うつ病

うつ病と神経症の間

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うつ病と神経症の間

うつ病とは何か

このページではうつ病とまちがえられやすい精神的な病気を、うつ病とどう見分けるかという点に焦点をあてて解説しています。ここではまず、うつ病についての基本的な知識を述べておこうと思います。
人間はだれでも生涯に何度かはスランプに陥り、憂うつになったり落ち込んだりします。しかし、いつとはなしにそういった症状は消え、再び元気が回復します。ところが、いつまでも沈んだ気持ちが回復しないことがあります。これがうつ病です。うつ病はひと言でいえば気分の沈む病気で、人間の歴史始まって以来存在している病気です。しかし、どうしてうつ病が起こるのか、その原因の詳細は現在なお不明です。多くの原因が積み重なって発病すると考えてよいでしょう。
うつ病というと精神的な症状に目が行きがちですが、病気とともに必ずといってよいほど身体の症状も伴います。
精神的な症状として第一にみられるのは、抑うつ状態といわれる状態像です。この状態の基本は気持ちの沈みですが、直接に憂うつというばかりでなく、悲しい、淋しい、暗い、沈む、希望がない、自分がつまらない、などという気持ちに襲われます。このような気持ちは、程度の軽い場合は自分ひとりで悩み、他人に気づかれないことが多いのですが、しだいに程度が重くなると不安も強まり、親しい人に訴えるようになります。話さなくても、顔つきや声の様子、その他の態度などで、周囲の人は異変に気づくようになります。
このような抑うつ的な気持ちになると、だれでも同じようなことを考えて悩むようになります。これを抑うつ思考といいます。たとえば、自分はつまらないだめな人間だと自分を責めます。また、実際には自分にはなんの責任がないことでも、自分のせいにして、自分を苦しめます。さらに、自分が生きていくのに必要なお金や財産がなくなってしまったと思ったり、ガンなどの不治の病いにかかってもう助からないと思い込んだりします。この確信が強く、周囲の人がいくら説明しても修正不能の状態になる、これを抑うつ妄想といいます。
もう一つ、抑制症状といわれる行動の変化があらわれます。抑制がかかると、考えがなかなか進まなくなり、またいろいろなことがおっくうになって、簡単なことでも決断できなくなります。ひどくなると何も話をしなくなり、黙ってしまいます。
また、いらいらして、じっとしていられない、という激越症状も起こります。
以上のようなうつ病の症状は、1日のうちでも強弱の波があり、多くの場合、朝、起きたときに悪く、午後になると霧が晴れるようによくなります。
このような精神的な症状とともに、必ずといってよいほど身体的な症状も出てきます。うつ病に伴って起こる身体症状はうつ病特有の症状ではなく、だれもがよく遭遇するような月並みな症状であるため、見のがされることもしばしばあります。
主症状には、寝つきが悪い、睡眠がとだえる、早朝に目が覚めるなどの睡眠障害、食欲が低下する、吐きけ、嘔吐、胸やけ、げっぷ、食道や胃部の異常感、腹痛などの消化器症状、呼吸困難、胸部苦悶感、過呼吸症候群などの呼吸器系の症状、類縁、心悸尤進、狭心症様発作などの循環器系の症状、類尿、残尿感などの泌尿器系の症状、その他、口渇、発汗、めまいなどの自律神経症状です。次に、いつも疲れているという疲労感、疲れやすさ、エネルギー喪失感、さらに身体各部の痛みを訴えます。また性欲も低下します。
このような身体症状が目立ち、抑うつ気分などの精神症状が目立だないうつ病を「仮面うつ病」と呼んでいます。
うつ病は、治療しないで放置していても、3〜6ヵ月から1年ほどつづいたあとに、いつとはなく元の元気な状態に回復します。しかし、中には回復まで数年かかることもあり、また再発するケースもありますから、自然の回復を待っていればよいと考えるのはまちがいです。やはり早期発見、早期治療がたいせつです。早期に治療を始めれば始めるほど、治療効果は上がります。
うつ病にはいろいろの種類があり、またいくつかの分類法がありますが、どうしても知っておいてほしいのは、単極型うつ病(または周期性うつ病)と双極型うつ病(または循環型うつ病)に分ける分類です。
単極型(周期性)うつ病は、うつ状態だけが1回または繰り返して起こるものです。
双極型(循環型)うつ病は、うつ病相(うつ状態)と躁病相(躁状態)が起こり、その繰り返しがある期間つづくものです。躁状態というのは、うつ病とは逆に気分が爽快になって気力が充実し、意欲も亢進して、ふだんよりも活発な活動をする状態ですが、ふつうの社会的活動よりも活発すぎて、対人関係、社会活動にトラブルを起こしやすくなります。うつから躁への変換は、ほんの1日または数日間のうちに起こります。抗うつ剤を用いているときに躁状態が起きたら、抗うつ剤はただちに中止しなければなりません。

単極型うつ病と双極型うつ病

単極型うつ病と双極型うつ病


双極型うつ病は、単極型うつ病よりも再発を起こす傾向が強いようです。
うつ病の中には、体の病気に伴って起こるものもあります。このタイプを身体因性うつ病といっています。うつ病を起こしやすい身体症状には甲状腺機能亢進症(バセドウ病)または甲状腺機能低下症や糖尿病などの内分泌代謝疾患、インフルエンザや肝炎などのウイルス感染症、パーキンソン病や脳動脈硬化症、老年痴呆などの中枢神経疾患、慢性関節リウマチ、ガン、手術後、血液人工透析、出産などがあります。
また、各種の身体疾患に対する治療薬をはじめ、ある種の薬を服用しつづけていると、その副作用としてうつ状態が起こることがあります。これを薬剤起因性うつ病といっています。うつ病を起こしやすい薬剤には、レセルピンなどの降圧薬、抗精神病薬、経口避妊薬、副腎皮質ホルモン、抗結核薬などがあります。
うつ病の疾病分類

うつ病の疾病分類


うつ病の治療は、薬物治療と精神療法の二本立てで行われます。ここではくわしい説明は省略しますが、うつ病の治療に用いる薬剤を抗うつ薬(剤)といい、三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬、モノアミン酸化酵素(MAO)阻害薬などの種類が主なものです。薬物療法では一定期間の治療が必要です。また、抗うつ薬はどんどん改良されて、即効性が高くて副作用の少ないものが開発されていますが、それでも効果のある薬は、反面、必ず副作用もあわせ持っています。それをよくコントロールするのは医師の仕事です。その意味でも医師と患者は十分なコミュニケーションを持つことが必要です。じょうずに意思の疎通がはかられているときには、精神療法もうまくいっていると考えられます。精神療法の基本は人間的なつながりをつくることだからです。
以上、どくおおざっぱにうつ病のアウトラインを説明しました。うつ病には、確かになりやすい性格というものが存在するようです。たとえば、仕事熱心、こり性、徹底性、正直、きちょうめん、律義、強い義務責任感(執着性格)、他人に尽くしてしまうような対人関係などで、人間として好ましい性格傾向ともいえるものです。
このような人は社会的にも重用され、責任ある地位につくことが多く、またすぐれた業績を残すことのできる人です。そのために、各界の偉大な先人の中には、うつ病に悩んだ人々が多数いることは、古くから知られています。
日本では、宮沢賢治や石川啄木をはじめ、文壇で活躍した作家や歌人でうつ病に苦しんだ人は多く、彼等の作品を通してうつ病の心理状態を研究することも可能です。これを病跡学といっています。
また、世界に目を転ずれば、アメリカの大統領であったリンカーンやイギジスの首相であ。たチャーチルも、うつを病みながら偉大な事業を成しとげています。ゲーテ、トルストイ、ヘミングウェイ、ホーーソーン、バルザックなどの文学者、宗教家マルチン・ルター、科学者ダーウィンや心理学者フロイト、画家ゴヤ、ゴーガン、音楽家シベリウス、こういった鈴々たる人々がうつと闘いながら、りっぱな作品や業績を残し、人類の進歩に貢献しています。

不安神経症から、うつ病ヘ

発症当初は典型的な不安神経症であった症状が、長期間治療しているうちにしだいに、うつ病になってしまうケースがあります。これらは、うつ病とノイローゼの間の症状ということができます。症状が変わると、治療法も変更しなければならなくなります。
不安神経症の何パーセントがうつ病に移行し発作とまちがえて、不安神経症などと誤診するケースがしばしばみられます。
呼吸器系の症状としては、胸部の重苦しさ、ふさがれる感じ、息苦しい感じ、息切れ、窒息感、のどの狭窄感などがありますが、この症状が急性に起こると、吠拍がふえると同時に、胸部苦悶感、胸部圧迫感を訴え、さらに呼吸困難を伴ってくることもあります。非常に重症に思えるために、医師はついそちらに目を奪われてしまいがちです。神経症の場合は、再び起こるのではないかという予期不安が特徴ですが、うつ状態の有無などの症状や、これまでの経過なども参考にして区別する必要があります。
[症例1] 41才 女性 主婦
不安神経症から抑うつ状態を引き起こす
4人きょうだいの末っ子で、過保護に育った。高卒後、銀行に勤め、23才でエンジニアの夫と恋愛結婚。2児の母となった。
数年前から化粧品の販売員をしているが、これは近所の主婦がパートで仕事をしているのに、自分だけ家にいるのは世間体が悪いという理由による。性格は明るく社交的で活発だが、反面、意地っぱりで、妥協や協調性が少なく、負けず嫌いの傾向も強い。
38才のとき、かぜ薬で動悸や頚腺などのアレルギーショックを起こし、検査をしたが、原因薬の特定はできなかった。
その後、動悸、頚腺が発作的にたびたび起こるようになり、それに対する予期不安も強く、不安神経症と診断された。抗不安薬の服用で症状は少しずつ軽快し、再び化粧品のセールスを開始。
しかし、約半年後、全身倦怠感、疲れやすさ、焦燥感などの症状が加わったため、当精神科に入院。入院時は、発作への予期不安や薬に対する恐怖感、精神科入院に対するショックなどの不安も認められた。薬物療法と精神療法を行い、約2週間で退院。退院時の診断は不安神経症であった。
しかし、退院後数日で再び同じ症状が出現し、約1ヵ月後に二度目の入院をする。このころには不安のほか、抑うつ気分や絶望感が強く、ベッドの上ではげしく泣く状態だった。従来の抗不安薬では不安、焦燥は改善しないので、抗うつ薬を併用した。
以後、何回か同じような経過を繰り返し、しだいに全身倦怠、意欲低下などの抑制症状が目立ち始め、一方で不安症状は消失した。自殺志向など症状が悪化したため、3回目の入院となった。
入院時は、精神運動抑制症状が主で、終日べッドに横になり、早朝に目が覚めてしまう、何にも興味がない、決断力がないという状態だったが、不安や焦燥はほとんど訴えず、典型的な抑うつ状態と診断し、抗うつ薬で治療を行った。入院後二度、軽い躁状態となり、抑うつ状態はこの躁状態をはさんで約2ヵ月つづき、以後は快方に向かい、約1年後に寛解状態(症状が完全に消えた状態)に達して退院した。
[症例2〕46才男性自営業
急性不安発作のあと、うつ病に移行姉2人の末っ子のため、過保護ぎみに養育された。おが美容師のため、結婚を機にサラリーマンをやめ、妻を助けていたが、経済的に余裕がないので求職中であった。2児がある。性格は温和で社交的で、野心的、積極的なところは特にない。
昭和52年1月、31才のとき、夜間、急に心悸亢進、頻脈、胸部苦悶の発作があり、近くの医師を受診したが、異常なしということで帰宅。
しかし、父が心臓病で死亡しているため、その後もあちこちの病院で精密検査を受けたが、いずれも異常なしと判定されていた。しかし、心悸完進、領収などの発作とそれに対する不安が消えないために、内科医に心臓神経症を疑われて、53年7月に、精神科を受診した。これらの急性不安発作と、それに対する予期不安から不安神経症と診断して、抗不安薬投与と自律訓練法を指導した。
その後、不安症状はやや改善したが、しだいに全身倦怠、意欲低下、不眠傾向があらわれ、さらに無気力、抑うつ気分が加わりだした。反面、当初の不安や心悸亢進は消失していた。この時期から抗うつ薬が追加投与され、以後少しずつ抑うつ症状は軽快して、約半年間は順調に経過した。
しかし54年8月ごろから、再び動悸や頻脈があらわれ、それにつづいて集中力低下、取り越し苦労、早朝覚醒、無気力といった抑うつ症状が再燃したが、抗うつ薬で短期間で改善した。
その後、不定期な通院をしながら、比較的よい状態で経過していた。
56年2月どろから、胃部不快感、不眠などにつづいて、再び意欲低下、抑うつ気分などが起こり、自宅の一室に閉じこもることが多くなった。3月下旬から抗うつ薬を中心とした薬物投与をつづけていたが、4月下旬に自殺をはかり、幸い未遂に終わったが、その後、当精神科に入院した。入院時は、意識ははっきりしており、神経学的には軽い手指のふるえがみられるだけであった。精神的には抑うつ気分、意欲低下はほとんどなかったが、自殺を企てたことに対する自
責、将来への不安、軽い心気症状がみられたので、抗うつ薬を投与した。手指のふるえに対しては自律訓練法を併用して、ふるえはしだいにおさまった。一方、抗うつ薬は少しずつ減らし、一時的な人眠困難、早朝覚醒、抑うつ気分の発作はみられたものの、抗うつ薬をふやすことで乗り切り、退院した。退院後は外来通院で観察中であるが、経過は順調である。
■この2症例に共通した最も大きな特徴は、急性不安発作の症状で発病し、その後は予期不安、浮動性の不安を主症状に典型的な不安神経症の様相を呈したのちに、抑制型うつ病に移行した経過です。また、抑うつ症状が中心となる時期には、先に発症していた不安症状が消失していることも特徴的です。つまり、不安症状が先行し、やがてある時期から抑うつ症状に完全に変化しています。
一般に、うつ病における最も特徴的な症状は抑うつ気分、思考抑制、意欲抑制ですが、一方では不安も非常によく認められる症状の一つです。特に不安の著しいうつ病は、激越型うつ病と呼ばれて、初老期から老年期によくみられることが知られています。また、最近の軽症のうつ状態では、不安症状が著しく、思考や意欲の抑制症状は比較的軽いものも多く、これらについては神経症とうつ病の違いがよく鴎じられています。
一方、不安神経症の経過中にうつ状態を示すことも、臨床的にはしばしばみられます。外国の研究者の例では、不安神経症のうち、半数近くが二次的にうつ状態に陥るという報告もあります。もっとも、このうつ状態の多くは3ヵ月以内に軽快したとされています。日本でも、不安神経症のうち20%弱に続発性
うつ状態があらわれたという研究報告があり、この場合にも、うつ状態は二次的、続発的なもので、抑制症状は軽く、大半の例は一過性のものであったようです。
ここにあげた二つの症例のように、初めに不安神経症で発病し、その後に内因性うつ病像を示し、それとともに不安神経症は消失するようなケースは、初発は20代から30代が多く、現在年齢は大部分が30代から40代の壮年期です。また、不安発作で始まり、抑うつ症状はその後にあらわれるというパターンがすべてで、この順序の逆転した例はありません。その後の病相は、うつ症状で再燃することが多いのですが、まれには不安発作で再燃する場合もあります。また、不安発作から抑うつ症状出現までの期間が長いほど、抑うつ症状は思考や意欲の抑制が主体で、不安症状がまじっていることはなくなります。逆に、不安発作に引きつづいて、あるいは接近して抑うつ症状が起こる場合は、不安もまじった抑うつ状態になりやすい傾向にあります。
こういう経過をたどる症例については、先行する不安発作をうつ病の前駆症状ないしは仮面うつ病とし、全体をうつ病とみる見方が有力です。このような経過をたどるうつ病を「不安発作-抑制型うつ病」と呼ぶ学者もいます。
この2症例は、経過、うつ状態の特徴、薬剤効果などから考えて、うつ病の一種とするのが適当であろうと思います。しかし、うつ状態を分類した日本の研究に照らし合わせてみても、このような病前性格(病気になる前にもともと持っている性格)を持ち、不安神経症像を含めた経過をたどる例は、いずれの分類にも該当しがたいのです。外国では、うつ病に不安症状を伴うものと伴わないものに分けて研究する例も出てきています。
このような症例は、治療反応からは確かにうつ病とするべきでしょうが、先行する神経症をうつ病の前駆症状ないし仮面うつ病とするべきか、不安神経症とうつ病の合併と考えるべきかは、なお今後、検討を要すると思われます。

ヒステリー神経症と、うつ病

うつ病の病相期(病いがあらわれている時期)にヒステリー症状がみられることがあるのは、古くから注目されていました。また、うつ病患者が精神症状や身体症状の苦悩をおおげさに訴えるときなどは、ヒステリーのようにみえることがあります。胸部苦悶感、痛み、漠然とした感覚異常、失神、マヒ発作、失立(立っていることができない状態)、央歩(歩くことができない状態)などが主なものですが、遁走、自殺ほのめかし、自己非難、偽痴呆、離人症状などもみられる場合もあります。そのため、うつ病をヒステリー神経症と誤診するおそれがあります。
ヒステリーでは、症状があらわれても苦しんでいる様子が少なく、むしろ病気になることに無意識の満足を感じているようにみえる面があるのに対して、うつ病では、真の不安、罪悪感、がんばろうとする努力、全般的な抑制症状などがみられるので、ほとんどの場合、経過をみるまでもなく区別ができます。ヒステリーになりやすい性格は、虚栄心が強く、自己顕示的で他人の注意を引きたがり、暗示性に富み、自己中心的、未熟、依存的で感情浅薄で気が変わりやすいといった性格であるのに対して、うつ病の病前性格はこれとは大いに異なりますから、この点からも見分けることができます。
しかし、中には一見まぎらわしい例もあり、私の経験でも、うつ病の初診時に、みぞおちが詰まってしびれたような感じ、胃からのどへかけてまっすぐ突き上げるような感じ、きゆっと息がしにくくなる、体がしびれてくる、頭と胸の酸素が少なくなったような感じ、声が出にくくなるなどの症状をみた例があります。また、机にうつぶせになって、大きなため息をつき、夫に背中をさすらせていた例もあります。
声が出ないとか、ヒステリー症状のために精神科医にヒステリー神経症と診断されていた例もあります。しかし、これらの例はいずれも、うつ病が完全によくなる前に、ヒステリー症状はうそのようになくなり、ヒステリー性格などもみられなくなりました。このほかにも、ヒステリー性格者がうつ病に
なって、ヒステリーが起きた例や、種々の合併の例があります。
精神科医の間では、ヒステリーをみたら脳腫傷を考えろという格言があるくらいで、ヒステリー症状はてんかんや症状精神病をはじめ、種々の状態でみられます。意識障害と気づきにくいような軽い意識低下が起こっているときにも、ヒステリー様の症状があらわれることがあります。
[症例3」 51才 男性 会社員
肝臓病とうつ病が合併して発病
働きながら定時制高校を卒業した。妻との間に一男一女がある。入社後、一貫して現場の仕事をしたが、4年前に庶務課に配置がえになり、気苦労が多くなった。さらに勤め先の組織改変の話もあり、自分の将来にも不安をいだくようになった。また、それ以前から肝臓障害があったが、しだいに悪化して肝硬変となり、健康に対して不安を感じるようになった。
その2年後どろから、夕方になると気分がめいるようになった。秋には義母が脳卒中で入院したこともあって気苦労も増した。その翌年4月ごろから気分の落ち込みがはげしくなり、6月には入眠障害、途中覚醒があらわれ、食欲もしだいに低下してきた。なんとなく口数が少なくなり、活気がなくなっているのに家族も気がつくようになった。また、そのころから週に一度くらい仕事中に頭がボーッとなり、集中力がなくなって気が遠くなるようになり、同月下旬
には、この症状が2〜3日に1回、20〜30分間あらわれるようになった。それでも一応日常生活はこなし、毎日出社していたが、ある日、勤め先からの帰り、ビヤガーデンでビールを飲んで帰宅したが、だれとどこのビヤガーデンに行ったのかなどをはっきりと思い出せなかった。
その翌日、会社へ行くといって家を出たが、気がつくと大阪に来ていて、自宅に電話を入れてから駅の近くのホテルに泊まり、夕日帰宅した。その次の日は1人で外出し、友人の墓参りをして、それから弟の家へ行くと家へ電話したが、1日じゅう河原をブラブラして夜の7時過ぎに家に帰った。この4日間の記憶は断片的にぼんやりしか残っていなかった。
このあと当精神科外来を受診して、即日入院。入院時は活気に欠け、動作も緩慢で、表情はやや抑うつ、また計算力は保たれていたが、月日などの見きわめがあいまいだった。肝硬変があったため、当初は器質性脳症候群、特に肝性脳症が疑われたが、その所見はなかった。
その後、抑うつ気分の存在が明らかになり、抗うつ薬を投与したところ、気分もだいぶ落ち着いてきたと話すようになった。早朝覚醒と疲れやすさがなくなるまでにその後2週間ほどかかったが、入院後約1ヵ月半で退院した。退院後は調子のよい状態がつづき、現在は職場の診療所でコントロールを受けている。本人と病院、職場間の連絡もうまくいっている。
[症例4] 34才 男性 会社員
遁走を繰り返すうつ病
子どものころから生活は苦しく、自分で学資を稼ぎながら中学を卒業、東京に出て就職した。29才で結婚、一男一女をもうけ、家庭での問題はなかった。結婚後まもなく、出張先でスカウトされて転職、故郷に転居した。主として営業関係の仕事を担当、本人が現職についてから営業成績も上昇し、1年前ぐらいから会社の経営も拡大した。このころから仕事に対して精神的な負担を感じていたが、ゴルフで気晴らしをすることで気分転換をしていた。ところが、最近はその仲間がいなくなり、ほかに気晴らしもないまま、仕事に専念する日々がつづいた。このようなおり、9月末に妻の兄が急死してその葬儀があり、それにつづいて東京へ出張、昼夜をわかたぬ接客で夜間の不眠がつづいた。帰宅後、過労のため寝込んでしまい、近所の内科に10日間入院、退院後1週間の休養でやや疲労も回復して出社したものの、妻が夫の異常な緊張感を感じ、心配事の有無を尋ねて励ましたということもあった。 11月6日、いつもと変わりなく出勤したが、会社で上ばきのサンダルにはきかえたあと、社から姿を消してしまった。その後、本人は午後5時過ぎどろ、国道を大阪方面に向かって歩いていることに気がついた。家に連絡をと思い電話をしたが、妻によると、何もしやべらず、「パパですか?」と聞いても返事がなく、しばらくして「もうだめだ」と話したので「心配しないで帰っていらっしやい」と答えて電話を切った。その後しばらくして雨にぬれて帰ってきた。この日の日中のことは何も記憶していないと本人は述べている。それから10日後の朝、妻には夫の緊張した表情が感じられたが、平常どおり家を出た。午後4時どろ社長からの電話で、本人が出社していないことがわかった。警察に捜索願いを出してさがしていたところ、夜中12時過ぎて電話がかかり、本人の所在がわかったので迎えに行き、
その足で精神科診療所を受診した。この日の本人の記憶によると、「朝いつものように家を出た。どこでバスをおりたのかわからないが、おりたところで海がみえた。その後、別のバスに乗ったが、どこ行きのバスかは覚えていない。その後は記憶がなく、気がついたときは周囲は真っ暗になっていた。午後10時どろJRの駅がみえた。それから一生懸命家に帰ろうとしたが、わからないので電話をした。人が迎えにきてくれて自宅に帰ったのかと思ったら、そこは精神科診療所だった」。この2回目の遁走の翌日、当精神科に入院した。入院後は抗不安薬を使用、会社のことを忘れてのんびりし、疲れをとるようにと指導した。対人関係や職責がストレスとなっているのではと思われたが、本人は語りたがらなかった。心理テストの結果では、本人は行動全体のコントロールのよくきくタイプ。しかし、情緒面で非常に無力感が強くなることがあり、そのような場合に抑圧ないし孤立化する傾向がみられた。状態が改善したので、肉体的、精神的過労に陥らないように、予防的な心構えについて話をして、約1ヵ月後に退院した。その後は断続的に外来での治療がつづいた。
一時は表情もよく、だいぶよくなったようであったが、退院からちょうど2年後に不安感が増大し、頭重感やいらいら感があらわれるようになった。半月後には熟眠感がなくなり、気ばかりあせって仕事上での判断ができなくなったため、外来で受診、うつ病と診断された。
一男性のヒステリー神経症では遁走は珍しくありません。古くからヒステロ・デプレッションという言葉があり、ヒステリー症状とうつ症状を併合したような症例に用いています。うつ病でも遁走がみられることがあります。遁走というのは、家人に知らせずに突然、無目的に家庭や職場から離れて徘徊したり、旅行したりする逃避行動です。この間のことを忘れてしまっていることもあります。
ここにあげた二つの症例も、遁走が主な症状であり、ヒステリー神経症と診断され、その後うつ病と診断が変更されました。うつ病が目立ちにくかったケースです。
遁走を起こすうつ病には、いくつかのケースが考えられます。まず、うつ病患者の病前性格がヒステリー性格であったり、以前にもヒステ
リー症状を起こしたことのある症例では、ヒステリー神経症による蒸発や遁走の場合が多いようです。
しかし、抑うつを基盤にした遁走は、ちょっと様子が違います。自分の可能性のギリギリの限界まで仕事や課題にチャレンジして、しかも仕事の質を落とさずやりぬこうとし、うまくいかなかったときの過労のきわみのような状況の中で遁走するとか、平均以上の能力を持つ意志の強い人が、うつ病による思考や作業の抑制のために自分に不満足な感じをいだき、自負心や名誉感情などの自意識との葛藤を起こして遁走に走るケースもあります。また、抑うつを回避するために遁走することもあるようです。
無意識的な自殺のかわりに遁走するケースもみられます。また中には、自殺しようとして家出し、逡巡して帰宅し、結果的に遁走になったという例もあるので、遁走のみきわめには注意が必要です。

恐怖神経症と、うつ病

恐怖神経症は、ある特定の事柄に対して、強い不安をいだく気持ちが、繰り返し起こってく
る神経症です。具体的には、対象となる事柄はさまざまですが、
⑴恐怖の対象が自分の外へ向けられたもの。たとえば高所恐怖、閉所恐怖
⑵社会的な恐怖。たとえば対人恐怖、動物恐怖
⑶恐怖の対象が自分自身に向けられているもの。たとえば疾病恐怖、不潔恐怖などです。中でも、日本では対人恐怖が特異的に多く、日本の精神的風土と関連性を持つといわれています。
対人恐怖の内容を詳細に観察すると、赤面恐怖、視線恐怖、ふるえ恐怖、異形恐怖などさまざまですが、いずれも、対人的対応にある種の悩みを持つものです。その結果、社会性が保てず、自分に自信を失って抑うつ的になりやすいと指摘されています。
そのため、恐怖神経症が起こった場合には、うつ病との区別が必要になります。また、もう一つ指摘しておきたいのは、精神分裂病の初期症状として恐怖神経症的な不安が起こることがある点です。患者が20代、30代の若年である場合には、ことに注意して観察する必要があります。恐怖神経症に伴う抑うつ状態に対しては、驚異的に有効な薬剤はありませんが、恐怖神経症は強迫神経症とも共通した基盤があるので、強迫神経症に準じた治療、つまりクロミプラミンなどの抗うつ薬や、抗不安薬の中でもブロマゼパムを用いてみるのも一法です。
[症例5】 36才 女性 主婦
疾病恐怖、乗り物恐怖、不眠恐怖に苦しむ
2人きょうだいの妹として生まれたが、母が病気がちのため、幼稚園のころまでおじの家で育てられ、自分のほんとうの母親がわからないほどだった。おじの家では祖母にかわいがられた。小学校時代は友人も多く活発で、おてんばであったが、気が小さいところもあり、アデノイドの手術の際は死ぬのではないかと大騒ぎをした。母が兄ばかりをかわいがるので嫉妬し、父親っ子として育つ。
中学校時代はピアノに熱中し、勉強にも意欲的で学校は1日も休まなかった。いちばん充実して楽しい歳月だった。
高校は、音楽を優先したかったので1ランク下げた学校に入学した。しかし周囲の友だちが不まじめで男女交際をしている様子が不愉快に思え、なじめなかった。しだいに内向的になっていった。高2のとき、父が単身赴任先で急死。そのときは、自分の人生がなくなったようなショックを受けた。学校もしばらく休んだ。大学受験勉強中の18才の誕生日に、食べすぎて二度吐いたのが契機となって、その後は食事をしようとすると吐きけや動悸が起こるようになった。食思不振、体重減少、便秘、下痢などの症状がつづくため、いくつかの医院を受診したが、内科的な異常は発見されなかった。
その後、心療内科に入院し、催眠療法を受けたがよくならず、1カ月で退院。食べ物をみただけで吐きけを感じ、1年間で体重が58キロから40キロに減少し、入学した短大も休学した。
翌年は服薬で一時軽快したが、秋の試験のころから吐きけが強まり、登校不能となって退学した。
21才のときに、体重減少が著しく(33キロ)、心療内科にまた入院。このころから母にべったりとつきまとうようになった。
25才のころ、列車の中で動悸、吐きけ、手足のふるえが起こり、その後、乗り物に乗ったり、人込みの中に出ることができなくなってしまった。その後、症状は一進一退で、母から自立しようとひとりで下宿をしたりした。乗り物恐怖症を除いてはかなりよくなった。
33才で、現在の夫と見合いをして、自信はなかったが、母が強引に話を進めて、34才で結婚した。結婚した日から不眠症状があらわれて、2週間入院、服薬でなんとか眠れる状態だった。その後も、眠曲薬を飲まないと眠れない状態がつづいた。実母の提案で、近くにアパートを借り、姑と別居して暮らすようになったが症状は不変だった。実家に戻るとよく眠れる。このころ夫が血清肝炎で入院。本人は泳がだるく、何をする気力もなくなり、気がふさいだ。火が退院するとともに不眠が増強、当精神科に入院。
入院時の検査では抑うつ的な気分がかなり強く、生き生きした感じに乏しく、暗く思い詰めたような表情で、笑頗はみられなかったが、コンタクトは良好で精神病を考えさせる所見はなかった。しかし不安は強く、不眠および不眠に対しての不安感、乗り物恐怖、主婦としての自信が持てない不安を訴えた。
不眠をターゲットに治療を開始したが、不眠は強く、薬の欧をふやしても1日に3〜4時間しか眠れなかった。また眼前薬に対する不安も強く、薬剤については知識が豊富で、わずかの投与量の変更にも薬がかわったと神経質に訴えた。薬については医師にまかせるように話し合う。本人の性格は融通性、柔軟性に欠け、こだわりが強く、きちょうめんである。病陳でも終日ベッドであみ物をし、特定の患者以外とはあまり話をしない。夜、決まった時間には必ずパジャマに着がえるという生活パターンであった。
約3ヵ月後に1週間ほど外泊、自宅に戻ったが、外泊中はよく眠れたようだった。帰院後の面談で、自分はセックスに対する嫌悪感が強く、夫のことが原因で眠れないことは、うすうす自分でも気がついていた。今回の外泊でそのことを夫に伝え、話し合うことができた。外泊中は性交に抵抗がなかったという話をした。
その後は迫加薬なしで眠れるようになり、一時不眠の再燃もあったが、対人交流もふえてきている。
現在は、夫の肝機能が思わしくなく、疲れている様子なので、自宅に戻りたいと希望。いまなら、不眠のこだわりもほとんどないし、主婦としてもやっていく自信が出てきたと話している。
[症例6」 25才 女性 無職
中学時代に対人恐怖.で発病、しだいにうつへ
3人きょうだいの末っ子。家業は県下有数の酪農業。父が苦労して一代で築いた事業である。母は父親の3人目の妻で、父は祖母が原因で二度離婚している。母は現在ノイローゼ(あるいは、うつ病かもしれない)だが、発病前はよく気のつくやさしい母親だった。
祖母は異常性格であったと思われる。一つのことをいいだすと感情的になり、母親に刃物でけがを負わせたり、家を飛び出したり、かなり問題のあった人物のようである。
両親が働いていたので、家事を手伝うなど、明るくてよい子だった。祖母を恐れる一方で、なついてもいた。小学校入学後、テストの点が悪いと祖母からせっかんされるようになった。中学に入ったころから、常に周囲から圧迫感を感じるようになり、対人恐怖が始まり、みんなから嫌われていると思って悲観し、こわくなった。このころから自覚的な憂うつ気分が感じられるようになってきた。中2で、一時期過食嘔吐があらわれ、中3で母親が発病したため家事いっさいを手伝うようになるが、しだいに倦怠感が強くなり、人前に出るのもいやになり、自殺をはかったことがある。体重は60キロを超えた。
高校生活はがんばったが、内面は抑うつ的で陰気だった。高卒後、大阪に出て就職。太っているのが気になってあまり食事をとらず、また全身倦怠感、抑うつ気分、消化器症状が悪化し、短期間に10キロもやせた。翌年になって、短期間に2人の男性と交際するようになり、楽しい気分で仕事もばりばりで
き、睡眠は2〜3時間でだいじょうぶだった。しかし男性との交際が終わると電話の音や人
がこわくなり、自室にこもって寝たままになり、過食も始まり20キロも太った。そんなこともあって退職し、帰郷した。
実家では悲哀感が強く泣くばかりで、自殺のおそれがあったので当精神科を受診、一時よくなったが刺激を受けやすく、入院した。入院後は抗不安薬(カルピプラミン、プロマゼパム)に反応してよくなり、まもなく退院。以後一進一退し、この間に妊娠中絶や就職、退職、結婚、離婚などを経験した。結婚は見合い結婚で大儀とも思ったが、喜びもあった。しかし夫の暴力もあり、うまくいかなかった。離婚してから就職。その間、男性との交際を繰り返し、調子のよいときもあったが、倦怠感、頭重感、脱力感、抑うつ気分も強まり、帰郷して、当精神科に入院した。
入院後も抗うつ薬では改善はみられず、精神病恐怖、対人恐怖を訴えて落ち着かなかったが、抗不安薬の追加でやや落ち着いた。1カ月たって本人と母親の希望で退院。
退院後、外来に来ないため電話連絡をすると、父親が電話口に出て、「本人は母親といっしょにある新興宗教に参加し、いまは自分がきつねであるといっている」ということだった。
父親はその話を信じておらず、精神分裂病になったのではないかと心配しているようであった。
心の病いを治ナ場合、薬物療法、精神療法に加えて家族への指導は欠かせない。その点でこの症例は成功せず、心残りである。

強迫神経症とうつ病

強迫神経症や強迫的傾向のある性格の人は、うつ状態を起こしやすいと指摘されています。強迫性格の特徴は、きちょうめん、倹約、我が強い、規則好き、ロやかましい、形式や道徳にこだわる、他人に対して支配的で押しつけがましい、自分に優位な立場をいつも守るといったことがあげられます。逆にいうと、あたたかでやわらかな感情を表現する能力がないともいえます。自分の目標水準も高く、それに到達できない自分を悩み、落ち込んだり抑うつ的になったりします。また、うつ病患者の病前性格としては、日本人の場合は執着気質が多いことが、下田光造教授(九州帝国大学医学部・1978年没)の研究で判明しています。具体的には、仕事熱心、こり性、正直、きちょうめん、正義感や義務感が強い、ごまかしやずぼらができないといった特徴を持っています。これらの特徴は他人から信頼され、わが国では理想像とされがちですが、現代社会ではストレスに押しつぶされる危険も持っています。仕事上の過重負担から神経
症的状態になりやすく、やがて抑うつ状態へと進みやすいのです。
強迫性格と執着性格には共通した点が多く、執着性格、強迫性格はうつ病になりやすいといえます。
臨床的にみても、強迫神経症は抑うつ状態を起こしやすく、うつ病の中には病相に一致して強迫症状があらわれるといった関連性を示す症例があります。
元来、強迫傾向のある人が、うつ病になったときにさらにそれが強まることもありますが、ふだんは全くそういうことのない人に、うつ状態のときだけみられるということもよくあります。
私の扱った患者さんの例では、2階にいるとき犬にほえられたという体験のあとで、かまれていない、と繰り返し自分にいいきかせないといけないとか、どはんが食べられなくなるのではと気になって、無理やり一気に食べてしまうというような行動が起こったが、うつ病の改善とともに消え去ったということがあります。そうかと思うと、非常に強い強迫症状があり(うつ病症状は全然なし)、しかも難治性であったものが、ある時期に急速に消滅し、その後しばらくして軽い躁状態があらわれた例などもあります。
強迫症状を持つうつ病と、強迫神経症患者が二次的に不安、焦燥、うつ状態になっている場合の区別は、経過をみないとはっきりしない場合も多いのです。
外国の研究者の研究によれば、神経症患者のほうが、いらいら、確認や再確認の衝動、しみやよどれに対する嫌悪感、物事をしつこく繰り返す傾向、過度の良心性などがより強く、日常生活への影響が大きくてトラブルになりやすく、繰り返しをやめにくいのに対して、うつ病患者は、強迫症状に対して抵抗することや、強迫症状に妨げられることがより少ない、したがって耐えやすいという傾向にあるということです。
強迫とうつの関係は深く、古来、いろいろと議論されているところです。
[症例7】 32才 男性 会社員
強迫症状と自殺企図で苦しむ
2人兄弟の兄。小学校6年生から登校拒否が始まり、中学の3年間はあまり登校できず、なんとか卒業。浪人のあと、4年かかって高校を卒業。一浪して一流大学二部に入学、25才で卒業したが、このころから神経症を自覚したため、精神科医にカウンセリングを受けた。職は持たず、ブラブラしていた。
29才のとき二度にわたり衝動的に服薬中の精神安定剤を多量に飲んで自殺を企てたが、大事には至らなかった。その後、就職が決まり、最初の1カ月は研修期間で楽だったが、実際に仕事につくようになってから抑うつ気分があらわれるとともに、以曲からあった強迫症状、つまり記入もれがないか何度もノートを読み返す動作があらわれるようになった。また、会社から帰宅後も何もする気がなくなり、すぐに寝てしまうという日がつづいた。夜間、何度も覚醒し、熟眠できなかった。ひと月後より会社を休みだし、苦しいという訴えで家に閉じこもったままだったが、衝動的に左手くびを切って自殺をはかり、当精神科を受診、入院した。入院当初に、以前からある強迫症状で出勤できなくなったことに対する抑うつ症状が本人の口から述べられ、本人が自分の性格に過敏になっていることがわかった。このことから、神経症の圏内にあることが予測できた。治療は薬物療法を中心に行った。
入院により社会から避難できた安堵のためか、抑うつ症状は早々に改善された。病棟内では対人の接触性もよく、紳士的なふるまいもできていたが、自分の詩集を病棟の気に入った看護婦にプレゼントしようとしたりする、少々とっぴな行動も認められた。
書きまちがいにまつわる強迫症状は、本人にとっては長年の固定観念めいたものがあり、常にこだわりたくなるものであった。
治療は順調に進み、本人みずから再度、職場復帰したいという希望であったので、本人自身かなり不安もあるようであったが、2ヵ月後に退院となった。現在も、外来で治療中である。
〔症例8〕 64才 女性 主婦
不潔恐怖と抑うつ状態で生活がルーズに
2才のころに熱性けいれんを起こしたことがある程度で、成育に特別なことはなかった。
現在は夫と2人暮らし。夫は典型的な九州男子であり、妻に対して威圧的、ときには暴力をふるうこともあったようだ。
43才のときに不潔恐怖の神経症が発症し、その後、血便を契機に心気神経症的となった。57才のとき、当精神科を初診し、強迫神経症の診断を受けた。犬のふんや尿、除草剤に対して不潔恐怖が強く、二次的に抑うつ状態も示した。薬による治療を行ったが、しだいに1日じゆう床についた生活になり、日常生活もルーズになっていった。
4年後、当精神科に第1回入院。うつ状態がひどく、意欲低下、食欲不振、不眠などの症状が認められた。約60日入院したあとに退院。外来治療をつづけたが、本人はほとんど通院できず、夫が薬をとりに来ることが多かった。薬の効きめも低下していった様子で、床につく生活になってきたため、主治医の判断で入院をすすめたが、本人は入院すると以前の不潔恐怖が再発するのではと心配して、入院をこばんでいた。しかし、翌年2月下旬に入院する気になり、生活リズムの修正を目標に、約1ヵ月という約束のもとに入院となった。このときは、表情はおだやかだが、身なりはかまわず不潔で、近くに寄ると悪臭がただようという状態で、入浴は正月以来していないとのことだった。
入院までの生活パターンは、朝9時から10時どろ起床、洗面に30分から40分かかり、昼前ごろに朝食を少しとり、そのあとはすぐ横になってしまう、起きるのはトイレのときぐらい、不眠がちで、食事もあまりとれないというようなものだった。夫との関係も相変わらずで、本人の強迫行為に対して、夫がすぐ攻撃的になるということを繰り返していた。入院当初、院内の生活リズムに合わせて生活する一方で、確認行為に対しては、一つの事項につき1回に限って保証を与えることにした。当初は午前中に抑うつ気分が目立ったが、しだいに解消され、1週間後にはリズミカルな生活が送れるようになった。
その後、試験的に外泊を行い、本人、夫、主治医の三者で面談をした。面談の中では、夫は「前よりは少しは動くようになったが、まだまだ・・」とあまり積極的な評価はせず、確認行為、強迫行為、何もせずぼんやりしていること(無為)に対して攻撃的な態度で対応してしまうようだった。そのことでまた本人も強迫行為が増すことになると認めていた。予定どおり約1ヵ月のちに退院。現在も外来で治療中だが、夫には、患者が努力してできた面を評価し、サポーティブな対応をするよう指導、けっしてしかったり、怒ったりしないようにと要請している。また本人には、できることはがんばってやっていく姿勢を示し、なるべく夫に負担をかけないように生活してみることをアドバイスしている。
一以上2例は、いずれも強迫神経症が時間をヘて、うつ状態を併発した症例です。いずれも現在加療中でもあり、実態については、今後の経過をみなくては正確につかめないといえます。薬物療法の観点からいうと、強迫神経症に対しては、抗不安薬の中でも強力なプロマゼパムや、セロトニン強化作用の強い抗うつ薬、クロミプラミン、トラゾドンが有効であることが実証されています。
外国ではすでに発売されていますが、日本では目下試験中のセロトニン強化剤であるフロオキセチン、フルポキサミンなども強迫症状や抑うつに伴う強迫症状に対して有効であるといわれてます。また、強迫観念は自分で処理するという態度も必要です。

抑うつ神経症と、うつ病

抑うつ神経症(神経症性抑うつ)は、すでに述べたように神経症の一つの亜型として出てきます。うつ病とは本質的に異なるものであるとする見解がある一方で、両者の類似点も多くみられます。
しかし、抑うつ神経症という言葉は、精神科医の中でも異なった意味に用いられていることも事実です。抑うつ神経症に対して、神経症性うつ病とい
う言葉もあります。この言葉の概念は少なくとも二とおりあります。
一つは重度のうつ病.を精神病性というのに対して、それほど重症でないものを神経症性というケースです。重症というのは、たとえば精神機能の障害が強く、日常生活を行うのが困難で、自分が病気であることがわからない状態、また昏迷が強く、妄想や幻覚なども伴う状態をいいます。
もう一つは、症状の上で神経症的な特徴を持ったものをいうケースです。つまり、誘因や状況、ストレスの影響がより大きく、神経症性の性格がかなり関与していると考えられるものです。この場合は、はっきりと神経症的メカニズムを持ち、本態は神経症ですが、抑うつ症状を主にあらわします。抑うつ神経症と同義語として使われます。抑うつ神経症や神経症性うつ病という名称は、意味があまりにも混乱しているため、この名称を使わないほうがよいとしてい
る人もあります。抑うつ神経症の特徴をあげると、一般に抑うつ感情は軽度で、食思不振や体重減少、抑制などはないか軽い、罪責感情は少なく、むしろほかのせいにしたり、周囲に対する易怒性(怒りっぽさ)や攻撃性がある、自分をあわれむ気持ちが強い、不眠はどちらかというと入眠障害が多い、1日のうちの変化がなく、状況に影響されやすい、経過が長いといったことです。これらは神経症の特徴と重なり合うもので、抑うつ感情があることで一般の神経症と区別されますが、ほかの神経症でもよく憂うつを表現しますから、いっそうまぎらわしくなります。
うつ病と抑うつ神経症の境界は明瞭でなく、症状もオーバーーフップしているので区別は困難です。神経症的な症状を持っていても、のちに典型的な内因性のうつ病のようになることもあり、さらに躁病相が出現するうつ病から双極型うつ病になる症例もあるなど、これまでの経過を正確にとらえたり、長期にわたって観察することが最も重要です。
区別の困難な例では抗うつ薬を試みるのがよいと考えますが、抗うつ薬に反応しにくいケースもあり、精神療法、環境調整などが、より重要です。経過も状況に影響されて変動し、慢性化しやすい傾向にあります。抑うつ神経症は長期間そのまま持続する症例も多い一方で、特定の期間繰り返し経過したあとで、うつ病の病相に発展する症例もあることはすでに述べたとおりです。
なお、DSM-Ⅲでは、抑うつ神経症は躁うつ病圈の中に分類されていて、うつ病の診断基準を満たさない程度の気分の沈みを経験する症例が、それに該当します。
〔症例9〕 22才 女性 学生
研究の失敗がきっかけで抑うつ状態に
父母と姉の4人家族。母は友人的存在であり、姉も頼りにできるよい姉で、家庭的には問題はない。本人は看護学生で成績優秀。3年生の夏に、実習研究に失敗して自信を喪失した。自分がいやになって泣き出し、学校をやめたい、死にたいと思った。
9月は登校したが、10月、11月は2週間ずつ行ったり休んだりの繰り返しだった。学校で注意されるとカッとして死にたくなり、10月には3回手くびを切ったが、痛いので途中でやめた。寮に住んでいたがいづらくなって、下宿に移った。
やがて下宿の家主ともうまくいかなくなり、寝ていることが多くなる。ウトウトした状態で「殺してくれ、もうすぐ死ぬから。自分はかわいそうだ」などといっていた。また、ボーイフレンドのことで父と対立して、カッとして死にたいと思い、まねどとのような首つりや薬の大量服用をした。話をしていても、途中で泣き出すことが多かった。12月に入って当精神科を初診し、入院を予約。下旬から少し調子がよくなった。1月はじめに入院。入院時は抑うつ感情やい
らいら、不安感が強く、すぐ泣いた。感情は変わりやすく、ポーイフレンドの話になると表情が晴れ晴れする。演技的反応も目立った。性格テストの結果は、幼稚で感情のコントロールができず、ヒステリー性格を示す。約2週間入院し、以後は外来で治療している。
〔症例10〕28才 男性会社員
就職の挫折から自律神経失調症状を起こす
父は鉄工所を経営。外向的な母と気が強い姉との4人家族。少年時代は友人も多く、明るく活発だった。中学では野球部に所属、成績は中の上だった。高校ではオートバイに興味を持つが母親に反対され、運転中転倒したこともあってやめた。高2のころ、姉の影響を受けて服飾に興味を持ち、卒業後は服飾の専門学校へ進みたかったが、母親に反対され、結局、私立大学の経済学部に進学した。
大学卒業後は、希望する就職先がなく、3〜4ヵ月家業を手伝っていた。しかし、単純作業でおもしろくない、体もしんどいということで、親戚の紹介で繊維の卸し問屋に就職し、インテリア関係の営業を担当。2年後の春に寝具担当に配置がえがあり、その1カ月後から、目の白い部分が充血し、頭がポーッとしてすっきりしないことに気づいた。6月どろから全身倦怠感、吐きけ、胸やけなどが起こり、検査のため2週間入院。2年後、同僚とけんかし、相手はけがをして入院手術。会社から、明日から来なくていいといわれ、自分でも行きたくないと思っていたからちょうどいいと退職する。退職後は生活リズムが乱れ、外へ遊びに行っても楽しくなく、自宅に引きこもりがちとなる。けがをさせた相手から慰謝料を請求されたこともあって、不眠、
いらいら感が起こった。片頭痛もあり、いくつかの医院を転々とするが、異常はなかった。翌年、慢性副鼻腔炎を手術。手術前後に顔のしびれ感、めまい、下痢が起こった。その翌年、4月からサラリーマンとして就職したが、2ヵ月勤めたあとで、吐きけ、全身倦怠感、食思不振がひどくなり、終日寝ている状態になり、当神経科を初診、9月に入院した。入院時は、吐きけ、めまい、動悸、下痢などの自律神経症状が表面に出ており、抑うつ気分はあまり目立たなかった。表情はやや緊張ぎみだが話しぶりは自然で、思考制止はなかった。
入院後1週間で自律神経症状は軽減したが、その後も吐きけ、めまいが発作的に起こる。また、しだいに自分の病気や将来に対しての不安を話すようになったが、具体的な目標などは不明確なままで、内省力に欠ける傾向がみられた。10月中旬からグランダキシン(抗不安薬)を投与し、吐きけ、めまい感も軽快。入院2ヵ月後に退院。以後は外来での通院治療中である。
[症例11〕 23才 女性 幼稚園教諭
対人関係のストレスから、うつ状態で入院
2人姉妹の妹。主に母に養育され、子どものころは友人も多く、明るい性格だった。成績はいつも上位で、病前の性格は明るく外向的だが、わがままなところもあった。
短大卒業後、幼稚園の教諭となる。最初の1年は園長にも気に入られて、期待されていた。
翌年になると、園長とうまくいかなくなり、園長は新しく入った新人のほうを気に入り、本人の悪口をいうようになった。12月どろから頭の後ろに膜が張ったような感じがして、調子が出ず、気分が重く沈んできた。1月に園長にひどくしかられ、それ以後不眠が始まり、自分のしていることがわからないというようになった。幼稚園にも行かなくなり、脳外科を受診。しかし、ますますいらいらして落ち着かなくなり、1月下旬に自殺未遂を起こす。
その後、不眠、疲れ、無気力、憂うつなどの症状が一進一退し、しだいに抑うつ気分が強まり、無口でほとんど外出しないという状態になり、8月に当精神科を受診し、入院となった。
■これらの症例は、古典的な抑うつ神経症とは趣を異にし、うつ病と神経症の境界に位置するケースです。逃避型抑うつとか退却うつ病、退却神経症と呼ぶ人もいます。これらには、次のような典型的で共通した点があります。まず、高学歴の人が多く、学生時代はこれといった苦労もなく楽しく過ごしています。ところが就職してまもなくか、配置がえや転勤などを契機に(症例9の場合は学生時代の失敗がきっかけですが)、抑うつ的になります。
しかし、いわゆる古典的な抑うつ神経症にみられるような神経症的葛藤や神経症症状はあまりみられず、どちらかというと葛藤には無縁の恵まれた生活をしてきていて、過保護ぎみに育てられた例が多いようです。このタイプの抑うつ神経症は、近年増加の一途をたどっています。
このパターンの抑うつ神経症では、患者は病気の自覚に乏しく、自責的であるより他責的に傾きやすく、したがって受診にも拒否的になることが少なくないのです。性格的には未熟で考えの甘さがありますが、学生時代までの破綻の少ない時期には、あまり問題になりません。しかし、何かのきっかけで発病すると、性格的問題が目についてきます。こうした逃避型の抑うつ神経症も広い意味でのヒステリー傾向であり、抗うつ薬などの薬物療法は初期的効果として効くだけで、本質的ではありません。精神療法も動機づけがむずかしく、軌道にのせることが困難で、治療にはさまざまな課題が残されています。

離人神経症と、うつ病

離人症状は離人神経症の中心症状ですが、うつ病でも、また分裂病でもみられます。離人症状はそれほど多くはありませんが、うつ病と神経症との区別を見誤らないようにしなければなりません。うつ病のほかの症状の有無、既往の周期性の有無、経過などに注意して判断する必要があります。離人症状とは、外界の実在感がなくて、絵でもみているような感じとか、ベールを通してみているような感じになったり、自分が考えたり、行動しているという実感がなく、何事にも感情がわかず、自発的な心が動かず、生きている実感もないなど、非常に苦しい症状です。うつ症状が客観的にはそれほど強くないのに自覚的訴えが強く、持続的で医師に依存的で、抗うつ薬にも反応しにくい湯合も多いものです。神経症との違いが問題になる例もあります。
しかし、多くはなくても、病相期以外は全く問題がなく、内因性の病像ではっきりした周期があるタイプで病相期だけに離人症状があらわれる例もあります。また、悲しいという感情さえ感じられないというような状態もかなりみられます。離人神経症または離人症状に対して、残念ながら驚異的に有効な薬剤はありません。私の経験によると、抗うつ薬と抗不安薬の併用が一般的に有効なようです。場合によっては抗精神病薬を使用することもありますが、あまり目立った効果を示したものはありません。精神療法的アプローチは、神経症に対する基本的な精神療法を実施します。うつ病相に伴う離人症状に対しては、うつ病治療に準じた治療を行い、離人症状についての特別の対応をする必要はありません。また、離人症に伴ううつ病相に対して特異的に効果のある抗うつ薬もみいだされていないのが現状です。

心気神経症と、うつ病

心気神経症の症状は一般に、ありふれた体験をきっかけに不安な気分をいだき、現実とはほど遠い判断をして、自分は重大な疾患にかかったと思い、それにとらわれている状態です。このように、健康状態に対して強い不安を持つことは、正常者の心配の中にもみられます。
また、特に初老期以後の年齢層には、日常的にみられるものです。そこで、その心配が正常なものなのか、神経症のものなのか、判然とした区別がつきにくいという側面を持っています。加齢に伴い、だれでも持ちやすい心性、老人心性の中のかなりの部分を心気症が占めていることも明らかです。また、うつ病者にみられる悩みの中にも心気症状があり、うつ病の進行とともにそれが妄想的になることさえあります。「自分はガンにかかっている」「何度検査をしても異常がみられないのは、医師が隠しているのだ」といった、半ば妄想的な確信にまで及ぶことはよくあるこ
とです。長期間、心気神経症として精神療法を受けていた患者さんが、紹介されて当精神科外来に来られたことがあります。
それまでの経過をよく聞くと、心気的な訴えは確かに目立つものの、不安のない時期もあり、私はむしろうつ病を疑いました。次の症例です。この患者さんはその後の経過中に躁状態が出現し、躁うつ病と判断されました。
[症例12〕 60才 女性 自営業
病気にこだわる心気神経症が実は躁うつ病
性格は外向的で意志が強い。会社を事実上経営し、経済的には心配はない。現在の夫とは再
婚。54才で動悸がして心臓が止まりそうになった経験がある。その翌年に腰痛が起こり、以後何回か再発した。
59才のとき、けいれん発作(本人の訴え)も起き、不治の病いではないかと疑い出したために夫のすすめで当精神科を受診し、入院した。不眠の訴えもあったが、しだいに、腰痛は減少し、便秘に対する訴えに変わった。いったんは抗うつ薬で訴えは減ったが、その後は「便秘や尻がやせるのは背骨が悪いため」という訴えがつづいた。あちこちの痛みがつづいたが、約8カ月入院して退院。
自宅療養中も食欲低下、不眠、臥床傾向がつづいたため、再入院する。このころから「腰痛は背骨がおかしいので治らない。それより困るのは便・・・ バナナの皮のようなものが出た」とか「内臓が出た。形でわかる」というような奇妙な訴えがつづいた。その後も病状は一進一退で、4ヵ月後に本人の希望で退院。退院後も同じような状態だったが、半年後に不眠が消え、体重が増加し、腰痛の訴えが消えた。さらにその3ヵ月後には「痛まないし、寝るときに背中と足があつい」と述べ、家での家事をすべてこなせるようになったという。その翌月には軽い躁状態が出現し、早朝覚醒も認められ、来診時は派手な服装をし、多弁であった。約7ヵ月たった現在も、やや落ち着いたものの、軽い躁状態がなおつづいている。
〔症例13〕 54才 女性 主婦
体の不安が絶えず、
入退院を繰り返す
おとなしい、口数が少ない性格である。夫とは26才のとき見合い結婚をした。夫は再婚で9才の女の子がいた。先妻は病死。夫の仕事が思わしくなく店を売って、貸家にしていたところに住むようになったり、義理の娘が実母と同じ病気になって大金を使ったり、苦労が多かった。38才から、夫の反対を押し切って工場勤めを始めた。義理の娘は結婚したが、まもなく病死した。
49才のとき、全身鯉急患で検査をしたが、異常はなかった。この前後に夫の浮気に気づく。以後、身体症状は消えず、病院をわたり歩いた。51才のとき、母が急性肝炎で入院、その直後に本人も肝機能検査を希望して、肝炎と診断されて入院した。喘息と脾臓疾患もあるといわれ、あちこちの病院で入退院を繰り返す。このころ央の浮気の写真をみつけた。その後、不安が強くなったため当精神科を紹介されて入院。入院当初は面談でいままでの経過を事こまかにせきを切ったように話したが、要領を得なかった。央の浮気のことをなじる一方、前回の入院中は、しじみのみそ汁を毎日持ってきてくれたともいう。この段階では心気症が疑われた。検査の結果では身体症状の訴えとともに抑うつ傾向が強く、神経症尺度は異常域まで上昇していた。また、対人関係に敏感で自己中心的な考えが目立ち、ときに被害的になったりした。ヒステリーの可能性も考えられた。歩行障害も起こり、痰のからまりも訴え、主治医に攻撃的な態度をとることもあった。しばらくして夜間覚醒があらわれるが、本人は喘息のせいといい、当直の医師を呼ぶようにとアドバイスすると、迷惑をかけるからよいと語る。また胃や舌にも障害ができたといい、その他の身体的不安も多い。
この症例13は、抑うつ、心気、ヒステリーの各神経症の症状を持っており、診断が困難な例です。治療面でも夫の理解が得にくく、長期にわたって治療中です。
 
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