精神分裂病、境界型人格障害とうつ病
精神分裂病と、うつ病
思春期にうつ状態を繰り返しているうちに、精神分裂病症状が出現してくる症例があります。分裂病の前駆症状として神経症の症状があらわれる場合で、症状は抑うつ、心気、離人、強迫症状などが主なものです。このようなケースでは、病気の初期からこれは神経症であるとか、精神分裂病の始まりであると確実に判別するのは非常に困難なのです。若い人で、うつ病で治療していてもどうも経過が思わしくない、抗うつ薬もはかばかしい効果がないという場合は、一度、精神分裂病を疑ってみる必要があります。
精神分裂病というのは、思春期から青年期にかけて多発する病気で、100人に1人くらいの率で発病するといわれています。分裂病の症状は患者によってかなりまちまちな様子を示します。基本的な症状の特徴は人格全般に障害が及ぶことで、特有な思考・意欲・感情の障害がある決まった形で出現し、自閉的で風変わりな生活態度や社会生活のレベルの低下が起こります。幻覚や妄想、作為体験などの自我障害がみられ、病識(病気であるという認識)を欠いているのが特徴です。原因は身体的なものと心理社会的なものとが複雑に重なり合っていると考えられていますが、本態はなお不明です。薬物療法などの治療が進歩する前には、分裂病は難病とされ、悲観的に考えられていましたが、現在では回復する例が激増しています。
分裂病がうつ症状で初発することはかなり多く、初期には病識があり、自分で受診することはよくあります。うつ状態が典型的なうつ病のようにみえるときは、専門医でも分裂病症状が出るまでは判別できないこともあります。
しかし、ひどくうつ的にみえるのに訴えが少なかったり、訴えに連係性がなく、急に訴えがなくなったり、再びあらわれたりします。顔の表情には自然なやわらかさがなく、心の中に入っていけない感じや冷ややかさがある場合は、分裂病が考えられます。同時に、精神活動全般にわたる不調和の印象があり、訴えが強いのに悲観や自責傾向が少なく、表情や行動がそぐわなかったり、こちらに共感されにくかったり、人を避けて自分に閉じこもりがちであるといった特徴があります。
うつ病の場合も人に会うのが苦痛でやむなく避けますが、そのことに自責感が強く、会おうとする努力がみられるのが異なる点です。しかし、重症のうつ病で妄想がみられるようになると、態度が変わってくることもあります。
一方、精神分裂病が分裂病症状で始まり、急性症状が消えたあとにうつ状態が起きることもあります。これも広義にはうつ病なのですが、本態は分裂病のうつ状態です。
また分裂病が一応よくなった場合、これから自分はどうしていけばよいのか、どうすべきかなど自分の将来を考えるようになります。実際には再適応が困難である場合が多いのです。そうするとこの適応の困難なことや環境からの厳しい影響で抑うつ的になるといわれています。ひどい場合には深刻になって自殺を企てることが起こるのもこのころに多いものです。
分裂病が慢性化して、無為、自閉、感情鈍麻が進行している場合は、何かをしたいという意欲が根本的にわかなくなってきます。
これに対してうつ病では、しないといけないと思い、一生懸命やろうとするのですが、ブレーキがかかって進まない状態にたとえられます。
躁症状、興奮症状、うつ状態など、起伏のはっきりした感情障害を周期的に繰り返し、同時に病気が悪い時期には分裂病特有の、悪口や指図、幻聴、被害妄想、関係妄想、させられ体験、滅裂思考などが起こり、やがて治るというような、うつ病と分裂病の特徴を兼ねそなえた症例もあります。これを国際疾病分類では分裂情動型分裂病といって精神分裂病の一つのタイプに入れていますが、DSM-Ⅲ改訂版では、分裂感情障害として躁うつ病圏内でもなく、精神分裂病でもなく、ほかにどこにも分類されない精神病性障害の中に分類されています。
このような状態をどう考えるかは、多くの意見がありますが、私は躁うつ病の圏内に近いものと考えています。病名はともかくとして、そういう特徴を持ったケースはあまり珍しいものでもありません。カルバマゼピン、リチウムなどの感情調整剤や抗精神病薬や、場合によっては、抗うつ薬などの併用療法が必要です。精神科医としても多少の経験を必要とすることも事実です。
[症例1] 22才 男性 無職
神経症的な訴えの治療効果が悪く、分裂病が疑われる
父は造船技師、母はパート勤務、弟が1人いる。本人によると、幼稚園のころから機敏さに欠け、機転がきかないところがあった。あまり楽しい記憶はない。小学校入学時には学校がこわいところに思え、ランドセルをもらってもうれしくなかった。小学校を通じて、友だちと話すのが苦痛に思える感覚があった。勉強はよくできた。
中学に入ってテニス部に在籍し、友だちができたので少し調子がよかった。しかし中2で転校してからはいじめられるようになり、気分がめいって楽しい感覚が失われていくように感じられた。精神的にも肉体的にも疲れやすく、学校に行く時間になっても寝ていて、父親にたたかれたのを覚えている。高校受験が近づき、いままであったものがなくなっていく感覚が強く、自殺念慮(自殺を考えること)もあり、自分ではそのころからうつが始まったと思うが、きっかけがなくていいだせなかった。外見的には変化はなく、食事もとり、学校にも通った。
高校に進学したが、気分的には最悪な状態だった。勉強もわからないし、クラブ活動に参加する余裕も尨く、慢性的に思考力や意欲が低下
し、強い対人緊張感、自殺念慮があった。
高2のとき自宅で急に胸が苦しくなり、顔面蒼白となって内科を受診した。別に異常はなく、紹介されて当精神科を初診。このときは自覚的な憂うつさがあり、対人緊張感や自己不全感(自分が自分でない感じ)が推察された。医者に病気ではないといわれて、とてもショックだったとのちに語っている。
高卒後、大学の経済学部に進学し、自宅を離れた。初めのうちは友だちができ、コンパにも参加したが、なんとなく授業に出席できなくなってからは自暴自棄になり、下宿でビールや焼酎を飲んでまぎらわすこともあった。友だちはやさしかったし、大学に不満はなかったが、1年の後半から休学。意欲低下、抑うつ気分、対人緊張感が強く、自宅に引きこもり、外出もままならなくなって、19才の4月に当精神科を再診、大学は退学を決意した。
再診時にも強い緊張感と言語表出の乏しさ(困難さ)があり、神経症よりは内因疾患、精神分裂病初期が疑われた。しかし幻覚、妄想、独語、空笑(意味なく笑うこと)などは起こっていない。診察時には症状を訴えるでもなく、20分ばかり沈黙したまますわっているような状態がつづき、投薬もあまり効果がなかった。
面接中の会話はしだいにはずまなくなり、自分の症状が少しもよくなっていないと治療への不信を語った。このような状態で1年を経過し、来院の足も遠のきがちであったが、7月下旬に外来を訪れ、発狂恐怖、不眠、強い不安、焦燥を訴え、主治医に「不眠がつづき、見るもの聞くものすべてがいやになった。手くびを切って死のうか、飛びおりようかと考えたり、いまのままだとぼくは何をするかわからない、人を殺すかもしれない。感情が全くなくなってしまった」と声をふるわせて語った。
この日に入院となった。精神病性の不安が強く疑われた。抗精神病薬の投薬により不眠、焦燥感、発狂恐怖は鎮静化したが、抑うつ気分、心気症的不安と離人感が強く残って、「どんどん病気が悪くなってくる。このままだめになる」という訴えがつづき、強迫傾向もみられた。
しかし訴えのわりに、病棟での行動は比較的安定していて、碁や将棋などを通してほかの患者とも接触でき、作業にも参加している。しかし情緒的な交流は少なく、自閉傾向がみられた。
一進一退しながら、相変わらず離人感が強く、意欲低下も再燃傾向である。
[症例2] 32才 男性地方公務員
思春期からの幻聴、抑うつ、自信喪失で入院
父母との3人暮らしをしている。妹は3年前に結婚して2児の母親となっている。母方の親族に精神病院に入院の既往の人が複数いる。両親とも働いていて、小さいころの思い出はずっとカギっ子だったことだという。小学校のころは活発な子でいたずらもよくした。中学校に入るころから陰気になった。
工業高校時代はこれといったこともなく無為に過ごした。高3のとき、留守番をしていて急性アルコール中毒を起こして近所の医者に駆け込むという事件を起こし、このときに甲状腺機能亢進がみつかり、約1年間服薬した。
卒業後は大学進学を希望したが、どこも受験せずに浪人、近くの予備校に通い出したが、思うように勉強がはかどらず、気分的に落ち込んで自閉的になり、予備校をやめた。このころ人が話をしていると自分のことをうわさしているように思え、発作的に家出をする。このときは歩いていると、だれもいないのに後ろで話し声がしたような気がしたという。
高卒後2年たって再び進学を希望し、上京してアルバイトをしながら再度予備校に通い出したが、中学時代に痛めた右ひざが痛み出して、3ヵ月で断念し、家に戻った。
22才のとき心機一転、公務員になることを目ざし、通信教育で勉強して公務員試験に合格、配属先も決まった。このときが、それまでの人生でいちばんうれしかったという。
勤め出して4年ほどは順調だったが、その後、仕事上の失敗が重なったり、父親が病気で倒れ、家計を支えるために収入のかなりの部分を家に入れなければならなくなって、しだいに、気分がふさぎがちになっていった。
27才のときに転勤したが、新しい仕事は希望していたものではなく、仕事に自信が持てずに抑うつ気分が強まり、1年間休職した。
翌年職場に復帰したが、女性関係のもつれや仕事の失敗から再び自信を失った。そのころ自宅近くにアパートが建ち、アパートの窓からの光が気になって夜眠れなくなった。
31才で、希望の部署への異動がかなったが、仕事がむずかしくて困惑することが多く、注意力がなくなり、同僚とも話ができず、車での通勤時に周囲の車がみんな自分をみているような感じがするようになった。
11月になると自信喪失がひどくなり、人の目が気になって自宅に引きこもり、仕事を休むようになった。27才のとき自分から受診して以来、断続的にかかっていた病院から、当精神科を紹介されて、12月に外来受診し、中旬に入院となった。
入院当初は表情や言動から不安や焦燥を伴う抑うつ状態と思われた。また人の視線が気になったり、コミュニケーションがとりにくく、自分の顔を鏡でみるのがいや(醜形恐怖)という訴えもあった。自分はうつ病ではなく、分裂病なのではという訴えもきかれた。しかし親に対する尊敬や感謝の念を書き記したり、妹の子どもが実家に来たことをうれしく思うというような情緒的な面はある。入院後1か月で、表情や態度が自然になり、気分も高まっていった。
■この二つの症例はよく似たところがあります。抑うつ神経症は成長発達段階で起こした可能性が高く、以後何年かの経過をへて精神病性のニュアンスが大きくなっています。潜在性の分裂病が考えられます。効果的な薬物療法を探り出し、精神療法的なかかわりをどう持っていくべきかが大きな課題になると思われます。
一般に、神経症の中でも、抑うつ神経症、心気神経症、離人神経症、強迫神経症は、長い経過をたどって分裂病に移行しやすいと考えられています。それに対して不安神経症、ヒステリー神経症はノイローゼのままとどまることが多いようです。
境界型人格障害とうつ病
人格障害というのは、人それぞれの人となりをつくり上げている人格の構造が病理的であることをさします。ドイツ精神医学でいう「精神病質」と同じことなのですが、精神病質というと先天性の障害があったり、治療不能というイメージが強いために、最近はアメリカ流に「人格障害」という言葉を使うようになりました。
人格障害の起こる頻度はけっしてまれなものではなく、軽い人格障害はおそらく10入に1人以上あると思われます。境界型人格障害もその一つのパターンで、最近急激に増加する傾向にあります。
境界型人格障害(Borderline Personality Disorder)は精神的な発達段階で、自分の人生の目標や価値観を見いだすことができないままに経過し、情緒不安定で衝動的な行動をとりやすい人格特徴を持っている人格異常のことです。
この人格異常は、同様の傾向を持った母親に育てられることで生じやすいともいわれています。
また、自分が見捨てられるという恐怖と淋しさと抑うつ感情に支配され、怒り、抑うつ、無感動、絶望、空虚感などの感情体験を繰り返します。しかも、衝動の自己コントロールがきかず、家庭内暴力、過食、盗癖、浪費、アルコールや薬物依存、性的逸脱行為などを起こしやすく、その破壊衝動が自己に向かうと自殺企図になります。
この境界型人格障害の患者は、しばしば抑うつ的になるので、うつ病との見分けが重要になります。また別の研究によると、境界型人格障害の人が精神疾患にかかった場合には、最も多いのはうつ病であるということですから、両者には近縁性があるものと思われます。
DSM-Ⅲ改訂版では、境界型人格障害の診断基準を以下のように定めています。
気分の不安定、対人関係の不安定、自己像の不安定さが基盤で、成人期早期に始まり、種々の状況下で明らかになる。
以下のうち少なくとも5項目により示される。
⑴過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ、不安定ではげしい対人関係の様式。
⑵衝動性で自己を傷つける可能性のある領域の少なくとも二つにわたるもの。たとえば浪費、性的逸脱行為、物質(薬剤その他)乱用、万引き、無謀な運転、過食(⑸に示される自殺行為や自傷行為を含まない)。
⑶感情易変性。正常の気分から抑うつ、いらいら、または不安への著しい変動で、通常2〜3時間つづくが、2〜3日以上つづくことはめったにない。
⑷不適切ではげしい怒り、または怒りの抑制ができないこと、たとえば、しばしばかんしやくを起こす、いつも怒っている、けんかを繰り返す。
⑸自殺のおどし、そぶり、自殺行為または自傷行為などの繰り返し。
⑹自分の人生の目標を立てることができない、または以下の少なくとも二つ以上に関して決定できないこと。自己像、性的行動の規範、長期的目標または職業選択、持つべき友人のタイプ、持つべき価値観。
⑺慢性的な空虚感、退屈の感情。
⑻現実の、または想像上で見捨てられることを避けようとする異常な努力(⑸に示される自殺行為や自傷行為を含まない)。
[症例3] 22才 女性 学生
動悸、吐きけ、全身倦怠感の身体症状と抑弓つ、不安が混在
2人姉妹の妹で、父は仕事熱心だが、本人には甘い。母はきちょうめんな性格で教育熱心、本人には過保護ぎみ、過干渉ぎみに接してきた。本人の性格はきちょうめんで、中学生どろから極端な完全主義の傾向が強かった。成績は常に一番でないと気がすまない。しかし、わがまま、短気、内気、消極的な一面もある。
中・高校も成績は優秀だったが、小学校時代とくらべておとなしくなり、友人も少なかった。
中2のとき、英語の弁論大会が苦痛で大会直前に腹痛、下痢、嘔吐が起こり、結局、大会には出席できなかった。この過敵性腸症候群を以後、テストの前などに繰り返すようになる。
18才で東京の大学に進学して、大学の寮に入るが、同室の上級生が夜おそくまでさわいで眠れないので下宿に移った。以後、下宿を転々とするが、どこにも長くはいられなかった。
大学入学後1年間はだいたい通学できたが、2年になった年の6月、コンタクトレンズを落としたのをきっかけに、動悸、吐きけ、全身倦怠感が起こる。同時に戸締まり、ガスの元栓への確認強迫が出現する。この後は帰郷と上京を繰り返す。
3年生の4月に上京するが、動悸、吐きけ、全身倦悪感が強いため、すぐに帰郷。以後は実家にいても同じ症状が出るようになった。10月から抑うつ気分や自殺念慮が強くなり、手くびを切ったため、12月に当精神科に入院。
入院時は、抑うつ気分と不安感が強く、動悸、全身倦怠感もあっべ同室の患者に対する緊張の訴えもあった。抑うつ状態は2〜3週の間隔で強弱の波があるが、持続する。主治医や面会に来る母親に対して攻撃的で、「一生ここに入院させておくのか」とはげしく攻撃する。外泊途中に家出をするなどの問題行動も目立ったが、行動化のあとはケロリとしていて、抑うつ、不安も改善している。ある歌手のコンサートに行くことに強迫的にこだわり、かなわないとはげしい怒りとともに抑うつ、不安が強くなった。医師と患者の関係は不安定で、信頼関係が形づくれないまま退院した。
退院後は母への依存と攻撃がいっそうはげしくなった。「おまえが悪い」と母の髪の毛を引っぱり、なぐるけるの暴力をふるうが、翌日には「お母さん、どめん」と謝るという状態だった。しかし、家庭内暴力はしだいにエスカレートし、「殺してやる」と包丁を手にすることもあった。動悸、全身倦悪感はつづき、昼間もほとんど横になっている。コンサートの切符を注文するのに、返信用切手を入れたかどうか心配になり、何度も確かめるといった強迫行為も出現している。
[症例4] 38才 男性 会社員
発作的な体のしびれ感、不快感とともに抑うつ症状に
父とは長期間の確執があり、母と2人の姉に過保護に育てられた。性格は外向的で派手好きだが、くよくよしやすい。家庭ではわがままで小満が多く、依存的である。仕事は調子に乗るとよくやるが、きちょうめんさはない。
結婚後、35才のころから、体がだるい、頭痛、胃炎の兆候があり、内科医に慢性胃炎、貧皿、低血圧といわれた。 翌年、体じゆうになんとも表現しがたい不快感、しびれ感が再三発作的に起こり、うつ状態になり、死ぬのではないかと思って仕事も休み、内科に入院。この間、妻を片ときもそばから離さず、心身の不調を訴えつづけた。このころは、不況のため会社の業務成績が悪化しており、それを挽回しようと社長に進言して採用された企画も・フイバルの邪魔で失敗に終わり、社長の本人に対する評価も低落して、会社ではつらい立場にあるときだった。
2ヵ月入院して再出社したものの、1日行っただけで我慢できず、内科の紹介で当精神科を受診。このときは母、妻、姉2入を同伴する。
初診のときの様子は、診察机の上に身を投げ出して、苦しそうで入院させてほしいとのことだった。精神症状は抑うつ、悲哀、死にたくないが死んだほうが楽だという意味の自殺念慮、何か重大な病気があるはずだという心気症的構えが目立ち、身体症状としては入眠困難、食欲低下、脱力感、疲労感、発作的しびれ感などの訴えがあった。
入院後1年半を経過して、このような状態はかなり脱却できたが、なお小刻みな動揺はつづいている。抗うつ薬などの薬剤は効果がない。調子の悪いときには主治医や看護婦にまといついて哀訴を繰り返し、相手を疲れさせるが、調子のよいときには、十分に自分の病気について理解できたようなことを述べて、主治医や看護婦に迎合するといった状態である。
[症例5] 24才 女性 看護婦
不安と抑うつで、自殺念慮を繰り返す
父はときに怒ることがあるものの非常に無ロ、母はやや干渉的、支配的である。兄と姉が1人ずつの末っ子として育ち、小・中学校ではおとなしいほうだった。
中学生のころから万引き癖が始まった。最初は興味でやっていたが、やがて中毒のようになった。高校は衛生看護科に進んだが、これは自分の希望ではなく、「女性は何か千に職をつけたほうがよい」という母の考えによるものであった。高2のとき、学校をやめるといって、しばらく休んだことがある。万引きはつづけていた。
高卒後、高等看護学校に進んだが、万引きが発覚して退学した。以後、万引きはやめた。
その後、内科病院に勤務。仕事は熱心にしたが精神的な余裕がなく、下宿に帰れば寝るだけの毎日で、同僚もしだいに遊びに誘わなくなった。 勤務を始めて1年目に1か月、1年4ヵ月目に2ヵ月、いずれも腎孟炎になり、入院した。
2年が経過して仕事がいやになり、気分を変えようとして旅行をしたりピアノを買ったりしたが、しだいにめんどうになった。
3年目に入ったとき、夜勤をしていると非常に不安になり、以後仕事ができなくなり、実家に戻った。不安と同時に抑うつがあり、何度も自殺することを考えた。当精神科の外来にしばらく通院したが、母が働きに出たあとでひとりになるのが不安で耐えられないということで入院した。
自殺念慮が繰り返し訴えられ、抑うつ気分、不安感、抑制症状も目立った。病棟内では自己中心的な言動が多いが、職場の同僚に迷惑をかけているという自責的な討動も認められた。
主治医に対しては、初め依存的だったが、体を動かすことで復職に向けて努力しようという治療方針を示すと、主治医に対して不満や怒りをあらわすようになった。
入院後半年して、腎孟炎と思われる症状が起こり、各種の抗生剤もなかなか効果がなく、発熱がつづいた。ところが発熱後3週間ほどして、自分が喀痰を注射器に入れて血管内へ自己注射したことを告白した。曲2回の腎孟炎も同じ経過であったことも話した。
その後の治療では、2〜3日がんばると1週間はダウンということの繰り返しで、オールオアナッシングという性格が顕著だった。
1年間の入院ののちに退院したが、職場復帰はしていない。何もする気がしない、おっくうだという訴えがつづいているが、家事を少しは手伝える状態になっている。
13例とも治療者や家族(特に母親)に依存的で、ひとりでいることが不安で耐えられないという共通性があります。身近な人に見捨てられるという恐怖と淋しさが強いために、しがみつくのですが、期待どおりの反応が得られないと、暴力をふるったりします。
境界型人格障害の患者は3〜4対1の割合で女性のほうが多く、昭和50年代から目立ってきました。父親の存在が希薄になり、母親も母性を喪失した例が多いことなどが関連しているかもしれません。
うつ病や分裂病との区別がむずかしく、また薬物療法の効果にも限界がありますが、治療は可能です。長期にわたる専門的な精神療法が必要になります。