕組みである。しかし、文具店側は具
体的にものを売るという立場からなかなか自由になれなかったのであろう。
「志を持った方がこのビジネスに賛同し、エージェントとして活躍しています。現在は、ま
ったくの異業種、例えば、ガソリンスタンド経営の方も参加してくれました。その結果、
徐々に浸透していきました。」(加藤)
ご用聞きの復活だ。
もちろん、二五〇〇円以上購入すれば送料は無料になるので、個人でそれだけの需要があ
れば、なにも自営業者に限らず同社のサービスの利用価値は高い。なお、プラスグループは、
より大企業向けに同様のサービスを展開するビズネットを二〇〇〇年に設立。同年にコクヨ
が興したカウネット(二〇〇二年度売上高七七億円、二〇〇三年度見込みで二三六億円)の
BtoB追撃に対抗している。

オフィス自体を作る通販ヘ

アスクルの本カタログは年二回発行。1000ページ近いそれを無作為で開いても、ケーブル結束用品、トイレットペーパー、ダンボール箱に電子レジスターと、およそどんな形態
の仕事場であろうとも、必要とされるものはなんでも揃えている。しかも、地域によっては
当日の朝までに発注すれば、即日配送も可能で、緊急時であっても頼もしいパートナーたり
得ている。顧客の「こんなものやサービスが欲しい」という声を反映して、これだけの成功
を収めてきたのだ。
「外資系企業であれば、バレンタイン・デーに社員に配るチョコレートのニーズもあります。
オフィス家具もよく出るんですよ。これもレイアウトごとサービスし、SOHO(Small Office,Home office)向けにオフィスライフの提案もしています」(加藤)
また、ファイルであればキングジム、スティック糊だったら3Mという、それぞれのトッ
プメーカーと共同企画で製品化し、ロットを多くすることで頒価を下げたオリジナル展開も
している(糊は一本48円!)。競合としてもアスクルの販売力は見過ごせないのだ。ちな
みに、今ではカタログ内のプラス製品の占める割合は一割を切っている。この大胆な業界転
換は平成ビジネス史上のメルクマールといえよう。
インタビューを終え、加藤は東京・辰巳にある社屋を案内してくれた。二〇〇一年から使
用している社屋は、以前、東京物流センターも兼ねていた倉庫を改装したものである。センター部分だけは手狭になったため、二〇〇二年にお台場近く
に移した(他に横浜、大阪、仙台、福岡にセンターがある)。
そのほうがより海外調達品の船の荷揚げから即、商品供給が
可能なのだという。現在、かつてのセンター部分は別の会社
が使用している。
その建物の四階部分から上のオフィスは、広大なワンフロ
アを二層に分けて、実にアメリカナイズされたレイアウト。
大まかにいえば、企画やIT業務関連等の社内スタッフと受
注関連の契約スタッフ、それぞれの要員が陣取るスペースの
上部に「渡し」がかかり、訪問者が移動しやすくなっている。
そのデッキに立つと空母の艦長になったような気分になる。私が持参したカメラのレンズで
は、どのアングルから狙っても全容は収まりきらない。
受注はミスを防ぐため、インターネットとFAXに限られ、逆に商品問い合わせのみ電話
(日に五〇〇〇件に及ぶ)で受けつけているという。
また別の階には同社の商品を実際の文具店店内風に展示したショールームもあり、ここにいると、思わず入口にある龍を持って歩き出したくなる。
加藤は、
「印刷、損保……オフィス(の需要)を究めたい」
と、同社の今後の目標を掲げる。同社は、顧客の「不安・不足・不満」解消のため事業拡
大を進めるファンケルと同様のコンセプトを、オフィスという消費者の集合体に置き換えて
実践しているのだ。流行りのソリューション・ビジネスの大変わかりやすい展開例だと思う。
消しゴムー個、鉛筆一本の重みがわからなけれぱ、情報インフラやネットワークどころでは
ないのだ。
規制緩和の波と情報革命によって、経済は著しくグローバル化した。よって、ITの位置
付けは業務を効率的に運ぶ手段から、ビジネスインフラという目的そのものに変わってきた。
電子空間の特性を生かした様々な新市場が創成され、従来の労働観も変わってきている。S
OHOがどこまで可能かは、日本人の心性にも大きく関わることだから安易に予測はつかな
いが、アスクルのビジネスとそのオフィスの様子を通じ、私自身はそこにとても豊かな将来性を感じた。

食の安全をガード「セコムの食」

大手企業が業態転換によって通販に参入した例で、アスクルなど一部を除いてほとんど成
功例がない。その中で数少ない成功例の1つが、金型やFA(Factory Automation)向け
生産財を主に抜うミスミだ。一九六三年創業、七七年にカタログ販売に乗り出し、九〇年代
にネット利用で急成長を遂げた、いわばカタログ十電子商社であり、二〇〇二年度には約四
六七億円を売上げている。
しかし、アスクルやミスミとて純然たる異業種からの参入ではない。バブル期の反省から
か、餅は餅屋という風潮の経済界で、非常に特殊かつ納得のいく通販形態を本章の最後にご
紹介しよう。それはあの警備会社のセコムが手がける食品通販「セコムの食」である。
以前、「セコムの食」のカタログを見た際、セコムとフードサービスの組み合わせという
意外性はもちろん、そのクオリティ自体が気になった。よい写真を使っているし、構成も的
確だ。なんというか、その本気度が存分に伝わってくる。私はそのあたりを確認すべく、原
宿の明治通り沿いに威容を誇る同社のビルに赴いた。
会議室には、広報室の谷内寛和をはじめ、宣伝企画室室長の津崎美樹、同課長の吉田敦、
同部員の藤島知樹、企画担当兼ライターの猪口ゆみの、総勢五名が待ち受けていた。日本初の警備保障会社として一九六二年に創業したセコム(旧社名・日本警備保障)は、
翌々年の東京オリンピック警備を単独で担当、TBS系人気ドラマ『ザ・ガードマン』のモ
デルとなり一躍脚光を浴びた。六六年、それまでの巡回警備をオンライン化することによっ
て効率と質を高め、八一年にはホームセキュリティ・サービスの概念を日本にも定着させる
など、着実な成長を遂げてきた。
特にこの五〜六年ほどは個人顧客が急速に増え、今では全契約音数約ハー万七〇〇〇件の
うち、家庭利用は二五万一〇〇〇件を数える(二〇〇三年三月現在)。純粋な常駐警備の割
合も今や数%で、なにか非常事態があれば、全国四七か所のコントロールセンターから管制
員が指示を出し、約一〇〇〇か所の緊急発進基地から対処員を送る仕組みになっている。
屋敷町に行けば、どの家の門扉にも同社のステッカーが貼ってあるはず。こうした一般契
約者急増を背景に、補完的サービスとして「セコムの食」は九八年に発足したのだ。
「このところ食の安全性の問題が浮上してます。遺伝子組み換え食品や残留放射能、環境ホ
ルモン……人にとってベーシックな食が脅かされている。あらゆる『不安』のない社会ヘ
ーをモットーとして掲げる以上、ホーム・セキュリティのプラスアルファ事業として必然
性がある」(津崎)同社は、他にも在宅医療や保険、情報教育事業など多角的な「安全」産業に取り組みだし
ている。
「一口に『有機・無農薬』といいますが、それだけが基準ではありません。良心のない生産
者は質的に劣るものを手がける。他の通販は外部のバイヤーを入れたりしますが、全国を自
分たちで回って試食して……ゼロからのスタートでした」
と企画担当兼ライター猪口は、生産者の「想い」を知り、その顔を明らかにしていく重要
性を語る。
「生産者が一生懸命なら大きく取り上げるし、育てていきたいとも思う。取材の結果、個人
的な思い入れも加わります」
と、自らの足で稼ぐことを強調する猪口が、ほとんど一人で一冊の取材とライティングを
担当するそうで、私は「同業者」として大いにわが意を得た。実際に掲載に到るのは試食し
た商品のI〇分の一以下。いくら立派な商材でも通販の形態が採れるか否かの判断も要る。
情報収集自体も、
「各食品見本市視察は当然ながら、デパ地下巡り、地方紙・誌の取り寄せ、友人らの口コミ
……アンテナは張りっぱなし。去年の夏号の『めん特集』では、全国三〇か所に出張しました。ご利用者からの紹介も多く、育てていただいたのは間違いないですね」(猪口)
「母乳からもダイオキシンの出る時代。原材料の明記で納得購入は基本ですね」(津崎)
カタログは現状春夏秋冬、年間で二四万部発行。自家需要と贈答の割合は八対二で、一回
の注文額は平均一万から一万二〇〇〇円だ。
「一つの商品が気に入って、それを注文するついでに、二〜三品まとめ買いされる方が多い。
だから掲載する商品は利益率を多少無視しても商品の質で選んでいます」(吉田)
また、「お客様が贈り物をした先様からご注文がある場合も多い」とか。猪口の言う「み
んなが嬉しいトライアングル」が理想だ。

主義主張のあるグルメ

「セコムの食」のカタログ(二〇〇二年冬号)の内容を少し見てみる。貴重なまがんば(ナ
シフグ)鍋セット(四人前七三五〇円)は長崎から、トラフグの皮とひれ酒用のひれもつい
てお得だ。愛媛県八幡浜沖で獲れた魚介類を、東京の有名イタリア料理店のシェフ監修のレ
シピで作ったスープとともに提供する「ズッパ・ディ・ペッシェ」など、郷土色や粋を凝ら
した逸品が並ぶ。「毎日食べたい『ごはんの友』」のコーナーでは、熊本の「豆酪」が紹介されている。800年もの昔、平家の落人たち
が伝えたといわれる豆腐の味噌漬けをアレン
ジしたもので、私からすれば、ごはんより球
磨焼酎に合いそうだ。
特に売れ筋は東京の「スピカのパン」。六
種一個すつで三一五〇円と少々値は張るが、
長いと一か月半待ちのロングセラーだ。元々、
猪口吻身が大ファンで、何遍も通って店主を
口説き落としたという。当初は日に三個がそれでも八個、今では「セコムの食用に焼いて
くれている。ワインアドバイザーの資格を持つ猪口は「この夏からいよいよ輸入ワインも手
がけるつもり」だと意欲を燃やす。
猪口にとって、「こだわり」という言葉の濫発は商品の尊厳を損なうこと。カタログでも
「スピカのパン」くらいにしか使っていない。
「全部にこだわりがあるから、その言葉には甘えない。等身大の表現を心がけてます」

真の食の消費革命

「セコムの食」の売上高は非公表だが、5233億円を売上げるセコムの中で「総体の1%
以下」とまだまだ小粒だ。だが、新規客用のカスタマーセンターも東京・三鷹に設け、「相
談を受けながらの受注が多い」という贈答品需要などに応えていきたいと、宣伝企画室の吉
田は言う。その他、カスタマーセンターのオペレーター向けに、新商品を実際に食べてもら
ってレクチャーする機会なども折々持ったり、二〇〇二年夏からはポイント還元システムを
導入するなど、顧客の継続性の維持に創意を凝らしている。
「ホームセキュリティのお客様向けに始めた通販ですが、これから先、その枠を拡げていこ
うと考えています」(谷内)
確かに、契約者のニーズを突き詰めていけば、新たなシナジー・セールス(相乗販売)も
可能だし、二四時間体制の警備会社の信用力を背景に、運送ロジスティックスとの連携が上
手くいけば、コンビ二通販も可能だろう。
しかし、もっとカジュアルな「セコムの食」があってもいいかもしれない。同社の謳う
「安全」が限られた層だけでなく、もっと多くの「当たり前」になるために、通販が力を貸
せることもあるだろう。ユニクロのファーストリテイリングも、食品事業子会社のエフアール・フーズを二〇〇二
年九月に設立。同一一月からSKIPという商号で、低農薬低肥料の永田農法によって栽培
された野菜と果実のネット通販に踏み切った(二〇〇三年五月には松屋銀座に第一号店もオ
ープンさせた)。
ユニクロが成功したのは、新しいビジネスモデルを繊維・衣料産業に展開したからだが、
「食品、農業も変革が遅れている産業だからこそビジネスチャンスがある」と同社の柳井会
長は考えてきた。柳井の言うように、現在、戦後最大の「構造転換期」を迎える日本は、あ
らゆる産業が制度疲労を起こしている。しかし、そのような産業にこそ新たな芽も吹くのだ。
SKIPの野菜は少々値が張るのは事実。だが、消費者も「本物」を求める以上、相応の
投資が必要なのかもしれない。SKIPの掲げる精神がスタンダードになった時、真の食の
消費革命は起きるはずだ。

明治・大正期の通販の革命児
明治・大正期、地方在住の農民が顧客層の中心だった通販業界
にとって、第一次大戦後の大恐慌の打撃は計り知れなかった。購買
力を失った農民は通販から離反していくが、その中で唯一気を吐い
たのが、通販の革命児として知られる高柳淳之介の書籍通販だ。
茨城の貧しい炭焼きの出である高柳は無理をして中学に進むが、
学資が尽きたため2年で中退、尋常小学校の教諭を都合7年勤める。
ところが、転属したある村での土俗儀式への参加を拒んで、辞職に
追い込まれ、高柳はこれ幸いと東京へ出た。合理主義者の高柳にと
って、日露戦争の戦没者の招魂をする儀式など耐えられず、一人苗
圃に出て、螢狩りをしていたらしい。その日露戦争がまた、高柳に商
魂を授けるのだ。
上京した高柳は、日露戦争の戦死者の「名誉列伝」を発行して、
一儲けを企んだ。しかし、高柳の目論見は的を外れ、同郷出身の河
野松之祐の国民中学会に小僧として入社。編集者には、後に新潮
社を興す佐藤義亮がいて、高柳はこの佐藤から編集と出版のノウハ
ウを伝授された。
高柳は、終業後の会社から方々に電話をかけて、東京で小学校を
卒業しただけでも就職可能な企業を調べ上げ、「小学校卒業立身
案内」という小冊子を刊行、少年雑誌に通販広告を出して、飛ぶよう
に売れたという。そして、自宅に育英宿院の看板を掲げ、日本有数の
教育関連書籍出版社とし、「商学資本実業成功法」「家を富ます道」
など、いわゆるサクセス本で大当たりを連発、サラリーマンとの二足の
草鞋を両立させる。この通販で築いた富を元手に、鉄道や不動産な
ど様々な事業に進出、1918(大正8)年には衆議院議員に、その三年
後には貴族院議員にまで上り詰めたのである。高柳は通販を評して
日く、「この商売は(略)儲けたり、損したりする事は恰もバクチに似て
いるが、バクチはどこまで行ってもバクチだが出版屋と製薬業は成功
すれば堅い商売になる。だから金儲けはこれに限る」。
晩年は病に倒れ、ホテル業のみに専心した高柳だが、「通信販売
の父」と呼ぶに相応しい傑物であったことには違いない。

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