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個人ネットショップの現場

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個人ネットショップの現場

ネット通販を取り巻く環境
現在の通販の最重要課題が、ネットショップ、オンラインショップにあるのは間違いない。
ネットバプル崩壊やネット犯罪増加の影響で、ネットショップ利用者に伸び悩みが見られる
というが、それはこれまでの急成長に拙速の感が否めなかったためで、ようやく落ち着いて
ネットでの「売れ筋」商品を見定めながら、コンテンツの充実を図れる段階に到ったのでは
なかろうか。消費者もブロードバンドのお陰で、それを安心して受け止め、賢い購買を考え
られる環境が整ってきた。

薬の通販は、こちら→サプリ館

BtoC-EC化率

BtoC-EC化率

数字だけ見れば、2002年に経済産業省他の発表によると、2001年のBtoCEC(消費者向け電子商取引)の市場規模は1兆4840億円にも上る。ただし、この数字に
は、ネットで情報収集した後、不動産・自動車などの「大物」を実店舗で購入するネット参考(非完結型)ショッピングも合まれ、純粋
なネット(完結型)ショッピングの占有率は
8111億円と半分強だ。職場(学校)、自宅、携帯電話の少なくと
も一つ以上でネットを利用する者(汎ネットユーザー)も2001年度末までに約4900万人と、対人日比で年率10%以上の勢いで
急増しており、ネットショッパーもそれに伴い増えてはいる。ただ、日本の小売市場の総体
(約300兆円)からすれば、現状ではまだネット販売は1%にも満たない。ネットショッ
ピング経験者も消費者全体から見れば、約12%ほどである。
それにしても、一口にショッピングサイト、eショップといっても実数は3万店を超すと
もいわれ、その全体像はつかみにくい。eコマース(ビジネス)全体を通販とは見なせない
し、eトレーディングも同様。本章で抜うべきはあくまで、ネットを通じたBtoCの物
品売買に留めよう。したがって、人気の商い(というかそれが正道となった)公演やスポー
ツのチケット販売、旅行予約などは範躊に入れない。さらには、各大手通販のショッピング
サイトヘの取り組み例は、これまでも折に触れて取り上げてきたので、より細やかなeショ
ップの展開例を見ることで、論点を絞っていくことにする。
ダイレクトマーケティング研究所が2009年に行った『インターネット通信販売企業調査』

日本通信販売協会「インターネット通信販売利用実態調査 報告書」2009

日本通信販売協会「インターネット通信販売利用実態調査 報告書」2009

 

Tシャツで年商5,800万円「イージー」

これらの数字からわかる通り、多くのネット通販事業者は低迷しており、この傾向は必ず
しも事業規模を問わない。「単純に『勝ち組』と『負け組』には分けられない」と、同調査
の総評にはあるが、少し前に喧伝されたような、ネットが夢の小売ツールではないことだけ
は確かだ。
ここでも一見すれば、大企業優位の構図は見られるが、多くの大企業がネット通販に参入
しては、店頭やカタログ小売りとの安易な業績比較から挫折し、撤退を繰り返すケースも多
くあった。大手は多品目大量販売を目指すばかりに、投下資本を回収できないまま暗礁に乗り上げる例も多いのだ。一方で、小規模事業者も収支面で健闘しているのは確か。端的にい
えば、マス市場を中心に大きな影響力を持つ大企業、ニッチ市場で高収益を上げる小規模企
業という構図が描けそうだ。
確かに、少資金での参入が可能とはいっても、右記のような棲み分けは歴然とある。だが、
ネットが私たちの購買意識を徐々に変えつつある中で、そのスローだが着実な足並みに合う
のは、本来であれば、むしろ個人商店に近い中小企業であると、一連の数値からいえないだ
ろうか。つまりここでは、ネットショップの強味を理解し、どんなサイト作りができるかが
問われる。有り体にいえば、何にこだわり、そこにどう集中化し、そのメッセージを伝える
表現がサイトを通じてどう可能か、ということなのだ。
その観点に立ってネットショップ界を見渡すと、京都のTシヤツオンラインショップ、イ
ージーのオーナー、岸本栄司は一際目立つ存在だ。
著書(翔泳社『オンライン商人成功への道』など)や年間50回はこなすという講演を通
じて、ネット通販の伝道師の趣もある岸本は1958年、京都でも老舗の洋品店の3男とし
て生まれた。京都学園大4回生の時から宮城県・仙台の鮮魚店に丁年半住み込みアルバイト
をし、卒業後そのまま就職。「その時は魚屋が儲かりそうな気がしたんですわ。商人の子やから、自分でなんか商売がし
たかった。大学時代はTシャツプリント屋もやりました」
すでに兄たちが手伝っていた家業にそのまま入ることに抵抗があったのだろう。だが、二
5歳で実家の洋品店の支店で店長を務めることになる。高校3年の時に『ポパイ』が創刊。
岸本のアメカジ魂にはすでに火がついていた。
「理想の、こんなん待ってたんや! というような雑誌でしたね。もう第一世代のポパイ少
年。影響されましたわ、大学人ったらすぐサーフィンやって(笑)。そのころ、75、6年
からやろかね、日本国中どこでも、ランニングみたいな肌着やのうてTシャツ着だしたんは」
店の仕入にもそんな自分の好みを反映させたかったが、実用衣料中心の品揃えのため反対
された。しかし、そのころから「靴下とTシャツ、それからトランクスにはうるさかった」
という。それがアメカジの基本なのだ。
95年の阪神大震災の報道によって「インターネットの可能性に目覚め」た岸本は、同年
8月に1ページだけのホームページでTシャツ専門のネット通販を始めた。アメリカ製無地
にこだわったものの、始めてから二か月間の売上げはわずか一件、2500円。
「東京の方がTシャツーアイテムニ色だけ、しかも今より高う売ってたのに買うてくれた。ぼくはネットでものが売れるとは、ホンマは頭ん中の数%しか思うてなかったんです」
しかし、この一件という結果に、岸本は落胆ではなく、大いなる励みを得た。
「そりゃもう、今みたいな速いマシンやのうて、パフオーマ5210っていう中古のマック
でね、毎日夜中じゃない、朝まで必死でページこさえてました、平均睡眠二時間くらいで
(笑)。二か月経って、秋冬物をページに出してみたら、二目に一回くらい売れるようになっ
た。ようやく月間10万円売上げ、通販はほんまに売れていく、これは絶対に商売になるん
やと確信持ちました」岸本はさらなる目標を立てた。それがネット商店の開業者の合言葉にもなっている、「月間100万円」の売上げ。
「ぼくと家族が食っていくには、最低でも月に100万の売上げが
必要。だから一年間で、必死に勉強してなんとか達成しようと決め
た。そして、もっと売るにはなにを表現していったらええんや、と
ばかり毎日考えてました。商売って、成功者の話より失敗した人の
話を聞いてみるほうがよろし。『失敗するコツ』は自分の儲けを第一にしとったら、すぐわかる(笑)。せやったら、その逆をやろうと。当たり前ですけど、お客さんはなにを喜ばはれるんやろかと、もうそれぼっか考えより
ました」
その後は、月間100万円どころではない、97年に年商2800万円を達成し、独立も
果たした。翌年の売上げは3300万円。それでも赤字経営だったが、99年には5200
万円を売上げ、黒字転換を果たした。この2年間にはユニクロの大ブレイクもあったのだが、
それがかえって背中を押したのだという。カジュアルウェアヘの関心がそれだけ拡がったの
だ。
2000年に年商5800万円になってから、売上げはやや頭打ち。会社の立ち上げの際、
若い仲間を3人雇い入れていたのが、「全部自分でできるシステム」を構築し、現在は一人
で全部こなす。

一人きりのオフィス

仕事の説明のため、岸本は3台並べたプリンターの前に立つ。
「いうたら、伝票の違いがマシンの違いですねん。代引き、クレジット、コンビニあるいは
銀行振込、これらみんな用紙が違う。それに合わせて受注と同時に伝票にし、発送用紙までいっぺんに作れる、ファイルメーカー・サーバーいう十数万円するソフトを導入したんです。
改良に改良を加え、5年でようやく理想まで漕ぎ着けました」
「試しにやってみましょう」と、架空のメール受注がいかに伝票化されるかを見せてくれる。
瞬く開に発送伝票が打ち出され、これを商品梱包に貼りつけるだけでいいのだ。すでに入口
前の長テーブルには、伝票と発送を待つだけの商品が並んでいる。受注は最低月でも500
件、最高で1500件。一日当たりの平均処理数は30件から
40件となる。一人でやる以上、現状は「売りすぎんのも大事
なんですわ]と岸本。
会社は、大阪ガスの工場跡地を利用した京都リサーチパーク
という、インキュベーター(ベンチャー育成)施設のスタジオ
棟にあり、他の入居者の多くがデジタルコンテンツを作ってい
る。倉庫も兼ねたオフィスは一人には広すぎるほどだ。そこヘ
ひょいと掃除のオバチャンが現れて、掃除の傍ら棚の品物を眺
めていく。
「あのオバチャン、たまに買うてってくれんねん(笑)」私も岸本自慢のTシャツの数々を見て回る。彼が熱っぽく語るアメリカ製Tシャツヘの思
いはホンモノだ。Tシャツは綿栽培の好適地、アメリカ南部の奴隷文化が生んだ服。黒人た
ちの労働着から第二次世界大戦で軍用品として支給され定着し、やがて肌の色も階級も問わ
ず、老若男女がファッションとして着るようになった。
「ジーンズといっしょでアメリカそのものですわ。自由の象徴やね」
あまりのTシャツ好きが高じて、2001年に岸本はついに自分のオリジナルブランドま
で立ち上げてしまった。しかも、最良のアメリカ産生地を、日本で最高の技術を持つ縫製工
場で加工した、「Tシャツといえば白」にこだわり抜いた逸品だ。
西陣育ちの岸本の友人には、着物、帯の絵柄師(それも今ではCGを駆使するクリエータ
ーだ)もいる。時代なんて「パッと変わる」のをみんな知っているという。よくいわれるよ
うに「古いもの」と「新しいもの」が調和する町だからこそ、ネットインフラ整備も早かっ
た。インキュベーターの実現(87年)も全国に先がけてのことだ。「やってみなはれ」的
進取の気風だと岸本はいう。
後で、西陣の街を歩いてみた。往時の賑わいからすればすっかり落ち着いた様子だが、片
やニッセンの通販を育み、片やイージーのTシャツを産み落とした培養土であったと思えば、今はただ一つの役割を終えたにすぎないのかもしれない。

高知で竹文化再発見「竹虎」

私は岸本に、オンライン通販コンサルタントとして、数あるeショップの中でどこに注目
しているかを尋ねてみた。すると、自分が指導してすでに4年になるという、高知県の「e商人養成塾」をいの一番に挙げ、その初代塾生で、リーダー的存在の山岸竹材店専務の山岸
義浩と連絡を取ってくれた。
「みんな意欲的で、なにを売るかはっきりしてるとこがええ。塾長として年に7〜8回は行
ってます」
と岸本が迷いなく推薦するのだから、「e商人養成塾」の面々もまた「熱い通販魂」の持
ち主なのだろう。私は山岸に幹事役を依頼し、高知を巡る段取りをつけた。
山岸の店は、高知市内から車で一時間弱の須崎市安和にあった。「竹虎」という商号のほ
うが有名な山岸の製品の多くは、虎斑竹という、この地域でしか穫れない竹で作られている。
ドライプインを兼ねた本店は広大で、細々とした土産物から、ガラスケースに飾られた一流
の職人の手による美術品まで、ありとあらゆる竹製品が並んでいた。店の裏手の作業場には山から切り出された竹が
積まれ、熟練した職人が曲がった竹をバーナーで
油抜きして真っ直ぐに矯めている。横から山岸が
虎斑と他の竹の違いを教えてくる。虎斑竹は淡竹
の仲間で、文字通り、虎の縞のような模様が珍重
されるが、それは幹に付着した寄生菌の作用によ
るらしい。岡山にも同じ名の竹があるが、元の竹
が違う。これまで各地に移植を試みたものの、不
思議に模様ができなかったという。
ほかに、一般に笥を食す孟宗竹、青竹ともいう、日本固有の真竹など実際に竹細工を見た
後だと、どれがどう利用されていたのかよくわかる。繊維の粗い孟宗竹は細かな細工には向
かないが、淡竹の類はスーツと刃を受け入れて、細く割かれる。その籤(ひご)でカゴを編んだりもできるのだ。
「去年、イギリスのBBCが取材に来ちょって、『ミラクルー』を連発しとったきにのお」
と、作務衣姿も仮に付いた山岸は誇らしげだ。1894年の創業以来百有余年、竹虎ではこの自然の意匠を余すところなく生かし、多彩な造形に活用している。
店とは道を挟んだ別棟に工房もあり、そこでは義浩の弟、常務の龍二が作業をしていた。
龍二は大学を出て、4代目となる兄のような営業センスは真似できないと、ティファニー社
に煤竹製のパーティーバッグを提供したという別府の名工・渡辺竹清に弟子入りした。渡辺
作の、竹虎では最も高額なバッグを見せてもらったが、細やかな網代編み目の感触は竹とい
うより上質な革裂品のしなやかさ。これなら二2万円の値段も納得がいく。煤竹というのは、
農家の囲炉裏でいぶされた竹のことで、よいものだと一本100万円もするのだとか。
精力的な兄とは違い、控え目な龍二は職人とし
て雄弁だ。話しながらも作業の手を緩めず、一節
の竹から均質の籤を見る間に取っていく。スケー
ルで測ると、どれもぴったり同じ寸法だ。
「人の手のほうが精度が高い。観賞品より人に使
い込まれ、そのうちになじんで、いい色に変わっ
ていくような品物を作りたいですね」
そう語る龍二に、竹虎の竹林を案内してもらう。一番広い場所でも直線距離にして1・2キロ程度の谷間、そこでしか生育しない虎斑竹は、
防虫のため10月から1月ごろにかけて伐採する。その時期は農閑期でもある。仕分け作業
は3月〜4月ごろまでかかり、私が訪れた二月半ばはまさに最盛期。安和の里は一面竹で敷
き詰められた感がある。山は傾斜がきつく、登るのに一苦労。しかし、竹の青々とした香気
は実に爽快だ。商品になる竹は3〜4年経ったもので、適宜間引きを繰り返して、模様がよ
く出るよう強く育てる。
竹虎では、流行りの竹炭や、それを焼く時に出る竹酢液(アトピーに効くという)も早く
から取り扱っている。それらもよく売れるというが、特に評判なのが「健康竹皮ぞうり」。
薬袋にはない、柔らかななじみやすさで、履いてみると実に気持ちいい。まとめ買いする人
も多いという。
ともかく、山岸兄のサイトヘの情熱は超人的で、こればかりは実際にご覧くださいとしか
いえない。ブルース・リーや007の扮装をしたりと本人が前面に出て、竹製品のよさをユ
ーモアたヽっぷりにこれでもか! と訴えている。だから、専門家からも「やる気」が伝わる
デザインとのお墨付きがもらえるのだ。

自然な甘味の土佐文旦(ぶんたん)「白木果樹園」

ところで、マーケティングの世界では2002年、最高権威であるノースウェスタン大学
教授フィリップ・コトラーと、彼に批判的なウルスター大学教授のスティーブン・ブラウン
との間で大論争があった。マーケティングを「交換のプロセスを通じて顧客のニーズと欲求
を満たすことに向けられた人間の行為」と定義づける、顧客中心主義の生みの親コトラーと、
「顧客は自分が何を望んでいるのか自覚していない」とし、
「モノを売るには消費者に追いかけさせる」レトロな手法ヘ
の回帰を提唱するブラウンとではまったく水と油だ。
しかし、サービス精神の権化である反面、「売りたい」と
いう気持ちを前面に押し出した山岸のサイトを見ると、ビジ
ネスというのは上手い具合に、そもそもコトラー論とブラウ
ン論の呉越同舟、諸刃の剣なのだと得心させられる。
この山岸が音頭を取る「e商人養成塾」の面々は、いずれ
が坂本龍馬か中岡慎太郎かという印象。私は山岸に連れられ、
須崎と高知の間の土佐市にある、土佐文旦の通販で成功している白木果樹園に向かった。3代目園主の白木浩一は、山岸に続く2001年度同塾塾生だ。
白木家は戦前までは普通に田畑で野菜や米を作っていたが、戦後になってから、庭に10
本程度植え付けられていた文旦を手始めに、約2000本の果樹(他に小夏、ハ朔、金柑、
温州みかんの柑橘類や梨、梅、枇杷、無花果、柿など)を栽培する農園に成長した。特に売
れ筋の文旦は、県の品評会で二度も農林水産大臣賞を得ている。
そもそも文旦は、戦前に九州のザボンを品種改良してできた種で、1950年代から農家
の自家用として生産されはじめた。今では全国で20種ほど、約1万3000トンが栽培さ
れているが、うち土佐文旦が1万トンと90%を占める。
「滓(かす)がようでけて中味は少ないんやけど、プリッと弾けて皿に盛れ、ジューシーで旨いんで
すき。酸味があまりのうて自然な甘みで、見栄えがするもんやき、贈答用に喜ばれます」
白木果樹園では年間を通じ、様々な文旦を作るが、露地栽培の土佐文旦の季節はやはり冬。
私が訪れた時期(二月下旬)は、最後の収穫を終えた出荷の最盛期だったが、実に甘みが出
るまで保管しておく室は見ることができた。ずっしりと重いハンドボール大の鮮やかな黄色
の実に鼻を近づけると、すっきりした柑橘香は嫌味がない。
通販は20年前にゆうパックから始めた。旧友から「白木んちの文旦が懐かしいから送ってくれ」と頼まれたのがきっかけとかで、年々、注文が増え今でも全国約2万4000か所
の郵便局に申し込み用紙を配布、また、全国約6000名にDMで案内を出しているという。
そして、96年からサイトをオープン、2000年からは本格的なネット販売も手がけてい
る。メールマガジンは、雑誌などで紹介されたことも手伝い、2003年5月現在1万70
00部近い発信部数を誇る。
「関東近県からの注文が6〜7割じやきに、北海道からも多い。力を入れてDMも出しよっ
たきにね」
白木の家の横にはプレハブ棟があり、その事務所に足を踏み入れると、ズラリと並ぶパソ
コンと屋外の段々畑の不釣り合いさには笑ってしまう。そして、私たちは白木の軽自動車で
畑を駆け上がった。
「昔は山頂まで田んぼだったですきに。今ではうちが成功したんで、周りでも文旦を作られ
るようになったがいね。不思議なことに段が険しければ険しいほどおいしい。その代わし、
平地なら120個は実を付けるところ、一つの樹に40個ほどしか成らんけど」
白木果樹園の年間生産量は50〜60トン。今では全体の販売額の二〜3割がネット販売
だという。2000年のスタート時は月に5万円ほどしか売れなかったが、2年で月平均5○万、文旦の季節には100万円を売上げるようになった(2003年は豊作で二月の総売
上げは380万円とか)。
「ネットの口コミ。これがバカにならんのですき。利用者がメールで薦めてくれたご新規さ
んがうちとこのにきてくれる」
よいものを口にしたり、使ったりしたら、思わず人に知らせたくなるのが人情。その際に
くどくどは説明せず、「ホームページがあるよ」とは、誰もが交わしているやり取りだ。そ
こに乗っかり、白木果樹園は伸びた。よい商品はきちっとゲートインさえすれば、押し出さ
れるように走っていくのだ。

超ミニスカートでファースト・ヒット「エルセ」

出荷作業に追われる白木と別れ、山岸と私は他の塾生たちが顔を揃える、土佐名物・鰹(かつお)の
たたきの名店で行われる例会の席へと向かった。メンバーは、高知市の目抜き通り、帯屋町
筋のアーケードで、3店の洋品店を経営するエルセ社長の徳弘効3を含む総勢9名。私はメ
ンバーの一人一人に商売の実態を聞いて、翌日、店の様子を直に見せてもらうことにした。
そして、せっかく本場の薬焼きのたたきもあることだし、しばし無礼講・・。高知に入る前に取材した高松の人に「高知に行ったら気ぃつけなよ」と言われた意味がこ
こに来てようやくわかった。とにかく岬るように呑み、大らかに笑う。夢はでっかいいごっ
そうたちだ。
やや二日酔いの頭を抱えて、翌朝からふたたびハードスケジュール。まず徳弘の店を回ることにする。
196一年生まれの徳弘は、e商人養成塾には2001年に参加。一橋大学を卒業後、ハ6年に家業を継ぐまでは、富士ゼロックスでサラリーマン生活をしていた。帯屋町筋の一区
因にマダム向け(サロン・ド・エルセ)、ヤング
ミセス・OL向け(京町店)、ギャル向け(キャ
ンディポックス)の3店のブティックを経営して
いる。
「ネットではヤングカジュアルー本に絞ってます。
『超ミニスカート』で検索かけよると、上から順
にうちがヒットするきに、試してみて」
検索ログ分析をした結果だが、これも塾での学習成果である。「超ミニスカート」ではスケベ心丸出しの男性が総結集してしまうのではな
いか、と私は瞬時危惧したが(実際、他の上位はブルセラショップなど)、その筋の用語で
は「超ミニ」が一般的らしい。そういえば、最近は女子高生を中心にふたたびミニスカがブ
ームになっている。
その日はちょうど皿鉢祭(高知の郷土料理品評会を兼ねた食の祭典)が開かれており、町
も賑やかだったが、徳弘は、
「商店街を訪れる客数は、この2年で二割くらい減少しちょります。空き店舗もほれっ……」
とシャッターが閉まったままの店をいくつか指さす。
全国的に中心市街地の空洞化が進んでいて、高知も例外ではないようだ。高知商工会議所
の2001年の調査では、中心街のハ割近い小売業者が「売上げが減った」と回答している。
客数が落ち込んだ最大の要因は郊外への大型店進出で、2000年にイオン高知ショッピン
グセンターが開業。その他出店が相次ぎ、2001年の大型店(店舗面積3000平方メー
トル超)の売場面積は約16万6000平方メートルで、3年前の1・7倍までに拡大した。
「たった人口33万人の高知市にデパートが二つもあったんが、去年西武がなくなって、大
丸だけになりよって。夜になると寂しいもんですよ。夜の8時まで営業している店なんか数軒だけやき」
それだけに、構成員の多くが市内の商店主である「e商人養成塾」も必死だ。徳弘は、接
客やその店にしかない商品の提供など、専門店らしさを鮮明に出し、ネットショップにもそ
の姿勢を反映させている。
「高級志向の通販もいずれは可能だと思ってるんですよ。倉敷のダイシンさんのように仕立
てスーツの通販なんかも出てきちょりますし」
最も特徴を出しにくい衣料通販で、言葉の仕掛け以上のなにができるか。徳弘の次なる手
腕が期待される。

ネットで本業を凌駕する「正美堂」「フィッシングヤマト」「富士屋酒店」

ネットショップでの評判が実店舗にも跳ね返ることを、塾生の多くが期待している。だが、
それとは別に、より独立した兼業ビジネスとして捉える層もある。例えば、同じ帯屋町にあ
る時計の正美堂。東大阪出身の竹林正利が、妻・文乃の実家の時計店をサポートするかたち
でウェプ販売に取り組んでいる。「実店舗の客層は高め。われわれ夫婦の感覚に近い、若い
人向けの商品でネットは構成してます」とMDに工夫を凝らす。「裏に刻印を入れられるシチズン製の懐中時計
が流行りつつあると聞いて、仕入れたらちょう
ど生産の谷間。みなさん探し当ててくれはって、
目玉商品になりましてん」
正美堂のサイトを確認すると、確かに「入荷
後10日で売り切れる」とある。人気ドラマの
登場人物がはめている時計を推理して紹介する
コーナーを設けるなど、コンテンツにも工夫を
凝らしている。
菜園場町の老舗釣具店を、1980年に継いだ4代目の山本重人も、このままでは埋没す
ると、ネット進出以前に、磯釣り--それもグレ(めじな)に特化した「フィッシングヤマ
ト」に同店を衣替えしていた。
「土佐湾にはよい磯が多いきに、ぽく自身がよう釣っとった。利口な魚で引きがええのんよ。
そいで専門店になっちょっとうが」
と山本は笑う。山本がネットショップを立ち上げたのは2001年二月のこと。長引く不況でレジャー費削減の煽りを喰い、売上げが3割近くダウン、その埋め合わせにと、顧客管
理のために導入したパソコンで一気に始めた。販売する用品は「大型店にはない、マニアッ
クな品揃え」。不思議なことに、
「高価な品ほど人気がありよってね。お金持ちじゃない人ほどこだわる。安物だとすぐ物足
りなくなっちゆうがや、グレ釣りは」
とトントン拍子で、e商人養成塾の中で「一番成果を挙げた」と評価される。2001年
度の売上高は約4500万円。ネット店だけで月に150万円ほどを売上げる。好きこそも
のの……とはよくいったものだ。
それは2001年度3期生の一人、富士昼酒店の奥宮義達にもいえることだろう。土佐酒
アドバイザーを自称し、地元産の清酒だけでなく近年評判の栗焼酎「ダバダ火振り」の販売
にも力を入れている。ネット店では、独自のセット商品などに知恵を絞っている。
「土佐には全国ブランドになっちゆう酒以外にも、いい酒がこじゃんとあるですきに、それ
を知らんがはもったいないぜよ」
と威勢がいい。自身、酒豪でありながら愛嬌に溢れ、出入りの飲み昼やバーの経営者から
も可愛がられている様子だ。

かつて坂本龍馬は、「世の人は我れをなにとも言はば言へ我が成すことは我れのみぞ知る」
と言ったが、奥宮もまた筋金人りのいごっそう。ネット販売を立ち上げ、わずか一年で目標
の月100万円売上げを突破し、「天下取っちやる」と呵々大笑する。
私は彼らのセミナーに参加し、印刷されたメールマガジンを見せてもらったが、方言での
語りかけに優しい魅力を感じた。忙しい本業の合間にまめにホームページを更新するよりは、
その精力をメルマガに傾け、顧客を固定化し、また、ショッピングサイトのプレゼントに参
加するなどの撒き餌で新規客を開拓するほうが、個人e商店にとっては合理的なようだ。

コロッケで全国制覇「デリンベイク」

高知市の台所、魚の棚商店街で昼時には長蛇の列ができる総菜屋がデリンベイクだ。二代
目で営業主任の細川泰伸は大学卒業後、伊藤ハム営業部に勤務したが、激務のためヘルニア
を抱え、28歳で帰郷。以来、家業を手伝うようになった。
同社は1963年に精肉店として創業。デパートに総菜店として出店し、地元スーパーと
の取引も大きい。99年に本店を「手作りコロッケの店ひろっちやん」に改めた。2001
年度の年商は約一位8000万円。肉屋のころから手作りコロッケが名物だった。2001年のe商人養成塾に参加。塾長・
岸本にネットでは「売り筋が売れ筋」と聞かされ、細川は大いに発奮する。その一か月後に
早速ネット店舗を開設、冷凍の半完成品を冷蔵輸送で販売している。だが、これまでの売上
げに固執する父とは「葛藤もあった」と細川は言う。
「じやきに、子供はあと10年後のこと考えちょる。塾の仲間はみなそうですき。ネットで
は言葉を尽くせる。スーパーと違うて全国相手に、自分とこの顔を明らかにできる。お客さ
んに加工食品への不安を少しでも解消してももらえますき」
高知は四国4県の中で、他県からの「輸入」
依存度が高く、「輸出」ワーストワンなのだそ
うだ。山と海に囲まれ、土佐っ子は「世間知ら
ず」だと、細川はしきりに言う。寸暇を惜しん
ではせっせとメルマガを書き、遠く離れた顧客
に思いを馳せている様子だ。また、サイトでは
顧客からのリクエストコンテストなどを催し、
「目標365品目」というコロッケのアイデアともしている。
現状、百数種、常時20種はあるというコロッケの中味は、ビーフシチューやピリ辛蓮根
に、ゴーダチーズなど実にバラエティに富んでいる。バレンタインにはキスチョコにクリー
ム入りも出したが、アップルパイやフオアグラとウニという変わり種も顧客の要望に応えて
作ったとか。むろん、地元・高知の食材を使った商品作りにも余念はなく、特に深層水仕込
み4万十青のりコロッケや土佐鰹コロッケは自信の作だ(皿鉢祭にも出店し、私も揚げたて
を食べたが、青のりの香ばしさは絶品だった)。
アクセス数を増やす戦略は、メルマガ作戦とショッピングモール「楽天市場」への出店に
拠っている。特に楽天の集客力を細川は絶賛しており、前夜の宴会でも盛んに他の塾生に喧
伝していた。
「一個が100円前後と、単価の安いコロッケを通販で売るのは大変。楽天はアクセス数を
増やす仕掛けも多彩で、その中で競争があるのも励みになりますよ」
そのせいか、売上げは飛躍的に伸び、目標の月100万円を超えた。またデリンベイクは、
幕張メッセで行われる国際食品飲料展フーデックス・ジャパンに、2002年、2003年
と続いて出店、全国から集まる流通・外食産業関係者の中にはすでに同社のコロッケを知っている者もおり、細川はますます自信を深めているようだった。

オンラインモールの理想とは「楽天」

細川が頼みの網にしているオンラインモールの楽天。そもそもは大資本先行で口火が切ら
れたモールだが、その優劣はかなり早い段階でついてしまった。一人勝ち状態の楽天の王座
は現在のところ揺るぎようがない。その楽天も1997年に前身が創業(99年から現社名)、
サービス開始とまだ若い会社だ。
2000年にはジャスダックに店頭公開し、同年、検索エンジンのインフオシークを、二
002年暮れにはライコス・ジャパンも子会社化した。それらグループ企業サイトからの誘
導もあり、2002年8月現在で月間ページビュー(閲覧件数)はなんと二億5000万を
突破、年間売上げも連結で約99億円に達している。認知度ではヤフー・ショッピングも肩
を並べるが、利用度では比較にならない。出店数も2003年3月現在で約6000店を数
える。それだけの店を集めることができたのは、出店料のみ月額5万円という敷居の低さが
大きかった。
さらに楽天広報部の小泉和美によれば、「パソコンスキルに優れている方にホームページの作成などを外注する従来のスタイルではなく、商売のプロが、パソコンスキルに関係なく
ネットショップを作成・運用できるようにした」ことに同社の成功要因があるという。更新
が遅くなれば怠慢と見なして、客は来なくなる。特に、ワード程度の知識でいかにイージー
に運営してもらえるかを眼目に開発したシステム=楽天マーチャントサーバー(RMS)の
意義は大きい。各ショップには「会社概要」表示が必ず設けられ、購入・決済手段が共通と
いうのも利用者にとってはわかりやすい。画一的と見られることを嫌う出店者もいるが、小
泉は、
「だんだんと改良し、今ではかなりの表現ができるようになりました。やはり商売をされる
方って、集客の企画等を立てるのが上手。私たちも勉強になります。人が人、店が店を呼ぶ
のがネットの世界です」
という。そんな成功者のノウハウを提供するため、楽天大学なども運営。必修講座のRM
Sワークショップのほか、技術系、マーケティング系と様々な単元ごとの講座を選択学習で
き、これが孤立しやすいe商店主の交流機会ともなっている。オークション参加で「売れ筋」
を見極めさせるというテストマーケティング手法もあり、そもそもはオークションで名を売
った同社らしく、フリーマーケットなどからビジネスの醍醐味を悟ったフリーター世代にも支持されるところだ。
「中小企業をエンパワーメント(支援)するのが楽天の使命」と小泉は語るが、それは創業
当時、社長の3木谷浩史らがインターネットの可能性を信じ、顧客の「パソコンのセッティ
ングから手伝う」全国行脚=市場調査から得た賜物だろう。しかし、「ネット出店したから
といっても、放っておいて売れるという考えでは続かない」(小泉)。新規出店が月々に20
0から300あれば、退店数も100から200という厳しい競争は実店舗と同じだ。その
コスト(スタンダードで月額5万円・1500アイテム、ライトで3万9800円・100
アイテム基本)を高いと思うか安いと思うかは、あくまで出店者の意気込みと取り組み、コ
ミュニケーション・スキルの有無いかんにかかっている。

書評重視のオンライン書店「bk1(ビーケーワン)」(現在はhontoに改名)

これまでは特別なものを買わせるという、個人e商店の枠組みの中で、ネットショップの
問題を語ってきたが、最後に、物書きであり本好きの一人として、隆盛するオンライン書店
の問題に少し触れてみたい。ネットで買う現実味を現在最も感じさせるのが本であり、本書
を手に取る多くの読者にとっても身近な問題と思えるからだ。そもそも日本で、インターネットを利用したオンライン書店は、広島を地盤とする家電量
販店ダイイチ(現・デオデオ)が1994年に始めた洋書販売が嚆矢とされる。和書販売は
95年こ1月に丸善が、翌96年4月に8重洲ブックセンター、10月に紀伊國屋書店と書
店系の大手から参入してくる。取次系・流通系も次々に誕生したが、紀伊國屋は有料会員制
(入会金1500円)であるにもかかわらず、最大手書店のブランドカから急速に売上げを
増し、初年度で約7億円を達成する(現在は40億円前後)。その後も急ピッチでシステム
の改善を図り、書店系トップの地位を揺るぎないものとしている。
97〜8年になると、95年にアメリカで創業したアマゾンが、[amazon.co.jp」のドメ
イン取得のため法人登記を済ませ、日本進出の準備段階に入る。翌99年にはソフトバンク、
ヤフー、セブンイレブンジャパンによる「eショッピングブックス」(後の「イーエスブッ
クス」)が発足。コンビニ決済にとどまらず、コンビニ受取という日本型オンライン書店の
あり方を呈示する。そして、BOL(独のメディアグループ、ベルテルスマン系、現在は日
本でのサービスを停止)が同年6月に、アマゾン・ジャパンも遂に11月にサービスを開始
する。
そんな状況の中、それらを迎え撃つかたちで、図書館流通センター(TRC)が中心となり、日経BP社、アスクル、富士通、電通などの共同出資によって2000年3月に誕生し
たのがブックワン(サービス名・bk1)だった。
ブックワンの母体、図書館流通センターは、全国2600か所の公共図書館に本を卸す業
務を行い、これまで日本で発行された200万タイトル以上に及ぶ書誌データベースを全部
持っていた。したがって、bk1の検索の確かさには定評がある。現在流通している本の総
数は50〜60万点、うち同社の自社在庫は約6万点、100万冊だという。取次5社(ト
-パン・日販・大阪屋・太洋社・日数販)と在庫データを共有化しており、自社在庫書籍を
午前一一時までに注文すれば、その日のうちに配達可能である。
私は同社の取締役斎藤宜彦と、販売部プロモーションマネージャーの土屋治子に話を聞い
た。斎藤は最初の「仮想書店」という認識が、最近では「通販企業」と改められている、と
語る。
「在庫リスクがない魅力=オンライン書店とも言いきれないんです。ある程度抱えておかな
いと、大量の注文を捌ききれない。現在、埼玉県の志木と新座に物流センターがあります。
大きな体育館といった規模ですよ」
斎藤がそういうのを聞いて、私はrcustonlers.comj(邦題『ネットビジネス戦略入門』〔翔泳社〕)という全米ベストセラーの中で、著者のパトリシア・シーボルトがアマゾンの膨
大な在庫スペースの必要性について、こう書いていたのを思い出した。「顧客の立場に立て
ば分かる」。彼女は自ら同じ本を数社に注文し、その発送時間を比較した結果、アマゾンの
優位性を認めていた。
ネットで本を買うのは、本屋に行く時間がなく、どうしても明日には欲しいというニーズ
が多い。リアル書店だと、注文してもいまだにI〜二週間はかかり、ともすれば当日には届
くネットの速さには敵うべくもない。顧客が最も注意を払う送料については、1500円以
上の購入者は無料に落ち着いた。
「本音では請求したいところなんですが・・薄利の中に押し込めるしかありません。まだ事
業としてペイできている段階ではないんです」(斎藤)
それでもブックワンの年商は2002年度で約16億円、前年比で120%ほど増えてお
り、2003年度は年商26億円を見込んでいる。日本の出版産業市場が約1兆円、うちオ
ンラインは3%ほどを占める。アメリカは約二兆円市場の中で、2000億円をオンライン
が売上げるというから、日本でもこの先5年くらいのスパンで5倍の成長が期待されるという。

″ネットコミ″の威力

アマゾンの創始者ジェフ・ベゾスは、本が購入される際の全プロセスを分析し、ウェブ上
で反映させようと試みたというが、散歩がてら本をぶらりと買うといった楽しさを表現する
のはなかなか難しい。
ジュンク堂書店チェーン(本店・大阪)では、立ち読みならぬ座り読み大歓迎で、みな椅
子に腰かけて本を吟味している。2001坪という世界最大級の売場面積を誇る東京・池袋
店では、レジカウンターは一階のみに並び、各フロアを巡回する店員に質問すれば、即座に
求める本への的確な情報が返ってくる。それは、オンライン販売を実店舗において具現化し
たかのようだ。しかも、ここでは本を気ままに手に取る権利が保証される。システムの快適
さはネット専業に譲るとしても、同店のサイトでは彼らがなにを売りたいのかが、よく伝わ
ってくる。だが、bk1も細かなニーズに問しては、他サイトより柔軟ではあると思う。
「目的を持って訪れる方と、キーワード検索で意外な本に出会って買われるという方が半々
ですね。在庫は丁寧にケアして、小版元や同人出版の本もまめに抜っていますし、グラフに
すれば一冊しか売れない本がズラズラ並ぶ。それがうちの特微じやないでしょうか」(斎藤)「読書というのは個別の楽しみ。1人の時間を買うわけです。オンライン書店は、他の人が
どのように読書を楽しんでいるかが見られるのも利点です」(土屋)
と利用者の評価や、他にどんな本を買うかの情報が得られやすい点を強調する。こうした
個性の違いは、毎日(アマゾンは一時間おき)更新される各社の売上げランキングからも窺
えるだろう。
「ずっとBtoBできて、BtoCをやりたくて、オンライン書店設立の音頭を取ったと
いう恰好ですね。どうしても、在庫にないものは取り寄せに時間がかかってしまいますが、
今後は一回のご注文を極力1回で捌けるようにしていきたい。ネットで売れる本の傾向はリ
アル書店のベストセラー以外にも、SF・ミステリー関係、漫画、サブカル系……」れらは
予約受付段階に、著者サイトからリンクされ、売上冊数に反映してきます。一般書店では注
文しにくいアダルト系も人気は商い。各ジャンルに精通した担当者がいて、情報収集には余
念がないですね」(斎藤)
在庫部数の確定は手売り感覚とほぼ同様で、『ハリー・ポッター』シリーズのように大々
的に売り出されるものは、発売数か月前から出版社との会議で部数交渉をするのだという。
bk1は会社設立当初から、これまでにない多くの書評を掲載していくのがモットーで、編集委員的なメンバーを擁するなど、書籍にまつわる情報量を多く備えた構成をとっている。
このようなプロによる書評に加えて、bk1販売部の土屋は個人の読書日記サイトの影響も
軽視できないという。
「バナーを貼ってくれる方をブリーダーといって、サイトからの売上げに応じてマージンを
払うようにしています。一冊の本を媒介にいろんな人がキヤッチボールをしてくれる感覚を
大事にしたいですね」
本もまた口コミ(ネットコミ)で売れていく。私もそのようにして触れた本を数多く読ん
でみたいと思う。今まで抵抗があった本のネット購入に、今回の取材が契機で積極的になれ
たのも事実だ。本を通じて誰かを、世界を知りうる喜びがある以上、本は死なないし、消え
も溶けもしない。私はそんな想いを新たにした。

メディア系通販事始
すでに戦前、讀賣、大阪毎日、萬朝報(よろずちょうほう。朝報社のちに萬朝報社)な
どの新聞社、実業之日本社、講談社などの出版社が、巨大な発行部
数を背景に続々と通販に乗り出した。
中でもとりわけ通販に力を入れたのが、1906(明治39)年11月に通
販代理部を創設した報知新聞だといわれる。その業務は当初、「カ
ナリアと金花鳥を送れ」「球突台が欲しい」といった、便利屋的な立
ち回りが多かったが、その後、ハンカチから機関車、馬車に至るまで、
取扱商品が大小様々に広がっていった。やがて、ロンドンとニューヨークに支社を開設するなど、ワールドワイドに展開。まるで総合商社の
趣だった。
「リーダーズ・ダイジェスト』以前に、雑誌媒体を通じて強力な通販チ
ャネルを築いたのが主婦の友社である。看板誌「主婦之友」の創刊
は1917(大正6)年。その年の10月号には、すでに代理部開設の告
知を載せている。同社前身の「東京家政研究会」の社告によると、「宮
津屋製造〈おしめおほひ〉……浅田宗伯(※浅田飴本舗の創始者・
堀内伊3郎に飴の処方を伝授した人物)先生創製〈導妙湯〉……
のごときいずれも主婦之友社代理部の一手販売であります」などと
ある。戦後は、作り方付きの足袋地、コルセット材料、各種布地のメー
ター売り、洗い張りセット、毛糸再生器など、物資不足のため手作り用
具や自給自足器具がよく売れたようだ。それでも、女性としての身だし
なみに必要なハトムギ洗粉、美髪養毛剤、挾臭止め、中でも注入器付
き産児調整薬、婦人洗瀦器などの産制用品がバカ売れしたそうだ。
また、当時はまだ前金制、「余分な送金額を次回に利用するから預か
ってくれ」とヘソクリの場として利用されもした。
'70年代の動きとして特徴的なのがテレビショッピングの確立だ。'71
年にフジテレピが「東京ホームジョッキー」という番組内で商品紹介コ
ーナーとして始めたのが最初。その後、各局こぞって通販に参入し、
テレショップ開始から約10年を経た'81年の調査では、全国34局で40
番組が放映され、前年度の売上高も550億円に上っている。

百貨店通販の現場

正統派の通信販売
今でこそカタログ専業が売上げ上位に君臨する通販界だが、今からふた昔前、1980年
代前半までは、私にとって、通販といえばデパートの印象があった。それだけDMやチラシ
の類が目についたし、趣味系や健康器具と違って、一般家庭の、ことに女性の生活にごく近
い商品を抜っていたからだ。百貨店通販は明治のころより脈々と続く、数少ない正統派の通
信販売の一つである。本章では、百貨店の通販に対する取り組みについて見てみたい。
他社に先駆け参入-「高島屋」
最初に通販に手を染めたのは高島屋だった。まだ「たかしまや」は屋号にすぎず、飯田呉
服店と称していたころのことである。高島屋は183一 (天保二)年、飯田新7によって古着・木綿商として創業された。通販
を始めたのは、その約60年後の1899(明治3二)年5月のことで、19二二(大正一
一)年、大阪長堀橋に百貨店としての大型店舗第一号を建てる遥か前だった。
京都本店に地方掛を設置し、通販に乗り出した高島屋は、その3年後の春には、当時とし
ては珍しい華麗な写真入りカタログ『新衣装』も発刊している。京都新聞や大阪朝日新聞の
協力を得て、京都本店が編纂し、部数も毎月300部くらいだったのが徐々に増え、後には
数千部になった。特に地方の有力客獲得に役立ったという。
明治末期から大正、昭和にかけて盛んだった全国各地の出張販売にも高島屋はことに熱心
で、新聞折込なども使って告知。メディア利用はお手の物だったらしく、内外博覧会に最上
の染物織物を出展して、必ず栄誉賞を得ることもモットーとしていた。
第二次世界大戦前に、通販部門も一時中断されたが、戦後時局が安定してきた5一年、大
阪店外商都に通信販売課を設立し本格再開している。翌年には東京店の外商部でも開始。課
長以下3名の小規模編成であり、媒体は新聞折込が主だった。
私は品川にある高島屋通信販売事業本部を訪れ、企画担当次長の佐藤昌人に話を聞いた。
「戦後当初は寝装品が中心だったようですね。純毛毛布が6800円だから、これは一財産だ。9800円のミシンも売れたといいますが、現在の感覚ではいずれも商い買い物ですよ」
確かに毛布は、日本人の生活に登場した明治後期の当初から贅沢品で、一枚につき4〜一
5円もした。100円もあれば家が買えたという時代にである。佐藤は戦後まもなくとはい
っても、高島屋が扱う商品はかなり高級品の部類だったと認める。
「地方のほうが戦争の打撃から回復するのも早かっただろうし、やはり地方の上得意様相手
だったのでしょう。戦前は出張販売というかたちで地方に出向いておりました。薬のご用聞
きのようなもので、お客様に来ていただくのをただ待つのじゃなく、次になにが欲しいかア
プローチするわけですね。今、通販はやはりOne to Oneビジネスとして見直されてま
す」
53年にはカタログ販売を開始、二色刷ながら3000部を発行している。まだ長閑な時
代で、ランドセルの注文に応じると、その後、実際にそれを身につけた子どもの写真を送り
返してくるようなお客もいたという。また、各地からお礼の特産品が届いて部室がいっぱい
になる一方で、一度、ある村からクレームが来れば、そこら一帯からの注文がピタリと止ま
るような、古い日本らしさがまだ生きていた。
50年代後半、同社は通販の新しい仕組みを成功させた。得意先の商品を株主へ優待販売するに当たって、カタログ制作や受注、発送に至るまでを代行する業務への進出だ。最初は
帝人、東レ、旭化成などの大手繊維メーカーの株主に対して行ったが、徐々にこの手法を、
銀行系列企業や鉄鋼メーカー、証券会社などの優待販売に援用、安定した株主確保と固定化
の役割を担った。

起死回生への様々な試み

60年代は順調に推移し、組織的体制をいち早く整えた同社通販は、70年代を通じて通
販王者の地位に君臨し続けた。66年には電話販売担当を設置、7一年には東京12チャンネ
ル(現テレビ東京)の『今日は!奥さん2時です』という番組でテレビショッピングも開始、
翌年にはNET(現テレビ朝日)系列の『奈良和モーニングショー』に発展。大反響を巻き
起こした。カタログにおいても76年、先駆的な『暮らしのパスポート』を発刊、商品供給
や物流システム構築に寄与した。
しかし御多分に漏れず、ここ数年はデフレ不況の波をもろに被っている。「耐久消費財は
特に動かない」(佐藤)という。90年には、カタログの発行部数が一回平均200万部、
売上げで680億円超だった規模が、2002年度はテレビ通販などを合めても364億円するに当たって、カタログ制作や受注、発送に至るまでを代行する業務への進出だ。最初は
帝人、東レ、旭化成などの大手繊維メーカーの株主に対して行ったが、徐々にこの手法を、
銀行系列企業や鉄鋼メーカー、証券会社などの優待販売に援用、安定した株主確保と固定化
の役割を担った。

起死回生への様々な試み

60年代は順調に推移し、組織的体制をいち早く整えた同社通販は、70年代を通じて通
販王者の地位に君臨し続けた。66年には電話販売担当を設置、7一年には東京12チャンネ
ル(現テレビ東京)の『今日は!奥さん2時です』という番組でテレビショッピングも開始、
翌年にはNET(現テレビ朝日)系列の『奈良和モーニングショー』に発展。大反響を巻き
起こした。カタログにおいても76年、先駆的な『暮らしのパスポート』を発刊、商品供給
や物流システム構築に寄与した。
しかし御多分に漏れず、ここ数年はデフレ不況の波をもろに被っている。「耐久消費財は
特に動かない」(佐藤)という。90年には、カタログの発行部数が一回平均200万部、
売上げで680億円超だった規模が、2002年度はテレビ通販などを合めても364億円ほど。高島屋全体の売上げもここ数年下降気味だが、それでも1兆円近くをキープしている
点を見れば、佐藤の危機感も理解できる。三越通販邦との首位交代劇も4年前の99年に起
きた。
「今は厳しい状況下のカタログ通販。専業で行っている業者との競争も激しく、生き残りを
賭けた闘いが続きます。当社の場合、店にはないオリジナル商品の販売がモットーでしたが、
店との連携をどう図っていくかが今後のカギ。実際に手に取れない分、安い方がいいのです
が、互いが喰い合うのはまずい。そのため、暖簾を合めて店とは差別化してきましたが、今
後は例えば、催事折込にカタログご購読者特典を入れ、店舗集客を狙ったり、逆に店頭受付
に簡単なカタログ案内のパンフレットを置き、通販への促しを始めるなど、相乗効果によっ
て(デパート通販の)特徴を明確にしていきたい」(佐藤)
2002年からは美術展の半額割引チケットをカタログに入れ、最上階のホールで絵画を
鑑賞するお客が階下で買い物をしてくれるのを狙う、いわゆるシャワー効果の作戦も打ち出
した。また、カタログの内容についても散漫化や硬直化などが問題となっていたが、7シー
ズン、それぞれ約200万部出していたメインカタログ『ショッピングニュース』を、現在
は100万部にまで絞り込み、一ページあたりの売上単価を倍増させている。さらに、類を見ないユニークな試みとして挙げられる
のが、「音のカタログ」という視覚障害者用のサービス
だ。これはロバの会(京都朗読奉仕会)という慈善団体
の依頼を受けて『ショッピングニュース』をCD化した
もので、プレクストークという読書CD専用機(有償)
を使って再生する。ロバの会の会員には、年7回無料で
CDが配布されるという仕組みだ。同会では98年にC
Dを扱うずっと以前(90年)から、カセットテープに
よるカタログ音読のサービスに取り組んできたという。佐藤によれば「両方合わせて二30
0世帯ほどが利用している」とか。必ずしも全盲の人ばかりでなく、高齢で目が弱くなった
顧客の支持も厚いそうだ。
「今は更地のない市場です。マスのやり方は通用しない。当本部長のIばうには『自分を知り、
お客様を見て商売しなさい』。自分とはすなわち、当社の財産、それはイコールお客様のこ
となんですね。ストアロイヤリティ(お客の店に対する愛顧性)の高いお客様が何を望まれ
ているか、MD、媒体にしろ、その観点で見ていかないと……。一対一の『塊』に持っていく」
佐藤はこのように原点回帰を強調する。

進取の気質「三越」

高島屋と相並ぶ老舗百貨店の雄、三越の通販は高島屋から遅れること5か月、1899
(明治3二)年10月に産声を上げている。
三越は、2873(延宝元)年創業と、呉服店としては高島屋以上の伝統と格式を持つ。
だが、19世紀終わりごろの三越は、越後屋から合名会社3井呉服店と組織変更するなど、
百貨店への移行に躍起となっており、通販に取り組む意欲も並々ならぬものがあった。明治
末期から大正にかけ、通信販売部員も150名を数え、全従業員の一割を占めるに至り、小
包数も日にI000個を超え、これを持ち込む神田駿河台郵便局はそのために東京一の扱い
数を誇ったという。
やはり対象は地方客で、そのためまず地方係を設置した。カタログも1903(明治36)
年に月刊化された『時好』のほか、『ご婚礼の支度』『御髪飾の栞』『靴と鞄』『現代婦人化粧
法』など、今でいうスペシヤルカタログ的な小冊子も発行していた。これらのモデルには有名人令嬢や一流芸妓を起用し、読者参加を期し
て懸賞に力を入れるなど、流行情報誌として地
方に都会の風を送り込む役割を担っていた。そ
の後、19二二(大正11年に月刊版は『3
越タイムズ』と改題し、現在に近い形態となり、
3〜5万邦は出ていたという。
通販で特に好成績を収めたのは、大正期だと
朝鮮、台湾、満州などいわゆる外地で、九州、
四国がこれに続き、一方、恒常的な農村疲弊のため東北では奮わなかった。メイン商品であ
る呉服も、写真表現が至らなかった当時は、事前にお客から仔細な好みを聞いた上で、見立
て販売をしていたわけだが、地方によってこれがまちまちで苦労をしたという。日本は縦に
長い国だから、東京発信が基本の流行にも微妙な温度差があり、気候によって風俗も変わる。
いくら東京が初夏を迎えても、東北はまだまだ朝晩冷える。また、北海道のような新開地は
派手好みといった、気質の違いもある。これは今も変わらぬファッション通販の大問題だ。
三越はまた、本領の呉服以外の商品開発にも熱心だった。明治の終わりごろから、ホワイトカラーの男性に洋装が普及するなど、洋品類の需要が高まるが、そこには舶来信仰が根強
く、そのため舶来品に負けない商品の開発が迫られたのである。ちょうどそのころ、190
8(明治41)年、朝日新聞社が実施した「世界一周会」という催しがあった。そこで三越
は、何十人もの参加者の着用および携行品のほとんどを、同社のオリジナル製品から用立て
たことがあった。彼らが帰朝後、その製品使用後の結果を具に調べ、改良を図ったという。
ことに鞄類には定評があり、それは当時のカタログからも偲ばれる。
なお、1911 (明治44)年、いち早く電話受注販売に乗り出していたことも三越通販
の進取性の現れとして特記しておくべきだろう。

バラエティ志向で成功

私は、同社のこうした伝統と気風が現在の業務にどう息づいているのかを確かめるため、
東京・錦糸町にある三越通信販売事業本部に赴いた。対応してくれたのは同本部営業推進部
ゼネラルマネージャー大内隆之と、営業企画管理担当課長の生駒久子だ。
百貨店としての店舗、特に日本橋本店は「娯楽と文化の殿堂」であり、そうしたステータ
スのうちに三越は発展していった。「昔は御帳場制度というのがありましてね、お客様のタンスの中まで存じ上げているという
のが、呉服屋時代のうちの商売でした」
本体が百貨店として近代化していく中で、通販は旧態の感覚に近かったのではないかと大
内は言う。お客と親しく接し、それが「好循環に入っていた」のが大戦前の三越通販の姿だ
った。
「明治末期には日比翁助という、肩書きこそ専務でしたが実質的な経営責任者がいて、彼が
大変な辣腕家だった。地方経済の発展を見越して、高松、松山など地方に支店を出すのも9
0年前と、非常に早かったんです。通販にも彼の影響力が大きかったのでしょう」
大内は分厚い社史を開きながら語る。
「確かに戦前には通販にまつわる記述も多いです。しかし、戦後は5一年に売場とタイアッ
プというかたちで再開したという以外に、記録もI切残っていない。そのころ配給制も終了
し、既存名簿を活かして、細々とまた始めたのでしょう。しかし、本店外商都が通販カタロ
グを30年ぶりに復活させ、本格的に取り組みだしたのが73年。それだけブランクがあり
ます。なにしろ戦争が・・ホラ、こんなもの売ってたくらいですから」
大内が指し示したのは防毒マスクの写真だった。38年に販売した、と年表に載っている。後に同社史料編纂室に問い合わせても、そのブランクを埋めるような資料の存在はないとの
ことだった。戦後は百貨店がおしなべて大衆化路線を採り、三越も支店拡大があくまでメイ
ンだったためだろう。ただ、百貨店という小売りの形態が曲がり角にある今、通販と店舗の
バランスを巧みに取っていた戦前の三越の例はひとつの好サンプルといえよう。
73年のカタログ販売課の設置も、当初は外商員の売上げを向上させるための苦肉の策だ
った。当初は店舗で扱われるバーゲンセール品に関し、簡単な商品チラシのようなものを作
り、店舗顧客にDMとして送っただけのものだったらしい。だが、ほどなくして発行した第
一号カタログは、最新のものに引けを取らない出来で、扱い品目も衣料品から家具、家電、
食品までを網羅する、いわゆるゼネラル的なものだった。加えて、店舗と異なる通販独自の
顧客のリスト化とオリジナル商品の開発。高島屋同様、三越はそこに力を注いだが、やはり
先行の高島屋に大きく水をあけられ、その距離を縮めるのは並大抵ではなかった。
一方で、テレビショッピングの取り組みは先駆的だった。商品供給だけでなく、78年ご
ろから、独自のテレビショッピング部門も設け、カタログ部門と合わせ、80年には情報販
売本部として統合される。こうして独立採算制を採ることによって、通販部門の有利性は一
目瞭然となり、また店舗売上げとの相乗効果も認められて、同社はカタログを中心とした通販により力を注いでいった。
テレビは一時、200本前後のCMを放映するなど積極策に出たが、それだけの収益が上
がらず、83年には主婦向けワイド番組『レディス4』(テレビ東京系)に一本化する(後
述)。
それにしても三越のカタログはバラエティに富んでいる。
「商品の移り変わりが激しくて、アイテムカタログだけじゃもうダメなんですね。ゼネラル
の『三越カタログ』(年7回発行)に加えて、生活提案型のスペシャルカタログがI0種類
あります」(大内)
それまで250ページ前後だった『三越カタログ』も2003年度から、毎号をファッシ
ョンとリビングに分けて、前者のページを減らし、後者のページを増やした。雑賃ブームを
反映してというより、ページ当たりの売上げ効率から弾き出したという。2002年度の総
額約4二4億円という三越通販の年間売上げのうち、カタログ部門だけで約300億円強を
売上げる(ちなみに三越グループ総体の売上げは約1兆円に上る)。

考え抜かれた商品イメージ

「我が社はそもそもミセスに強いCI(コーポーレート・アイデンティティ=社風)。2万
円から5万円する品がよく売れるのも、そうした客層を抱えているからでしょう。カタログ
に掲載する商品の中心は、店舗なら中小規模の取引先のものです」
MDはすべて自社。つき合いやすい中小メーカーなら交渉もしやすく、質の良いものを極
力値段を抑えて作ってもらえる。ただ「価格競争には踏み込まない」というのが三越通販の
規範である。大内はある調査会社が作成した資料を持ち出して解説する。
「カタログ専業の低迷は、売上げはあっても利益率が下がっていることに原因がある。デフ
レに入って過剰な価格引き下げに応じていかなければならないポジショニングだが、私ども
は、ほぼど真ん中の顧客層を捉えた位置にいるんです」
ここから読みとれるのは、やや保守的だがお洒落に気を遣い、少々値が張ってもいいもの
を手に入れようとする、まさに三越本来の顧客=文字通りのミセスの姿だ。ただ、やはりも
う少し若い層を引き込む努力をしていきたいと、30〜40代を対象にしたセレクトショッ
プ的総合力タログ『SAGE』を99年から年3回発行している。
その担当者で、顧客対象にズバリ当てはまる世代の営業企画管理の生駒は、期待感を込めてこう語る。「これは(2003年)4月から書店売りになるんです。300円の値が付きますが、ここ
からお申し込みの方には、送料の300円が無料になります」
現在、専業系カタログの多くが書店・コンビニの棚を賑わせている。高島屋も99年に
『タイムズスクエア』というタイトルで、有料カタログの販売に試験的に踏み切っている。
そうした苛烈な戦線に、三越も飛び込んだのだ。その品揃えを見ると、スーパーでは手に入
らないものの、かといって目の玉が飛び出るほどの値段ではない良質な商品が、生駒の言葉
通りに並んでいる。
「この層の方って見出すのが上手いんですね。生活の中の棲み分けができるっていうか。デ
ニムはユニクロなんだけど、セーターはいいものをさり気なく身につけてたり。するとボト
ムがユニクロだってわからない。部屋の模様替えなんか、いろんなところから素材を集めて
きて自分なりのコーディネート上手でしょう。百円ショップとブランドショップを巧みに使
い分ける層だから、そんな人たちに見つけてもらおうと、MDは張り切ってますよ」
『SAGE/2002〜2003 クリスマス迎春号』を拡げながら、「私も使ってますけ
どね」……生駒は実感を込めて続ける。
「このご飯鍋がよく売れたんですよ。お米が立つと評判でね」「アメゆう煮込み・ご飯鍋」という小ぶりの愛らしい器には、「おいしいご飯は土鍋で炊く!」
というキャッチコピーが付いている。3合炊きというのも、夫婦二人か子供も入れて3人家
族、もしくはこだわり独身族用で、これを愛用する彼らの暮らしぶりをも彷彿とさせる。
「これ一つあると、生活が豊かに楽しくなる商品が必ず見つかるカタログを目指しています。
この鍋でお子さんもお焦げをおいしいものと知る、そんな休日の晩の『ごちそう作ったんだ
からご飯にもこだわろう』みたいな場面をイメージしたんです」
生駒は通販のプロパーではない。店舗で売場も経験し、総務本部人事部、営業本部を経て
2002年からの着任だ。大内もまたずっと店舗開発部門にいた。だからこそ、見えてくる
ものもあるのかもしれない。
三越の多様なカタログには熟年女性向けの『浪漫派』、Lサイズ・13号以上の女性向けの
その名も『 13ups』などあるが、大内がやはり男性として情熱を燃やすのが、男性客を通販
へ喚ぴ寄せることであり、そのために年二回発行している『紳士倶楽部』をより引き立てて
いきたいという。
『M's sky』という紳士・婦人のスポーツカジュアル専門カタログがあるんですが、そこ
で昨秋ゴルフ特集をやってみて、では初夏は紳士カジュアルだけで試してみようかと。もっと分母を大きくして取り込んでいきたいんです。
奥さんばかりでなく、ご主人だってもっとお洒落
したいはず。総合力タログはあくまで奥さんの視
線で作られていますが、『紳士倶楽部』はご主人
が自ら申し込んでこられますよ」
高島屋の佐藤も「紳士ウェアは伸び悩んでる」
と言っていたが、大内としても「売上げ規模から
いえば切り捨ての対象」。しかし、だからこそ
「チャンス」だという。
「今の60歳過ぎの方って、めちゃくちゃ元気じゃないですか。一番お金も持っている。
『紳士倶楽部』もこの2年は毎号、俳優の夏木陽介さんが表紙と巻頭を飾ってくれています。
彼がそこで着ている服が非常に売れるんだなあ。麻のスーツにマオカラーのシャツなんて組
み合わせ、誰にでも似合うってもんじゃないですよ(笑)」
ナイスミドルの典型だった夏木も最早還暦を過ぎたが、相変わらずダンディだ。そんな彼
に、家庭では浮きがちのお父さんが自己を投影したって罪ではない。そうしたくだけたやり取りがあって、急に大内がそわそわしだした。午後4時、『レディス4』(大内ら社員は「L4」と略称する)の時間が近づいたのだ。
この『レディス4』は、かつてフジテレビで『リビング2』として放送されていたが、二
0年ほど前に現在のタイトルに変え、局もテレビ東京に移動して脈々と続いている。長らく
司会を努めた高崎一郎(2003年二月、7一歳で勇退。現在は柴俊夫)は、ラジオ『オー
ルナイトニッポン』(ニッポン放送)の初代DJとしても高名。物腰はあくまで柔らか、し
かしトークは軽妙洒脱で、『レディス4』を一躍人気長寿番組へと引き上げた。
番組の中盤に、商品情報=通信販売を差し込むスタイルで(このコーナー直後から注文が
殺到する)、高級力二缶やカシミヤのコートなど扱う品の「ちょっといい物感」を漂わせる
雰囲気もお決まりだ。
なにしろ三越通販にI00億円以上、総売上げの25%強をもたらす番組だ。大内の慌て
ぶりにも納得がいく。私は駆け出す大内を見送りながら、同社を後にした。

全体的に下降傾向の百貨店通販

さて、高島屋、三越以外の百貨店が、通販にどう取り組んできたかについて簡単に触れてみたい。
1999年1月、東急日本橋店としてその生命を終えた白木屋(創業1862年という日
本最古の百貨店だった)も1904(明治37)年には通販を開始している。そのカタログ
『家庭のしるべ』は自社広告のみならず各社の広告を数多く掲載し、それでもって発行費の
足しにしていたのが合理的で面白い。が、193二(昭和7)年の大火で一4人もの犠牲者
を出し、結局、同社はその痛手から立ち直ることなく、55年には東急に吸収されてしまう。
同社通販がどのような終焉を迎えたかは最早知る由もない。
同じく呉服老舗としては松屋が1906(明治39)年、また同年、大丸が通販に乗り出
し、両社とも呉服店として培った信用を元手に、まずまずの成績を残したという。これらと
そう時期を置かずに伊勢丹、松坂屋、そごうなど有名店がこぞって通販に参入し、近代企業
然とした顔を見せたのだった。
第二次世界大戦後、高島屋に次いで通販を本格再開したのは大丸で、53年の東京進出が
契機だった。当時は電鉄系のデパートも出揃ったころで、63年には小田急が、67年には
京王がそれぞれ、一般顧客と電鉄の株主名簿をうまく利用して通販に取り組み始めている。
高度経済成長期の60年代、消費者の収入と消費のバランスが取れていないこの時期に、月賦販売チェーンとして一部上場まで果たした緑屋も通販を模索した企業だったが、大店舗
による寡占がはっきりしてきた70年代、既存の百貨店も月賦販売を積極的に手がけるよう
になり、その存在理由をなくして、最後には西武に吸収されてしまう(クレディセゾンが同
社の今日の姿だ)。
ところが、同様の業態の丸井は、若者への月賦販売は今後も衰退することはないと、新都
心に彼らの集まりやすい大型店を展開、見事にその困難期を生き残る。そして、現在丸井は
有料カタログ『流行通販VOI』を発行、書店やコンビニに置き、店舗でおなじみのブラン
ド商品を扱っている。コーディネート写真がメインのまったくカタログらしくないレイアウ
トは女性ファッション誌志向で、衣料品に特化した百貨店通販として、独自の境地に立って
いるといえよう。2000年には前年比25%増の150億円の売上げを記録しているが、
このところやや下り気味に推移し、2002年度では推定130億円強止まり。今後どのよ
うな巻き返しを図ってくるかが気になる存在だ。
ほかには、折からの不況により、9丁年には阪神が、92年には東武が、95年には小田
急が、・98年には伊勢丹がカタログ通販を休止している。

オンラインショップと百貨店

全体的に低調な百貨店のカタログ通販だが、その代わりオンラインショッピングに力を入
れる百貨店も増えている。
ネット通販に早くから参入したのは、三越、高島屋、そして両社に次いで通販自体に積極
的だった東急だ。この3社は95年ごろから、独自のサイトではなく、オンラインショッピ
ングモールヘの参加というかたちでネット通販に参入した。
特に熱心なのは高島屋で、97年にはNTTとの期限付き共同実験という名目で「タカシ
マヤバーチャルモール」を開設。自らがモール運営者となってテナントを募集したが、2年
後に日に3万件のアクセスを数えるようになっても、売上げにはあまり結びつかなかった。
そこで99年5月に実店舗との連動を図った上で、独自サイトをリニューアルし、現在に至
っている。
高島屋の場合、特定のセレクション商品を購入するスタイルで、カタログ通販との相乗り
は検索と受注に関してだけ。そのため、掲載の商品を仔細に検討することはできない。ただ、
ウェブ会員になれば、セクレタリー・サービスという、至れり尽くせりの買い物代行サービ
スが受けられる。商品を特定できる情報をメールで送れば、それが新宿高島屋にある商品だったら購入できるわけで、他店の店頭や雑誌で見つけて気になっていた品物でも、自宅にい
ながら入手が可能なのだ。
一方、三越はネットにおいても先進的。高島屋とは時を同じくして「オンリー・ユー」と
いう通販専用サイトを開設したが、これを見ると、完全にカタログとの独立的かつ連動的な
融合を見せている。つまり通販サイトとして、実店舗なみの充実度に加え、カタログ内の商
品とも相応に重複し、カタログ商品をネットで検討しつつ購入することも可能なのだ。扱い
商品数はギフト関連だけでも1300点にも上り、全体で4000点くらいはあるだろうか
(2003年4月現在)。
残る東急だが、東急ハンズが好調な同社らしく、近年、収納・生活雑貨『しまい上手』と
家具・寝具『リビングエッセイ』の二媒体に特化したカタログ展開で、順調に業績を伸ばし
てきた(2002年度売上高二28億円)。ネット利用に関しては、「e109」という直営店に
テナントを加えたモールを2000年6月にオープンし、「T-direct」という独自サイト
をその中に持っている。
2005年にはテナント数を2500店、売上げにして60億円を目標に掲げているが、
同モールを覗くと、とてもそんな盛況とはほど連い。それどころか、ライバル楽天市場内にも東急として店を構えている現状で、背に腹は代えられないといった真情が垣間見え、この
分野への進出は非常に困難だという定説を覆せないようにも思える。
しかし百貨店全体についていうと、実店舗に持たせられる表情は、量、質ともにさすがに
小売王者の貫禄がある。百貨店とは文字通り、百面相的リテール(小売)だ。これが、オン
ラインショップを含む通販で同じような多面性を持つことができれば、店舗⇄カタログ⇄ウェブという相関関係がよりよい調和を見せ、大変な底力を発揮しそうな予感がする。

流通革命と通販

流通革命が叫ばれ、スーパーや大型量販店、チェーンレストランな
どが誕生した1960年代。依然として我が国の通販は、健康、宝飾や
嗜好品、利用者のコンプレックスを煽る肉体改造や美容、向学心をく
すぐる通信教育関連分野などに占められていた。゛63年に設立され
た二光通販(現・二光)のように専業通販として知られる会社も出て
きたが、流通関係者はアメリカの総合通販および百貨店大手、シアー
ズ・ローバックなどの成功神話を間くにつれ、通販への憧れをかき立
てられていた。
70年代に入り、小売業の年間販売額は、70年の21兆7734億円が、79
年には73兆5644位円と、10年間で3.38倍もの急成長を遂げた。法的
な問題としては、'73年には大店法(大規模小売店舗における小売業
の事業活動の調整に関する法律)が制定され(翌年施行)、小売業
が無店舗販売に注目する契機となっている。通販業界だけを見ても、70
年にはわずか514億円にすぎなかった売上高が、'72年からはカタログ
販売の売上げが加えられたとはいえ、'79年には4300億となり、8.36倍
という驚異の伸びである(工業市場研究所調べ)。カタログ通販分野
において'70年代に顕著な動向には、'72年の西武流通グループとシ
アーズ・ローバック業務提携に始まる、海外大手と国内百貨店各社と
の提携ラッシュがあるが、このあたりもその後の専業カタログ通販の
躍進を前にしての時期尚早的取り組みに終わっている。
また'70年代の新機軸としては、クレジット信販企業の通販への乗り
入れがある。これは代引決済手段として利用されるばかりでなく、会
員誌や請求書に付されたパンフ類を通じ通販告知を行い、直接の売
買取引を契約者と行うことで、'64年に日本ダイナーズクラプが最も早く
取り組み、'60年代末にはJCB、ミリオン、'70年代に入ると、住友、ダイ
ヤモンド、ユニオンらが参入している。これも'70年におよそ10億円の
扱い高が、'79年には135億円と大幅な伸びを示している。
以降、JADMA(日本通信販売協会)発足が'83年ということからも
わかる通り、'80年代にはほぼ現況の通販の業態が出揃ってきた。

消費者にとっての通販

増えるトラブル
JADMAの200一年度「全国通信販売利用実態表」の中で、通信販売に感じるメリッ
トとデメリットに関する項目がある。それによると、メリット面の一位「時間場所を選ばず
利用できる」に、二位「入手困難商品が購入できる」が肉薄しているのが、ここ数年の顕著
な傾向といえよう。一方、デメリット面の一位は「商品を見て購入できない」。だが、これ
ぱかりはどうしようもない。
しかし、このデメリットゆえに、通販ではトラブルが絶えないのもまた事実である。そこ
で終章となる本章では、これまでの送り手側からの視点を変えて、消費者にとって通販がど
のように受け止められているか、また、どんな問題が生じているかについてくわしく見ることにしたい。1984年、「通販に関する消費者窓口」としてJADMA内に「通販110番」という
通販トラブルに関する相談窓口が設けられた。88年の改正訪問販売法(現・特定商取引に
関する法律)で、相談業務についての内容が定められ、2000年、協会がオンラインマー
クの審査機関になったのに伴い、相談体制も整備強化され、現在、消費
生活アドバイザーやコンサルタントなど、専門資格を有する相談員6名が交代で任に当たっ
ている。
ニ○○一年度ツ年間に通販110番に寄せられた、通販にまつわる相談総数は3915件
で、前年度に絞ペー78件も増加。110番には通販以外の相談も舞い込むが、それら(適
宜他の相談機関に紹介している)も含めると、計536一件にも上り、特に通販を隠れ蓑に
した、宛名書き内職、チラシ配り代理店や通販広告への投資などの悪質商法に関する相談が
多く寄せられている。

消費者相談のプロ

相談受付件数の推移

相談受付件数の推移

「ネズミよけ」くらいなら誇大広告にもならないものを「撃退器」と謳っちやうから『排除命令』ということにもなる」(JADMA消費者相談室相談員・田岡
真美)
そうした「大袈裟な触れ込み」では、他にも、折込利用で「効果がなければ全額返金」と
謳った非会員社のダイエット茶通販が問題となり、それだけで折込に関する相談件数が3
0%も増えたという。また、EMSベルトも類似品がいろいろと出回り、騒動が起きた。だ
が、そんな一部の心ない業者の悪質な事件は特例であり、多くは消費者との意識のズレや、
意思疎通の欠如から生まれているという。
苦情内容の内訳を見ると、それがはっきりしている。一位は「顧客対応」であり、これは
本来、なにか別の苦情原因で会社(外注先のコールセンターということもあるだろう)に連
絡したにもかかわらず、応対のまずさから、そこへの不満が二次クレームとなったケースが
多い。また問い合わせに関しては、ネット通販の浸透で「個人情報」に関する心配がここの
ところ急増している。商品別に見ると、家具・収納用品で「組み立て後の返品がきかない」
「配送が遅れる」などの、大型商品ならではの苦情が目立った。家電品も、宣伝と性能に落
差があると指摘されたスチーム・クリーナーヘの苦情が殺到。田岡らはこれを実際買ってき
て、使い心地を試したという。「賛否両論でしたね。『汚れが飛び散る』という意見もあれば、『お風呂の水垢もよく落ちる』
との声もあって……。用途によって違いが出てくるでしょう。ただ、通販の場合は広告自体
が契約内容を表すので、過剰な表現は謹んでもらわないと……。でも、煽ることも当然あり
うるので、消費者が自己を鍛えることも必要です」
通販の場合、商品が法に抵触するケースのうち、特定商取引法の不当表示の実例はそうは
ないのだという。広範囲にわたって、消費者の不利益になるものはもちろん取り締まられる
が、その見極めが、件のクリーナーのように難しいからだ。
「スーパーや量販店で買えば返品はきかなくても、通販だから問題になることも多いんです。
消費者はI00%正しい、となってしまう」
と田岡は、リスクのある商品は、それを買う前に十分考慮に入れるべきだともいう。
苦情の3位は家庭用品だが、これはあるテレビ通販で販売された接着剤に寄せられた相談
が大半を占めるという。「放送のようにくっつかない」「服地の裏まで染み出てしまった」な
どの声に、使用者の側の目的や使い方に問題がなかったかどうかをまったく無視して応ずる
ことはできない。接着剤の使用感など、それこそ千差万別だからだ。
非会員社の苦情で圧倒的に多いのはダイエット関連商品。

「最低の科学的知識は身につけて欲しいですね。食品で痩せるってことはあり得ないんです
から」(田岡)
また、3位の開運・招福商品にも「返金保証」を設けて販売する業者があり、そこが問題
を起こした。それらもまた「効果があった」という人がいるから、一概に否定できない。し
かし、表記に不備や不正がある業者は論外として、問い合わせがあることを前提に、それな
りの「注意義務を設けるべき」だ、という田岡の意見には私も同感だ。

クレーマーの増大が時代を象徴

報告書には相談事例集も付いており、会員社に問題点の整理を促している。一般事務用の
ラミネートコーティング機を、安さに惹かれて業務用に購入した「うっかり」例など、消費
者側に自分は「100%正しい」という思いこみがある典型例だろう。カタログに「加工速
度」表示の不備はあったものの、価格の差は歴然。これは利用者側に、仕事で使うものを買
うのだ、という吟味の気持ちが足りない。
また、こんな例もある。
通販で無添加茶を常時購入する男性が「いつも飲んでいる味と違う」と感じ、業者に問い

合わせた。すると、「アミノ酸のせいでは」との返事。男性は勝手に添加物が入れられたと
激憤し、110番に苦情を寄せたが、それは自然発酵でお茶の旨味(すなわちアミノ酸)が
より多く出た製品だったのだ。
これらのケースは、ほんの序の口。相談案件の中には、クレーマー予備軍を思わせるもの
も多い。大体、当事者間で話がこじれて、110番まで持ち込まれるのだから、田岡たちの
苦労も並大抵ではない。スカートの金具で指にケガをしたと言って苦情を寄せた女性も、よ
く聞いてみると、業者側の対応を素っ気ないものと感じて、怒りの火に油が注がれたようだ
った。後でその業者に確認してみると、彼女は「聞く耳を持たない」雰囲気だったという。
さらに、こんな複雑なケースもある。
新しくベッドを購入したら、その日以来、子供が目が痛いと言いだした、どうもベッドに
原因がありそうだと言う。会社は「すぐに返品を」と言うが、商品自体は気に入っているか
ら、組み立てサービスの不手際で折れたスノコだけ交換し、代金を割り引いて欲しい、と言

子供の目は結局どうなの? と、こちらが心配になってくる。だが、97年に施行された
PL(製造物責任)法では、製品の欠陥さえ立証できれば、メーカー側の過失の有無にかかわらず、「無過失責任」が問われることになる。この業者は若干の落ち度を認め、「お見舞い」
として値引きに応じたという。
それにしても、こうした「誠意を見せろ」的減額や金品の要求をする、いわゆる″クレー
マー被害″はよく聞く。田岡もその対策には頭を痛めているようだ。消費者側の倫理観の欠
如も、相談の中で明らかに目立つ。
「30点頼んだものを全品返品する人がいたり:・:・。まさに退屈しのぎといった感じです。
その場でお金は要らないから、浪費癖に繋がったり、買い物依存症にまでなる人もいます。
二百数十万円分、300点を一気に返品した女性もいて、その分前払いで料金は支払うんで
すよ。でも、返品と同時に『返金してくれ』と。ここまでくると、もう、ちょっと……」
業者にとってはとんだぬか喜ぴだっただろう。次にその女性の標的にされた別の業者は、
「怪しい」と思って大量注文を受理しなかったそうだ。ちなみに彼女は30代の専業主婦で、
子供もなく夫は仕事に追われて、誰ともコミュニケーションを取るでもなく、自分を孤独に
追い込んでいた様子だったという。そのやるせなさをぶつけたのかもしれないが、ぶつけら
れる側としたらたまったものではない。しかし、田岡はいわゆる「孤老」からの苦情にもそ
うした問題はあるという。

「まだ期限内なのに注文した品が届かないといっては、執拗に電話を入れることで、1人暮
らしの寂しさを紛らわせたり……。私たちへも、そんな感じで電話をされるお年寄りは多い
ですね」
どうやら通販にも、いや、通販だからこそ、そんな現代人の心の鸚りが映し出されている
ようだ。
「ソファの背もたれの花柄の位置がカタログの写真と違うから返す、とか、服の裏地に難ク
セをつけられたりで、通販商品はただでさえ穿った見方をされるんです。実際、手に取れま
せんから。消費者のほうも、もう少し寛大にバランス感覚を持っておつきあいいただければ
と思いますね」
主婦から相談員に転じた、という田岡は「相談者から、解決した後お礼の電話があった時」
の喜びを励みに、日々、受話器を握っている。

無言消費と有言消費の狭間で

通販には、右に掲げた以外にもまだまだトラブルが多い。売り手の顔が見えない、その人
柄が伝わらないもどかしさが、時として利用者の心を乱してしまう。いささか古いデータだが、博報堂生活総合研究所の96年の調査によれば、「なるべくロ
をきかずにモノを買いたい」無言消費派と「話をしながらモノを買いたい」有言消費派の割
合は、56・4%対43・6%だった。無言消費派にとって、商品知識は雑誌やネットなど
で得るもので、後はひたすら黙って1人きりの買い物の快適さに「浸る」わけだ。それが通
販受容の背景にはなってきた。
だが、無言派の心の内にも「有言」への誘惑はある。その葛藤は、深夜に繰り返し放送さ
れるテレショップの過剰なまでに饒舌な表現と、現にそれを支持する層が多数存在する事実
とのギャップに象徴的に現れている。こんなのホントかな、でも面白そうだから洒落で買っ
てみようかなーテレショップは、無言派がふと有言消費への誘惑に駆られる瞬間をつかん
でいるのだ。
JADMA理事で主任研究員の柿尾正之は「そんな″妖しさ″が、通販の原点であるのは
否めません」と語る。
「テレショップ的な面白商品が市場を拡大してきたし、これからもそうでしょう。夜店で香
具師の啖呵につられて、なにかおかしなものを買ってきてしまう。それでも、その買い物が
当人にとって楽しい経験として残れぱよいわけです」確かに、自ら夜店で貿ったものにいちやもんをつける人はいない。それがどんなものであ
ろうとも、買う行為自体がエンターテインメントだからだ。
柿尾は今後もテレショップは発展していくだろうという。
「2006年の全放送デジタル化により、現在よりもっと局が増えますが、どこもコンテン
ツが足りない。通販専門局以外にも、通販番組で補填していこうという傾向はさらに強まる
でしょう」
そして、「顧客に潜在する情報やサービス欲求を、いかにフィードバックする仕組みを構
築できるか」を柿尾は問題とする。つまり、顧客との親密度が双方向的に深まるような技術
や表現が達成されれば、「無言」と「有言」の間で揺れ勣く消費者の気持ちを、しっかりと
つかむことができるかもしれないのだ。
ということは、通販の新たな次元の扉を開く鍵はブロードバンドなのだろうか

通販に対して持つイメージは人によって多種多様だろう。カタログ、チラシ、雑誌の広告、
テレビショッピング。あるいは、バブル以降、沈滞気味の日本経済の中で唯一気を吐く、右
肩上がりの業界。ただし、その複雑な実像をつかんでいる人は稀なはずだ。
自宅に居ながらにして様々な商品が手に入る、この流通ビジネスの深みと可能性……。そ
こに魅せられて様々な現場を調べてご紹介した。
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