体の病気とうつ病との関係
パーキンソン病と、うつ病
ほとんどの中枢神経系の疾患は、うつ状態を起こす可能性があります。うつ状態以外にも躁状態、幻覚・妄想状態、意識障害、行動異常、痴呆などの精神症状を示す可能性があり、それらがまじり合ったり、変動しやすいことが中枢神経系疾患の特徴です。
また、うつ状態も、いわゆる典型的なうつ病にくらべると悲観、自責感、抑うつ気分の訴えなどが目立たずに、意欲面の抑制やおっくうな感じが強いなどニュアンスが異なる点もあります。
中でも、パーキンソン病にうつ状態を伴いやすいことは古くから指摘されています。どのくらいの率でパーキンソン病にうつ状態を併発するかは、さまざまな報告例がありますが、およそ40%から90%といわれており、相当高頻度に及んでいます。私の体験でも、内科からうつ状態のために紹介された患者の中に、パーキンソン病が見落とされていた例があります。
パーキンソン病というのは、筋肉の緊張や運動などを無意識のうちに調整している錐体外路系の神経機能がおかされる病気です。
40〜50才どろに発病することが多く、手足や顔面の筋が突っ張ってかたくなるぞ」や、手足のふるえ(観戦)、動作がのろくなることが特徴的な症状です。
顔は仮面のように無表情で、四肢がかたくなるために、首は少し前かがみにして、ひざやひじを軽く曲げた姿勢になります。
接戦はこの病気に特有なもので、手指の場合は親指と人さし指、その他の指を少し曲げたままちょうど丸薬を丸めるように、リズミカルに横揺れします。
パーキンソン病の発症は、錐体外路系の神経核に含まれる神経伝達物質であるドパミンというアミンが減少し、ニューロン(神経単位)の機能が低下してくることが主な原因であると、最近になってわかってきました。
一方、うつ病は間脳、脳幹、大脳辺縁系など情動の働きに関連する脳部位に本釆高濃度に分布しているノルエピネフリンやセロトニンなどの神経伝達物質の代謝が低下することに関連して発病するとされていますが、ノルエピネフリンとドパミンは同じ代謝系に属するものです。また、パーキンソン病に有効な薬であるL-ドーパは多くの精神科の病気にも作用と副作用を示します。
これらのことから、うつ病とパーキンソン病には近縁性があるのではないかと考えることもできます。
〔症例1〕 43才 男性 公務員
うつ症状に、くぴのこわばり、振戦を合併する
高卒後、公務員になり、24才で結婚、2人の子どもがある。病前性格は神経質できちょうめん、きまじめで内気。最近まで日本酒を毎日1合飲み、週に2日は大酒することがあった。
22才から約2年間軽い躁状態がつづいたが、社会的な逸脱行為を起こすほどではなく、また睡眠障害もなかったので、治療を受けずに自然に元の状態に戻った。
39才のとき、前回と同じ軽い躁状態となり、それが約10力月つづいた。
40才からは寝つきが悪くなり、しだいに仕事を休むようになった。食欲、性欲が低下し、くびや肩のこり、頭痛が起こった。右上肢に強い振戦があらわれ、小股で歩き、動作は緩慢になり、ものが飲み込みにくいなどの身体症状も起こった。この間、うつ病といわれて精神科に入院し、抗うつ薬を服用、抑うつ気分は軽くなったものの身体症状は変わらず、20日後に退院。
約2ヵ月後に不眠、抑うつ気分、食思不振が強くなって、外科病院に入院したが、症状は変わらなかった。このあと当精神科で外来治療し、躁うつ病の診断を受けた。抑うつ気分、自責念慮、貧困への不安が強い貧困念慮、自殺念慮、意欲減退、性欲減退、決断力欠如、睡眠障害があらわれていた。薬剤による治療をつづけたところ、しばらくしてくびや上下肢の筋肉の
こわばりや振戦、動作緩慢、言語障害、囁下障害などのパーキンソン症状が著しくなったた
め、精神科に入院。
すべての投薬を中止しても、パーキンソン症状、抑うつ症状は不変、次にL-ドーパを投与したが、どちらの症状も軽くならなかった。次にトリヘキシフェニジル(パーキンソン病治療薬)を投与したところ、精神症状も神経症状もやや軽快し、軽度のパーキンソン症状とうつ状態を残したまま退院した。
以後、外来治療をつづけたが、退院後50日をへて、なんの誘因もなく軽い躁状態になり、外来受診時にも落ち着きがなく、大声を上げたりした。手足の筋肉のこわばりはほぽ消えていて、頚部にわずかに残っている程度になった。さらに4ヵ月をへて、患者は9割5分以上治癒と自己評価をし、正常気分となった。
この症例は2回の躁病のあとに起こったうつ病に、パーキンソン症状がほぼ同じ時期に併発し、躁状態に変わるとともに、パーキンソン症状が消失した症例です。
この症例からも、うつ症状とパーキンソン症状が密接な関連を持っていることを推測することができます。
高齢者と、うつ病
老年精神障害の25%はうつ病が占めています。65才以上の高齢者の100人に3〜5人はうつ病(軽症を含む)ともいわれ、高齢者のうつ病は社会問題にもなっています。
高齢者の場合‥呵大脳の器質的障害や加齢による症状の複雑さ、身体疾患の合併、高齢者特有の心の持ち方などのさまざまな要因が関係するために、若年者のうつ病とは違った症状を示しがちであり、またその症状も人によって非常にまちまちになりがちです。
高齢者のうつ病の外因としては、アルツハイマー病、脳卒中、パーキンソン病、薬剤の副作用などがあります。骨折などで寝込んだのを契機にうつが発症するケースもあります。
性格的要因としては、日本人に多いメランコリー親和型性格が関与しています。これに高齢者特有の心性が加わって、うつの発症が促されます。メーフンコリー親和型という性格特徴は、ドイツのテレンバッハという精神科医の提唱したもので、仕事や対人関係における秩序志向ときちょうめんさが基本的特徴です。対人的には他者のために存在するという秩序に束縛されて、誠実、奉仕的で、衝突や摩擦を避け、他人と円満な関係を持つことに気をつかいます。
一方、日本の下田光造教授が唱えた執着気質もこれとほぼ同質のものですが、徹底的にやらないと気がすまなかったり、一度起こった感情がときとともに冷却することなく持続するという特徴があります。
環境的要因の中では、喪失が最も重大な外的ストレスになります。老年期は「喪失の年齢」とも呼ばれて、健康の衰え、社会的役割からの引退、家族や友人との離別といったさまざまの喪失体験を重ねていかなくてはなりません。また、これまでの自分の人生の意味をみずからに問いかける時期でもあり、心情的には非常に不安定な状態にあります。これに高齢者特有の融通のなさ、心配性、被害的に受けとりやすいことなどが加わって、喪失体験や新しい環境に適応することができず、生きがいや自己の存在感を失って、孤独や疎外感が強まり、うつになりやすいのです。
重症の老年期うつ病では、何を質問しても答えられず言動も緩慢になって、知的水準が低下したり記銘力が低下した状態を示すことがあります。ところが、うつ病相が消えると、こういった痴呆様の症状も消えるため、これをうつ病性仮性痴呆と呼んでいます。
うつ病性仮性痴呆は老年痴呆とまちがえられやすく、うつ病の治療が行われないことがあるので、この見きわめは重要です。
高齢者にぼけのような症状が比較的急速に起こったときは、うつ病が疑われます。また、うつ病の場合は自分の病気への自覚があるので、質問に対して知っていることでも「わからない」「知らない」といった答え方をして、自分のぼけの状態を強調して相手に伝える傾向があります。それに対して真の痴呆である老年痴呆では自分の記憶障害への自覚がないため、それを隠そうとして質問に対してまちがった出まかせの答えをする傾向があります。
〔症例2〕 76才男性
75才で誇大妄想を伴う躁状態となる
56才のときと、58才のときに、躁病の既往がある。軽い身体症状の不定愁訴がたまにみられることはあったが、社会適応は良好だった。
75才で、腹痛、下腹部不快感が起こり、ヘルニアの手術をしたが腹部症状は消えなかった。その後、下肢の突っ張り感や動きにくい感じも加わった。抑うつ気分や意欲低下はない。
翌年になって不眠、腹部症状、下肢症状が
徐々に消え、症状が完全になくなると、爽快気分が起こり、「私の月収は100万円で、長男の月収は5000万」といった誇大妄想が出現した。しだいに躁的興奮状態となって入院した。
〔症例3〕 84才 男性
・中年期から躁うつ病を繰り返す
68才のとき、不眠、頭重、食欲低下が起こり、さらに焦燥感、寝汗、ロの渇き、声が出にくい、体重減少、腹部膨満感、下肢のしびれ、冷感、排尿障害が加わって症状が悪化。抗うつ薬の服用で軽快した。
75才と76才のときにも同様な症状が出現。
79才のとき、すべての体の不定愁訴が完全に消え、爽快気分になった。疲労感も消え、睡眠時間は短縮し、多弁となり、毎日100キロも離れた町に選挙の応援に行くなどの躁状態になった。
以後84才まで、5回のうつ病相と4回の軽い躁病相が起こり、うつ病相では必ず多彩な身体症状が併発し、躁病相に移行する直前に身体症状が完全に消えた。
〔症例4〕 68才 女性 主婦
うつ病。て自殺企図、入院後2ヵ月で改善
56才のとき、うつ病が起こり、約3ヵ月で軽快した。
67才で抑うつ気分、意欲低下、睡眠障害、倦怠感が起こり、焦燥感、思考抑制、自責感、死を望む希死念慮も加わって、睡眠薬と殺虫剤を飲んで自殺を企てた。
入院時は焦燥感が強く、廊下をうろうろしたりし、自責感、睡眠障害、抑うつ気分、希死念慮に加えて、「声が出にくい」「のどがつかえる」「呼吸がしにくい」などの身体症状もみられた。薬物療法で焦燥感や身体症状などが著しく改善し、約2ヵ月で退院した。
〔症例5〕 65才 男性医師
被害妄想を伴ううつ病が1週間の薬物療法で快方へ
定年を1か月後に控えたころから、食欲不振、不眠、抑うつ気分が起こる。治療せずそのままに放置しておいたところ、徐々に「私は実はにせ医者だった」「そのため警察につかまる」「だれかがテレビを操作している」などの妄想が起こったため、入院した。
抗うつ薬、抗精神病薬の治療を行った結果、約1週間で被害関係妄想は改善し、うつ病そのものも2ヵ月後に改善した。
〔症例6〕 65才男性元高校教員
老年痴呆とまちがわれた、うつ病による仮性痴呆
54才のとき、自律神経失調症で2ヵ月間入院したことがある。
定年退職後は農業をしていたが、しだいに無気力が目立つようになり、テレビや、好きな囲碁にも無関心になった。朝起きるとすぐ横になり、身だしなみにも興味がなく、家族との会話もほとんどなかった。本人に尋ねるとなんともないといい、病気という自覚はない様子であった。
家族が心配して痴呆の専門病院に入院させたところ、老年痴呆と診断され、各種の抗痴呆薬を服用したが、よくならずに退院。その後紹介されて当精神科を受診した。だらしない身なりで、無言、問診にわずかに反応する程度であったが、抗うつ薬を1か月服用して、症状が改善し、その後に軽い躁状態となった。
高齢者のうつ病は、さまざまな病像を示すので、かいつまんで各タイプの症例を紹介してみました。
症例2は双極型うつ病のうつ病相です。うつ病の症状は比較的軽く、会話や表情、態度などからは抑うつ気分や精神運動抑制は認められず、ときには抑うつ気分を軽くみせようと微笑をみせるなど、自分を装う傾向もみられます。表面的にも不定の身体的愁訴や不眠、強迫観念だけを示すことが多いので、うつ病と気づかないこともしばしばあります。症例3の84才の男性の場合も身体症状を主として訴えるうつ病ですが、のちほど躁状態がみられたので、双極型うつ病と診断されます。老年期うつ病では身体症状があらわれやすく、一般診療科を受診する高齢者の15%にうつが存在するといわれています。特に、頭痛、頭重、めまい、肩こり、吐きけ、ロの渇き、咽・喉頭部不快感、胸部不快感、便秘、下痢、頻尿などがよくみられる症状です。
また、高齢者の場合は、症状に対して心気症的になりがちです。加齢に伴って体が衰弱していくことに気づかずに、症状にだけ目が向くことが多いため、体の不調に対して心気神経症的になったり、疾病恐怖に発展して保障を求めたり、依存的になる傾向もあります。
症例4の女性の場合は、不安感が強く出るタイプで、激越型うつ病と呼ばれるタイプです。
一刻も安静にしていることができなくて、部屋の中を歩き回ったり、衣服をいじったり、ときには壁に頭をぶつけたり、皮膚につめを立てるなどの自傷行為もみられます。このタイプは自殺の可能性が強くなります。
症例5の医師の場合は妄想型うつ病です。抑うつ気分を直接訴えなくても、現実に見合わないほどの深い抑うつを持っていることが多く、現実を吟味したり解釈したりする際に、被害的、自責的、罪業的色彩が強いのが特徴です。
焦燥感や希死念慮から自殺に至る危険性も強くなります。
最後の元教員のかたの症例6は、典型的なうつ病性仮性痴呆です。抑うつ気分よりもぼけ的症状が目立ったために、最初の病院で誤診されたのですが、抗うつ薬による治療が著しく効いたことからみても、うつ病であったと判断されます。
さらにその後に軽い躁状態がみられていると
ころから、専門的診断は双極型うつ病のⅡ型(躁状態が軽いタイプ)といっています。
ここに症例はあげませんでしたが、抑制型うつ病も高齢者に多発します。この場合は、表情に乏しく、動作の移行が緩慢になってくるので、パーキンソン病との見分けが必要になります。
このタイプでも抑うつ気分や焦燥感は自分から訴えないことが多く、中心症状は思考や行動の抑制です。薬剤の治療で軽快に向かうことが多いタイプです。
最後に、高齢者のうつ病によくみられる特徴を表にまとめたものがあります。上に示しましたので、参考にしてください。
・老年期うつ病の特徴
1.一見、軽症のうつ病が多い
2.非定型病像を呈するものが多い
3.遷延化や再発が多い
4.身体合併症を有するものが多い
5.環境因・心因の影響が少なくない
6.治療薬の副作用が出やすい→錯乱・せん妄
痛みと、うつ病
うつ病では体の各所に痛みを訴えることがしばしばあります。原因がはっきりせず、長くつづく痛みや繰り返す痛みは、痛みを起こす可能性のある、あらゆる身体疾患を考慮しなければなりませんが、該当する病気が見当たらない場合は、器質性、機能性、心因性精神障害のほかに、神経症やうつ病も考える必要があります。
うつ病でみられる疼痛は、頭痛、頭重感、胸部痛、腹部痛、背部痛、関節痛、四肢の痛みなどが中心です。中でも頭痛の訴えが多く、具体的には頭重感、頭のすっきりしない感じ、後頭部やくび筋の突っ張った感じ、何かがかぶさった感じなどを訴えます。1日のうちでも症状の増悪改善の波がみられることが多く、訴えの内容も少しずつ変化します。
筋肉痛では、範囲も部位もはっきりしないことが多いのですが、腰部、背部、くびから上腕にかけての重苦しさが目立ちます。このほか、女性では背部痛、骨盤部の痛みもあります。痛みに関連して、しびれ感や冷え、ほてりなどが起こることもあります。また、リウマチ性疾患の疼痛とうつ病の複雑な因果関係や相互関係も報告されています。
一般に、痛みは情動と深い関連があり、心理状態によって痛みは強くも弱くもなります。痛みは病気の警告信号としては有用なのですが、逆に病気を連想させるために不安を増す面もあります。また、慢性の疼痛はうつ状態の原因にもなります。うつ病の痛みに対しては鎮痛剤が効かない場合も多く、そのため投薬量がふえてしまっている例もよくみかけます。しかし、抗うつ薬をはじめとするうつ病治療薬で軽快します。筋弛緩剤や抗不安薬の併用も効果があります。
また、うつ病とは関係のない痛みに対しても、抗うつ薬が効くこともあります。
[症例7] 74才男性
【太ももの激痛が、
向精神薬治療で軽減した
61才から右大腿部の内側の激痛を訴えるようになった。最近は毎夜2回の鎮痛剤の注射が必要となったため、入院。
検査をしても異常はなく、痛みに対する過敵性が認められた。精神疾患の治療薬を中心に治療し、注射は要求があっても徐々に減らすようにし、その結果、痛みが軽快した。
[症例8] 39才 女性 主婦
不眠と全身の筋肉痛を伴う、うつ病で苦しむ
24才で男児出産。その後に頭痛、肩こりが起こり、しだいに全身の筋肉痛に広がった。半年後不眠が出現したが、はり治療などで自然に軽快した。
26才で夫の転勤に伴う引っ越しのあと痛みが再発。約1ヵ月つづいた。29才で夫の海外勤務に同行し、痛みと不眠が再発し、それが約3カ月つづいた。31才で帰国後、再発、約3ヵ月かかって軽快した。37才で夫が再度海外勤務に。子どもの教育のこともあって、夫は単身赴任をしたが、本人はできれば子どもを残して夫についていきたかったという。その後、胃痛、筋肉痛が発症、しだいに不眠、食欲低下、抑うつ気分、意欲低下、自分はだめな人間であると思い込む卑小念慮も起こり、自殺を企てた。このあと入院となった。
入院後はくびの痛みと肩こり症状は強かったが、抑うつ症状は目立だなくなった。以後、多少の後退はあるものの、徐々に軽快に向かった。
不眠と、うつ病
うつ病で不眠が重要視されるのは、不眠がほとんど必発の症状であり、また最も苦痛な症状の一つであるためです。
一方、長期間不眠に悩む人の中には、うつ病が多いという調査結果もあります。不眠がつづいた場合には、うつ病の可能性を考えなければなりません。
うつ病の場合の不眠は、どく初期から発症しますから、早期診断や再発の兆候の発見にも大いに役立ちます。また、うつ病が重度になると不眠もひどくなるので、重症度の目安にもなります。さらに、薬物療法にまず最初に反応する症状でもあるので、食思不振などとともに治療効果の判断にも有用です。
患者にとっては、不眠が改善されることは最も苦しい症状が軽くなることですし、しかもほかの症状と違って改善が自覚されやすいので治る希望につながり、医師と患者のよい関係を築くことができます。
一方、自殺企図は不眠のとき、特に早朝覚醒時ひとりでいるときに突然起こったり、また実行したりすることが多いので、自殺予防の点からも不眠の治療は重要なのです。
うつ病による不眠の特徴は、夜中や早朝に目覚めて眠れないことです。この状態を熟眠障害・早朝覚醒といいます。目が覚めたときは抑うつ気分が最も強く、後悔や自責、将来への悲観などで苦しみます。また、せめて昼間でもうとうとと眠りたいと願うのですが、昼間も健康者より眠りにくいといわれています。
これに対し、神経症の不眠の訴えでは、寝つきの悪い入眠障害が最も多いのが特徴です。眠りが浅いとか、夢ばかりみるという訴えも多いのですが、早朝覚醒はあまりみられません。神経症の中では、不安神経症と抑うつ神経症に不眠が起きる頻度が高いように思います。
神経症の不眠は、急性・慢性の精神的葛藤による不安や緊張、焦燥などが主な原因で、心因性不眠とも呼ばれています。この場合は発病の誘因を明らかにし、精神療法とともに原因治療を行うことがたいせつです。最近、盛んに使われている睡眠改善剤のほとんどは、ベンゾジアゼピン系です。副作用が少なく安全ですぐれた薬剤ですが、連用によって依存性が生じることが明らかになりつつあります。睡眠改善剤は、安易な長期連用にならないように注意する必要があります。
不眠には、田寝つきの悪い人眠障害、関眠りが浅く何回も目が覚め、熟眠感のない浅眠または熟眠障害、圓夜中または早朝に目覚めて眠れない早朝覚醒、圃夢ばかりみている感じがする多夢などがあります。
うつ病ではどの型の不眠も多くて重複してみられますが、中でも先に述べたように早朝覚醒が最も苦痛で、他の病気でみられない特徴でもあります。目が覚めたときに目覚めが悪く、疲労感が残り、起床に多大の努カを必要とします。また苦しい1日が始まるといった苦悩が強く、午前中は不調で、午後になると少しは楽になるという傾向もよくみられます。
うつ病の中には、少数ですが過・眠状態になる例もあります。この場合も眠っても眠ってもまだ寝足りなくて、疲労回復感はみられません。
うつ病の不眠には、抗うつ薬と睡眠薬による薬物療法が不可欠です。焦燥や不安の強い服症うつ病の睡眠障害では、抗精神病薬の使用も必要になります。
アメリカの心理学者フオードが、睡眠障害について、2回にわたって、各回約1万人の一般人を対象に行った大がかりな調査があるのですが、その結果は、いろいろ興味深いデータを示しています。
まず、不眠を訴える人の多さです。この調査対象は一般人を無作為に選んだもので、2週間以上にわたる不眠に悩んでいる人が全体の10%を超えました。
また、不眠を経験したことのある人は、内科をはじめとする各科への受診率が高く、中でも精神疾患(ことに、うつ病と不安神経症)が多いことが確認されました。特に、1回目と1年後に行った2回目の調査の両方で不眠があると答えた人にはうつ状態を併発している人が多いことが注目されています。
睡眠障害のうち、不眠は高齢者、失業者、女性、離婚者に多く、過眠は若年者に多い傾向がみられました。
最後に、不眠が起こる原因は、うつ病などの疾患以外にもたくさんありますので、これを要約しておきます。
⑴生理的不眠 夜勤者や一時的な騒音環境などによるものです。
⑵心理的不眠情動の興奮状態や驚いた体験などがこれにあたります。
⑶精神病性不眠 精神病的不安や緊張に伴って起こる不眠で、うつ病では90%以上の患者に認められます。躁病では本人は不眠を訴えませんが、不眠状態になります。
⑷神経症性不眠 各種神経症でみられる不眠で、不安神経症、恐怖神経症、強迫神経症、抑うつ神経症で起こりがちです。
⑸身体因性不眠 痛みやせき、皮膚疾患によるかゆみ、呼吸困難などのため不眠になります。
⑹薬剤起因性不眠 病気の治療に用いる薬の副作用として、不眠が起こる場合もあります。特に、アンフェタミンなどの刺激剤、気管支拡張剤、交感神経刺激剤は不眠が増すおそれがあり、頻尿や多尿の副作用が起こり、それが不眠の原因になることもあります。降圧薬のベータ遮断薬やコーヒー、日本茶、紅茶なども不眠を起こします。また、アルコールの飲用は、睡眠の前半では睡眠を深めますが、後半では覚醒させるので、結果的には不眠を招くこともあります。睡眠薬の連用を急速に中断したときにも不眠が起こることがあります。これは睡眠薬の離脱症状で、睡眠薬に身体的依存が起こっている疑いがあるので注意が必要です。
アルコールと、うつ病
うつ病の患者が不眠や苦悩をやわらげるために飲酒を繰り返してアルコール依存に陥ることがあります。ある時期だけ飲酒がふえる人は、うつ病や躁うつ病が基盤にある可能性を考えるとよいでしょう。しかし、うつ期には飲みたくなくなり、飲んでもおいしくないので、飲酒が減る人もあります。
逆に、アルコール依存者がうつ病になりやすいか否かについては議鴎がありますが、うつ状態になることはしばしば認められます。
アルコールを飲むと、一時的には不快を忘れて気分がよくなるのですが、大量に飲んだり長く飲みつづけていると、飲めば飲むほど気分が沈み込んでいく気がして、さらに飲むことになります。こうしてアルコール依存に陥ると、うつ病とよく似た状態になり、自責的、絶望的になるといわれています。自殺率も高くなります。ある研究報告では、アルコール依存の人の1/4から2/3は抑うつ症状があると報告されています。また、アルコール依存とうつ病とを併発している人では、約90%がアルコール依存を先に起こした人です。いずれにしても、アルコール依存になる人は情緒不安定で、しかも躁うつ的背景を持った人という研究があります。
アルコール依存と似たものに濁酒症があります。これは、比較的急速に不快、抑うつ気分に陥り、抑えがたい飲酒の欲求が起こり、酒を飲み始めると止まらなくなって連日連夜飲みつづけ、酔いつぶれて長時間眠り、目覚めたあとは気分も改善するというものです。このタイプでは、ふだんは酒を飲まないことも多いのですが、この濁酒症と躁うつ病、てんかんとの関連性、近縁性も最近議論されています。
いずれにしてもアルコール依存や濁酒症の背景に躁うつ病が考えられる場合、抗酒薬だけでなく、抗うつ薬やリチウムによる薬物療法と、精神療法を行うべきです。
患者は、アルコールの飲用によってうつ病を治すことはできないことをよく理解する必要があります。アルコールは抑うつを悪化させることが多く、アルコールをやめたら、抑うつが治ったという症例もあります。
また、抗うつ薬とアルコールには相互作用があって、抗うつ薬はアルコールの中枢神経抑制作用を増強します。そのため、抗うつ薬を服用しているときは、たとえ少量のアルコールでも多量に飲んだときと同じような酪町反応を起こして危険です。大量に飲めば生命も危険になります。
〔症例9〕 41.‐才 男性 自営業
躁状態のときに酒量がふえる
30才のとき、アルコール中毒と躁状態が発症。その後2年ほどして、うつ状態が出現し、引きこもって、死のうかなどと口走る。このときは断酒会にも入会した。このあと10年間にわたって躁状態とうつ状態が交互に起こり、躁状態のときには酒量がふえるという状態だった。
38才のとき当精神科へ入院、以来数回の入退院を繰り返し、薬物療法をつづけた。躁、うつを各4回ずつ起こしたが、ここ1年間アルコールを断ったところ、最近はうつ状態は5日間ほどで躁に転じるようになり、躁状態のときは爽快気分だけが起こるようになった。
〔症例10〕 42才 男性 工員
周期的な病的深酒で気分変調
約15年に及ぶ飲酒歴があり、特に10年前から周期的に深酒をするようになった。濁酒症と思われ、飲酒しないときはまじめに仕事をするので、周囲からはわりあい信用があった。たび重なる深酒と病的酪酎のために妻とは離婚して、その後は単身。肝障害や胃潰瘍の手術の入院歴がある。飲酒の周期は約2ヵ月おきで、10日間ぐらいつづく。
36才のとき自発的に当精神科を受診。本人によると、淋しくなっておもしろくないから飲む、酒のことを考えたらどうしても飲まずにはいられず、起きている間じゅう飲みつづける。飲んでも苦悶感は軽快しない。がけから落ちるような気がしたり、車にぶつかるような錯覚を起こすという。気分変調が先行して、自責念慮や苦悶感が強いように観察され、錯覚を起こすと大声で叫んだ。来院11回、入院8回を繰り返して、家で自殺するという、痛ましい結果になってしまった。
アルコール依存とうつ病は、ともに治療にあたって家族の支えが重要なのです。両疾患とも予後の不良な予測因子として独身者があげられています。
薬剤起因性の、うつ病
・うつ病、うつ状態を起こしやすい薬剤降圧薬(レセルピン、メチルドパ、グアネチジン、クロニジン、ベータ遮断薬など)、副腎皮質ホルモン、経口避妊薬、潰瘍治療剤(シメチジン、ラニチジンなど)、抗パーキンソン剤(レボドパ、プロモクリプチンなど)、抗結核剤(サイクロセリン、イソニアジド、エチオナミドなど)、抗悪性腫瘍剤(ビンクリスチン、ビンプラスチンなど)、鎮痛剤(ペンタゾン、インドメタシンなど)、抗精神病薬(ペルフェナジン、ハロペリドールなど)、抗ヒスタミン剤、麦角剤、ビタミンD剤、抗酒剤(ジスルフィラム)
あらゆる薬剤は、治療効果だけでなく、副作用もあわせ持っています。副作用の中でも皮膚の発疹や紅潮、肝臓や腎臓の機能障害や胃腸障害などは治療者も注意して監視しているのですが、精神病状態や感情障害、せん妄、行動異常などの中枢神経症状を引き起こす危険性については忘れがちです。
中枢神経症状は動物実験で証明することは困難で、臨床的に使用していくにつれて明らかになるものが多いのですが、注意深く観察していかないと見落とされがちです。
中枢神経症状の中でも、うつ状態は特に影響が大きく、患者に非常な苦痛を与えるので、十分な配慮が必要です。
身体疾患とうつ病と自殺の関係について調べた報告によると、自殺を企てた患者は、その他の自然に死亡した患者と比較して明らかに大量の治療薬を服用していたという調査結果もあります。
薬剤起因性のうつ病を引き起こす主な薬剤には、降圧薬、経口避妊薬、副腎皮質ホルモン、抗パーキンソン剤、抗精神病薬、潰瘍治療剤、抗結核剤、抗ヒスタミン剤、鎮痛剤、抗ガン剤などがあり、多くの薬剤でうつ病が引き起こされることが知られています。
中でも、高血圧の治療に使われる降圧薬は特にうつ病やうつ状態を起こしやすく、レセルピンやメチルドパは本人や家族に精神障害やその既往がある場合は、投薬を避けるべきです。プロプラノールやピンドロールなどのベータ遮断薬も要注意です。その他の降圧薬についても、十分に注意して使用し、場合によっては用量調整が必要なこともあります。
降圧薬によって起こるうつ状態は、必ずしも憂うつ感として自覚されるとは限らず、倦怠感、意欲低下などが前面に出ることもよくあります。降圧薬服用中は、どの薬であれ、不眠、倦怠、うつ状態などの有無に十分留意します。
レセルピンで起こるうつ病は最も有名ですが、出現頻度は10〜20%程度といわれています。投薬期間や量と必ずしも相関関係はないとされますが、長期間にわたり大量に服用した場合には、頻度が高まるともいわれています。レセルピンを含む配合剤については、それとは知らずに使うおそれがあるので注意が必要です。
利尿剤は一般に直接にはうつ病を起こさないといわれていますが、利尿剤服用中にうつ病になったという症例も報告されています。低カリウム症状を起こすと、うつやその他の精神症状を起こすことがあるともいわれています。
降圧薬以外で、起こしやすさや使用頻度などから重要と思われるのは、副腎皮質ホルモン、経口避妊薬、潰瘍治療剤、抗パーキンソン剤、抗結核剤、抗ガン剤です。
副腎皮質ホルモンは、うつ状態とともに、せん妄、幻覚、妄想、多幸気分、軽燥、不眠、不安、焦燥などもよく起こします。多くの病気の治療に使われているせいか、当精神科に紹介されてくる患者にも、ステロイド精神病がかなりあります。副腎皮質ホルモンによる精神症状は約2〜3週間で消失しますが、断薬後もしばしば再発することがあるので、長期間の監視が必要です。
経口避妊薬(ピル)がうつ病と関係あるのかどうかは長い間議論されてきました。否定的なもの、心理的要因を考えるもの、5〜10%にみられるとする意見、中には30%以上というものなどいろいろあって、確定していません。経口避妊薬を用いてうつ病が起こった症例を、私は経験しています。幸い、この患者は薬物療法で全快しました。
潰瘍治療剤のヒスタミンH2受容体桔抗剤(H2ブロッカー)でも、抑うつ、せん妄、焦燥、興奮などが起こります。
パーキンソン病の治療薬であるレボドパでも同じような症状が起こります。しかし、レボドパはパーキンソン病によるうつ状態を改善することもあり、またうつ病の一部にはレポドパがよく効くこともあり、今後の研究が待たれるところです。
抗結核剤ではサイクロセリンが最も精神症状が起こりやすく、ほかの薬でも起こります。
抗ガン剤も一般にさまざまな精神症状が起こりやすい薬です。
各種の抗精神病薬(フェノチアジン系薬剤、プチロフェノン系薬剤)も注意が必要です。抗精神病薬は精神分裂病患者などの治療に用いられる薬剤ですが、この薬で治療中の患者が抑うつ状態を起こすことは、精神科医の間ではよく知られています。
一般に精神科以外の医師は、薬剤で起こる精神症状についての認識が少ないように感じます。多くの人に処方していて、ごく一部の人にしか起こらないのですから無理のないことかもしれませんが、うつ病が起こっても、薬のせいだとは気づかない医師も多いようです。当精神科に紹介されてきた患者に他科の処方を確かめると、多くの医院や病院内の各科から類似の処方が出ているケースがよくあります。中には全く同一の処方を受けているケースさえあります。もしこれを全部服用していたら、副作用も大きなものになるでしょう。
また、高齢者は副作用が出やすく、多種類の薬を処方されやすいので、特によく確かめる必要があります。
うつ病との鑑別が必要な病気
不安神経症
不安発作がうつ病の前駆症状であることがある。
長期間の経過観察が必要。
ヒステリー神経症
うつ病で不快感情が起こるとヒステリー症状を示すことがある。
恐怖神経症・強迫神経症
強迫性格と、うつ病親和性性格の類似性に注目。うつ病発症中に強迫症状が出たり、強迫神経症でうつ状態が起こりやすい。セロトニン作用抗うつ薬がこのタイプめ神経症やうつ病に有効。
心気神経症
初老期患者では心劉症状はふつうの心性でもある。
心気症状が妄想的になったり、うつ状態を起こす場合には、心気症状がうつ病の部分的な症状であることが多い。
抑うつ神経症
この患者の中には、うつ病や躁うつ病に移行する例が多い。
遷延型のうつ病と抑うつ神経症との区別はたいへんむずかしい。
境界型人格障害
一時的な精神病症状が出ることもあるが、情緒不安定で抑う
つ的になりやすい。
行動の自己制御ができず、衝動的になりやすい。境界型人格障害の人がなる心の病気はうつ病が多い。
精神分裂病
思春期患者の場合{ま、うつ状態が精神分裂病の前駆症状とな
ることがあるので注意を要する。
心身症
精神的ストレスからくる不安によって体の病気を起こすのが心身症であるが、精神的な不安を起こしやすい要因として、うつ病が潜在することがある。
老年痴呆
痴呆の初期症状としてうつ状態があり、それが進行して痴呆となるケースが多い。
抑制の強い老年期うつ病患者では痴呆とまちがえられることが多い。
うつ病で一過性に痴呆症状が起こることがあり、これをうつ病性仮性痴呆という。
老年期には、抗うつ薬の投与によって、薬剤起因性の仮性痴呆が起こることが注目されつつある。
器質性脳疾患
脳筏迩、脳硬膜下血腫などに伴って、うつ状態がみられることがある。
CTスキャンや脳血管撮影などの検査カ侑用。
パーキンソン病
パーキンソン病ではうつ状態を併発しやすい。
躁うつ病のうつ状態の時期にパーキンソン症状が出現するこ
とがある。