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通信販売(通販)業界の研究

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通信販売(通販)業界の研究

新聞やテレビの経済ニュースでは「前年比割れ」 「対前月比減」を報じるものが少なくありません。特に大不況以降は、電機業界、自動車業界、そして百貨店、スーパー等の小売業界の動向を伝える際には、必ずといっていいほどこうした要素が含まれています。しかし、誕生以来ほぼ順調に伸びるびてきていて、大不況の最中でも伸びている産業があります。

薬の通販は、こちら→サプリ館

それが通信販売です。 2008年度の通販業界の総売上は、日本通信販売協会(JADMA)の調べによると4兆1400億円に達しています。小売業全体の売上がここ5年連続してマイナス成長をつづけているのに、前年度比6・7%増と好調そのものです。 小売業全体のシェアでも、通販は3・06%を占めるに至りました。百貨店の5・4%、コンビニエンスストアの5・9%と比べると、まだまだ低いシェアには違いありません。しかし毎年着実にO・2ポイント近い成長をつづけていることは特記に価します。低迷する小売市場のなかで一人気を吐いているわけです。調査を始めた83年度には、通販の売上高はまだ6860億円。小売市場のシェアもO・72%だったのだから、大した躍進と言えます。 新聞やテレビの経済ニュースでは、どうしても暗いニュースのほうが大きく扱われる傾向にありますが、景気の波と関係なく伸び続けている市場がここにあるのです。 もちろん、まだまだ通販には様々な問題や偏見もつきまといます。通販が好きか、嫌いか。通販を信用しているか、胡散臭いと思うか。

このへんの質問の答えは、まわりの人たちを見回しても、はっきり二分されるに違いありません。マニアもどきにはまっている人がいるかと思えば、毛嫌いというか、根強い拒否反応を抱いている人も少なくありません。 09年に同協会がおこなった「通販の利用状況」の調査に、こんな興味深い結果がでていました。通販を利用したことがある人は調査対象の90・4%、一度も利用したことがない人はわずか8・8%にすぎません。それぞれに今後通販を利用するかどうかきいたところ、利用経験者では60・8%の人が利用する予定があると答え、さらに34・4%もの人が予定はないが利用してもよいと答えている。つまり9割以上が今後も通販を利用しようと考えているのです。 一方、通販の未経験者はというと、今後利用すると答えた人は7・O%ですが、予定はないが利用してもよいと答えた人は53・9%と半数を超えています。この数値を01年以降の調査結果と比べてみると、食わず嫌いの人たちは確実かつ急速に減りつつあります。 また、1年間に1回以上通販を利用した人の割合は64・3%と優に過半数を超えています。世帯の利用率も79・7%に達し、4世帯に3世帯は通販を利用している勘定になる。つまり、好むと好まざるとにかかわらず、通販はすでに立派な市民権を得ているわけです。

小売業態別市場伸び率推移

小売業態別市場伸び率推移

 

その背景に、通販の商品や販売方法が次第に信用を得て広く認知されるようになってきたことがあるのはもちろんですが、それとは別に、社会的背景とメディアの革新があります。 まず社会的背景でいえば、少子高齢化、女性の社会進出、買物スタイルの二極化かあげられます。少子高齢化については多くを説明する必要はないでしょう。平均寿命が延びる一方、老人だけの核家族が増えています。この人たちにとって買い物は大仕事であり、通販は極めて有用な解決策なのです。現に通販の利用者のなかで高年齢層の占める割合は年々増えつつあります。 女性の社会進出と通販の関係には二つの側面があります。仕事を持っていて買物をする時間の少ない女性たちが通販を活用することと、家庭にいながら外向きの欲求を満たす手段として通販を利用することの二つです。先の調査で、女性の通販利用率は72・O%もあり、特に30代では84・4%に達していることをみてもよく分かります。 このことはまた、買い物スタイルの二極化にもつながります。つまり、趣味嗜好を重んじるショッピングはじっくりと時間をかけて楽しみ、差別性の少ない実用品の購入は通販ですまそうという使い分けです。同じ調査でも、通販を利用する理由として、「商品価格が納得できる」「カタログが送られてくる」に次いで、「買い物に行く時間が節約できる」という回答が多くなっています。 メディアの革新と通販の進歩の関係も見逃せません。 印刷物を郵送するカタログから始まって、テレビ、インターネット、ケータイと新しいメディアが出現するたびに、通販は飛躍的に発展してきました。それは通販が新しいメディアを利用したのはもちろんですが、同時に新しいメディアにとっても通販が必要不可欠なコンテンツだったからです。 その辺は本文のなかで詳しく触れるとして、少し前になりますがケータイの通販に関する興味深い新聞記事(日経MJ07年10月17日)がありました。ケータイの日進月歩は、感心するというより、もう呆れると言ったほうがいいでしょう。カメラやワンセグや音楽配信の機能はあっという間に当たり前のことになったし、薄さやデザインの競争も、追いかける身としては有難迷惑なくらいです。そこへもってきて、ケータイ会社のサービス合戦とくるから尚のことです。当然ながら、そのケータイを使った通販もまた人賑わいになります。 記事によると、この急激な伸びの要因の一つには、15才以下の女子小中学生の利用者が急速に増えていることがあるとあります。たとえば商品単価200円から300円の指輪やネックレスをケータイ通販でまとめ買いする小中学生がさほど珍しくはなく、その平均の購入額は2000円ほど。支払方法は半分以上が代引きだが、実際は玄関先で母親が支払うケースが多いのだそうです。 これを読んだ時は正直言って驚きましたが、今ではこの話以上におじさんたちが想像もしなかった風景が、身近な家庭生活のなかでごく日常的に繰り広げられています。つまり自分だけはアンチ通販派で通そうとしても、思わぬところから通販に侵食されているかもしれないのです。そんな時代がやってきているとしたら、一度皆して「通販とはなにか」を考えてみる必要がありそうです。 そこで通販の誕生から現代、そして未来までを俯瞰します。その発展のドラマは実に面白く、また様々なビジネスモデルのヒントになりうるものであると考えています。

通販売上ベスト20企業

通販売上ベスト20企業

 

通販の起源

通販の語源
「通販」という言葉は、言うまでもなく「通信販売」の略語です。広辞苑によると、「通信販売」とは、「消費者に対して郵便等の方法で注文をとり、商品を小包等で発送する販売形態」とあります。言うなれば通販の原型が示されています。この「通信販売」という言葉ができたのは明治末期のことで、生みの親は「今日は帝劇、明日は三越」という名コピーを残した三越の宣伝部長、波田四郎さん。明治40年に出版されたその著『最新式商業の実際』に、 「通信販売」という言葉が初登場しました。 それまでは、「メール・オーダー」を訳した「郵便注文営業」とか、カタログの商品を注文に応じて調達するので、「用達」などと呼ばれていたそうです。 ではその「通信」とはなにか。『通販生活』でおなじみのカタログハウスの創業者である斎藤駿さんは、その著『なぜ通販で買うのですか』 (集英社新書)のなかで、こう解説しています。 明治期の通販は、カタログに載せた商品についての問い合わせをはじめとして、顧客と通販会社のあいだで何度となく手紙でやりとりを重ねたのちに、やっと商売をまとめていた。濱田さんはその担当者を、店頭の「販売員」に対して「通信員」と呼び、そこから「通信販売」と名付けたということです。 「つまり『通信』には、カタログや商品を通信(郵便)で配達する意味の他に、問い合わせ→回答というパーソナル・コミュニケーションの意味もこめられていたのかもしれない」 (前掲書) IT時代の「通信」とは全く概念の違う「通信」だったのです。

大草原の小さな家
日本の通販黎明期の話をする前に、通販が地球上に生まれたときの話をしましょう。『大草原の小さな家』というアメリカ製のテレビ映画を、NHKで放送していたことがあります。人気番組だったから何度も再放送されたし、DVDも売られているからご覧になった向きも多いでしょう。 開拓期の西部を舞台にした、若い夫婦と二人の娘のホームドラマで、いく度となく襲いかかる災難や娘たちの成長ぶりを通して、たくましく発展していく開拓地の姿が描かれていました。準主役としてドラマを盛り上げたのが、お人好しの主人と意地悪な女房とわがままな娘と息子の雑貨屋一家でした。西部劇によく出てくるこの雑貨屋こそが、通販の誕生と大きくかかわっています。 店の中には食料品や農具や衣料などの日用品が所狭しと並んでいます。店先には子供たちの大好きなキャンディの大瓶がある。万屋さんとでもいうのか、スーパーとコンビニの原点みたいな店で、これなくして新開地の生活は成り立ちません。でも店の商品は日常の必需品で手一杯で、それ以上のものを求めるのは無理な話。そこで登場するのが、店先においてある通販のカタログなのです。 斎藤駿さんは前掲著のなかで、あの懐かしい名画 『シェーン』のこんな1シーンを取り上げています。アラン・ラッドと一緒に雑貨屋に買い物に来たヴァン・ヘフリンがカウンターに置いてある分厚いカタログに見入る。最初の頁は女性の下着で次の頁が男の帽子だったそうで、映画評論家でもある斎藤さんならではの観察力と記憶力には、ただただ舌を巻くばかりです。斎藤さんによるとこのカタログは、通販や百貨店の雄として君臨したシアーズ・ローバック社(以下、シアーズ社)のものだったそうです。同社とモンゴメリー・ワード社(以下、モンゴメリー社)が黎明期のカタログ通販の双璧とされています。が、この両社よりも一世紀も前に通販を始めた偉人がいます。通販の先達国アメリカで通販の祖と言われているその人の名は、ベンジャミン・フランクリン。 科学者としては、嵐のなかで凧を揚げて雷が電気であることを立証して避雷針を発明、政治家としては、アメリカの独立宣言の起草者の一人であり、実業家としてはアメリカで最初の大印刷会社を始めるなど幅広く活躍した、あのフランクリンです。彼は1774年に、『知識と科学の主な分野の600冊の本』というカタログを発行しました。そしてすべての人間に同じ値段で販売するという自由公平の考えのもと、その表紙にこんなことを謳ったのでした。 「遠くに住んでいる人も、フランクリンに注文し代金を支払えば、本屋にいるのと全く同じ正当な扱いを受けます」 「時は金なり」の名句を残した人だけに、通販の本質を見抜くとともに、来るべき通販時代を予測していたのかもしれません。

二大通販会社
通販が本格的なビジネスとなったのは、前述の二社が事業を始めてからとされています。この二社について簡単に説明をしておきましょう。まずモンゴメリー社ですが、創業者のアーロン・モンゴメリー・ワードはストアの店長やセールスマンをしていました。そのときの経験から、メーカーから商品を現金で大量に仕人れて、それを農村に直接現金販売をする商売を思いつきます。そうすれば地方の人たちが目頃押しつけられている割高な購入価格を、格段に安くすることができると考えたのでした。 そこで1872年、2400ドルの資金をもとにシカゴの地で通販会社を起こします。 最初の商品リストはたった1枚でしたが、10年後には1万もの商品を揃え、240ページに及ぶ分厚いカタログに成長したのです。その商品価格は、一般の店より4割も安かったといいます。 同時にワードは、顧客の囲い込みを念頭において、サービスと信用に心を砕きます。中西部の農民を対象にした会員組織を作り、会員には支払い猶予や返品保証の特典を与えたのです。 一方、シアーズ社の創始者リチャード・W・シアーズは、セントルイス鉄道の貨物線の駅長でした。ある時シアーズは、届け先が受け取りを拒否したために駅留めになった金時計を、送り主から半額の12ドルで譲り受けます。それを14ドルで売りさばいて、2ドル儲けたのです。このやり方で彼は半年後には5000ドルもの金を手中にしました。仲間の鉄道具や友人たちに手紙を書いて売り込んだのだといいます。まさにダイレクトメールの走りです。

こうしてシアーズは1886年に時計と雑貨の販売会社を設立、1893年には仲間のアルヴァー・C・ローバックと共同事業を始めます。このシアーズ・ローバック社は、のちにアメリカ最大手の小売業へと飛躍します。 同社の経営戦略は薄利多売で、安い商品を揃えることでした。またモンゴメリー社同様、顧客の囲い込みにもいろいろなアイデアを持ち込みました。頼母子講(たのもしこう)まがいの会員制や、自転車やミシンを報奨にした紹介販売方式といった、今の通販に匹敵するシステムを導入したのです。 1920年代になると、アメリカではショッピング・センターやチェーンストアの時代が始まります。様々な商品を低価格で提供するその販売方式は、当然ながら通販と競合します。また通販を愛用していた農民たちの所得水準も高くなり、生活も豊かになっていました。自動車を利用して、大型店に買い物に行けるようにもなったのです。 そこでシアーズ社は、1925年にシカゴで最初の百貨店を開きます。そしてそのわずか6年後には、46の大型百貨店と332の専門店を擁する巨大小売業へと成長したのでした。

モンゴメリー社も、1927年に百貨店経営に乗り出し、4年後には36の百貨店と520の専門店を展開します。後述しますが、日本の百貨店がほんの一部の事業として通販を始めたのとは、まさに正反対です。 この辺の事情を詳述している『通販業界ハンドブック』 (店舗システム協会編・東洋経済新報社)には、ちょうどこのころ割賦販売制度が整ったことも、両社の通販と店舗展開の二面作戦を助長したとあります。 それではなぜアメリカの通販が、これほどまでにしっかりと根づいたのでしょうか。 その理由としては、なによりもまず目本の25倍という広い国土があげられます。19世紀後半になると、その中西部に続々と開拓農民が移住しました。あの西部劇の時代が始まったのです。 日本ではどんな田舎でも山を二つも越えれば町にでますが、アメリカの開拓地は時間的にも空間的にも町とは隔絶した最果ての地。例の雑貨屋が唯一の頼りで、店らしい店もない辺鄙な世界です。 でも、開拓事業が一段落すると、生活をより豊かにしたい、少しでも都会の生活に近づきたいと思うのは人情というものでしょう。雑貨屋の生活必需品だけでは満足できなくなるのです。その一方で、一般の識字率が高まり、郵便制度が通販に有利に整備され、駅馬車から鉄道へとインフラも整ってきました。 カタログ通販が幅広く受け入れられる条件が揃ったのです。このように当時のアメリカには、まず通販という販売方式ならではの確固たる需要があり、それに応えられる条件が備わっていた。だからこそ通販が人々の生活のなかに定着し、その事業規模も着実に拡大して行ったのでした。 この通販に対する意識は今なお健在で、このあと述べる日本の通販事情と大きく異なるところです。 ちなみに、その後のシアーズ社とモンゴメリー社についても触れておきます。 50年代、アメリカでは新しく登場したショッピングモールなどの大型店舗との競合で、通販は窮地に立だされます。売上をみても、両社ともに百貨店事業が通販事業を凌駕しました。しかし、80年代、通販は再び黄金期を迎えます。クレジットカードが普及して、カタログでも高級品が売れるようになったからです。

シアーズとモンゴメリーのカタログ

シアーズとモンゴメリーのカタログ

 

しかし、IT化が進む90年代になって、情報管理のシステム作りに遅れをとった両社に悲劇が訪れます。93年シアーズ社は通販事業から撤退を余儀なくされ、モンゴメリー社は97年に倒産に追い込まれたのです。

武士が始めた通販

ここで話を日本に移しましょう。日本の通販の始まりについては、『日本通信販売発達史』 (黒住武市著・同友館)という好著があります。明治から大正にかけての日本の通販の変遷を詳述したものですが、驚くほど多岐にわたる資料が駆使されていて、通販に関心を持たない人でも興味をそそられるところが沢山あります。ということで、この本を主たる手引きにしながら、日本の通販事始めをたどってみると、日本の通販の誕生が早いのに驚きます。 「郵便」や「切手」などの名称の生みの親であり、1円切手でおなじみの前島密(ひそか)によって郵便制度が創設されたのが、1871(明治4)年。その5年後には、日本初の通販がお目見えしていました。1876年に創刊された『農業雑誌』のなかで、アメリカ産のトウモロコシの種が売られていたのです。これはモンゴメリー・ワードが通販会社を設立してから、わずか4年後のことです。 この『農業雑誌』の発行者は農学者の津田仙。彼は佐倉藩(今の千葉県佐倉市)の藩士でしたが、文武画道に優れるとともに、早くから英語を学んでいました。幕臣の養子になったのちに「外国方」に任ぜられ、1867年(慶応3年)に軍艦と銃の買い付けのため福沢諭吉とともにアメリカに渡ります。福沢にとっては3度目の渡米でした。 津田はここで西洋農法と大規模農業を目の当たりにします。当時の日本の農業は、古来からの米作中心で、周期的に見舞われる飢饉に悩んでいました。そこで津田は、痩せた土壌でも大粒の種が実るアメリカ産のトウモロコシを日本で栽培したらと思いついたのです。

帰国後、彼は農業の近代化と人材育成のために学農社農学校を設立する一方、『農業雑誌』を発刊したのでした。 そのなかで、日本初の通販になるトウモロコシの種の販売をするわけですが、おそらくアメリカで繁盛し始めていた通販事業をヒントにしたのでしょう。因みに女性初の留学生の一人であり、のちに津田塾女子大の創立者になった津田梅子は彼の次女です。 その後、種苗の通販はまたたく間に広まりました。そして明治20年代には日清戦争の好景気もあって黄金時代を迎えますが、明治30年代にはいると次第に衰退していき、日露戦争後には影を潜めてしまいます。なぜか。いわゆる悪徳業者が、外国産の種苗に粗悪な種を混ぜた不良品を売ったために、農民の信頼を失ったからです。 種苗販売は日本の通販の幕開けであったのと同時に、通販に対する不信の幕開けでもあったのです。

通販の元祖は「種苗」
ところで、先ほどフランクリンを「通販の祖」としましたが、実はそれ以前にも通販らしき商売は存在していました。興味深いことには、そこでも扱っていたのは園芸関係のもの。つまり世界共通の通販事始めは「種苗」だったようです。 イギリスでは1862年に、最古のガーデニングのカタログが発刊されていますが、それよりずっと前の1667年に、ウイリアム・ルーカスというイギリス人が、園芸用品の価格リストを作ったのだそうです。アメリカでも、フランクリンの書籍カタログと時を同じくして、東海岸で種苗カタログが発行されたという記録があるとか。それでもフランクリンが通販の祖となっているのは、有名人だっただけでなく、「通販」という概念をきちんと持っていたからでしょう。

日本でも、『農業雑誌』のトウモロコシの種のほかに、明治20年代までは、玉葱やトマトやキュウリやイチゴなどの外国種の野菜や果物の種苗の通販が盛んに行われていたようです。なんといっても、種子は軽いうえにかさ張らない商品。しかも聖書の一節 「一粒の麦もし死なずば」の言葉どおり、子々孫々まで育てることもできるのだから、通販にぴったりの商品なのでしょう。しかし、これも不良品が出回って頓挫してしまいました。 余談ですが、近頃の日本は大麻事件が跡を絶ちません。その大麻の出どころをたどると、オランダから種を輸入したというのが結構多いらしい。といっても密輸ではなく、インターネットの通販で正々堂々と輸入したものです。オランダでは他の麻薬と違って、大麻だけは一定の制限のもとで法的に許されています。日本でも、大麻の種は発芽させない限り、売買しても保持していても大麻取締法に触れないのだそうです。残念ながら購入者のほとんどが鑑賞用に飾っておかないから、「ご用」になる。通販と種の関係はなかなか断ち切れません。

百貨店の参入

それから太平洋戦争までの日本の通販を、事業者別に大まかに辿ってみます。 百貨店としては、高島屋が1899(明治32)年、日清戦争の勝利による好景気を背景に通販へ進出しました。3年後には『新衣装』というカタログも発刊しますが、写真入りの美しいもので、発行部数もやがて数千部に達して地方のお得意様の開拓に寄与したのです。 高島屋とともに百貨店の双璧である三越も、同じ年に地方係を設置して、地方の顧客からの注文受付を始めています。三越の場合、種苗の通販で悪印象を植えつけられていた地方の人たちにも「大三井」の信用度は高く、カタログ通販は順調に推移しました。当初1日に15から20口だった注文も、10年後には1000口を超え、神田駿河台郵便局の小包扱い数が東京一になったほどでした。なにしろその力の入れようと繁盛ぶりは今の百貨店通販の比ではなく、担当した従業員も150人と全従業員の1割に達していたといいます。といってもその目的は、店舗の地方展開の布石という性格が強かったようです。1903(明治36)年には月刊の『時好』を発刊しますが、ほかに『靴と鞄』『現代婦人化粧法』といった、商品を細分化した、今でいうスペシャル・カタログもありました。地方のお得意様向けの情報誌として、モデルには名家の令嬢や売れっ子の芸妓を起用したそうです。1924(大正13)年には『三越カタログ』が誕生します。大正時代に受注が集中した地域が、朝鮮、台湾、満州といった外地だったというのも、時代を感じさせます。 今も健在な有名専門店のなかでは、明治のなかばから時計や印鑑を扱った大賞堂、文具の伊東屋、百科事典ブリタニカを売った洋書の丸善といったところが新聞広告やダイレクトメールを使った通販を始め、それぞれに成果をおさめていました。 メディア関連では、1906(明治39)年に報知新聞が通販代理部を設け、ロンドン、ニューヨークに支社まで聞いたといいます。扱った商品はハンカチから馬車、機関車まで。というのも、いわゆる通販のほかに、地方の人たちに代わって商品を買い入れる、商社のような仕事がふくまれていたからです。また1917(大正6)年に『主婦之友』を創刊した主婦之友社は、その年に早くも代理部を開設して、おしめ覆いや薬湯の通販を始め、着実に実績をあげています。

三越カタログの表紙

三越カタログの表紙

 

通販の商品としては、種苗と並んで主役を務めたのがお茶でした。ことに明治末期から大正初期にかけて、宇治茶の通販が流行。昭和初期にも再び200を超えるお茶の通販業者が競い合ったといいますが、どちらも粗悪品が現れて雲散霧消しました。 このほか通販史に名を残す個人としては、『小学校卒業立身案内』といったサクセス本の書籍通販で大成功をおさめ、それをもとに事業を広げたのちに貴族院議員にまでなった高柳原之介。1911(明治44)年、百貨通信販売の大谷兄弟商会を興し、一時は3500点もの商品を扱い、三越通販の2倍の売り上げを誇ったものの、世界的な不況もあって倒産の憂き目にあった大谷久雄……の2人が挙げられます。 が、三越や主婦之友などの大手企業の兼業通販を除いては、いずれも時代の流れや創業者個人の消長のなかで姿を消し、モンゴメリー・ワード社やシアーズ・ローバック社のような専業通販の大企業はついに生まれませんでした。

なぜ日本の通販は「怪しい商品」が多かったか
津田仙の種苗販売このかた、様々な挑戦を試みてきたはずなのに、なぜ日本にはアメリカのような通販専業の大企業が育だなかったのでしょうか。結論を先にいえば、そもそもの成り立ちから、日本の通販にはアメリカほどの必要性がなかったからです。 何度も言うように、広大な国土をもつアメリカの地方、ことに開拓期の農村の生活には、雑貨屋十通販カタログのシステムは「なくてはならない」ものでした。 一方、アメリカ産のトウモロコシの種は、当時の日本の農家にとって思いがけない知恵だったとしても、程度としては「あったら重宝」の域をでなかった。 この出自の差が、その後の成長に決定的な影響を与えます。日常の生活のなかから切実に求められたアメリカの通販は、生活に根ざした数々の商品を生み出しました。それは顧客の増加をもたらし、ひいては通販会社の業容拡大にはね返ります。事業そのものに、永続性と発展性があるのです。 顧客の必要性が続くと予想され、それが続く限り事業も続くとなれば、企業としてはいかに顧客を手放さずに常連客になってもらうかが重要な課題になります。そこで、会員制とか、返品自由とか、割賦制といった顧客を囲い込むサービスを案出したのでした。 それに対して、「あったら重宝」の性格をもった日本の通販は、日常生活の必要品ではなく、むしろ付録のような商品を追いかけることになります。のちのち「鼻が高くなる」「背が伸びる」といった珍奇なアイデア商品が生まれるわけです。当然、事業も一発屋の性格が強くなる。種苗やお茶の通販が一時のブームで終わってしまったのも、大方の発想が 「儲かるらしいぜ。わしもいっちょ当てたるか」的なものだったからに違いありません。これでは顧客の囲い込みの発想など生まれるべくもない。となると、永続性も発展性も望めないから、企業は大きくなるどころか尻切れトンボで終わってしまいます。 また、アメリカの通販は一時期とはいえ、その需要度から消費生活の主役とは言えないまでも準主役に近い存在でした。しかし、日本の通販は歴史的に見て、脇役、それも端役に甘んじてきた。もっと言うと、その役どころが悪役に結びつきやすかった……と、こんな大胆な比較を考えることがあります。というのも、日本の通販は大正期にはいると、著しくイメージダウンしたからです。

その頃の通販の代金は前払いでした。それを悪用して、高級品を安く売ると言って代金だけ懐に入れて商品を送らない業者が少なくなかったのです。さらに実際に商品が届いても、「安かろう悪かろう」の商品が多かったのも事実です。そのため通販イコール詐欺商法という印象が植えつけられてしまいました。真面目な業者もこのあおりを喰って苦労します。この結果、百貨店などの大企業の兼業をのぞいて、日本の通販は衰退の一途を辿ったのです。それに追い打ちをかけたのが、第一次大戦後の大不況。お得意先だった農民は購買力を失い、通販から離脱してしまったのでした。 もちろんアメリカでも、インチキ通販が横行したはずです。しかし、それはそれとして、シアーズ社やモンゴメリー社のような巨人小売業に発展する業者がいたり、専門業者が育ったりと、通販業界全体としては確実に発展して行ったのです。 話が飛びますが、筆者は視察と交流のために2007年秋と08年春、中国の上海と長沙のテレビ通販会社を訪問しました。 中国の発展ぶりは誰しも驚くところですが、通販の世界も同じ。というより、予想外の発展ぶりに目を見張りました。 上海の東方CJの建物とスタジオの規模や最新の設備は、東京のテレビ局に匹敵するものだったし、長沙の湖南TVは今中国で最も元気のいい衛星テレビ局といわれていますが、その傘下にある通販会社ハッピーゴーの通販番組の質の高さと熱気は日本が負けるぐらいでした。しかも設立してからわずか4年というのに、早くも年商300億円に達し、あと3年以内に1000億円達成を目指すというから、大変な勢いです。 その上海と長沙の通販に共通している特徴は、商品とターゲットにする顧客層です。 まず商品は、良質と安全をモットーにしていて、しかもブランド優先。それも日本製が中心で、ラベルも日本語のままが歓迎されます。たとえばハッピーゴーの07年の最高売り上げ商品はソニーのハンディカムでした。なんとホンダの自動車も有力商品です。つまり、市中より安全で信頼のできるテレビ通販の商品は、日常生活の付録品ではなく、必需品なのです。だから高価なのに、むしろそれが「売り」になっている。まさに「高かろう良かろう」です。

となると顧客は富裕層ということになりますが、その富裕層の柱になっているのが20代後半から30代の女性ということで、中国の経済成長の一端を垣間見る思いがします。それもあって、テレビ通販の社会的地位と信頼度は、日本とは比較にならないくらい高く、ハッピーゴーの通販番組の司会者は、北京でもスター扱いでした。 アメリカ、日本、中国と、通販が成立したときの需給基盤と起業精神を見較べると、それぞれの国の通販の性格と置かれている立場が分ります。

正業になった60年代

安保騒動に明け暮れた60年。終戦直後からメール・オーダーで読者を集めていたリーダーズ・ダイジェスト社が、レコードの通販に乗り出します。これが日本での近代通販の幕開けです。 やがて大手企業の通販参入や新規の通販業者の誕生で、通販業界は賑々(にぎにぎ)しくなります。 でも「安かろう悪かろう」の悪しき伝統は埋もれ火のように消えずに残っていて、通販業界が抱えてきた負のイメージはなかなか払拭しきれませんでした。むろん業界自身も手をこまねいていたわけではありません。心ある通販専門会社を中心にして、商品や取引方法の改善に努め、イメージアップに努めました。 他方、行政も消費者保護の立場から積極的に法制度を整えました。 この流れは通販業界にとって、お上の締めっけであるよりも、それによって消費者の信頼を得たことのほうがはるかに大きかったでしょう。 どんな法制度ができたか、ざっと名称だけ年代別に並べてみると……。 揺藍期の60年代には、「割賦販売法」「景品表示法」「消費者保護基本法」。 公共性の高いテレビに通販が登場した70年代には、公正取引委員会の要望を受けて、不確かな市価やメーカーの希望小売価格と対比して安さを強調する「テレビ通販の二重価格表示」の改善。通販を法的に位置付けた「訪問販売等に関する法律」 (現特定商取引法)。景品制限の面から通販広告の表示規制をした「景品表示法改正」。 そして80年代にはいった早々の83年には、通商産業省(現経済産業省)の指導によって、業界の健全発展を図るために社団法人・日本通信販売協会が設立されました。これは日本の通販史上、画期的な出来事でした。10年現在の協会正会員数は501社。賛助会員を加えると683社にのぼり、通販に関与する企業のほとんどを網羅しています。 協会の仕事は、通販業務に対する自主的なガイドラインを設けて会員社に徹底することと、クレームをふくめて消費者と業者をつなぐ窓口の役割です。 どんなガイドラインかというと、「通信販売倫理綱領」をはじめとして、「テレビショッピング」 「電子商取引」「個人情報保護」「製品事故への対応」「サプリメントの取扱い」などの自主規制基準です。 こうした官民の努力が功を奏して、通販に対する一般の意識が徐々に改善されてきたことはご承知のとおりです。その結果、10年にサービス産業生産性協議会が公表したサービス関連業界の「顧客満足度上位50社」では、1位の東京ディズニーリゾートにつづいて、2位の家電ネット通販のECカレント、6位のジャパネットたかた、7位のアマゾン、9位の楽天トラベルなど通販会社が高い評価を受けており、今昔の感に堪えません。

悪徳顧客?
ここまで悪徳業者については触れましたが、実際には洋の東西を問わず、業者を手玉にとろうとする購買者もいるのです。当事者にはともかく、第三者にはご愛嬌のエピソードを二つ、三つご紹介しましょう。 通販では、期間内に返品できるクーリング・オフという制度は適用されません。しかし、返品できるかどうか、また返品の条件を表示することが義務づけられています。そして実際には、返品に応じています。それを悪用して、使ってから返す客がいないわけではありません。ことに礼装の場合に多いのは日本でもアメリカでも一緒で、タキシードの返品を売り直したら、ポケットからハンカチがでてきて怒られたとか、ウエディング・ドレスを使ってから返された、なんてこともよく耳にしました。「二度と使わない」という花嫁の誓いならば、少しは救われるのですが。 限定商品の数が、問題のタネになったこともあったそうです。 高級バッグを30個限定と謳って、それ以上売った業者がいましたが、その筋らしい客がやってきて、「本当に30個だけなんだな」と確かめたといいます。むろん「はい」と答える。そうしたら、「うちの身内だけでも31個買ってる。おかしいじゃねえか」とすごまれたとか。さて、どうやってケリをつけたのでしょう。 ここまでプロ的でないにしても、世の中にはちょっとした瑕疵(かし)をネタに無理難題を押しつけたり、いわれのない難癖をつけたりするのを趣味としている人も結構います。クレーマーと呼ばれるそんな業者泣かせの人たちのなかには、歴とした奥様もいたりして驚かされるそうです。 ところで、通販の目玉商品の健康器具には、ほとんどといっていいくらいクレームがありません。というのも、効果を確かめる前にやめてしまうからです。 「そういや、おれは子供のころから三日坊主だったな」 ほとんどの人が、そんなふうに反省しながら、諦めて、納得してしまうのでしょう。 駆け足で通販の誕生から黎明期、草創期を振り返ってみました。次章から本題にはいります。60年代に始まった、カタログ、テレビ、インターネット、ケータイと変遷する通販の軌跡を、筆者が実際に見聞きしたことを交えながら辿ってみます。そのために日本の通販を特微づけたと思われる企業を取り上げることになりますが、会社案内でも当節流行りの格付けでもないことは言うまでもありません。いや企業の規模とか経営の評価からすると、並び立つ企業やそれ以上の企業は他にもあります。殊に消長の激しい通販業界においては、昨日の成功者が明日の失敗者になることだってままあること。その辺を踏まえたうえで、お読みいただければと思います。

カタログ通販

近代通販の先駆者、リーダイ
太平洋戦争直後、日本の国民が飢えていたのは食糧だけではありません。文化の象徴である本や雑誌、つまり活字や紙にも飢えていたのです。今からは想像もつかないような粗末な紙の出版物を、人々は本屋の前に列を作って買い求めたのでした。 そんな時、華々しく登場したのが『リーダーズ・ダイジェスト』という月刊誌でした。 恐らく進駐軍の政策に基づいてもいたのでしょう。この小ぶりな雑誌だけは真っ白な上質紙で、そこに豊かさとともに憧れのアメリカ文化の匂いを嗅いだのです。雑誌の中身はアメリカのベストセラーや話題本の要約、すなわちダイジェスト版で、これさえ読めば金も時間もかけずに諸々の本に目を通したことになるという、いかにもアメリカ的な合理主義の産物でした。 始めのうち『リーダイ』 (略してこう呼ばれていました)は書店売りでしたが、やがて定期購読が9割を占めるようになりました。最盛時には年1回新年に発送する顧客募集のダイレクトメールが400万部に達したといいます。しかし初年度だけ半額のサービス料金で翌年からは定価という販売方法が、 「お得意様は割安に」という日本の風習に馴染まなかったようです。また、かつては貴重品だった「アメリカの最先端情報」も、あちこちで人手ができるようになった。それもあって、国産の出版物が充実するに従って先細りになり、アメリカ文化輸入の役割も終えた86年には姿を消すことになります。 それはともかく、『リーダイ』は通販の先駆者として二つの大きな足跡を残しました。 ひとつは、定期購読で雑誌を送るという販売方式を定着させたこと。日本にも戦前から農民向けの 『家の光』のような定期購読誌はありましたが、ダイレクトメールによって顧客を開発する通販のシステムではありません。これ自体が立派な通販です。 次は、その定期購読者のリストを活用して雑誌以外の通販を始めたことです。最初の商品はレコードでした。これがステレオの普及の時期と重なって大成功し、100万枚を売り上げたLP盤もでたほどです。世界大地球儀も伝説的なヒット商品になりました。なんで地球儀なんかが、と思われるかもしれませんが、ちょうど世界の中の日本という自覚が芽生えつつあった時代でした。といって街中の店には地球儀なんか置いていない。それを「これどうですか」と薦められると、ついつい手が出てしまう。そんな穴を狙ったような商品でしたが、通販には欠かせないアイデアとタイミングを兼ね備えていたのは確かです。 こうした『リーダイ』の通販は、日本の通販史上初のデータベースを活用したマーケティングとして記憶されるべきでしょう。更に本誌の通販広告には景品や特典をつけるなど、アメリカ式の販売戦術を導入して、日本の通販の近代化に大きな影響を与えたのでした。当時の国内の通販の状況は、健康器具の中山式産業、薬のヒサヤ大黒堂、タキイ種苗などの通販広告が雑誌や新聞で目につくくらい。50年代の日本の通販はまだまだ揺藍期だったのです。 60年代にはいると、高度成長の名のもとに大衆消費社会が到来し、一般庶民の暮らし向きも豊かになっていきました。エポックメーキング的な事例を並べても、61年・池田内閣が所得倍増計画を発表。62年・テレビの契約台数が1千万台突破。64年・東京オリンピック開催。67年・乗用車の保有台数が1000万台を突破し、カラーテレビ、クーラー、カーの3C時代の到来。68年・GNP世界第二位……当然ながら小売業も大発展の時代で、ことにダイエーの誕生を皮切りに量販店の成長が目立ちました。それにつれて通販も胎動しはじめますが、まだダイレクトメールや新聞や雑誌の広告によるものだったのです。 例えば、63年に通販事業を始めた二光は、最初はギターやトランペットなどの楽器を扱っていました。その広告には、多くの少年が夢をかきたてられたものです。いつの時代でも、中高生になると音楽に興味をもちます。かといって高価な楽器は買えません。そこでマンガ雑誌に載っていた二光の広告を幾度となく目を通しては、夢をふくらませていたのです。 このほか切手や運動器具などの通販広告もありました。特に地方に住む少年たちにとって、通販で何かを買うことはこれまで経験したことのない可能性の入り目のような気がして、大人が抱いていた警戒心などとは全く無縁だったのです。そういえば今でも通販の主流である健康器具の草分け商品、日本メール・オーダーのブルワーカーが登場したのも67年のことでした。 しかし、カタログを使った本格的な通販の到来は、70年代まで待つことになります。

通販でも老舗の高島屋と三越

70年、大阪万国博覧会が開催されました。東京オリンピックが高度成長の象徴なら、大阪万博は成熟化への第一歩でした。 小売業は量販店を先頭にめざましい成長をとげていきましたが、通販業界にも百貨店、小売業、製造業、メディアなどの新規参入があいつぎます。その理由の一端には、73年に店舗出店の際の面積制限などを定めた大規模小売店舗法(大店法)が制定されこともありました。 それ以前から、百貨店には動きが出ていました。百貨店の通販の歴史が古いことは前の章で触れたとおりですが、数次にわたる戦争でカタログ事業は中断していたのです。 高島屋の場合、新聞の折込みチラシを使って通販事業を再開したのは、50年代にはいってからです。まだまだ物不足の時代でしたが、純毛の毛布やミシンなどかなり高額な商品も多かったようです。これは、戦争の影響の少なかった地方のお得意様をメイン・ターゲットにしていたからでした。最初はわずか3名のスタッフで細々と始めた通販事業でしたが、やがて朝鮮戦争下の好況で弾みがつき、53年には2色刷りグラビアのカタログの発刊に漕ぎつけます。ようやく通販事業を軌道に乗せたのです。高島屋はその後も66年には電話通販、71年にはテレビ通販と、常に業界の先駆けとなってきたのでした。そして、75年には基幹カタログ『くらしのパスポートニュース』を発行しています。 一方、三越が通販事業を本格的に再開するのは、73年にカタログ販売課が設置されてからです。最初は外商の後押しという性格のものだったのですが、やがて総合カタログ『三越カタログ』が発刊されました。 小売業に君臨してきた二大百貨店が、時を同じくして通販カタログを発行したことは、胡散臭く思われがちだった通販の認識を大きく変えました。「通販は考えものだが、テレビやデパートは信用できる。そこがやる通販なら」といったところでしょうか。ことに百貨店のブランドカは、通販の顧客にとって「安心と納得」の保証書のようなものでした。逆に通販に新しい可能性を見出そうとしていた百貨店からすると、その信用力は他を圧倒するかけがえのない武器になる。そこで主だった百貨店は軒並みに通販担当の部署を創り、ブランドの強みを生かした通販事業に乗り出すことになったのでした。 当時、高島屋の通信販売事業本部長だった藤田恭雄さんは、百貨店本体とは別に多摩に通販専用の物流センターを建設するなど、百貨店のブランドを活かしつつ通販事業の独自性を積極的に打ち出しました。これは百貨店の通販事業としては突出したもので、高島屋は後述のディノスとともに、70年代から80年代にかけての通販の成長に指導的な役割を果たしたのです。 それからも通販の源流だったカタログ通販は、通販の本流として洞々と流れていたのですが、下って90年代にはいると、その川幅が次第に狭まってきます。 高島屋が年7回発行していた『くらしのパスポートニュース』の発行部数も、90年の1回平均200万部をピークに漸減して行きました。三越のカタログも、先行する高島屋と同じ右肩下がりの道を辿ります。

スペシャル・カタログヘの流れ
それは総合カタログ全体の流れでもありました。なんでも揃う総合カタログは、それだけですべての商品を購買できる、いわゆるワンストップ・ショッピングが「売り」でした。しかし、顧客の目が自分の好みに特化した商品に向けられるようになると、それでは物足りなくなります。そこでこぞって総合からスペシャルヘと、商品や訴求対象を細分化する方向を目指したのでした。 とりわけ百貨店の通販カタログの場合、どの店のカタログも大同小異で、「金太郎飴」のようだという声も多かったので、尚更でした。そもそも本業の百貨店自体が、やがては欧米のブランド店を誘致せざるを得なくなってくるのだから、当然といえなくもありません。 こうして百貨店のカタログ通販は、紳士向け、中年婦人向け、Lサイズ向けと顧客のターゲットを絞ったり、衣料系、住居系、食晶系と商品のジャンルを分けたり、贅沢品やお買い得品を別建てにしたりと、スペシャル化に腐心してきたのでした。しかし正直に言えば、その努力は他の通販会社ほどには報いられなかったようにみえます。なぜかというと、百貨店という名が体を表しているように、店のブランドは確立していても、個々の商品の独自性やブランドカには乏しいからです。特化しようとして特化しきれない、宿命的な遠因とも言えそうです。スペシャル・カタログにしてもなお「表紙を隠したらどこの百貨店のものか分らない」と言われた理由もそこにあります。 もう一つ。百貨店の通販が伸びきれなかった理由として、上層部に「イメージがどうも」「店の売上に響かないか」といった通販事業に対する消極的な意見が強かったことがあげられます。つまり通販はあくまで店舗の補完であり、広告の一部ととらえられていたのでしょう。そのため通販の商品は店内で売られているものとは別物で、大概は低価格路線を志向していました。 こうして百貨店の通販は主役の座を離れていき、直近では通販事業に力を入れてきた東急百貨店が通販カタログから撤退するような事例もでてきました。商品を実際に確かめないで購入する通販は、なにより信頼性が大切で、百貨店こそその条件に適っていたはずですが、そうはならなかったのです。通販は商売と同時に購入した人たちのデータを把握して、正確かつ敏速な市場調査(マーケティング)の機能が果たせます。百貨店がもっとこの機能に目を向けていたら、本業の店の経営戦略にも活用できたのに「もったいないな」と思うのですが、どうでしょう。

総合カタログとテレビ通販の開拓者、ディノス

百貨店と並んで、カタログ通販の社会的地位と信用性に大きく寄与した通販会社は、ディノス(73年〜2003年の名称はフジサンケイリビングサービス)です。フジテレビの関連会社ですが、70年に日本初のテレビ通販を誕生させた会社として知られています(あとで詳述)。なにしろテレビが茶の間に君臨していた時分だから、テレビ局が関わる影響力は今よりはるかに大きかったのです。 このディノスが、74年に『ディノス』というカタログを発行しました。高島屋の『くらしのパスポートニュース』が出る1年前のことです。独自のブランドのもとに総合的な品揃えをしたこの『ディノス』は、日本の本格的な通販カタログの第1号と言っていいでしょう。

その後ディノスは、カタログ通販やテレビ通販に加えて、大規模な展示場を必要とする家具の販売にも力をいれるなど、総合的な通販事業を展開しました。08年には、カタログの総数は430万邦に及び、総売上も547億円に達しています。しかし総合カタログの元祖として一時代を築いた『ディノス』もご多分にもれず方向転換を余儀なくされ、訴求対象を絞ったスペシャル・カタログの路線の道をたどってきました。今もカワイイ大人の女性をコンセプトにした『カーラ』、高級雑貨の『グッドライフ』、家具や雑貨の『ハウススタイリング』など、そのカタログは10数種に及びますが、厳しい競合の場に立っていることは百貨店の通販カタログと変わりません。 加えて業容拡大に寄与した家具も、百年に一度といわれる今の不況期には、新たな課題になって来ているようです。というのも家具の販売はマンションや個人住宅の新規購入と密接に連動するので、景気に左右されやすいからです。 それはともかく、ディノスがマスコミ傘下という立場を自任して、常に通販業界の牽引役としての務めを果たしてきたこともつけ加えておくべきでしょう。 前述の日本通信販売協会においても、ディノスは、設立からその後の運営まで常に積極的に参画。初代会長の見嶋正憲さんや、二度にわたって通算八年会長を務めた石川博康さんを送り出すなど、協会の発展に尽くしてきました。 その見嶋さんは常日頃、「日本ではまだまだ通信販売の位置づけは低い。並みの商売以下だ」と目にされていましたが、あえて刺激的な発言をして通販の質的な向上の必要性を強調されたのでしょう。事実、この協会の設立趣旨もそこにあったのです。

頒布会育ちの千趣会

時を戻します。 百貨店やディノスがカタログ通販を始めた70年代は、まさに通販開花の時でした。 テレビやラジオでの通販が始まり、ヤマト運輸の宅急使はカタログ通販の事業を一新させました。全く無名の日本ヘルスメーカー(現カタログハウス)の健康器具ルームランナーが一世を風靡し、通販史に残る大ヒット商品となったのも76年のことです。工業市場研究所の資料によると、70年代を通して通販市場の伸びは8倍になったといいます。

百貨店のみならず、通販会社のカタログ通販の発展も目覚ましいものでした。大概の主婦の行動範囲のなかには、量販店の1つか2つはできていたはずです。でも、その場所に行かなければならないし、商品の選択肢もさほど多くはない。ある程度生活にゆとりができると、着るだけからフアツションヘと衣料品の価値観も変わってきます。それも手頃な価格で、いろいろと選びたいという条件つきです。その欲求が居ながらにして満たされるとなれば、願ったり叶ったりでしょう。衣料品を中心とした総合カタログの通販会社が次々と誕生したのも、そうした主婦の購買意識に応えるためでした。 興味深いことにそんななかで際立って業績を伸ばして行った会社は、元をただすと、どれもが頒布会とか職域販売から出発しているのです。これは日本特有のものですが、それまで持っていた販売システムが、一対一の人間関係からグループヘ、更には不特定多数へと、顧客を拡大して行くうえで極めて有効な基盤になりえたからでしょう。 現在カタログ通販の首座を占める千趣会も、そうした会社の一つです。 千趣会の成り立ちは、54年に大阪の御堂筋界隈の銀行や生保などの女子社員相手に始めた、月1回のこけしの頒布会でした。「千趣会」という社名も、 「こけし千体趣味蒐集の会」を縮めてできたものです。戦後10年、やっと生活にもゆとりができ、なにか部屋を飾るものはと思っていた若い女性たちにこれが受けました。給料日に仲間だちから集金する大切な役どころの「お世話係」も、すんなりと決まっていったのだそうです。数年後には、その顧客数は10万人に達し、年商も当時の金額で1億円を突破したのです。千趣会はこの仕組みに、ぬいぐるみやシームレス・ストッキングや子供向けのレコードなどの商品を加えていきました。シリーズ化する商品も誕生します。たとえば嫁入り前の料理教室といった感じの『クック』という料理カードの場合には、和食、中華、フレンチ……といった具合に月替わりに発行して、69年には80万部を超えるまでになりました。小品種・大量販売のこのシステムは、仕入れのコストはもちろん、職場単位の一括配送によって物流コストも抑えることができたので、すこぶる利益率の高い事業になったのです。 76年、千趣会は本格的にカタログ通販事業に乗り出し、フランス語で「美しい館」を意味する『ベルメゾン』を発刊します。ここでも頒布会で培ったノウハウが、メイン・ターゲットである若い女性のニーズや情報の収集に役立ったのです。 やがて、大手の通販会社との競合が激化すると、千趣会は逸早く商品ごとに特化したスペシャル・カタログに路線変更し、最盛時には25冊にもなります。しかし、需要も情報も限界を超えて翳りがみえると、再度方向転換。細分化しすぎたカタログをまとめ直して、15冊程度に絞り込むという経緯をたどったのでした。

組織販売から出発したニッセン

ニッセンが設立されたのは70年。最初は染色業でしたが、浜松市のムトウ(現スクロール)という会社が写真で着物を販売して成功しているということを聞いて、カタログでの呉服販売を始めます。そのうち羽織などの着物に大量注文が入るようになり、日本染芸(せんげい)というカタログ販売の会社を立ち上げます。 ちなみにムトウは、通販カタログの会社としては珍しく戦前に創立された会社です。戦後は、全国の婦人会を相手にチラシを綴じた形のカタログを作って、頒布販売を行っていました。商品は次第に多様化しましたが、なかでも67年から幼稚園の組織で取り扱ったクラリーノ製のランドセルは大ヒットし、日本一のシェアを獲得したのです。その後クレジット会社の会員誌に通販広告を載せたことをきっかけに、個人向けのカタログを作るようになり、日本を代表する通販会社へと脱皮していきました。 さてニッセンは、当初幼稚園や婦人会、さらには美容院ルートでカタログを配布する組織販売をしていたのですが、74年に今の社名に変え、翌75年から顧客に直接カタログを配布する総合カタログ通販に進出しました。その成功の要因は、なんといっても価格破壊戦略です。衣料品から家庭用品までの商品を満載したカタログに、『マジックプライス』と銘打ったほどです。創業者の川島達三さんが「ダイレクトマーケティングなるものを意識したのは、この時分からだった」と語っていたことがあります。千趣会もムトウも頒布会や組織販売をしていたころは通販という感覚はなかったのでしょう。 その後ニッセンは順調に業容を伸ばし、ことに90年代前半には毎年20〜30%の急成長を続け、95年度末には全カタログの発行総部数が5360万部に達しました。しかし、セシールや千趣会相手の価格競争の煽りを受けて翌96年には赤字経営に陥ってしまいます。そこで拡大一方のカタログを見直して、カタログの発行部数を年間3000万部に抑えるなど、経営の効率化をはかったのです。 90年代半ばから、カタログ通販の業績が右肩下がりを続けた遠因としては、顧客が量販店から魅力のある専門店へ移行したことも見逃せません。ユニクロやファッションセンターしまむら等のチェーン化された専門店です。住まいの近くに進出してきたこうした店には、普段着のまま気軽に行けます。並んでいる商品も良質で安いし、なにより衣料品は実際手にとったり試着したりできるので安心感が湧きます。ことにユニクロは、同じ衣料品でも色違いのものが豊富に揃っていて、他人と差別化できる満足感も得られる。顧客は商品や目的によって、量販店と専門店を使い分けるようになったのです。 この傾向はカタログ通販を新分野へと駆り立てました。これまで訴求対象から外れていたティーンやギャルも狙うようになったのです。そうなると、イメージや見せ方が重要になり、ストーリー性のある誌面作りや、ファッション性に富んだ新商品が求められます。それにつられるように、成人向けのカタログも同じ路線をたどりました。どこの通販会社も独白色を打ち出そうと腐心した結果、新たな課題が生じました。用紙代や制作費の増大を招くことはもちろん、商品の多様化が商品の短命化にもつながるからです。それは企業間の厳しい競争と格差をもたらしました。

千趣会とニッセンの今
それでは、両社の現状はというと、前述のような紆余曲折はあったものの共に健闘していて、カタログ通販の両翼を担っています。 まず千趣会の09年度の通販売上高は1473億円で、カタログ通販のトップです。 4年前からはじめた基幹カタログ『暮らす服』 (年4回)の発行部数も400万部に上り、300億円の売上をあげています。対象は30〜40代の女性で、コンセプトは「遊ぶ、働く、寛ぐ、眠る」という生活になじむ服です。その他、20〜30代の働く女性に向けた『ファッション・プラス』など……カタログの総数は20前後を数えます。また若年層をとりこむためにネット通販にも力をいれていて、09年度のネット通販の売上は610億円に達していますが、これはカタログを見てネットで注文する顧客も含まれているので、実際のネット通販は450億円程度とみられます。 ニッセンの方は、10種に及ぶカタログを発行しています。どのカタログも基本的には「安さ」の路線を守っていますが、08年度の総売上は1415億円です。 そのニッセンには、いくつかの特徴的な経営戦略があります。260万人の顧客のデータベースに基づいて商品を選定していること。固定客を増やすための思い切った対応策として、年間24億円の経費をかけて返品の送料を負担していること。ネット通販にも力を入れていて、こんな面白い試みもしています。仮想のファッションショーを楽しめる「バーチヤル・ファッションショー」です。パソコン上で用意されている服をモデルに着せるのですが、30通りのコーディネートができて、実際に着たらどんなふうに見えるのかを確かめられるようになっているのです。もちろん、気に入ればすぐに買うこともできます。このようにいかに優れた付加価値をつけるかは、ニッセンに限らず通販業界全体が直面している課題でもあります。

狙い目は女性の下着、セシール

香川県高松市で下着の訪問販売から出発したセシールは、92年度の売上高で通販会社として初めて年商2000億円を超えました。これは業界の記録で、その後もこの大台に達したところはありません。 セシールは正岡道一さんが35歳で創業、パンティ・ストッキングの販売からスタートしました。総合カタログ通販に参入したのは75年です。その成功を踏まえて、83年には旧社名のアジア物産をセシールと社名変更するとともに、テレビのCMを駆使して知名度を上昇させます。その結果、86年には通販業界で初めて売上高1000億円を突破しました。 セシールが成功した要因は、4000億円市場ともいわれる女性の下着に商品を特化してスタートしたことです。その安さと品揃えの多さに、それまで量販店で購入していた女性たちが目を向けました。下着の特徴は、「隠れていて見えない」です。だから近所のスーパーには、限られた定番ものしかありませんでした。それが当たり前で通っていたのですが、実は多種多様の商品の中から好きなものを選びたいという女性たちの潜在的な欲求は秘められていたのです。諦めかけていたところに登場したのが、セシールでした。 セシールはその後、下着だけでなく、衣料一般、雑貨、家具へと商品の枠を広げ、ついに年商2000億円に到達、千趣会、ニッセンともども総合通販カタログ三つ巴の一時代を画したのです。が翌年、千趣会に首位の座をゆずってからというもの、売上高は下降の一途をたどりました。そして94年にはついに赤字決算を出し、最近ではピーク時の3分の1以下にまで減少しています。 そこにはカタログ通販全体の流れもさることながら、セシール自体の問題もありました。量販店を圧倒して通販業界のトップに立ち得た要因は、商品のバリエーション、テレビCMを柱としたメディア戦略、そしてなにより徹底した低価格路線でした。他の通販会社も同じ路線をたどったのですが、なかでもニッセンは全面的な価格の引き下げで対抗しました。これでは双方ともに自縄自縛に陥るしかありません。それでもなおセシールだけは、「衝撃の良品安価」と銘打った超低価格戦略を打ち出し続けたのです。小売業全体が個性のある商品やサービスをセールスポイントにする「専門店の時代」へと変りつつあったことも、セシールの行き詰まりに追い打ちをかけました。低価格だけでは優位性を保てなかったのです。 その後セシールは業容を縮小する新戦略のもとに再生をはかり、08年度の売上は635億円と、全通販会社の売上ベスト13位になっています。 セシールは一時、ライブドアの傘下にはいっていたことがありました。あのホリエモン時代の末期のことです。ディノスの項でも触れましたが、09年春、フジテレビの持ち株会社(フジ・メディアホールディングス)がその保有株を引き受け、セシールの親会社になりました。その背景には、ライブドアのニッポン放送株の買い占め騒ぎと、時の堀江貴文社長が粉飾決算容疑で告発されてからの倒産事件にからむ諸々の収拾策が介在しているのでしょう。が、そのことはさて置いて、単純にセシールとディノスの実績を合わせれば、カタログの発行部数も総売上も一気に拡大します。更に10年3月にディノスとセシールは中間持株会社フジ・ダイレクト・マーケティングを設立しました。テレビ業界が放送外収入を模索せざるをえない時代だけに、最大手のテレビ局がかつての最大手の通販会社に資本参加する意味は小さくありません。

下着をファッション化したピーチ・ジョン

ところで女性下着といえば、94年に29識の野口美佳さんが設立したピーチ・ジョンがあります。 野口さんが女性の下着に目をつけたのは、93年にロサンゼルスを訪れていた時に、たまたま自然に胸が大きくみえるパットつきのブラジャーを見つけたからだそうです。女性ならではの直感でこれは当たると判断した野口さんは、それを目本に持ち帰ります。そして「ボムバストブラ」と名づけて、自分の顔写真を使って雑誌広告を始めたのです。爆発的な売れ行きで、そこから女性下着の通販会社としての人成長がスタートしました。その成功の要因は、セシールより一段年下の顧客層に焦点を絞ったうえに、デザインのセンスやカタログ作りの巧みさによって若い世代の心を掴んだことにあります。 現在、ビーチ・ジョンの通販カタログ『PJ』の発行部数は250万部、掲載されている商品は300点に及びます。そのなかでもロングセラーを続けている下着の販売数は300万枚を超えるそうで、今や若い女性の4人に1人は同社の下着を身につけているとも言われているとか。年商も100億円に達し、07年にはワコール・ホールディングスの傘下に入りました。 欧米では、下着にはファッション性がなにより重要視されます。アメリカの下着通販会社のヴィクトリア・シークレットもターゲットは若い女性ですが、クリエイティブなセンスのカタログのデザインや色調は、インナー(下着)というよりアウター(衣装)と呼びたいくらいです。

通販の陰の主役、宅配便

ここで、通販の「お届け」について付言しておきます。 注文された商品を早く正確に顧客に届ける発送サービスは、通販事業にとって必要不可欠な条件です。アメリカでシアーズ・ローバックやモンゴメリー・ワードといったカタログ通販が成長した背景には、19世紀後半に小包制度をふくめた郵便制度が改善されたことがあります。日本初の通販広告が載った『農業雑誌』が地方の農家に届けられたのも、その5年前の1871年(明治4年)に郵便制度が創設されたからです。 ところで、現行の通販事業の隆盛に欠くことのできないのは宅配便でしょう。 その先陣を切ったのが、76年に「宅急使」を始めたヤマト運輸です。トラック運送の草分けで、終戦直後には早くも日本一の実績を持っていた会社ですが、二代目社長の小倉昌男さんが、委託された商品を家庭の戸口に直接届ける宅配の将来性を見極めて踏み切ったのです。上得意だった三越との契約を絶ってまでの大決断でした。当然ながら、安定路線を走り続けられる保証があるのに、なんで好き好んで危ない橋を渡るのかという反対の声も高かったのですが、小倉さんは宅配便の将来性を見通されていたのです。 それは同時に、がんじがらめの法的な規制に対するたゆまざる挑戦でもありました。著書『「なんでだろう」から仕事は始まる』 (講談社)のなかで、小倉さんはこんなことを書いています。 「マスコミでは運輸省(現・国土交通省)や郵政省 (現・総務省)とケンカしている姿ばかりクローズアップされてきたので、私のことをものすごく怖い男だと勘違いしている人も多いようだが、自分では相当に優しい男だと思っている。 私は役人が嫌いだから闘ってきたのではなく、相手が間違っていたから闘ってきたのである。私は、人間にとっていちばん大切なのは、『正しい心』と 『思いやりの心』だと思っている。『倫理観』と 『優しさ』と言ってもいいだろう」 小倉さんの案に違わず、扱い個数は初年度こそ30万個でしたが、その後増加の一途をたどり、08年度には12億3000万個を超えました。宅配便全体では32億1000万個に達しています。 宅配便が登場する前の通販は、鉄道便や郵便小包を利用していました。しかし鉄道便は自宅までは配達されず、郵便小包は商品の大きさに限界がありました。もし宅配便がなかったら、通販の普及は今とはほど達いものだったはずです。とりわけ宅配便の 「スピード」「利便性」「料金の安さ」のサービスは、80年代の通販の成長に大きく寄与しました。その後の食品配送用の冷凍やチルド、配送の日時指定といった新しいサービスもまた、通販にとっては有難いものでした。それにつけても、小倉さん抜きには日本の通販は語れません。

カタログを売る異端の雄、カタログハウス
異端というと誤解されそうですが、ここでは独自の発想で独自の経営を展開している会社と創業者を指します。その意味では、テレビ通販のジャパネットたかた、ネット通販の楽天と並んで、通販業界の三大異端の雄といえるかもしれません。 カタログハウスを異端とするわけは、発行する『通販生活』に、他の通販カタログにない二つの特微かあるからです。一つは有料であること、もう一つは読み物の頁が多いこと。どちらも創業者(現相談役)であり、『通販生活』の編集指導者である斎藤駿さんの考えによるものです。 斎藤さんが有料を思いついたのは郵送料のことからでした。 『通販生活』が発刊された82年当時の郵便料金は、書籍小包が250グラムまで200円、新聞雑誌の第3種が250グラムまで60円。斎藤さんはこの差に目を付けたのです。第3種には、有料と定期刊行物という二つの条件がついている。逆にその条件を満たせば、郵送料を大幅に合理化できるわけです。そこで、カタログの頁数が読み物の頁数を上回らないような雑誌型の通販カタログを作って、しかもそれを売ることに踏み切ったのでした。タダが当たり前の広告カタログを売るというのだから、とてつもない冒険だったのでしょうが、あえて挑戦して見事成功に導いたのだから大変なものです。 これも前掲の斎藤さんの本で知ったのですが、有料の通販カタログはなんと明治時代にもあったそうです。1901(明治34)年に創刊された『二十世紀』という月刊誌で、発行元は大阪の大手通販会社檜尾商店でした。定価は5銭で送料は5厘。100頁弱の内容は、商品紹介と読み物が6対4の比率でした。商品は「非常大安売」の衣料品や「最近の大発明」と謳った懐中電灯や軽便散髪器等々。それも輸入品が大半だったとか。なぜ有料にしたかというと、明治16年に駅逓局が今のように郵便物を第1種から4種まで区分して、第3種の新聞や雑誌は教育普及のために優遇した。そこで読み物頁を設けて雑誌の体裁を整え、送料の合理化を図ったというわけです。時代にかかわらず、頭の切れる人はいるものです。 もっとも、最近こんな事件も起きました。郵便料の障害者団体割引制度を不正利用して、通常120円かかるところを10円前後でダイレクトメールを送っていた通販会社が何社もあったのです。同じ頭を使うのでもこっちは悪知恵のほうです。

読むためのカタログ『通販生活』

カタログハウスの火元は、東京こどもセンターという幼児向けの通信教育の会社でした。当初はダイレクトメールによる事業だったのですが、教育評論家のカバゴンこと阿部進さんを起用した新聞や雑誌の記事広告に戦術転換したところ、大成功したのです。 これで通販事業に着目した斎藤さんは、76年に日本ヘルスメーカーを設立して、通販業界で初めての大ヒット商品といわれるルームランナーを売り出します。当時はアメリカからはいってきたランニング・ブームのさなかで、それをなんとか室内でできる器械は作れないものかと考えたのだそうです。 社会現象にまでなったルームランナーは、体重計のような形をしたランニング機器に走った距離を積算するメーターをつけたものですが、通信教育の知識を生かしたカリキュラムも加えました。新聞やテレビを使った広告のやり方もかつての経験から、萩本欽一さん、小林亜星さん、伴淳三郎さんといった中高年の有名人のイラストを使ったのです。これが反響を呼んで、累計売上は25万台を突破し、室内健康機器のパイオニアとなったのです。 この成功を踏まえて、斎藤さんは82年に『通販生活』を創刊します。 掲載する商品は消費者の信頼を第一とし、合わせて独自性へのこだわりと価格競争に与しない姿勢を貫きました。そして経営方針も売上の拡大ではなく、売上の質の向上を目指したのです。その編集方針は、良い物を紹介して、その情報を読んでもらう、つまり「商品を情報化する」という考え方です。それには本文はもちろん、コピーを始めとする広告宣伝の表現が決め手になります。 その良い例が、創刊以来の大ヒット商品「デロンギヒーター」です。 ご存知の向きも多いと思いますが、この暖房器具はオイル内蔵型のパネルヒーターで、イタリアの大手家電メーカーであるデロンギ社製のものです。 斎藤さんは著書の中で、この商品を紹介するには、「温風のでないヒーターです」といった不特定対象の表現では潜在需要を引き出せないと書いています。「エアコンの温風でのどか痛くなる人、寒くて安眠できなかった人」といった訴求対象を肉体化することで、「私に働きかけている広告」としなければならないと考えたのです。この「のどか痛くならない」ことを表現するために、実際のコピーでは 「寝室用」としました。 「寝室に置いておくと、ひと晩中ホテルに泊まっているような快適さ」 これがいかに説得力のある表現だったかは、以来ずっとデロンギヒーターが『通販生活』の売り上げベスト5に入り続けていたことでも分ります。 更に著書の中で斎藤さんは、郵送料を安くするのが目的だからと、社員に向かってこんなことを言ったと書いています。 「読み物はおまけなんだから内容はなんでもいいよ、くれぐれもおカネをかけちやいけないよ。内部で執筆しようよ」 内部で執筆することは斎藤さん自らが陣頭指揮をして今なお続いていますが、内容のほうは社会的な観点に立った主張にまで及んでいます。それも憲法第九条とか原発事故とかエコロジーといった、およそ通販とは無縁と思われるテーマです。このことについて、斎藤さんは、私の夢想する小売ジャーナリズムだとしてこう述べています。 「小売りは企業であり、企業の本質はお金儲けである。そのお金儲けがつくってしまう消費者と地球への迷惑をどこまで減らせるか、どうしたらお金儲けを消費者と地球に役立つものに転化できるか」 この異端の雄の跡を継ぐ通販業者が現れるのは難しそうです。 ところで、カタログ通販会社の多くは、メディア・ミックスという形で、複数のメディアの通販に参加してきました。しかし、カタログハウスの場合はメディアの使い方が異なります。テレビは積極的に活用しているのですが、そこで通販をやるわけではありません。『通販生活』を宣伝するためのCMスポットだけなのです。「良い物を紹介して、その情報を読んでもらう」という精神を貫いているからでしょうが、そこにはまたカタログ通販を本流とする確固たる信念が感じられます。 たしかにカタログという印刷媒体の特性は、一目瞭然の画像と、文字で得られる情報量の多さにあります。そして頁をめくれば、たちどころに別の情報が得られる。それになにより、印刷媒体は大昔から身近で慣れ親しんできたものです。たとえ川幅が狭まったり他のメディアヘの支流が増えたりしたとしても、通販の源流であるカタログ通販が、主流とはいえないまでも今後も通販の本流でありつづけるのは間違いありません。 現在『通販生活』は年8冊の発行で、毎号150万部を発行しています。そのうち20万部の書店売りの定価は180円。定期購読料は年間540円です。

黒船来航はつづく

前述のとおり、日本の近代通販の元祖は、外資系のり1ダーズ・ダイジェストでした。 その後も、アメリカやヨーロッパの通販会社が次々に進出してきて、日本のダイレクトメールやカタログ通販に少なからず影響を及ぼしました。 そうした外国の通販会社の主だったものについて、簡単に列記することにします。 まず、フランクリン・ミント社。同社は1964年に、アメリカのフィラデルフィアに設立されました。世界最大の民間造幣所で、各国の貨幣やメダルを鋳造・販売するほか、高級収集品や美術工芸品を聞発して、その販売を行ってきました。 日本では72年から、新聞・雑誌の広告やダイレクトメールで通販事業を展開しましたが、世界の紙幣コレクションをはじめ貴金属のメダルや美術品の復刻版など、生活用品とは違った趣味性の高い商品の通販広告は、通販業界では珍しく男性たちの好奇心をそそるものでした。 80年代から90年代の始めにかけてのスペシャル・カタログの流れに乗るように、アウトドア商品専門のL・L・ビーンや、大人の趣味に合わせた嗜好品や雑貨を扱うシャーパーイメージがやってきました。しかし、顧客の層が限られていたことと、珍しさが長続きしなかったせいか、事業は定着しませんでした。 カジュアル・ウェアで知られるランズエンドは、アメリカの衣料通販市場でトップに位置しています。93年、アメリカ本社の全額出資で、日本ランズエンドを設立。翌年にはカタログ第1号が発刊されました。その経営方針は、日本人の好みや体形に合った商品作りを目指し、アメリカで制作するカタログの写真も日本向けに別に用意するという徹底ぶりです。 ランズエンドの主な訴求対象は、「ヤング・アット・ハート」。気の若い40代の男女で、男性のほうが六分四分で多いのがカタログ通販の世界では珍しい特徴です。が、それよりランズエンドを世に知らしめたのは、顧客対応の姿勢でしょう。 それを最もよく表しているのが、「ギャランティ・ピリオド」というサービス。「購入した商品は、永久に返品・交換ができる」というもので、たとえ着古された商品であっても返品に応じるのです。最初それを伝え聞いた日本の通販業者は「そんな保証をしたら、大量の返品交換がくる」と首をかしげました。しかし蓋をあけてみれば、返品率は驚くほど少なかったのです。顧客にとっても不安要素の多い通販だけに、この方針で得たランズエンドの信頼は計り知れません。また注文次第で翌日に配送されるサービスなどの付加価値づくりには、日本の通販会社も学ぶべきものがあります。 以上はアメリカの通販会社ですが、ヨーロッパ勢も積極的に参入しました。 衣料通販のダマールが日本に上陸したのは、80年。もしかするとフランス産と知らなかった人もいるのではないでしょうか。しかし本国では、衣料の総合通販会社として100%近い知名度があります。 もともとの出発点が下着の製造工場だけあって、独自に開発した繊維「サーモラクティル」は保湿性と通気性に優れ、カシミヤ以上と評価されてきました。なぜこんな繊維が開発されたのかというと、その動機がいかにもフランス的で、年代ものの建物が多いのでエアコン設備が行きわたっていないことと、お洒落なお国柄だけに「伊達の薄着」が多いからだそうです。余談ですが、あのダイアナ妃が来日された折にもご着用遊ばされていたという言い伝えもありますが、真偽のほどはわかりません。 基幹カタログは年間400万部に達していましたが、安価な新素材のあおりを受け、先般日本市場から撤退しました。 ドイツのオットー・グループは19カ国に進出し、カタログ通販では世界第1位、ネット通販では第2位という実績を誇っています。日本に登場したのは86年のことで、住友商事との合弁会社である住商オットーとしてでした。日本の大商社が直接に通販カタログに参画するのは初めてのことで注目を集めましたが、07年には提携を解消してオットー本社の100%子会社として再出発しました。 大抵の通販カタログは季刊ですが、同社の基幹カタログ『オットーウィメン』は月刊です。これは流行のスピードに比例して商品もカタログも短命化するのに合わせて、「ウェア・ナウ、パイ・ナウ」 (着るのは今、買うのも今)という戦略をたてているからで、発行部数は年間660万部です。

食品通販の元祖、ふくや

ここからは、カタログ通販の枠をはずれます。 総合通販から専門通販へ。この流れのなかで浮上したのが食品です。美味しいモノヘのこだわりは、地方の特産品を中心にして、「単品通販」という言葉も生みました。 日本通信販売協会の「企業実態調査」をみても、通販のなかで食品の占める割合がいかに高いかが分かります。 2000年度には同協会会員社の食品分野の売上は2213億円で、全体の売上高の1割強でした。それが08年度になると、約4000億円と2倍近くになりました。その内訳は、健康食品が48・3%、食料品が41・0%、地方特産品が10・7%になっています。 食品関連の商品はおおむね単品通販です。それだけに同業他社との競争に埋もれてしまわぬよう、常に新しい商品を生み出して独自性を維持していかねばなりません。例えばローヤルゼリーの山田養蜂場は、日本で初めてチューブ詰めのハチミツを製造したり、ハチミツ梅漬けという新製品を生み出しています。 この食料品の通販事業に先鞭をつけたのは、「ふくや」です。博多の辛子明太子の老舗ですが意外にその歴史は浅く、創業者の川原俊夫さんが助惣鱈(すけそうだら)の子を使って明太子の製造・販売を開始したのは戦後の49(昭和24)年です。 そのあと川原さんは地元への恩返しということで、すべてのノウハウを公開しました。ただ味付けだけは、それぞれの店が個性を出すべきだとして明かしていません。そのお陰で、「博多といえば明太子」と、全国ブランドとして名を馳せるようになったのです。 「ふくや」は全国からの注文に応ずるために、85年から通販を開始しました。その足跡をみると、まさに単品通販の先駆者であることがよく分かります。 70年、航空便による全国配送開始。85年、受注センターを開設して通販へ本格参入。97年、フリーダイヤル導入、ホームページでのネット通販開始。01年、送料無料サービスの開始。05年、ネット通販自動受注システムの導入。こうして「ふくや」の通販は08年度には辛子明太子1つで、65億円の年商をあげるまでになったのです。

中身本位の化粧品、ファンケル

単品商品といえば、通販の主力商品である化粧品と健康食品を抜きには語れません。この両者に共通しているのは、商品の特性から通販との相性が格別にいいことです。 早い話、化粧品や健康食品は手近な店でいくらも売っています。でもパッケージに書いてある用法や店頭のPOP広告だけでは、その商品の使い方や効能はうまく伝わりません。それを通販にすると、カタログや新聞広告の説明文とかテレビの画像を通して、分かりやすく丁寧に説明することができます。むろん商品によってメディアを使い分けることが必要ですが、固有の価値や使い方を伝えるのに手間暇がかかる商品ほど、通販向きと言えるのです。 そこで、化粧品です。日本通信販売協会の利用実態調査をみると、09年に通販で化粧品(医薬品をふくむ)を購入した女性は通販利用者全体の48・O%。それほど化粧品は通販市場で重きをなしているのです。これは健康食品にも言えることですが、 「美しくありたい」「健康でいたい」という潜在的な欲求が強まっているからでしょう。スポーツクラブやビューティサロンに通う人が増えているのと同じ、時代の風潮ともいえます。 通販化粧品の首位にいるのは、DHCです。08年度には売上は700億円を超えており、通販全体でもH位に入ります。 DHCの元をただすといささか変わっていて、72年に現会長の吉田嘉明さんが創業したときは、翻訳業でした(DHCは「大学翻訳センター」の略)。80年に化粧品事業部を設立して今の土台を作り、95年には医薬食品事業部を設けて健康食品にも乗り出しました。 通販化粧品は単品通販だけに、独自のオリジナリティが求められます。DHCは、安心安全を第一のモットーに、肌に不必要な成分を極力排し、天然成分を主体にしたナチュラル処方で特色を打ち出しました。2010年時点での通販会員は780万人を数えますが、通販以外でもコンビニでの販売が好調で、若年層の女性の開拓に成功しています。 2位のファンケルは、化粧品と健康食品の両面で他に類をみない独白色を打ち出して急成長をみせ、09年度の年商は350億円に達しています。 創業者の池森賢二さんがファンケルを始めたのは、80年のこと。脱サラをしたあと、40歳を超えてからでした。創業のきっかけは夫人の肌に既成の化粧品が合わなくて苦労していたことで、それが無添加化粧品の開発につながったのだそうです。防腐剤や殺菌剤を一切使用していない化粧品の小瓶には、品質が変化をする前に使い切るように、すべて製造年月日を明記してあります。その瓶も実用本位に徹し、「容器の豪華さも化粧品のうち」という業界の常識を打ち破ったものでした。 しかしそんな商品も、最初からすんなり受け入れられたわけでは決してありません。だから創業当初は資金難つづき。池森さん自らチラシ配りを続けたそうで、家々のポストからポストヘと毎日毎日ただひたすら歩きつづけたと語られていたものです。 ファンケルが著しく成長したのは90年代の後半。それは「なんでも」の総合通販企業の売上の伸びが止まった時期にあたります。「これだけ」の単品通販が望まれる時代がきたのです。同時に消費者の目線が、「物」から「健康」や「美」へと移りつつありました。まさに時代を先取りした創業だったのです。 ファンケルの経営理念は、不安、不満、不便といった「不」の解消と、「一つの事業は永久に成長しない」ということにあります。 そこで、94年には第二の事業として、青汁をはじめ、ブームの先鞭をつけた発芽玄米といった健康食品に参入。この分野でもファンケルは、思いきった価格破壊の戦略をたてて見事成功に導きました。が、池森さんが健康食品業界に残した功績は別にあります。まだいささかうさんくさく見られがちだった健康食品を「サプリメント」と命名して、イメージの刷新を図ったことです。時を同じくして、あらゆる企業が健康食品分野にも進出しましたが、ファンケルの業績は目覚ましく、01年には早くも売上の首位に立ちました。 一つの事業に留まらないファンケルは多角的な経営に乗り出していますが、その売上比率は、通販6割、全国で190店舗をもつファンケルハウス・ファンケルショップが2割、コンビニなどへの注文生産の卸が2割となっています。

我が道を往くライトアップ・ショッピングクラブ

ライトアップ・ショッピングクラブ(以下ライトアップ)は、商品も顧客もちょっと高めに絞った独特の地歩を固めています。この会社の前身であるソニーファミリークラブは、71年にcBs・ソニーレコードの100%出資によって設立されました。 発足時に、親会社の豊富な音源を活用した目本初のマルチ・レーベルのレコード全集を企画して、それを通販と訪問販売の2本立てで販売すると、これが人当たり。クラシックの全集を購入する顧客層は物心ともに生活にゆとりのある人たちだったから、極めて質の高い顧客リストも揃いました。そのリストをもとに、海外の高額商品のカタログを送ったところ、これまた予想以上の手ごたえを得たのでした。ソニーというブランドが提供する海外のブランド商品が、それまで通販に関心を寄せなかった顧客層を開拓したのです。その意味では、日本の通販のイメージアップに少なからず貢献したといえるでしょう。 83年に創刊した基幹カタログ『ライトアップ』は、文化と芸術と匠を売るというコンセプトを掲げて、通販史に残るヒット商品を輩出しています。76年の輸入料理器具、圧力鍋、オーナー・ロッジテント、79年のレコード全集、83年のヘンケルの包丁、84年の作務衣(さむえ)、91年のCDクラブ、93年の飲茶(やむちゃ)倶楽部……ざっと並べてみただけで、多彩な商品の成功ぶりがうかがえます。 そのライトアップ・ファミリークラブが、08年7月にTBSの資本傘下にはいりました。買収したTBSとしては、多角経営化の一環なのでしょう。繰り返しになりますが、昨今の放送業界はテレビ離れと不況が重なって一気に経営が苦しくなり、放送外収入の道を模索せざるを得なくなっています。むろん、通販もその重要な手段です。 それにしても、カタログ通販の歴史に赫々たる足跡を残したライトアップ・ショッピングクラブが、グランマルシエという傘下の通販会社を抱えているTBSの下でどのような展開をみせるのか。企業風土や社員の待遇が全く異なる両社が一体化できるのか、それとも二本立てで運営するのか、フジテレビ系列のディノスとセシールの合併同様、成行きが注目されます。

テレビ通販の威力

実績より目立つテレビ通販 ひと言でいうと、テレビ通販はここまで極めて順調に成長してきたと言えます。 毎年売り上げ増をつづけていて、例えば07年度は、前年比5・6%の伸びで、3874億円。08年度には4000億円の大台に達しています。通販全体の伸び率は6・7%ですから、際立った成長といえます。 それでも通販全体のなかでテレビ通販が占める割合は、まだまだ低い。同年度の通販の市場規模は4兆1400億円ですが、テレビ通販のシェアがわずか約10%……というと、恐らく「たったそれだけか」と驚かれるでしょう。テレビ通販の印象が強いからです。 最近ではモノマネまでされている社長の商品説明で、知らない人はいないあのジャパネットたかたを見ても、そのことが如実に現われています。ジャパネットたかたは、今やテレビ通販の代表的な企業であり、売上も群を抜いて1300億円を優に越えている。というと、即テレビ通販の売上と思いがちですが、実はテレビ通販の売上はそのうちの3割でしかありません。残りの売上は、新聞の折込み広告やカタログやインターネットを使ったものなのです。テレビ通販の申し子みたいな企業なのに、です。が、もしテレビ通販がなかったら3割の売上減ですむかというと、そうはいかない。あくまでテレビ通販あればこその折込み広告であり、カタログであり、インターネット通販だからです。ここに、テレビ通販ならではの力学が働いています。そしてそれは、メディアとしてのテレビの特性そのものでもあります。 ところでテレビ通販を見ていて気付かれていると思いますが、テレビ通販には4つの形式があります。 第一は、午前や夕方のワイドショーのなかのコーナー企画として登場するもの。大抵はスタジオから生放送のことが多い。 第二は、スポットCM形式で、30秒から1分の短いものです。この場合はゴールデンアワーを含めて、どの時間にも放送できる利点がありますが、その反面本数を多くしないと効果がでません。 第三は、インフォマーシャルと呼ばれるものです。インフォメーションとコマーシャルを合わせた言葉で、アメリカのテレビ通販が生み出した形式です。商品を紹介する番組を作り、それを何度も繰り返して放送するのですが、スポット形式と違うのは時間です。短いものでも5、6分、長いものでは一商品に30分もかけるものも少なくありません。 これらの形式はどれも通販会社が局から放送枠を買って放送しますが、なかには局自身の事業として行っている場合もあります。 第四は、形式というより事業体そのものが通販局である場合。CSテレビやCATVで放送している24時間の通販専門局です。 この4つのテレビ通販の形式を活かした代表的な企業を、おおよその時系列に従ってとりあげてみます。 いやその前に、通販会社の二つのタイプについて述べておきましょう。それは自前派と出前派です。言いかえると、事業に関連する仕事をできるだけ自社のなかで処理する会社と、なるべく外部の手を借りて済ます会社です。 通販にとって必要不可欠な商品の受注、配送、代金回収や、業務全体にかかわるコンピュータ・システムを通販業界ではフルフィルメントと呼びますが、こうしたものも自前派と出前派に分かれます。 例えば受注です。葉書、FAX、電話、インターネット、ケータイといろいろありますが、まだ今のところ主流は電話です。その電話を受けるコールセンターには、通販会社が自ら運営する自前派と、外部委託の出前派があります。自前派は設備費や人件費が必要ですが、受注の際に行き届いた応対ができるし、追加注文(アップセル)に導いたりする営業行為も期待できます。一方出前派は、社業の伸縮に応じて柔軟に受注体制を変えられる良さはあっても、自前派ほどの応対は望めません。電話以外のフルフィルメントでも、自前出前の一長一短があるのはどれも一緒です。代金回収は、大正時代には現金先払いをいいこヽとに雲隠れする業者が続出して通販の信用を失墜させたり、またその逆の食い逃げもあったりと、悩みの種でした。今は郵便為替、代金引き換え、コンビニでの支払い、カード決済と、信頼に足るシステムが確立していますが、当然ながら全部出前です。 ことにテレビ通販の場合は通販番組を制作しなければならないので、スタジオや制作スタッフを抱える自前派と、企画まで自社で決めて後は外注にする出前派とでは、会社の規模に大きな差がでます。これから代表的なテレビ通販会社をとりあげますが、そんな自前出前の別も探ってみようと思っています。

初のテレビ通販から育ったディノス

テレビ通販が初めて登場したのは、70年。テレビ放送開始から17年経ってからのことです。 放送した局はフジテレビで、夕方の4時台に放送していた生のベルト番組「東京ホームジョッキー」のなかでした。それも前もって企画が練られたわけではなく、むしろ偶発的な産物だったのです。 当時この時間帯はドラマや外国映画の再放送でお茶を濁していたのですが、もっと活用できないかというわけで、主婦向けの生活情報番組を編成することにしたのです。レギュラー司会者には、同じ系列のニッポン放送が深夜に放送していた「オールナイトニッポン」で、人気抜群の高崎一郎さんが起用されました。 まだワイドショー形式の生番組が少なかった頃で、それだけにかえっていろいろと新しい試みに挑戦することができたようです。そんな一つに「産地直送バーゲン」という企画がありました。各地に出現し始めた団地の広場で、産地直送の魚や野菜を販売し、その様子を生中継しようというのです。深谷のネギとか陸前高田のサンマといった名産品が売りに出されて、大評判を呼びました。「夕食届けます」という企画もありました。有名店の調理人がスタジオで料理を作ってから、電話で希望者を募り、選ばれた10軒にその料理を届けるというものでした。当然ながら毎回応募者が殺到しましたが、この2つの企画は、テレビ局と視聴者を「物」の受け渡しを通じて直接に結びつけたという意味で、画期的な試みでした。 この延長線上に、テレビ通販が出現したのです。 「なら番組のなかで売ってみるか」というわけで、試しにマジョリカ焼きの陶器をとりあげてみたところ、これがびっくりするほどの売れ行きになりました。それから商品の間口を広げて行ったのですが、珍しかったせいもあるのでしょう、どれもが大成功。かくてテレビ通販の原型が形作られたのです。 フジテレビの通販番組で商品リポーターをつとめていた境政郎さん(のちに同社常務)は、その著書 『テレビショッピング事始め』 (扶桑社)のなかでこう述べています。 「テレビショッピングについては第一回は渋谷の西武デパート内にあったキュリオという店のマジョリカ焼。これはメチャクチャに売れた。その後ダイヤモンドやかつら、家具などをとりあげた。『冠水した』というふれこみでカーペットを安く売ったこともあった。もちろん本当に冠水したわけではないのだが……」 商品を「キズもの」とか「わけあり」として安く売ることは、今でもよく見受けられます。ことに昨今の不況下にあっては、「わけあり」と呼ばれる格安商品が人気を博しているのはご承知の通り。企国外とか、見かけが悪いとか、消費期限が迫っているとか、いろんな説明がついていますが要は「売らんかな」の理屈づけで、なかにはあえて「わけあり」にしてしまう場合もあるようです。でもそんなことまで、テレビ通販を始めたばかりのディノスが先駆けていたのには驚きました。

メディア・ミックスを編み出した鹿内議長

メディア・ミックスという点でもフジテレビは元祖です。 フジテレビと同系列のサンケイ新聞(現産経新聞)は、他の大新聞と比べて東京地区での歴史が浅く、発行部数も劣勢でした。そのため売上の一部となる折込みチラシの申し込みがほとんどない。その対策として、『フジサンケイリビングニュース』という地域的なフリーペーパーを発刊し、その広告のなかにチラシの要素を取り込むことにしたのです。今でこそフリーペーパーは一般的ですが、その時分には誰も思いつかなかったことで、これまた先見の明と言えるでしょう。 それだけでは終わりません。その『フジサンケイリビングニュース』に、フジテレビの「東京ホームジョッキー」の成功を結びつけ、相乗効果を図ったのです。 前記の境さんの本の中に、こんな一節があります。 「この作戦には最初から計画図があったわけではない。番組放送した企画が偶然ヒットし、それをべ1スに新たな企画が生まれ、ついには経営者の事業欲を剌激し、活字と電波の機能を駆使した一大事業へと発展したのである。新規事業の多くは思いを一つにした上下の交流、異業種の共振がなければ成功に至らない。予定調和的に成功することなどきわめて稀である」 ここで境さんが書いている作戦が生まれたきっかけは、こういうことだったようです。「東京ホームジョッキー」の1周年を記念して、日本武道館で大バーゲンが催された時のこと。視察に訪れたフジサンケイグループの鹿内借隆議長がその大繁盛ぶりをみて、「このエネルギーはメディアを広げればもっと大きくなるし、それをメディア全体で活かすべきだ」と思いついた。そして鶴の一声で、同じ系列のニッポン放送、フジテレビ、サンケイ新聞を連動させた「リビング路線」が誕生することになったのです。 71年10月、「東京ホームジョッキー」を改題して、テレビとフリーペーパーの双方が「リビング4」という同じタイトルで再出発。その事業の本体として株式会社フジサンケイリビングサービス(後のディノス)が設立されました。続いて翌年には、午前帯に「リビング11」を編成して、ここに本邦初の本格的なテレビ通販の体制が確立したのです。

「テレビ局が物を売るなどもってのほか」

ディノスは先駆者として、もう一つ大きな役割を果たしました。それはテレビ通販をめぐる法規的な問題の解決です。 テレビ通販は開始早々から、局内外の厳しい逆風にさらされました。 局内はというと、テレビ局の本分は報道機関であり、テレビ局自体が放送で物を売ることなど論外というジャーナリズム至上主義の声が中心でした。

外部からも番組向上委員会などもふくめて、「テレビ通販オールCM論」や「電波の私物化論」が澎湃(ほうはい)として湧き上がりました。ことに民放テレビの収入源である広告業界からの指摘には厳しいものがありました。「広告主は商品の販売を目的として、テレビ局に広告費を支払っている。そのテレビ局が独自の方法で商品を売り出すのは広告主の販売戦略に影響が出るし、業界秩序を乱すものだ。媒体はあくまで広告媒体の分を守るべきだ」というものでした。 こうした抵抗に立ち向かえた背景として、境さんが自ら指摘しているように、フジテレビの社風が大きく左右したのは間違いないでしょう。「商業主義を厭わない」ことと「理論武装をして柔軟に対処する」ことです。この社風に守られて、理論的で且つ粘り強い主張をしつづけた結果、「東京ホームジョッキー」から数えて10年目の80年3月に、民間放送連盟はテレショップ番組を生活情報番組として認めたのでした。 そして放送基準のなかに、次のテレビショッピング等の項目が設けられることになります。 「テレビショッピング・ラジオショッピングは関係法令を順守するとともに、事実に基づく表示を平易かつ明瞭に行い、視聴者の利益を損なうものであってはならない」 同時に商品の選定、表示、契約、取引条件などの取扱いに関する留意事項も設けられました。 このように多くの矢面に立たされながらテレビ通販の最初の井戸を掘りつづけたのが、鹿内借隆さん率いるフジサンケイグループであったことは銘記されるべきでしょう。 それからのディノスがカタログ通販にも本格的に進出して、総合通販会社として業界を代表する実績をあげたことは、さきほど書いたとおりです。

電波店舗に進出した高島屋と三越

明治の草創期以来カタログ通販で存在感を示した高島屋と三越は、テレビ通販の世界にも早い段階から乗り出しました。 一流百貨店のブランドカと、そこで選ばれた商品、そして完成度の高い受発注のシステムが、テレビ通販の地位と信頼度に大きく寄与したのは言うまでもありません。同時に、とかく一発勝負になりがちなテレビ通販業界にあって、百貨店の長期的な経営戦略と高額な電波料や制作費を賄える安定した資金力は、テレビ通販の可能性を一段と広げました。ワイドショー型の通販番組を生み出し、それを息長く継続することができたのも、百貨店なればこそです。 口火を切ったのは高島屋でした。フジテレビが 「東京ホームジョッキー」で通販を始めたのと同じ71年に、東京12チャンネル(現テレビ東京)の午後2時台で、「今日は!奥さん2時です」という主婦向けの情報番組を提供しましたが、そのコーナー企画としてテレビ通販を試みたのです。百貨店としては前例がなかっただけにかなりの冒険でしたが、当時はテレビ通販自体が物珍しかったせいもあったのでしょう。お茶の問にじかに届けられる商品の直売情報は、生の映像の持つ迫力と高島屋のブランド力に支えられて予想を超える売上を記録したのです。ミシンや学習机や喪服といったものが、驚くほど売れました。 高島屋はその翌年には、NET(現テレビ朝日)系列で放送していた「奈良和モーニングショー」でも、テレビ通販枠を提供しました。これもまた大反響を呼び、ワイドショー型のテレビ通販を定着させる糸口になったのです。 一方、三越のテレビ通販は、当初はスポットCM型でした。かなり大量に放送したのですが、期待したほどの成果は得られませんでした。そこで83年、テレビ東京の夕方4時台に主婦向けの情報ワイド番組「レディス4」を提供、そのなかでテレビ通販を扱うことにしたのです。これまでのワイドショー型テレビ通販と違うところは、既存の番組のコーナー企画としてではなく、「まず三越の通販ありき」から番組全体が企画されたことでしょう。番組の狙いは通販だが、それが目立ちすぎないように主婦向けの情報でくるんだ……と言ったほうが近いかもしれません。逆な見方をすると、それだけ三越はテレビ通販の可能性を認識していたということでもあります。 この企画を局に提案したのは「東京ホームジョッキー」の司会者だった高崎一郎さんです。奇しくも 「東京ホームジョッキー」と同じ時間帯だったのですが、高崎さんはフジテレビでの経験を活かして、03年に引退するまで、20年の長きにわたって司会者兼通販プロデューサーとして番組に参画することになります。その意味で高崎さんは、ワイドショー型のテレビ通販の生みの親であり、育ての親と言えるでしょう。
「レディス4」のテレビ通販は、主婦を対象にした衣料品や宝飾品や食料品など、それも三越ならではの「ちょっと良いもの」を紹介してきました。売上は堅調で、四半世紀もつづく長寿番組として今なお放送を続け、三越の通販事業の柱になっています。

スポット型のテレビ通販
ワイドショー型のテレビ通販と時を同じくして、30秒から60秒のスポットCM型のテレビ通販も台頭してきました。まず76年に日本通信教育連盟(現ユーキャン)が母体である日本文化センターが、つづいて翌77年には総通が運営する日本直販が、生活用品を主体にしたスポットCM型のテレビ通販を始めています。 この形式は午前や午後の主婦向けの時間帯に固定されたワイドショー型や、夜中など放送枠がとりやすい時間帯に多いインフオマーシャルと違って、ゴールデンアワーをはじめ全時間帯に放送されます。だから世の男性たちには、こちらの印象のほうが強いはずです。

それと、1分足らずの問に視聴者の目をひきつけて実際の購買行動に走らせるには、よほど訴求力が強い商品であることと、単純明快な表現方法が欠かせません。どんな高い所にも届く枝切り鋏とか、布団圧縮袋といったアイデア商品を知っている人は多いはず。日常生活のなかで「こんなものがあったら便利だろうに」と潜在的に求めていたものが、テレビで実際の形になって現れたからです。 また青汁や黒酢などの健康食品や、ファンデーションとか育毛剤といった美容関連のものなども、日頃気になっている自身の健康や美容に結びつくので、思わず見人ってしまいます。最近、プロアクティブというニキビ取りのスポットCM型の通販が、六か月間返品に応じるという謳い文句も評判を呼び、驚異的に売上を伸ばしています。 アメリカの通販会社ガシー・レンカー・ジャパンの商品ですが、日本での年商は08年度には推計160億円に達し、テレビ通販全体のなかでも14位になっています。むしろ大人しい広告表現と商品の性格のせいか、深く静かに浸達していてあまり表だってはいませんが、スポットCM型のテレビ通販の大成功例です。本来、外国製の化粧品や美容薬品に対する日本の薬事法は厳しく、適合させるのが難しいだけに、その条件を満たした当事者の努力が偲ばれます。

深夜を開拓したテレビ東京ダイレクト

テレビ通販にはもう一つ、インフオマーシャルという形式があります。スポットCM型とは対照的に一つの商品紹介に5分から30分と、たっぷり時間をかけた通販番組を作り、それを何度も繰り返し放送するものです。 このインフオマーシャルが初めてテレビに登場したのは、94年の夏。テレビ東京の深夜の時間帯に放送された「テレコンワールド」という1時間の通販番組で、テレビ東京傘下の通販会社であるテレビ東京ダイレクト(旧名プロント)の企画制作によるものでした(この放送に至る経緯については、新潮新書の石光勝著『テレビ番外地』のなかで詳しく述べているので興味のある方はご参照ください)。 そんな時間帯に、そんな通販番組が成功するとは、当事者たちも予想していなかったようです。三井物産から「変わったアメリカの通販番組の企画があるからやってはどうか」と提案を受け、「絶対と言っていいくらい商売にはならないだろうが、実験としてならやる価値はある」と、駄目を承知で始めたのでした。 「商売にはならない」と判断した最大の理由は、時間帯とインフオマーシャルというテレビ通販番組の形式でした。 時間帯について言えば、なにせ実験だから番組のスタート時間が月曜から木曜までは午前二時。金曜に至ってはなんと朝四時。そんな時間にテレビ通販を見る者がいるわけはないし、いわんや、鉛筆片手に電話番号をメモして注文してくる者なんかまずいないだろう、と考えたのです。 また1商品に30分もかけて紹介するインフオマーシヤルは、日本人の性格から「くどすぎる」と反発されるに違いありません。それを2本積みにして1時間番組にするのだから、尚のこと。しかも、商品は日本の生活に合った7000円前後で、紹介する番組も面白くて分かりやすく、日本の基準にふれないもの……と、選んで行ったら、放送できるものはどんどん減って、2週目の半ばからは全部が全部リピート放送になってしまったのです。これでは視聴者に飽きられて、とても長続きは望めません。

社内の予測では、電話がかかるのは精々200件。そのうち20個も売れればいいかと考えていたのですが、これが大外れ。放送が始まると電話が鳴りっぱなしで、翌日の夕方まで続いたのです。大急ぎで電話の受注システムを増やし、商品の追加輸入をする。それでも初めのうちは、注文の商品を届けるまでに2か月もかかるはめになってしまいました。 更に、三井物産の努力で全国での放送が実現し、ピーク時の年商は、番組を始めるときに予想していた3000万円とは比較にならない100億円にもなったのです。 嬉しい誤算の理由は、次のようなことです。 当時、深夜のその時間帯は各局とも休止していて、砂嵐の時間。だからこそ実験もできたのですが、ほかに見るものがなく1人勝負だったのです。 そんな時間帯でも、24時間営業のコンビニを通じて深夜の買い物に馴染んでいた視聴者は、テレビ通販に対しても予期せぬ購買意欲と行動を起こしました。そして、これも想定外だったのですが、メイン・ターゲットとしていた若者だけではなく、「年寄りの二度寝」で夜中に眼を覚ました高齢者も、同じ行動パターンをとったのです。 また、「くどい」と思われそうなインフオマーシヤルも、すんなり受け入れられました。それも、何度見ても面白いという視聴者も結構いたのでした。 例えば、オーリーというカーワックスの番組。スタジオに自動車を持ち込んで実演します。ワックスをかけてから、ボンネットに油をかけ、火をつけて燃やす。スタジオの客が驚いたところで、火を消して布で拭う。するとボンネットはピカピカになり、客は大拍手、といった趣向なのですが、それだけでは終わらない。最初はフアミリーカー、お次は高級セダン、そして最後はロールスロイスと、三度同じことを繰り返す。そのナンセンスさが受けたのです。これなどはいまだにインフオマーシャルの教則本と言えそうです。 こうして「テレコンワールド」は、通販番組の深夜枠の開拓と、インフオマーシャルの認知という二つの役割を果たしたのですが、その余波もまた予想を超えるものでした。深夜の各局のテレビが通販番組花盛りになっただけでなく、この番組に触発された通販事業者も少なくなかったのです。『テレビではわからない ジャパネットたかたのすべて』 (モーターマガジン社)のなかで社長の高田明さんはこう言っています。 「60秒とか90秒の番組って、ものすごく高いスキルが要求されるんですよ。でも、それを一年続けたんですが、どうしてもうまくいきませんでした。ちょうどその頃、深夜番組でごアレコンワールド〃という、のちに一世を風扉した通販番組が始まりましてね……それで、わたしも30分番組を作りたくなったんですよ」 この時分から、民放各局の編戎衣にテレビ通販の番組が目につくようになります。視聴者の拒否反応が薄れつつあったのと、漸減するCM出稿量の穴埋めにという営業要請が重なったからです。通販会社から持ち込まれるものだけではなく、局自体も通販事業に乗り出しました。もっとも、その取り組み方はいろいろです。東京キー局の場合、テレビ東京ダイレクトと同じように、TBSはグランマルシエ、フジテレビはディノスと通販会社を作る局がある一方、日本テレビは局内の通販事業部が直接担当し、テレビ朝日は局の事業部と関連会社のテレビ朝日リビングの両面作戦で運営に当たっています。 ところでその年商ですが、どの局もこのところ急激な右肩上がりで、09年には100億円台に達するところもでています。が、裏を返せばそれだけCM枠に空きが出ているわけで、局としては嬉しい話ではないでしょう。

ラジオ通販の健闘

同じ放送メディアである、ラジオのことも取り上げておきましょう。ラジオ通販が始まったのは意外に早く、テレビ通販に遅れることわずか3年の73年。放送局は東京の文化放送でした。 ラジオに馴染みの薄い人は、ラジオで物が売れるのかと疑問を抱くかもしれません。ところが、これが立派に商売できるのです。見なくては分からないだろうという宝飾品にしても、実はラジオの目玉商品です。受像機ごとに映る色が微妙に違うテレビより、目頃聞き慣れている司会者や有名人の声と説明次第では、「あの人が薦めるのだから」とラジオの説得力が勝ることもあるのです。O・2カラットのダイヤのプチペンダントが7500個も売れたニッポン放送の例があるといいます。TBSの大沢悠里さんの「ゆうゆうワイド」でも、松居和代さんプロデュースの圧力釜を800個売ったことがありました。どちらも、形状や機能を目で確かめることなしに、です。ラジオ通販は返品率が低いのが特徴と言われているのも、根底に番組を通じて聴取者とレギュラー出演者との問で培われた人間的な信頼関係があるからでしょう。ラジオのアナウンサーをパーソナリティと呼ぶ局もありますが、まさに言いえて妙といったところです。 かなり前のことですが、同じ系列のラジオとテレビが同じ苗木を同時販売したら、ラジオ通販の方が多く売れたという話を耳にしたこともあります。これから育っていく苗木だけに、聞くだけのラジオのほうがよけい想像力をかき立てられたのかもしれません。 最近では、スポットCMの形式で商品名だけを紹介して、「詳しいことはホームページで」と、ネットやケータイのアドレスを告知するラジオ通販も増えているようです。これもお馴染みの出演者の場合が多いようですが、ラジオの限界と特性を勘案した手法です。 08年度のニッポン放送プロジェクトの売上は31億2900万円ですが、70値円から80値円だったテレビ局傘下の通販会社に比べれば、なかなかの健闘ぶりと言えます。

「ビリーブーム」のオークローンマーケティング
テレビ通販会社の経営を一目で言うと、電波料を払ってテレビ局の放送枠を確保し、そこで自社の通販番組を放送して、その売上から利益を得る、というものです。 そのテレビ通販会社のなかで進境著しいのが、オークローンマーケティング(以下、オークローン)です。この会社も全国のテレビ局から放送枠を買って、インフオマーシャルを放送しているのですが、08年度には月間の合計放送時間が3000時間に達しました。むろん日本最大の規模です。08年の売上も369億円、放送時間、売上ともに、ジャパネットたかたと並んでテレビ通販の双璧をなしています。 でもそんな説明よりも、軍隊式のエクササイズで世間の話題をさらった、あの「ビリーズブートキャンプ」のDVDを売った会社と言ったほうが分かりやすいでしょう。 オークローンは93年に、アメリカ人のロバート・W・ローチさんが名古屋で設立しました。南山大学に留学中に輸入事業を始めたのですが、その商品でテレビ通販することを思いつきます。その翌年には早くも、自らが実演販売したドイツ製の染み抜き剤 「ディディセブン」が大ヒットしたのです。今の社長のハリー・A・ヒルさんもアメリカ人で、格闘技を学ぶために来日していたところ、ローチさんに出会ってこの道に入ることになったのだそうです。 オークローンは、自前派を目指しています。社員数395人と、テレビ通販会社としては際立って多くなっているのもそのためです。ことにコールセン夕1には力をいれていて、受注の電話で追加注文をとる成功率は80%と、自前派の面目躍如といったところです。スタジオこそ持っていませんが、番組制作には極めて積極的で、商品によってアメリカで制作するものも多く、東京のスタジオを借りて生放送も実施しています。商品の機能や効能を、時にはどぎついくらい直截的に表現するものが多い通販番組のなかでは、オークローンの番組に共通している簡明な説明と抑えた色調へのこだわりには逆に目をひかれます。

テレビ通販の三大要素

ところでテレビ通販の三大要素は、「放送枠」と 「番組」と「商品」です。例えて言えば、漁場と技と餌といったところでしょうか。この三拍子がそろって初めて成功するのですが、とりわけ技である 「番組」が決め手になることが少なくありません。娯楽の王様であるテレビと、それを楽しむ視聴者の関係からしても、納得のいくところです。 その代表例が、前述のオーリーのインフオマーシャルであり、「ビリーズブートキャンプ」です。テレビ映画「ER」にも出演していた俳優ビリー・ブランクスさんが、陸軍の教官時代の経験を活かして創ったエクササイズの映像は、DVDを買う買わないは別にしても、それ自体が躍動感あふれた楽しい番組でした。逆に言うと、商品であるDVDそのものが優れたエンタテインメント作品だったのです。これほど見事に商品と番組が一体化するのは稀有のことです。 07年の春先から販売されたDVDは1万4700円。それが夏までの半年間で、20万セットも売れたのです。おそらく通販史上の記録でしょう。それに加えて発売時のキャンペーンの巧みさも記憶に残るところです。まずテレビのバラエティ番組で有名人が推薦、話題になり始めるのを見計らったかのように、ビリーさんが来日したのです。空港には熱狂的なファンが出迎え、その光景がテレビで報道されたり、ご本人たちがテレビに生出演して踊りまくったりして、一大ブームを巻き起こしました。テレビ通販のキャンペーンで、これほどテレビ局が踊らされたのは初めて。見事な仕掛けでした。 ただし、ご記億の方はあまりいないでしょうが、実は「ビリーズブートキャンプ」が目本のテレビに登場したのは、オークローンの番組が初めてではなかったのです。かなり以前、2つの通販会社が扱ったのですが、どちらも成功せずに終わっていたのでした。 それなのになぜオークローンだけが成功したのか。この質問に社長のヒルさんは、極めて冷静にこう分析しています。 「うちが放送を始めたとき、世の中が健康美容ブームに走っていました。しかし『発掘!あるある大事典』という番組が納豆で痩せられるという捏造問題を起こして、世間の関心が目から摂る健康食品よりもエクササイズのほうに傾きかけた。たまたまその時期に重なったからだと、私はみています」 成功にはなべて幸運がつきものですが、その最たるものがタイミング。一歩遅れても、一歩早くても駄目なのです。でもそれ以上に、巧みなキャンペーンの効果が人きかったのではないでしょうか。 DVDという極めてテレビ的な商品だったこともありますが、テレビ通販に欠くことのできないエンタテイメント性を十二分に発揮した事業展開には、学ぶべき点が多々あります。そしてこのDVDの売上は、最終的には150万セットを記録したのです。 ところで、このオークローンが、09年の春、NTTドコモの傘下に入りました。 今やケータイ市場は、1億件を超えて飽和状態になっています。そこで収益を増やす一つの手段として、テレビ通販の決済をケータイでできるようにする、というのがNTTドコモの目論見とも言われました。オークローンからすると、NTTドコモの知名度と信頼度で顧客数を高める狙いがあるのでしょう。その評価はともかく、異業種、それも大手企業が通販事業に関心をよせ始めたことを象徴する事例ではあります。

この話のついでに、商社の動向にも触れておきましょう。商社は商売柄、早くからテレビ通販事業に着目して、商品開発や番組企画に乗り出していました。が、それ以上に積極的なのは資本参加です。ざっと挙げても、三井物産が通販専門局のQVCとTBSの通販会社グランマルシエとBS12トウエルビに、住友商事が通販専門局のジュピター・ショップチャンネルに、三菱商事がデジタルダイレクトに……と、それぞれ大株主として名を連ねています。 こうしたテレビ通販に対する同業異業を問わぬ資本参加や事業参入の動きは、ここまでも折に触れてとりあげてきましたが、改めてその活発さに瞠目するとともに、今後のテレビ通販にどのような影響を及ぼすのか、大いに関心を呼ぶところです。

ジャパネットたかたはなぜ成功したか

テレビ通販というとすぐに思い起こすのは、ジャパネットたかたの社長、高田明さんのあの独特な声の商品説明ではないでしょうか。 ジャパネットたかたは長崎県の佐世保市に本社を構えています。そこには2つのスタジオと中継車をはじめ、コールセンターや物流センター、受注センターがあり、完璧な自前派の体裁を整えています。 そのスタジオからは光ケーブルで、全国へ番組を送ることができます。だからジャパネットたかたの通販番組は、通販会社が制作する番組には珍しく生放送が中心になっているのです。生の映像は迫力もさることながら、リアルな時間感覚を与えることで視聴者の参加意識を高めるので、直接的な販売効果をもたらします。 もうひとつ、ジャパネットたかたの通販番組で見落とせないのは、ブランド戦略を全うしていること まず、ソニーやパナソニックなどの電化製品を中心にした商品です。つまり一流メーカーのブランドを前面に押し立てています。それまで日本のテレビ通販は、通販会社が独自に開発したノンブランドの商品を扱うことが多かった。ジャパネットたかたはそのやり方を一変して、電器量販店のテレビ通販化ともいえる商法を実現したのです。言い換えると、商品のナショナル・ブランドで自社のブランドを創ったともいえます。 次は、高田さん自身を結果的にブランド化してしまったことです。 著者が通販の歴史について多くを学んだ『「通販」だけがなぜ伸びる』 (光文社新書)のなかで著者の鈴木隆祐さんは、高田さんをケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースに近い存在だとして、「高田は売り手の見えないのが当然の通販に見事な『顔』を持たせた。こうした高田のトライアルの中に通販の真髄がこもっているといえよう」と書いています。 現に、同じ商品でも高田さんが商品説明をした場合には、各段の売り上げを示すと言われています。社長の高田さんがジャパネットたかたのブランドそのものであるとしたら、高田さん自身について知る必要がありそうです。 高田さんは48年に長崎県の平戸市に生まれました。大学卒業後は機械会社に就職、そこで1年余りドイツに派遣されています。3年間のサラリーマン生活ののち、父が経営する「カメラのたかた」に移ったのですが、86年には独立して「株式会社たかた」を佐世保に設立しました。ここではソニーの特約店としてビデオカメラも扱っており、それが今の仕事に結びついているのです。 そしていよいよ90年、長崎放送でラジオ通販を始めました。この時も自ら出演していたのだそうです。むろん生放送で、後に通販としては初のラジオの全国ネットも行っています。94年にはこのラジオ通販をテレビ化するわけですが、テレビの深夜の30分枠で、商品はソニーのハンディカムでした。そこで初めて「ジャパネット」というブランド名を世に出したのです。最初の案は全国を網羅する意味で 「ジャパンネット」だったのですが、言いやすいように「ジャパネット」になったとか。 それからの社業の発展ぶりはご覧のとおり。今や全国200局以上のテレビとラジオ局で通販番組を放送し、年商375億円(TVのみ)とオークローンとともにテレビ通販会社の最上位に並び立っているのです。ただし、この章の冒頭で述べたとおりテレビ通販の売上は3割にすぎないので、折込みやネットの通販を含めた総売上は、1370億円にのぼります。

独演スタイルの秘密

ジャパネットたかたが掲げる戦略は、自前主義とクロスメディアと金利手数料負担です。 自前主義については先に述べた設備関係のほかに、人材登用もあります。高田さんと一緒にテレビに出演している人たちは、全員が一般の社員です。制作技術のスタッフも、プロを社員にしたのではなく、一般社員がプロになったのです。 ジャパネットたかたの自前主義の総本山は、高田さんの出身地で創業の地でもある長崎県佐世保市にあります。すべての番組はそのスタジオで作られて中継されるのですが、ここまで完全に自前派に徹しているテレビ通販会社はほかにはありません。というより、したくてもできないと言ったほうが正確でしょう。 スタジオが完成したのは01年。東京や福岡で収録していた時分は、高田さんもタレントと共演していたのですが、長崎までタレントを呼ぶのは時間的に難しい。そこで、あの独演スタイルが誕生したのだそうです。それにしても、立て板に水のあの「しゃべり」はどれほど準備しているのかというと、スタジオに入ってからメーカーやスタッフの説明をきいて、その場でコメントを考えるのがほとんどだといいます。それだけ集中力と熱意がこめられているということでしょう。『テレビではわからない ジャパネットたかたのすべて』のなかで、高田さんはこう言っています。 「宣伝するということは、ただ単に情報を発信するだけではないんです。発した言葉がちゃんとお客様の心に響けば、お客様の行動が変わる。我々は商売しているわけですが、我々の熱意がちゃんと伝わったときにお客様は買われる。これが伝えることの真髄だとわたしは考えています」 二番目の戦略、クロスメディアにも見るべきものがあります。 テレビの放送時間内に紹介できる商品数は極めて限られます。そこで、ジャパネットたかたは新聞の折込み広告に力をいれる一方、95年には会員向けのカタログ誌も発刊しました。が、それらを活かしきるクロスメディアの手法が、高田流というか、いかにも独創的なのです。テレビのCMスポットで、高田さんが「明日の全国紙の折込み広告をご覧ください」と予告しているのを覚えている人は多いでしょふノ。あれはテレビを使って新聞とは比較にならない大衆に向け、テレビでは望めない数の商品を載せた新聞の折込みを宣伝しているのです。言いかえると、広告のための広告をするという逆転の発想でもあります。むろんそれが実効をあげるにはテレビCM、チラシともども大量の投下が必要で、それが可能な経営規模があって初めてできることです。 三つ目の戦略、金利手数料の全額負担も画期的でした。なんといってもテレビやパソコンなど高額商品が多いだけに、買う方としては分割が望ましい。でも売る方からすると、利息の扱い方次第で経営が左右される。その利息をタダにしたのだから、買う方からすれば魅力ですが、売る方からしたら実に思いきった決断でした。 その他にも、事実上の値下げである古い商品の買い取りとか、オマケとも言える商品のつけ足しといった販売戦術や、徹底したアフターケアなど、ジャパネットたかたのチャレンジ精神には見るべきものが少なくありません。

24時開通販局の登場

日本の代表的な通販専門局は二社あります。ジュピター・ショップチャンネル(以下、ショップチャンネル)とQVCですが、まずお断りしておきたいのは、この両社だけで目本のテレビ通販の総売上の50%を占めていることです。 ところでアメリカでは、HSN(ホーム・ショッピング・ネットワーク)とQVCが、二人テレビ通販局です。HSNはラジオ通販からスタートしたテレビ通販の先駆者で、日本のショップチャンネルと連携しています。ライバルのQVCもHSNに触発されて誕生し、日本では01年に三井物産との合弁でQVCジャパンをスタートさせました。ちなみにQVCという社名は、通販の三大要素Quality (品質)、value(値段)、Conven・lence(便利)の頭文字からとったものです。が、ここでは日本での草分けであるショップチャンネルを取り上げて、テレビ通販局の成り立ちを探ることにします。 ショップチャンネルは96年に設立されました。資本金は住友商事が70%、HSNが30%を保有しています。 通販専門局の最大の特徴は、24時間完全生放送です。ショップチャンネルでそれが実現したのは、04年に新スタジオが完成してからでした。 その後の事業展開はまさに猛進という表現がぴったりで、スカイパーフェクTVのCS放送やCATVを通しての視聴世帯数は07年末で2212万件、売上も1023億円と1000他の大台を突破し、テレビ通販業界のトップに立っています。 あるセミナーで、社長の篠原淳史さんが自社の成長要因についてこう分析していました。 第一は、差別化を意識し、エンタテインメント性に力点を置いた商品と番組。 第二は、CS放送と、300局に及ぶCATVによって完成した最大の配信規模。 第三は、商品では企画、調達、保管。番組では企画、制作、放送。営業では、受注、顧客対応、配送管理をすべて自社で行うシステム。 これは即ち、先に述べたテレビ通販の三大要素である商品と番組と放送枠を、一貫した自前主義で完成しているということでもあります。

ゴールデンアワーは真夜中のO時
更にショップチャンネルを特微づけている経営戦略は、核になる顧客層を30〜40代の女性と明確に絞っていることです。だから昼の時間帯は主婦、夜の時間帯は主婦とOLがお得意様になります。ことに深夜O時からの1時間枠に放送している「トップ・スター・ヴァリュー」という目玉の番組は、1回で1億円の売上をあげることも珍しくありません。テレビ東京ダイレクトの項でも述べたとおり、この時間帯がテレビ通販のゴールデンアワーになっているのです。 商品は1週間あたり700点。その内訳はアバレルやファッション系が7割で、食品や雑貨や家電などが3割となっています。また価格は3千円から50万円までと、かなりの幅があります。その商品を選ぶ40人のバイヤーが常に心しているのが、サプライズ(期待以上の喜び)、ユニーク(他にない、オンリーワン)、ヴァリュー(お得な、価値のある)の3点とか。ユニークに留まらないサプライズという観点は勉強になります。 ところでショップチャンネルの販売方法は、HSNに倣った同時進行型です。 通常1時間ごとに区切られていますが、その間ずっと放送画面の片隅に受注数がリアルタイムで表示されます。つまり顧客でもある視聴者は、その商品が今の今どのくらい売れていて、残りがどれくらいあるかが分かる仕組みになっているのです。商品に食指を仲ばしかけている視聴者としては、買い逃しを避けたい気持ちになるし、「ソールドアウト」と完売の表示が出れば、買った人は満足感を味わうことができる。これぞ臨場感あふれる、生のテレビ通販の醍醐味といえます。 時にはコールセンターと連動して、電話をかけてきた顧客とスタジオの番組進行役とが話し合う場面も設けられますが、これもアメリカ式の一つです。 こうして年商1000億円の大台に乗ったショップチャンネルですが、今後の課題がないわけではありません。ハードの配信とソフトの番組のどちらも完成度が高いだけに、これまでのように順調な進捗をつづけるのは大変だからです。事実、07年度は2・6%増、08年度は4・O%増と、売上の前年比は停滞気味です。QVCも状況は変わりません。 CS放送の通販専門局である両社は、CATVを通して視聴される場合が多く、現にショップチャンネルの場合も300局以上のCATV局と契約しています。だから今後の業績も、CATVの普及度に左右されてしまいます。そのCATVは、総務省の調査によると09年3月時点の加入世帯数は3130万世帯と、総世帯の半分以上に達しています。ここまでくると、増加率が鈍るのも避けられません。それに加えて、放送が完全デジタル化するH年には、BSの新局が誕生して多チャンネル化か進むので、CATV各局との新しい取り組み方の問題も出てきそうです。番組を通じてなのか、それとも資本参加の形をとるかはともかく、新しい出目としてBS局や地上局との提携もありうる話でしょう。 番組面では、購買者でもある視聴者との結びつきを強めるために、エンタテインメントの要素を積極的に取り入れています。いい例が、08年に5回放送された「日本を見つけよう」という6時間番組。日頃つながりのあるCATV局と共同で開発する地域密着型の通販番組ですが、同時に新規の顧客の導入と新商品の開拓と社名の浸透と、一挙四得を狙う心強い企画です。こうした切り口を変えた試みが、将来にむけてより大切になってくるでしょう。

本家アメリカの通販専門局

ここで息抜きというか、通販専門局にまつわる余談をひとつ。 アメリカのQVCとHSNには何度か訪れました。 QVCはニュージャージー、HSNはフロリダ。どちらも辺鄙というほうが近い郊外にありますが、それはジャパネットたかた同様、完全な自前主義だからです。ことにフロリダにあるHSNの場合、退職者の多い土地柄だけに、コールセンターの要員に事欠かないという利点もあるらしい。なんといっても社会経験に富んだ年配者は、応対が優れています。 その折に印象に残った光景をご紹介すると、まずはQVCの極度に合理化された制作現場。スタジオを見下ろす調整室でディレクターと技術要員が生番組を進行させていくのは日本も同じですが、その人数が極端に少ない。よく見ると電子ピアノみたいな調整卓に座った若い女性の技術者が両手両足を駆使して、リモート・コントロールされたカメラや照明から音声まで操作している。一人で八面六臂の大活躍で、ドラムやシンバルと格闘しているドラマーを連想したものです。スタジオのセットにも感心しました。居間とかキッチンとか、テレビ通販の番組でおなじみのセットなのですが、これが歌舞伎の回り舞台さながら、ぐるっと回って観客ならぬ設定されたカメラの前に現れる仕組みなのです。これだとカメラも照明も一組ですむし、番組の進行中に裏で次の準備もできるというわけです。 アメリカのテレビ通販の目玉商品の一つは宝飾品です。高価な宝石や貴金属だから、当然ながらその保安が重要です。それも外部からだけでなく、内部にも心を配らなければならない。そこで従業員が宝飾晶を扱う部屋に出入りすると、戸口の保安要員の前で、自然と体重計に乗るように足元が設計されているのです。部屋に入る時と出る時の体重を1人1人チェックするわけですが、小さなダイヤの有無が果たして体重計で分かるのか。むしろ心理的な効果を狙っているのではないかと思ったものですが、あれは今も続いているのでしょうか。

サントリーの健康食品
今後のテレビ通販の見通しとしては、メーカーの直接販売が勢いを増してきそうです。 好例は、このところ目だった通販戦略を打ち出しているサントリーの関連会社、サントリー・ウエルネスの健康食品です。「トリスを飲んでハワイヘ行こう」という名キヤツチフレーズのもとで青春時代を送った年齢の者は、サントリーといえば即洋酒を思い出します。しかし、現在のサントリーの売上をみると、酒類の占める割合は5割を切っているのです。清涼飲料や医薬品や健康食品が伸びたからですが、これも創業時の赤玉ポートワイン以来一貫してつづけているバイオテクノロジーの研究の成果であって、酒と無縁ではありません。同社が健康食品に乗り出しだのは92年のことです。そして2年後に、胡麻に含まれる抗酸化物質を発見して、セサミンEが誕生したのです。 プロスキーヤーの三浦雄一郎さんやヨットの堀江謙一さんなど高齢の有名人を起用したセサミンEのインフオマーシャルは、ヒューマン・ドキュメント風に作られているので、ご記億の方も多いでしょう。ついつい引き込まれて見ていると、セサミンEの通販広告につながるという心憎い手法。テレビを熟知しているサントリーならではの発想です。 もうひとつ、サントリーの健康食品の宣伝で「なるほど」と納得させられるのは、主要な商品は通販、とりわけテレビ通販に力を入れていることです。それも、じっくり説明することが必要なセサミンEはインフオマーシャルで、店頭販売の黒烏龍茶は周知徹底をはかるためにCMスポットでといったふうに、使い分けているのです。むろんそのインフオマーシャルは新聞広告と連動して、メディア・ミックスの相乗効果も図っています。 セサミンEに限らず、健康食品はヒューマン・ドキュメント風の通販番組に馴染みやすいようで、市井の人達の苦労話を交えた健康食品の通販番組がいろいろと見受けられるようになりました。ただ、インフオマーシヤルは真面目に作られているほど、出来のいいサスペンス映画と同じで、繰り返し放送すると「またか」といったネタ割れのような失望感を与えがちな気がします。150回以上リピートした例のオーリーというカーワックスの場合は、「馬鹿々々しくて、何度見ても面白い」という声が多かったのを思い出すと、改めて両者の違いを考えさせられます。多分それを踏まえてのことでしょう。最近ではセサミンEの通販番組は、ほかの健康商品同様にスポットCM型のものが多く放送されているようです。 それはともかく、このセサミンEのテレビ通販は、ナショナル・ブランドの大メーカーが既存の流通経路を飛び越えて、直接販売に乗り出した象徴的な例でもあります。テレビ通販の今後の一つの方向を示唆しているのと同時に、テレビ通販への期待が高まるにつれて求められる、商品の多様化を解決する手立てになりそうです。

自動車は売れるか

テレビ通販の商品というと、すぐ思い浮かぶのは、洗剤や掃除機などの家庭用品、健康器具や健康食品、布団圧縮袋や枝切り鋏などの便利品、それに宝飾品といったところでしょう。商品の数も種類も、カタログ通販の豊富さには比べようがありません。この埋由のひとつには、テレビ通販の商品説明には時間がかかる反面、放送時間が限られているという基本的な条件があります。また、放送料金と送料を勘案すると、商品単価が6000円以上でないと成り立たないといった経済的な事情も、商品の幅を狭めています。 その一方で、テレビ通販事業にかかわる人たちが、テレビ向きの商品に対する既成概念にとらわれているともいえます。 このページの最初の方で書きましたが、中国最大のテレビ通販局である湘南省のハッピーゴー社では、ホンダの自動車が人気商品でした。最近も、1時間でクライスラーを100台売ったという話も聞きました。おそらく販売店網が充実していないのと、市販されているものより公的な性格を持つテレビ通販のもののほうが信頼されているといった、中国ならではの背景があるのでしょう。日本では考えられそうにないことですが、実は、十数年前にキー局系の通販会社でこんなことがあったそうです。 ある自動車会社とヨーロッパを代表する名車を通販で売る計画が立てられたのです。日本支社の代表と、特別仕様の車を限定数だけテレビ通販することで話がまとまりました。深夜のテレビ通販の成功が話題になったばかりの時期だけに、どちらにとっても勇気ある実験だったのですが、それだけに話題を呼ぶことは確実でした。局の幹部にも内々承諾を得、放送時間も予定した。親しくしていた新間記者にリークすると、決定したら一面で扱ってくれることになりました。 あとは自動車会社の社長からの「ゴー」サインを待つばかりだったのですが、土壇場で崩れました。東京を中心とする主軸の販売店網の賛同は得ていたのですが、北関東の販売店網に話を通していなかったのです。そちらは日本車の大メーカーの系列だったから、OKするはずはありません。その時の社長の言葉が実に衝撃的だったといいます。「お宅の放送エリアは東京近辺だと思っていたら、栃木や群馬でも映るんですね」。アメリカに出張中だった新聞記者氏は、国際電話の向こうから「なんで」と落胆の声をあげたとか。とんだ悲喜劇に終わったのですが、ラジオでもその少し前にFM局の番組で、ヤナセの銀座のショールームで販売しているベンツを3台、限定価格で紹介したところ、番組時間内に売れてしまったことがあったといいます。正確には通販とは言えませんが、商品の多様化の可能性はまだいろいろあるということです。

踊り場に立つテレビ通販

テレビ通販の売上は、ここまでは堅調に推移しています。でも、果たしてそれがずっと続くものかどうか。踊り場に立ち止まって、階下を見極め、階上を確かめる時期にきているようです。 現に通販番組ばかりでうんざりするという声は決して少なくありません。が、その便利さの恩恵を享受している視聴者もまた少なくない。それもあって通販に対する視聴者の拒否反応が薄らいでいるのは事実でしょう。と同時に、テレビ番組自体が昔の通念とは様変わりしているのです。早い話、娯楽と報道と情報の区別がつけにくくなっている。いや情報と広告の境目だって、曖昧模糊としてきました。ニュース番組のなかでさえ、どこの店の、どんな食べ物が、幾らで、美味しいといった内容が日常的に面白おかしく放送され、時には女将が美人かどうかまで教えてくれる。一昔前なら間違いなくCMと看倣されたに違いないのですが、今では情報として罷り通っているのです。こうした下地があるから、テレビ通販も「商品情報に購買方法をつけたもの」として受け入れられやすくなっているのでしょう。 ところが、ここに難題が潜んでいるのです。 というのは、放送法では民放のテレビ番組の目的別種別として「教養、教育、娯楽、報道」をあげていて、08年の地デジの免許交付にあたって教育番組は10%、教養番組は20%を確保するよう義務づけています。もちろんこの他に番組でない「広告」があるわけですが、それでは通販番組はどれに当てはまるのか。番組なのか、CMなのか。番組だとしたら何なのか、という難題です。テレビ局は免許の更新にあたっては番組の目的別種別を明らかにした編成報告をしなければなりません。では通販番組はどのように扱われてきたかというと、これが局の判断によってまちまちで、教養とか娯楽に振り分けたり、なかには教育番組としたところもあったようです。 そうでなくても通販番組の過剰化を問題視していた総務省は、10年に「放送と通信の融合」をかかげた放送法の見直しを決めるにあたり、通販番組の目的別種別を明確にして公表するよう求めたのです。対応を迫られた民放テレビ局側は、ディノスの努力で80年に民放逐の放送基準の留意事項として組み入れられた「生活情報を提供する番組におけるテレショツプの取り扱い」という文言をふまえて、「生活情報番組」とする方向で検討しています。ならいっそのこと「広告」にしたらと思われるかもしれませんが、そうはいきません。 CMの放送量制限があるからです。 民敏速はテレビCMを中心に「一週間のコマーシャル総量は総放送量の18%以内とする」と自主的に定めています。通販番組のどこまでが情報でどこからがCMかも問題ですが、いずれにしろCMとされる部分は民敏速が定める18%の枠内に入るわけで、他のメディアの通販のように自由に業容を拡大することはできないのです。 現に民放テレビ局で通販番組の占める割合は、127局全局平均でH%強に及ぶという報告もあるそうです。ということは、もし通販番組をCMにしたら即座に18%のCM制限を突破するし、かといって通販番組をなくしたら全局こぞって経営危機に瀕することを意味しています。なにしろテレビ局の大半は広告収入の漸減で赤字経営に陥っているので、制作費がかからずに利幅の大きい通販番組はかけがえのない収入源になっているからです。そこで放送法の番組種別にはない「生活情報番組」という、苦肉の策を編み出したのではないでしょうか。 それはそれとして、このことでも分かるとおり、テレビの特性は電波法と放送法のもとにあるメディアであることです。 出版やインターネットの事業は誰でも参入できますが、放送事業は国から免許を受けたものに限られます。だから放送には公共性が求められるのです。裏返せば、信頼を損なうような放送をした場合には、他のメディア以上に厳しく責任が追及されるということで、テレビ通販も例外ではありえません。
だからこそテレビ通販の商品や広告は、他のメディアの通販以上に厳しいチェックがなされているのですが、それでも時に問題が生じるのはご承知の通りです。

ネット通販の爆発力

いまネット通販は
この章を書き出そうとして、はたと困惑しました。
カタログ通販やテレビ通販の章では、際立った足跡を残した会社を取り上げれば、それだけで市場の発展の経過をたどれましたが、ネット通販の場合はそうはいきません。ネット通販をやっていない通販会社はないし、今や大手のメーカーから一農家に至るまで、ネット通販に手を染めているところは無数にあるからです。 そこでまずネット通販全体を把握するために、少し数字を並べてみましょう。 総務省が発表した「通信利用動向調査」によると、09年12月末時点でのインターネット利用人目は9408万人。人目普及率は78%に達しています。乳幼児も90代のお年寄りも入れてのことだから、ほとんどと言っていいくらいの人が何らかの目的でインターネットを使っているということでしょう。 更にヤフーリサーチの「インターネット利用者アンケート」 (09年)では、過去1年間のネット通販の利用者は92・0%となっています。つまり、インターネットを便った人の9割以上がネット通販をしたことになり、ネット通販が日常生活にいかに根付いているかを示しています。 ところでインターネットを利用して、通販、旅行やチケットの予約、オークション、証券、銀行などの契約や決済を行う電子商取引を、EC(エレクトロニックコマース)とかeコマースと言います。そのうちの通販にはいろいろな呼び方がありますが、ここでは便宜上「ネット通販」と呼ぶことにしました。

ではなぜネット通販をしたのか、その利用目的をみると、「近所の店で売っていないから」が76・3%、「なるべく安く買いたいから」が54・9%、 「商品情報を沢山調べてから買いたいから」が53・5%となっています。その一方で、重要視しているのに満足しきれていない項目には、「返品への対応」「保証の充実」「送料」「セキュリティ」が挙げられているのです。ネット通販の利点と課題がよく分かります。(07年調査) また富士通総研の「インターネットショッピング2009」によれば、過去1年以内にネット通販したことのある人の利用回数は13・9回で、その購入金額の合計は12・2万円。そしてネット通販の経験年数の長い人ほど利用回数と購入金額が多くなっている。これは使利さに満足しているということでしょう。他の調査では、50歳代の人のリピート率が一番高いという結果もでています。むろん利用率は若い年代が高いのですが、始めるには抵抗があるが、一度便利さを味わうと今度は繰り返し利用するというシニアの特性が現われていて、高齢化社会でのネット通販の先行きが読める気もします。 こうした傾向が、ネット通販の売上にどう結びついているのか。 経済産業省の「平成21年消費者向け電子商取引実態調査」によると、09年の消費者向けのネット取引は3兆1487億円となっています。この数字はネット通販をはじめ、サービスや音楽配信などの情報通信や金融を含めてのことです。調査対象は異なるので単純に比較はできませんが、98年度には625億円しかなかったという数字もあるので、H年問でなんと50倍に急成長したことになります。 このうちネット通販にあたる小売はおよそ半分の2兆5550億円です。ネット通販の先進国アメリカはこの5・2倍もあることを考えると、まだまだ拡大していくのは間違いないでしょう。それにカタログやテレビを使うのと比べて、初期投資が格段に安く済むうえ、市販のソフトを使えばネット上の店舗であるサイトを立ち上げるのも容易だから、猫も杓子もネット通販に参入することになるのです。

ネット商店の誕生

ネット通販の幕開けは、Windows95がマイクロソフトから発売された95年に遡ります。 パソコンの利用者は、様々な機能を稼働させるこのOS(オペレーティング・システム)によって、これまでとは桁違いの利便性を手に入れたのです。時を同じくして、会社内など近距離のコンピュータを結ぶLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)の普及も加速しました。この二つが、ネット通販の基盤となったのです。 パソコンにとっての一大転換点ともいうべきこの年は、そのままネット通販にとっても革命的な年でした。 アメリカでは、今をときめくアマゾンが7月にネット上の書店を開設しています。この年の売上高は50万ドルそこそこでしたが、翌年には一気に30倍の1500万ドルを超えることになります。また、インターネット・オークションのパイオニアのひとつであるeベイがサービスを開始したのもこの年です。 日本でも同じ95年に、野菜や果物を売る「バーチャル八百屋」が現われています。「私がご注文を承りました。すぐ手配します。何かあったら言ってください。私が責任を持ちます」という売り方をネット上で展開したのです。一時的には話題を呼びましたが、残念ながら時期尚早でした。 他にもネット通販の先駆者と言うべき個人商店が、次々と登場してきます。その当時、そうした店をいくつも廻ったのですが、印象深かったなかに京都の「家具のアオキ」、東京の「てるくにでんき」、大阪の「心斎橋みや竹」があります。なぜかというと、たまたまこの三者が似たような境遇から、似たような展開をはかって成果をあげていたからです。 「家具のアオキ」は昭和初期に先代が創業した専門小売店でしたが、これも95年、二代目の代表の青木良夫さんがネット販売をスタートしました。 比較的高額な商品を取り扱っていたので、品揃えを豊富にするとかなりの資金を要します。加えて家具のチェーン店が台頭してきたので、経営は伸び悩み状態でした。そこで店頭売り以外にこれまでのノウハウを活かせる新しい道はないかと模索していたところに、ネット通販なるものが現れたのです。当初は店で扱っている商品をネットで並行販売していたのですが、2年後には早々と店を閉めてネット専業になりました。ネット通販が誕生して問もなかったのでマスコミに取り上げられ、そのお陰でアクセス数が飛躍的に伸びたことも幸いでした。 家具は商品が人きいので、当然ながら在庫のスペースも広くなります。そこで青木さんは、長年培ってきた問屋やメーカーとの信頼関係を活かして、在庫を持たずにすむ独自のネット通販の流通システムを編み出したのです。むろん在庫のコストを下げれば、商品価格も下げられるわけで、アオキは低価格路線を打ち出せます。現在は、「アットマークインテリア」と店名を変え、アウトレット家具の格安販売で運営しています。 照明器具の卸商「てるくにでんき」の代表、堂園秀隆さんも二代目です。同社はもともと電気器具などの卸や設置工事の「町の小さな電気屋さん」でした。景気低迷で売上減少に悩んでいたところ、さほどコストをかけずに販売の窓口を広げられるということで、30万円かけて電気製品のネット通販を立ち上げました。しかし一月経っても購入件数ゼロの状況。斯界の先達から「なにを売っているのか、なにを売りたいのか分からない」という指摘を受けて、得意とする照明器具に絞ることにしました。今ならどんな物でもネットで売れることは常識になっていますが、当時からすると照明器具をネットで売るのは非常識でした。なぜなら照明器具はナショナル・ブランドの商品がほとんどで、大型家電店に行けば似たような物が容易に手に入るからです。それなのにネット通販で成功したのは、値段だけで勝負するのではなく、人それぞれの趣味嗜好が大きく左右する照明器具特有の客相手に、得意の専門知識で対応したことでした。これは大型家電店では望めないことだし、ネットだからこそ顧客1人1人に丁寧に説明することができたのです。最近の「てるくにでんき」は、7名の社員数で4億円の年商をあげています。 「心斎橋みや竹」は大阪・心斎橋商店街にあった創業100年を超える老舗の傘屋でしたが、ここも景気低迷の煽りをうけて閉店。4代目の宮竹和広さんが藁をもつかむ思いで始めたのが、ネット通販でした。そしてこれが思いがけない手応えをつかんだのです。現在「心斎橋みや竹」は、楽天やヤフーショッピングにも出店していますが、注文を受けてから仕上がりに一か月もかけるオーダーメイドの傘は高く評価され、数多くの賞も受けています。新聞が取り上げた時の「匠の傘 ネットで開く」 (目経MTJ02年7月20目)という見出しが物語るように、ピンチをチャンスに変えて見事復活した好例です。

ネット通販成功の秘訣

家具、照明器具、傘と、三者三様の業種ながら、ここにはいくつかの共通点が見出せます。それはまた、ネット通販を成功に導く不可欠の要素でもあるのです。 まず一つは、経営の行き詰まりからくる崖っぷちのハングリー精神です。逆に言うと、ネット通販はコストもかからないし楽に顧客を掴めるらしいから、なにかやってみるか、といった安易な参入ではなかったということです。 二つ目は、百貨店や量販店では望めない、老舗ならではの専門知識と商品力を持っていたことです。インターネットが普及し、常にパソコンが顧客の手近にあったとしても、それだけで需要が喚起されるはずはありません。他に抜きんでた商品はもちろん、商品説明の内容や表現が優れていなければ、星の数ほどあるネット上の店舗のなかでは見向きもされないでしょう。 そして三つ目は、顧客第一の姿勢を取り続けたことです。ネット通販で成功した商店主たちの仕事ぶりには、それがよく現われていました。昼間は店、夜はその日に来たネットの注文のひとつひとつにメールで返信をする毎日。終わるのが夜中の1時、2時になるという話も数多く聞きました。電話やFAXで注文をする場合、客からすると質問や感想といったものは、言いにくかったり書きそびれたりするものです。しかしメールとなるとそれが気軽にできる。店主たちはそれこそがネット通販の本質であることを見抜いて、その日のうちに意を尽くした返事をしていたのでしょう。取材をする前は、商店のネット通販を「家にいたまま全国の客を相手にできる効率の良いビジネス」ぐらいに捉えていたのですが、次第に「商売、それ以上にお客さんが好きでなくては成り立たない」と考え直させられたものです。 もう一つ気づいたことは、ネット通販でうまく行っている店の共通点は、大小にかかわらず、店の造りや客の応対にこだわりをもっているところでした。ネット上の店は、そんな特徴を実際の店以上に浮き彫りにするという面があるようです。現在に至ってもなお、当初は珍しい商品や価格の安さで人気を集めていたネット商店が、いつの問にか競合相手のなかに埋もれてしまうのは、この辺に理由があるに違いありません。 こうした成功の秘訣は、時を経た今現在のネット通販業界でもほとんど変わりはないようです。 上坂徹さんの『新しい成功のかたち・楽天物語』 (講談社)は、日本最大のバーチャル・モール楽天市場に出店して、傑出した成果をあげた男女9人を描いた本です。 年齢は20代初めから還暦間近までまちまちで、経歴も高校中退、モデル、鶏卵業の2代目、シングルマザーと各人各様。もちろん、そこから生み出された商品も、アロマランプ、有精卵、檜の猫砂、キッチン雑貨、「お兄系」ファッションといろいろですが、なによりもお客第一に徹した商品の開発と説明を心懸けていることと、そのために夜を徹して努力したという点では、どの人にも違いはありません。 それに加えて、「読んでグッとくる9人の感動物語」とオビにあるとおり、それぞれが事業を推し進めるなかで、お金を超えた社会とのつながり、言い換えると他人への思いやりを抱くようになっていることです。むろん利益をあげることが根底にあってのことですが、それだけでは終わっていないのです。屋台であろうと、昔からの暖簾を継いだお店だろうと、インターネットを使おうと、商いの道に変わりはないのだとつくづく思い知らされます。

バーチャル八百屋とネットスーパー

日本でネット通販が始まった95年に、バーチャル八百屋、つまり青果を扱うネット商店が現れたと書きましたが、同じころアメリカにも同様の会社がすでにありました。シカゴ生まれで、その後全米に展開して行った生鮮食料品のネット通販会社、ピーボットです。「バーチャル八百屋」の元祖と言ってもいいでしょう。 ピーポッドのシステムは、お客がインターネットで食料品や日用品を申し込むと、提携しているスーパーマーケットに常駐している出前の担当者に伝送し、その担当者は注文の商品を運んでから、指定の日時に配達する。「なんだそれだけのことか」と言われそうですが、それだけのことなのです。

この会社のシステムで興味深いのは、ネット上のバーチャルの世界に生身の人間を組み入れた水平思考です。たとえばトマトを注文する場合、完熟し九大ぶりなのを2個、まだ固めなのを3個という注文にも、人間の目と手で選んで応じられます。トマトを届けたときには、客と担当者との間の人間同士のつき合いも生まれ、それもまたデータベースに残ります。 マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツさんも、このピーポッドの将来性に注目していたという話を耳にした覚えがありますが、このところ日本でも、インターネットで受けつけて宅配する「ネットスーパー」なるものが大繁盛しています。西友、イオン、セブン&アイなどの大手流通グループがネット上に店を開き、なかには月1万人のペースで登録会員が増えているところもあるといいます。これだと一定額以上は配送料無料で買った商品を届けてくれるから、水や米などの重い商品は持たずにすむし、ガソリン代や時間も節約できる。刺身や寿司は注文を受けてから作るところが多いので、新鮮さも保証されるといいます。 それに結構大事なことですが、実際に店に出かけた時のようについつい余分なものを買ってしまう恐れもない。ということになるとこのネットスーパー、高齢化社会が進めば進むほど先行きが期待できそうです。

日本が生んだバーチャル・モール、楽天市場
90年代の後半、日本のネット通販の店舗は飛躍的に増えました。事実、96年にはおおよそ1000店ほどだったものが、2年後の98年には1万3000店にもなっていたのです。その原動力となったのが、楽天が経営するネット上の大商店街、楽天市場でした。実際のショッピング・モールに対して、架空の商店街という意味で「バーチャル・モール」と呼ばれています。 中小企業や個人経営の商店が独自にネット通販を始めようとすると、ネット上の店舗であるサイトの構築やその維持にかなりの手間が要ります。ことにオンライン決済やセキュリティは、罷り間違うと企業の命取りになりかねない。そんなネット通販の課題を解決する機能をレンタルできるシステムがあれば、誰しもが出店してみようかと思うでしょう。 そこに目をつけたのが、楽天の創案者である三木谷浩史さんでした。三木谷さんは、ネット通販の巨大な商店街を構築しようと思い立ったのです。 ネット通販の決め手は集客力です。野中の一軒家みたいな店では誰も覗いてくれないが、繁華街なら立ち止まってくれる率は高くなる。つまり出店数が多くなればなるほど、アクセス数が増加する道理です。これからネット通販を始めようとする者にとって、これは魅力でしょう。 楽天は更に、出店者に対して様々な支援を提案しました。商品の検索やショッピングのシステムの機能を提供したり、売上向上の助言をしたりと、ネット通販のコンサルタントの役割も果たしたのです。そのほか買い物龍に商品を入れるショッピングカートの機能や、クレジットカードや電子マネーや代引きなどの決済方法も教えてくれる。楽天市場の収入が、商品を買った顧客からではなく、楽天市場の出店者から得る仕組みになっているのはこのためです。豊富な機能を持つネット通販が手軽に始められるとあって、楽天市場に出店する企業は急速に増加したのでした。

包囲網を図るヤフー
楽天市場と並ぶバーチャル・モールとしては、ヤフーショッピングがあります。
その母体は、96年1月、アメリカのヤフーと日本のソフトバンクの合弁で設立されたヤフージャパンです。ご承知の通りインターネットの世界をここまで広げたのは「検索」という機能で、それによって利用者はたちどころに目的の情報を収集し、比較することができます。日本で最初にその検索サービスを始めたのがヤフージャパンでした。 世界の検索サービスの主流は既にヤフーからグーグルヘと移っていますが、日本だけはヤフージャパンが首座を守り続けています。09年の年商も2798億円、営業利益1438億円という突出した業績をあげているのです。なぜか。それはヤフージャパンが、検索サイトの集客力を挺子として、ネットの総合企業として次々に業容を拡大してきた ざっと並べても、バーチャル・モールはもとより、ニュース、オークション、インターネット広告、ブロードバンド関連事業……などで、この包囲網戦略の強みは圧倒的です。ネット利用者の8割から9割は、なんらかの形でヤフーのサービスを利用しているとまで言われています。この事業展開には、筆頭株主のソフトバンク・グループの総合力と、その総帥である孫正義さんの存在が大きく寄与しているのはもちろんのことです。 当然ながら、これらのサービスは複合的に絡み合って、相乗効果をもたらす形になっています。たとえばヤフーのオークションは1日平均19億円、国内随一の取扱高です。そしてケータイ通販を初めて利用する人は、オークションの経験者が多いのです。 それは将来についてもいえます。次世代のネット通販はケータイとの連動が要です。それだけに、携帯電話の「ソフトバンクモバイル」と、携帯電話からの検索サービスを行う「ヤフーケータイ」を合わせ持つこのグループが、ネット通販にどんな影響を及ぼすのか、或いは新しいケータイ通販の形を生み出すのか、目が離せません。 またヤフーは海外進出にも積極的で、10年6月から、中国のネット通販サイト最大手の淘宝と相互取引サービスを開始しました。日中両国の利用者が双方の商品を購入できるうえに、出店ビジネスの拡大も期待され、通販の国際化の新しい一歩として注目されます。 なお、バーチャル・モールの出店数は、楽天市場が3万3086店(10年3月時点)、ヤフーショッピングが1万7352店(10年4月時点)、その他のモールを加えると約7万店に上ります。

三木谷流の成功
さて、楽天市場に話をもどすと、この会社は97年5月に設立されました。創案者の三木谷浩史さんが32才の時です。 最初はわずか13店のスタートでしたが、99年9月には1000店、翌年初めには2000店の大台と、倍々ゲームのように出店数を増やしていきました。楽天市場の成功の基礎は、この3年間のスタート・ダッシュによって築かれたと言えるでしょう。逆に言えば、楽天市場のシステムはネット通販を目指す企業にとって、それはどの迫力を持っていたということでもあります。 実はバーチャル・モールは、楽天市場が最初ではありませんでした。その前に、いくつかの大手企業が手掛けていたのです。しかしどのモールもカタログを丸写ししたようなものが多く、成功しませんでした。ネット通販の可能性を十分に見抜けず、それまでの経営通念の延長線上で事業を展開したせいで これに対して、「インターネットは社会全体を変え、新しい価値を創る」と捉えていた三木谷さんは、設立当初から、「ネット通販のホームページは電子カタログになってはいけない。絶えず情報を更新することが決め手になる」と主張し、それを事業に反映させていきました。その上でネット通販の未経験者が出店しやすい条件作りを徹底して推し進めたのです。「出店費は5万円の定額制」、「初心者でもできるページ作成」、「内容の変更は即時可能」などなど、いかにして出店時に必要なハードルを下げるかに徹しました。その結果、楽天市場は世界に先駆けるビジネスモデルを完成させたのでした。 なかでもスタート期の楽天市場が、出店費用を月額5万円に設定したのには感服しました。5万円という金額には、事業の成否を左右するほどの意味があります。個人商店ならともかく、多くのサラリーマン管理職にとって、新規事業を伴う必要経費を会社に認めてもらうのは容易なことではありません。でも月額5万円の冒険となれば話は違ってくる。会社によっては、課長決済か部長決済で済む話です。1年契約で60万円だったとしたら、こうはいかなかったでしょう。 先ごろ日本通信販売協会が主婦を中心とした20〜40代の女性を対象に、「ネット通販と携帯通販の利用者調査」を行いました。 そこで分かったのは、彼女たちがネットを駆使した驚くほど高い情報収集力を持っていることでした。例えば、まず買おうとしている商品の情報を集め、どこで買ったら一番得か、沢山の店の値段や条件を探り出して、比較検討してから決めているのです。

こうした傾向はネット通販の購買行動調査でもはっきり表れています。商品注文前にネットで得た情報を参考にする女性は、9割を超えているのです。ブログに掲載されたクチコミ情報、価格が比較できる「比較サイト」、利用者の体験談が閲覧できる「商品レビューサイト」などを活用して、どの商品はどのサイトから買ったらいいかも判断しています。企業の一方的なメッセージより、実際に購入した人の評価のほうが優先するという、これこそがネット通販の本質なのでしょう。 また、どこの店で買うのかという問いには、「楽天」と答えた人が圧倒的に多くいました。そのうちの誰もが、楽天に出店している店自体をほとんど意識していない。つまり「楽天」が店舗のブランドになっているのです。 たしかに楽天市場は購入しやすくできています。3万店もあると一つの商品ジャンルだけで200や300の選択肢はすぐに得られるし、そのどれもが楽天が設定したレベルの店舗作りをしているから、便利で安心なわけです。 でも店のほうからすると、「どの店で買ったか」が顧客の関心外となると看板が失われたようなもので、店と客の関係は希薄になってしまいます。また数多くの店から選べるということは、一部の有力店以外は埋没しかねないことにもつながる。更に、こんな話も聞きました。バーチャル・モール内でのランキング上位にはいると、他の店から真似されることが多く、逆に自分の首を絞めるというのです。こうした一長一短はなにもバーチャル・モールに限ったことではないでしょうが、このあたりに、出店している側のジレンマがあることも事実です。

ファッション専門店街の出現

不特定多数の店の多数の類似商品のなかから選んで買う楽天と対照的に、限定された人気専門店が商品が重ならないように出店しているファッション・ショッピング・モールが、このところ注目を集めています。スタートトウデイの運営するネット通販サイトZOZOTOWNです。 連動しているサイトのトップページにはCGによる店舗街もあって、ビームス、シップス、ユナイテッドアローズといった百貨店に出ていない店をはじめ、ディーゼルやナノユニバースといった若者向けのブランド店を探すことができます。いうなればウィンドウショッピングもどきに、買う楽しみと見る楽しみを両立できるのです。09年の売上高は172億円ですが、前年比60%増という数字を見てもいかに飛躍的に伸びているかわかるでしょう。現に会員も10年3月には202万人に達しています。 また09年3月には、アメリカのギルトが日本に上陸しました。 ひと口でいうとネット版のアウトレットで、バリーニールバレット、ドルチエ&ガッバーナなど、120もの高級ブランドを級っています。一流ブランドの専門店は、遠隔地のアウトレットを除いて、直接値下げセールは行いません。それがこのサイトでは、最高7割引で買えるのです。ただしそれには会員登録が必要です。更に、販売する時間と商品の種類と数が限定されているのです。そんな条件が逆に買い手側の関心と購買意欲を刺激するに違いありません。一方ブランドの専門店のほうも、不況で増え続ける在庫がブランドイメージを損なうことなく整理できるので、積極的に活用するのでしょう。 前述のとおり、大手のバーチャル・モールでは個々の店名が埋没しがちです。しかし、ZOZOTOWNやギルトは、個々の店名で成り立っているモールなのです。このビジネスモデルは、今後のネット通販の可能性を示しているようです。本屋にない本が買える

アマゾン・ドット・コム

アマゾン・ドット・コム(以下アマゾン)はJ・P・ベゾスによって、94年にシアトルで設立されました。 1年後に書籍販売を開始し、2年後の97年には、赤字のままナスダックに上場したのです。その赤字は97年が3120万ドル、98年には1億2454万ドル、99年には7億1996万ドルと広がって行きました。主な原因は、「サイトの初期投資と、それを頻繁に更新するためのコスト」、「本の高い割引率」、「物流センターの建設費用」だと言われていました。実際、99年ごろは「アマゾンの投資コストは高すぎる」「顧客が増加しているのは確かだが、このままでは危ないのではないか」といった記事が新聞をにぎわせたものです。 設備投資を急いだのには理由があります。アメリカの大手書店バーンズ&ノーブルがアマゾンの書籍取次先を買収しかけていたので、アマゾンとしては自前の物流センターを早急に作る必要があったのです。今ではアマゾンの成功要因とされている自前の物流センターは、なにも新しいビジネスモデルを構築しようと意図したものではなく、既存の書店との競争でやむなく追い込まれた結果だったのです。 2000年、日本にアマゾン・ジャパンが設立されました。ちなみに、09年時点で海外への進出は日本を入れて6か国と、さほど多くはありません。進出を決めるにあたって、その国のネット書店の状況を精査して、「勝算がなければ参入しない」という姿勢を貫いているからだそうです。 アマゾン進出以前の日本の状況はというと、書籍のネット通販が始まったのもまた95年でした。まず丸善が、続いて紀伊國屋、少し遅れて99年にはセブンイレブンが参入しました。大手の老舗書店と異業種の新参者とが、書籍ネット通販の市場で争っていたのです。そこにアマゾンが割り込んだわけですが、なんと最初の月に、紀伊國屋を上回る結果を出して、いきなりトップの座を占めてしまったのです。 この背景には、当時の目本にアマゾンの情報が十分に行きわたっていたうえに、アメリカのアマゾンを利用して書籍を購入することがある種のステイタスのように思われていたことがあげられます。それに輪をかけだのが、アマゾンの顧客獲得の手法でした。書籍自体はどこで買っても同じなので、ネット通販の利用者は送料無料のキャンペーンを行っているサイトを見つけて渡り歩いていました。そんななかでアマゾンは、3か月間の無料キャンペーンを行ったあと、1500円以上の購入者には送料を無料にする方針を打ち出したのです。 これならば送料が有料になる場合のほうが少ないので、まとめて注文する必要はほとんどなくなりました。1冊単位の注文が可能となると、他の競合各社に大きな差をつけられます。この手法は、アマゾンがアメリカ本国で得た体験を日本の市場で生かしたものでした。その後、年会費3900円を支払うと、送料無料で優先配達されるという「Amazonプライム」なるシステムを設けましたが、これは会費収入を当て込んだものではなく、顧客の固定化を狙ってのものでしょう。 08年度のアマゾン・ジャパンの売上は、非公表ではありますが、約2510億円と推計されています。千趣会やニッセンといった通販業界の雄を凌駕しているのです。

恐竜の尻尾が売れる
ネット通販について語るときに、頻繁に用いられるのが「ロングテール」という言葉です。巨大な本体に比べて、細く長い恐竜の尻尾が語源ですが、量は少なくても息の長い商売を意味し、ネット通販の可能性の1つと目されています。
この利点を一番顕著に発揮しているのが、書籍のネット通販です。発行してから時間が経っている本、発行部数が少なかった本、嗜好性の強い本……そういった本でも、インターネットの検索が簡単になったおかげで、容易に見つけられるようになりました。たまに売れる一冊でも、理論上は世界規模のネット利用者が相手だから、積もり積もると大変な量になる。アマゾンの場合も、全売上の3分の1は、一般の書店の在庫にない本だと言われています。 昔の本に限ったことではありません。今の出版界は「売れない」ことと裏腹に、新刊本が氾濫しています。実際に本屋に行っても、目当ての本を見つけるのは至難の業です。でも、ネット通販なら、容易に買うこともできるし、本屋に行く時間も節約できます。それに本は重たいし、持ち帰らなくていいという利点もある。そこで本屋に行って一冊しか買わないつもりの人が、ネット通販ではついついまとめ買いしてしまう例も少なくないようです。 アマゾンはまた、そういった顧客のまとめ買いの心理をくすぐるような、「協調性フィルタリング」という独自のシステムを編み出しました。アマゾンで本を買うと、「お薦めリスト」といゝつものが自動的に送られてきます。同じ本を買った人たちが他にどんな本を買ったか、多い順に5冊の題名が紹介されるのです。もしそのうちの1冊を買えば、更に新しい5冊が紹介されるという仕組みです。バーチャル八百屋の利点は「ついで買い」が避けられることでしたが、アマゾンの利点は「まとめ買い」ができること。同じネット通販の効用でも、商品次第で正反対の違いがあるのも面白いところです。 この他、ブログを開いている人が、その個人のメディアから「気に入った本を紹介して、アマゾンで買うように勧める」といった集客方法も行っています。この際、1冊売れるごとに手数料がブログを開いている人に入る仕組みになっています。このシステムは「提携」を意味する「アフィリエイト」と呼ばれているものです。 現在アマゾンは、書籍に限らず、音楽CD、DVD、玩具、家電製品、ゲーム、台所用品等々、取扱商品を拡大させています。更に他企業からの出店も受け入れ、バーチャル・モールの運営にも乗り出しました。 本体の書籍でも、09年の秋には「キンドル」という電子ブックを発売しました。まだ英文のみですが、薄い単行本ほどの大きさの端末に1500冊分の本が納まります。これこそが本のネット通販ですが、アップルやソニーなど競合社も現われました。

ユニクロのネット通販

百年に一度の不況のさなかにあって、増収増益をつづけている数少ない企業のひとつに、ユニクロで有名なファーストリテイリングがあります。でも、そのユニクロがネット通販でも他を引き離す成功を収めていることはあまり知られていないようです。 ユニクロは99年の秋冬商品からカタログ通販を始め、翌年には早くもネット通販であるユニクロ・オンライン・ストアを開設しました。わずかスタッフ4人のスタートでした。ユニクロのネット通販の狙いは、店舗の補完と相乗効果だったので、商品も店舗と同じ考えで揃えました。ユニクロにとってこれが正しかったことは、すぐに目標を超える売上を達成したことで証明されました。同時に、通販と店舗のヒット商品は変わらないことも確認できたのです。 ユニクロのブランドが浸透していたからでしょう。アクセス数はたちまちヤフー、楽天に次ぐ形になりました。ヤフーはネットの入り口であるポータルサイト、楽天はバーチャル・モールという特殊の位置づけがあるので、単独のウェブサイトとしては一躍トップの座を占めたことになります。しかも最近では「ユニクロはネットで買います」という常連客もかなり多いようです。店で売り切れになった商品が見つかったり、人気の商品が割安で手にはいったりすることもあるからだそうです。

08年度のユニクロ・オンライン・ストアの年商は、143億円に達し、衣料のネット通販としては最大規模です。独自の商品とブランドの持つ信頼性が、この躍進の裏づけになっていたのは言うまでもありません。 アメリカでも06年ぐらいから、世界最大の小売チェーンであるウオルマートなど、実際に店舗を持っている小売業のネット通販が急速に仲びてきているようです。日本でも同じ傾向をたどるのは十分予測されるところで、ユニクロ・オンライン・ストアの好業績はその前兆といえます。 現に、店やカタログやテレビで見た商品をネットで注文するのは、もうごく普通のことでしょう。逆にネットで知った商品を店で確かめてから買うことや、ネットやカタログやテレビで買った商品を店で返品することも少なくないはずです。 そういえば、東京のテレビ局の傘下にある通販会社の人から、こんな話を聞きました。 その会社の通販枠は深夜から明け方に集中しているのですが、放送から半日以上たった夕方にネットで注文する件数が結構あるというのです。「番組のなかでホームページのアドレスを表示しているから、夜中の放送で興味を持ったOLが、仕事が一段落して手のすく夕方にデスクのパソコンを使っているんだろう」ということでした。 こうなるとややこしくなるのは、売り上げの媒体別の区分けです。その人も「テレビ通販とネット通販とで同じ商品を扱うことが多いから、ネットで受けた注文がテレビで売れたのかネットで売れたのか区別がつかない。だから一応それぞれの数字は出すものの、不正確なのは承知のうえ」とその人は言っていました。ネット通販をしていない通販会社はないから、どこの会社も似たような数字になっているに違いありません。ということで、この本に出てくる各ジャンルの売上数字も、その辺を勘案してお汲み取りください。 それはともかく、こうしたネット通販の伸長ぶりは手放しでは喜べません。普及するに従って、事故や苦情も増えて行くからです。日本通信販売協会に寄せられたネット通販の相談件数は、05年度には1001件だったものが、1年後には1218件と2割以上増えており、09年には2191件にまでなっています。通販全体の相談件数をみると、5割近くをネット通販が占めているのです。 インターネットはいわば「名なし顔なし」の媒体です。だからそこに載っている店も商品も、実際に確かめることはできません。それだけにネット通販の利用者は、常にセキュリティが心配だし、どのネット商店を信頼していいかという不安につきまとわれています。その不安と不信を和らげる方法としても、自分の目と自分の手で確かめることのできるテレビやカタログや店舗との併用は大きな効力を発揮するのです。

BTOのデルコンピュータ

「ベンチャー」という言葉が巷に氾濫し、ITを 「イット」と読んだ偉い政治家の先生が話題になった頃。雨後の筍の如く、インターネットがらみの新しい事業が立ち上げられました。正確に言うと、立ち上げようと試みられました。 当時、ネット通販を始めたばかりの青年社長と一緒になる機会がありました。その事業は、Tシャツに顧客の希望する絵柄を入れる、ただそれだけのものでした。口にこそ出しませんでしたが、時代の最先端を行くIT事業、その一角をなすネット通販はそんなお遊び程度のものではなかろうと、なにかはぐらかされた思いがしたものです。政治家先生をとやかく言えません。お恥ずかしい話ですが、それがBTO(ビルド・トゥ・オーダー)という製造販売の基礎的な形であって、双方向性を要とするネット通販の真髄であることを理解していなかったのです。 BTOとは注文生産のことで、ワン・トウ・ワンを基本にするネット通販には最も適した形式です。あの青年社長の会社の現況はさだかではありませんが、今やネット通販のBTOは着実に根をおろしています。印鑑、自分で撮った写真の葉書、Tシャツならぬ野球チームのユニフオーム、セミオーダーメイドの家具、特注のゴルフクラブや自転車、世界に1冊しかないアルバム……あらゆるジャンルに及んでいて、あの心斎橋みや竹がオーダーメイドの傘を売り物にしているのも、前述の通りです。 このBTOというビジネスモデルのなかでの代表格は、パソコン・メーカーのデルコンピュータ(以下デル)でしょう。 デルは84年にアメリカで創業されましたが、たちまち大反響を呼び、07年には年商580億ドルの大企業になりました。アマゾンの倍近い売り上げです。その方式はインターネットを通じて注文を受け、顧客が提案した条件に基づいてパソコンを製造販売するというもの。つまり在庫を持たずにすむ注文生産型の直販システムで、経営効率が極めて高いことは言うまでもありません。現にデルは、アメリカのみならず世界一収益性の高い直販メーカーと認められています。 この方式はむろん商品の低価格化に結びつきます。顧客にとっては安いほど有難いのは言うまでもありませんが、なにより部品を自由に組み替えることによって、自分の望む仕様のパソコンが手に入るうえに、差別化できる満足感を味わえることが大きい。それに購入した後も、個々のデータを駆使したサポートが保証されるので安心です。 デルはまた、直接得られる顧客の意見や要望から、市場の状況を逸早く掴み、それを製品やサービスに反映させています。「デル・ダイレクト・モデル」もその一つです。 デルが日本でホームページを開いたのは96年。翌97年にはオンラインストアを開設しましたが、半年後には1日の売上が5000万円に達しました。その後も国内のコンピュータ市場で最高の成長率をあげるなど業績は極めて好調で、09年度の年商は推計で1450億円に達し、日本のパソコン市場で3位に位置しています。 これから様々なジャンルの商品が、BTOのネット通販を模索することになるでしょう。なんといってもインターネットは、ワン・トウ・ワンの同時双方向性のメディアなのですから。

ケータイ通販の未来

ケータイでドレスを買う
携帯電話(以下、ケータイとします)が存在価値を高めたのは、99年にNTT移動通信網(現NTTドコモ)が「・Iモード」サービスを開始してからです。 Iモードの登場によって、ケータイは単なる通話の機能だけではなく、インターネットを経由して情報を収集したり、メールをやりとりしたりできる機器へと大きく進化しました。単に声を耳にとどける電話とは全く違う機能をもつことになったのです。 更に01年から始まった新規サービスのおかげで、アプリケーションをダウンロードして利用することが可能になり、ゲームメーカーなどが参入して大きなコンテンツ市場を形成することになりました。その後、カメラ、QRコードの読み取り、お財布ケータイ、ワンセグ放送……と機能を追加し、ケータイー台あれば何でもできる「オールインワン・メディア」として、日常生活に欠かせないものになったのです。

瞬く間にケータイは広まり、10年4月末時点の携帯電話の契約件数は1億1271万台。まさに一人一台の時代です。しかもそのうちの9割が、インターネットに接続可能な機種なのです。パソコンをわざわざ立ち上げるのは面倒だという利用者にとって、すぐアクセスできるケータイは極めて便利な存在。そこでケータイなどモバイル端末からのインターネット利用者は、パソコンからの利用者を上回るまでになっています。 そんなケータイの本質を、極めて明快に言い切った言葉をみつけました。この章を書くうえで示唆を受けた『モバイル大変革時代のケータイ通販ビジネス』 (翔泳社)という本のなかで、共著者の1人である片岡俊行さんが書かれた一節です。その人意は以下の通りです。 「ケータイは朝起きた時や昼休み、電車や人を持っている時間、寝る前、といったニッチタイム(隙間の時間)に利用する時間消費型のメディア。このニッチタイムを充実させるには、いつでも持ち歩ける手のひらサイズのケータイこそ、他のメディアに比べて圧倒的に有利だ。そんな『なくても構わない暇つぶしメディア』であるケータイから、たとえ有料だとしても、ゲームや占いやニュースなどの情報を引き出すことは、放っておけば失われてしまう空白の小さな時間を価値ある時間に変化させ、ひいてはケータイを『なくてはならない存在』にする。この考え方はケータイ通販にも通じる。ウィンドウ・ショッピングさながら何気無くケータイを触るその瞬間に、いかに商品を購入する必然性を作り出すか、それこそがケータイ通販のすべてだ」 そして、一言。 「いずれにしても、ケータイというメディアの本質を、筆者なりの言葉で言い表すと、『暇つぶしのおもちや』である」 ともすると神格化さえしかねない先端のIT機器を「おもちや」と言い捨てる痛快さもさることながら、ケータイ通販の本質についても見事に的を射ていると思うのでご紹介した次第です。

ケータイ通販の誕生
ケータイ通販が始まったのは、もちろんケータイでインターネットにアクセスできるようになってからです。 ケータイは特定の個人が所有する機器なので、いわゆるID(個人識別)の要素も持っています。だから個人宛の様々な情報のやりとりもできるという特性があります。それを活かして、ケータイ専用の電子商取引が次々に誕生したのです。

最初のうちは着メロやチケット予約などの「サービス系」が主流でした。が、徐々に「トランザクション(証券取引やオークションなどの手数料業務)」と、「物販系」のケータイ通販が伸びてきました。そして07年度には、ついにケータイ通販が 「サービス系」や「トランザクション」を追いぬいて、年商3292億円と最大の市場になったのです。 誰しもが、「こんな小さい画面で買い物なんて」と思っていたでしょう。でも、いつでもどこでも注文できるケータイ通販は、便利この上ない新しい購入手段として、若者たちを中心にすんなりと受け入れられていたのです。 モバイルマーケティングデータ研究所の10年4月の調査結果によると、ケータイ通販の利用経験者の割合は、女性が73・1%、男性が60・2%。この数字の高さにはちょっと驚きますが、女性のケータイ通販の一番の売れ筋がファッションの類だと聞かされると尚更です。 それにしても、あんな小さな画面を見て何万円もするドレスを買う人間が本当にいるのか、と信じかねている人も少なくないはずです。 しかし、モバイル・コンテンツ・フォーラムの『ケータイ白書2010』によると、利用金額は年に1万円未満が47・5%、1万円から10万円未満が42・3%。そして10万円以上も6・6%もあるのです。商品別はというと、衣料品、アクセサリー、ファッションを筆頭に、書籍、CD、DVD、化粧品が続いています。 この数字を見ても察しがつくように、ケータイでドレスを買う人は本当にいるのです。 それにしてもなぜ、と思うでしょう。これには若い人たちの意識が深くかかわっている気がします。彼らにとってのファッションは、着る機能としての 「物」ではなく、自己表現やコミュニケーションの 「手段」なのです。そしてケータイ通販は、他人と異なる個性的なファッションを他人より早く手にできる、最も手近で便利な端末機器なのです。ケータイ通販の商品のサイクルが短いのも、この辺に起因しているのではないかと考えられます。

ケータイ通販とネット通販

ところで、同じインターネットを通しての通販でも、パソコンを使うネット通販とケータイ通販では、購買行動を起こすきっかけが大きく違います。
ネット通販は、目的を決めてから「検索」し、それに適う商品を選んで購入します。つまりネット通販は能動的に情報を引き出す、プル型なのです。

一方ケータイ通販は、そもそも検索に不向きなこともあり、送られてくる商品情報が基になるプッシュ型。事業者の働きかけで、購買行動を起こします。その方法はというと、今のところメルマガ (メール・マガジン)が主軸です。 こんな報告があります。あるケータイ通販会社の実績ですが、メルマガを配信してから1日以内のレスポンス率は7割、1時間以内でも3割にのぼるというのです。ケータイは常に持ち歩いているものだから、着倍音やバイブレーションで即座に気づき、配信されたメールを確かめるのに時間がかからないせいでしょう。反応が速いということは、働きかけるタイミングが決め手になるということでもあります。ことにケータイ通販は、ついつい指先でボタンを押してしまう衝動買いが多いから尚更です。そこでメルマガの送り先を年齢、性別、職業などで区分けして、それぞれの生活に適した時問を見計らって配信しているケータイ通販会社も少なくありません。 そのケータイ通販をしている会社は、成立ちから次の三つに分けられます。 まず、新しいビジネスモデルを構築した先端的なベンチャー企業。ブランディングやネットプライスといった会社がこれにあたります。

次は大手のネット通販会社が運営するバーチャル・モールで、ケータイ版楽天市場を筆頭にアマゾン、ヤフーモバイル、ディー・エヌ・エーが挙げられます。 最後はカタログやテレビなどの分野で実績を残している既存の通販会社。千趣会、ニッセン、ジャパネットたかた、ディノスなどです。ネット通販との相乗効果を狙うとともに、顧客層の若返りを図るところが多いようです。 以下、それぞれの代表的な会社をとりあげて、特徴的な業務の一端に触れることにします。ごく簡略なものですが、ケータイ通販の大まかな現況を推し量ることはできるはずです。

横綱のファッションショー、ブランディング
ブランディングという社名は知らなくても、社業を知っている人は多いはずです。 学生服姿の横綱朝青龍がファッションショーのランウェイをご機嫌で歩く姿をテレビで見た人は多いでしょう。あのショーを主催した会社がブランディングで、ケータイ通販でファッション商品が売れ筋となるきっかけを作った会社です。 創業者の大浜史太郎さんがブランディングの前身ゼイヴェルを立ち上げたのは、99年です。大浜さんは学生時代からテレビやラジオの放送作家として活躍し、いろいろなイベントも手掛けてきたのだそうです。その経歴を知ると、異彩を放つブランディングの事業展開の発想の豊かさも納得できます。 ブランディングは、01年から20〜34歳の女性をターゲットとする「ガールズウオーカー」を中心に、「ガールズ・ショッピング」と「ファッションウオーカー」のサイトを設け、ケータイ通販事業を展開しています。 が、特筆すべきなのは、ファッションショー「東京ガールズコレクション(TGC)」を始めたことでしょう。最初の開催は05年8月でした。以来、優に万を超える観客を収容する大会場に、若い女性たちを集めています。華やかに繰り広げられるファッション・ショー。しかし、ただ観るだけではありません。観ながら、蛯原友里さんや押切もえさんといったトップモデルが着ている服を、なんとその場でケータイから購入できるというシステムなのです。商品数に限りがあるということで早い者勝ちになり、それがまた会場を熱狂の坩堝にさせる。これが今、最も注目されるイベント、TGCなのです。もちろん世界初の試みですが、07年の春には中国の北京でも開催され、日本発のヤング・ファッションを届けています。 実際のショーとケータイを連動させるイベントなんて、それまで誰1人として考えつかないものでした。このアイデアは、通販の概念を一変させたのです。そもそも通販とは、西部劇に登場するシアーズ・ローバックのカタログのように、遠く距離を隔てた場所から商品を購入できる利便性の上に成り立っていました。しかしTGCは、フアションショー会場という同一の空間と時間内で通販を行うのです。スゴイーと言うほかありません。 ブランディングはこのイベントに連動して、メルマガはもちろんのこと、赤文字系と呼ばれる『JJ』や『CanCam』といった若い女性向け雑誌などでPRに力を入れています。それが一層ブームを煽るわけで、今ではファッション・メーカーはこぞってTGCへの参加を希望しているようです。

ネットとケータイを併用している「ガールズウォーカー」の09年の総読者数は730万人。このうちF1層と呼ばれる20歳から34歳までの若い女性は7割を占めています。これは業界でも最大規模といえます。 ケータイ通販単体の利用状況をみると、「ガールズショッピング」の顧客層は学生中心ですが、 「フアッションウオーカー」の方はOL対象で、購入商品の平均単価も高めになっています。 こうした実績からブランディングは、第6回オンラインショッピング大賞のグランプリをはじめ、数多くの賞を受けました。

東京ガールズコレクション

東京ガールズコレクション

 

共同購入でお安く、ネットプライス・ドット・コム

ギャザリングという言葉があります。共同購入のことで、それも買う人が増えれば増えるほど価格が下がる仕組みです。 ネット通販に日本で初めてこのシステムを導入した会社が、ネットプライスドットコム(以下ネットプライス)で、日本のケータイ通販の第一号でもあります。 佐藤輝英さんが創業したサイバーエージェントが、ネット通販でギャザリングを始めたのは200O年のことです。最初オークションをやろうと思っていたところ、楽天やヤフーやディー・エヌ・エーといった先行者がいたので断念。たまたまアメリカに「グループ・バイイング」というシステムがあるのを知って、それに目をつけたのだそうです。そして9月には早くも、ケータイ通販でもギャザリングを開始します。それが「ちびギャザ」という変わった名のケータイ通販サイトです。ギャザリングの反応は上々で、安定した市場を築き、ネットプライスの09年の売上は131億円。そのうちケータイ通販 「ちびギャザ」の割合は約5割とみられます。 購入者が増えるほど安くなるギャザリングの成功の要点は、購入者を一気に集めて大量に売ることです。そこで販売期間は1週間。その間に提携している他の媒体も駆使して、集中的に顧客を集めます。それには、顧客に「限られた時問」を意識させ、追い立てられるような心理に導かねばなりません。だから「後で買おう」が成り立たないように、思いきって販売を打ち切るのです。この商売の方法を 「トップヘッド」と言います。店頭から姿を消してしまった商品を検索して購入する、あのアマゾンの 「ロングテール」とは正反対です。ロングテールが恐竜の尻尾なら、トップヘッドは恐竜の頭。「もっと買う仲間が増えないか」「もっと安くならないか」と気を揉んだり、ほくそ笑んだりするギャザリングは、掌中のオモチャでもあるケータイにとっては格好の仕組みといえるでしょう。なかには1万個も売れた商品もあるそうです。 商品の納入業者としても、この仕組みは歓迎すべきものです。短期間で大量販売できれば、たとえ売り値が安くなろうと利益は増える。つまり、顧客、通販会社ともども、三方一両得の構図になるからです。 「ちびギャザ」で扱う商品も、ファッション、コスメ、サプリメント、家電、生活用品、雑貨と幅広く、購入者はやはり若い女性中心です。
ネットプライスが推進している、他のメディアとの提携にも見るべきものがあります。『東京ウオーカー』などの雑誌や、テレビ、ラジオなどとギャザリングサイトを構築して、「ちびギャザ」サイトヘの導入をはかっているのです。提携した会社には、その専用サイトで売れた分のマージンが入る仕組みです。ケータイ業界に留まらないこの姿勢は、今後の通販の在り方を示唆しています。

ケータイ通販のリーダー役、ディー・エヌ・エー

次はケータィ通販に進出している二つのバーチャル・モールですが、まずはディー・エヌ・エー(以下DeNA)から。 ネットやケータイで通販する人のなかには、オークションから始めたという人が結構います。その方が敷居が低いからだそうです。DeNAは、そのオークションと、バーチャル・モールを含めた通販サイトと、ケータイ・ゲームサイト「モバゲータウン」を合わせ持つ業界最大手の会社の一つです。その多角的な事業展開には目を見張るものがありますが、このいくつもの集客ルートを持っていることが、DeNAの強みであることは言うまでもありません。そのDeNAという社名の由来は、遺伝子のDNAとeコマースのeを組み合わせたものです。 創業者の南場智子さんは、アメリカで始まって間もないオークション・サイトを現地で体験し、その楽しさを日本で再現して広く味わってもらおうと、オークション・サイトを設けたということです。 事業の柱である「ビッダーズ」は、99年にオークション・サイトとして誕生しました。その後、通販の分野に手を広げ、ネットやケータイのバーチャル・モールを加えました。ケータイ通販の「ポケットビッダーズ」も、オークションとバーチャル・モールの両面作戦を展開しています。 それだけには留まりません。06年にはケータイ・ゲームのサイト「モバゲータウン」を設立しました。会員参加型のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を導入したこのゲームは、仮想の 「マイルーム」という部屋のなかで、「モバゴールド」と呼ばれる仮想の通貨を使って、アバターと呼ばれる仮想の住人の生活を営んでいくものです。これが大ヒットして、現在では会員数は1940万人、1日に25他のページ・ビューを集めているほどです。 それを追いかけるようにして、今度はケータイ専用のファッション系通販サイト「モバコレ」をスタートさせました。千趣会との共同出資で、アパレルをケータイで売るのが目的ですが、もう一つの狙いは、「モバゲータウン」の会員を逃さずに通販サイトに呼び込むことでした。その目論見は見事に当たったようで、「モバコレ」の売上の多くは、「モバゲータウン」から流れています。更にDeNAは、リサイクルものにも着目して、不用品を扱う 「おいくら」というサイトも始めています。 こうした他に例をみない多角的な経営には、DeNAがネットからケータイヘと事業展開するなかで身につけた、経験と知識が十分に生かされています。いかに使いやすいサイトを構築するかを知りつくしているうえに、システム開発はすべて自社のなかで行うという経営方針もまたそこに生きているようです。技術的な変化に迅速かつ効率的な出費で対応できることは、早すぎるほどの革新を続けるケータイの世界では極めて大切な条件なのです。 さてそのDeNAの業容ですが、09年度の全社の売上は481億円、「ビッダーズ」と「ポケットビッダーズ」を合わせた通販部門の年商は52億円です。 規模でみると、09年の合計会員数は1813万人。バーチャル・モールの出店者数は4708店になっています。 とはいえバーチャル・モールの出店数は、まだ楽天市場の1割強といったところです。そこで、その対応策のひとつとして06年に、KDDIとの連携プロジェクト「auショッピングモール」を立ち上げました。このお陰で、ネット通販のビッダーズと、ケータイ通販のポケット・ビッダーズと、auショッピングモールの三者をまとめて申し込むことができるようになったのです。信頼度が抜群のKDDIと連携した効果は予想通りで、出店者数や利用者数の増大につながっています。 ところで、ここにきて「モバゲータウン」の利用者の年齢層が高まってきているそうです。新規の利用者が若者だけでないということでもあるのでしょうが、利用者が年々歳をとってくるからという理由もありそうです。

日本最大のケータイ・バーチャルモール、ケータイ版楽天市場

ケータイ版楽天市場(以下、ケータイ版)はその名のとおり、前章で詳述した楽天市場のケータイ向けのバーチャル・モールです。
2000年にスタートしましたが、事業の特性は、ネットとケータイで同時に出店できるところです。つまり楽天市場に出店している店舗が商品を登録すると、ケータイ版にもそのまま登録されるとい ケータイ版の売上が伸び始めたのは04年頃から。今では楽天市場で買い物をした10人に2人は、ケータイ版も利用しているとみられます。 ケータイ版の利用者をみると、年齢層は初めのうちはネットの楽天市場より5〜10歳ほど若く、20〜30代が中心でした。が、次第に年齢の高いネットの利用者層へ近づいてきています。この傾向は「モバゲータウン」にも見られたところで、今後のケータイ通販全体の流れを占ううえで大変意味深い実証といえます。また購入回数はネットより多くなっていて、へビーユーザーになりやすい特徴もあるようです。売れ筋商品はファッション、ダイエット、美容、コスメが中心でしたが、年齢層の幅が広がるにつれて、グルメ、家電、インテリアなども伸びています。 いずれにしろ利用者にとっては、楽天市場の知名度と信頼性が頼りなのは言うまでもありません。ただし、出店者が商品説明にケータイならではの工夫をしているかどうかで、売上に大きな差がでるようで、これはどのケータイ通販にも共通するところです。小柄な力士が小さい土俵で勝敗を決めるのだから、他を圧倒する技や気力が不可欠ということでしょうか。

カタログはケータイで注文の千趣会

既存の通販会社もそれぞれケータイ通販市場に参入していますが、ここでは千趣会について触れておきます。 ニッセン、ジャパネットたかた、ディノスなど同業者が沢山いるのになぜ千趣会かというと、01年から運営しているケータイ通販サイト「ベルメゾンネット」が、ケータイ通販業界で最高の売上をあげているからです。 千趣会の09年度の全売上は1473億円。このうちネット通販は671億円です。ケータイ通販も137億円にのぼり、前年比でみると104%増だから、まだまだ上り調子ということでしょう。 「ベルメゾンネット」は女性向けの総合通販です。商品はファッションからインテリアや食品にまで及んでいますが、『ベルメゾン』などのカタログに掲載されている商品と全く同じもので、メディア・ミックスの典型といえます。 平均単価が高めで、輸入ブランド品にも人気があるというところも、千趣会らしい傾向です。 千趣会はカタログ同様、ケータイ通販サイトでも総合から特化型へと軸足を移しつつあります。その一つが、働く女性向けサイトの「ランラン ランキング」です。女性の利用者が通販で商品を選ぶ時に参考にする様々なランキングに目をつけて、アンケートや売上や専門家推薦などのランキングを基にして商品を紹介しています。流行に敏感な若い女性層の情報源としても魅力あるものにするとともに、高年齢化の兆しのあるカタログの顧客の若返りをはかる狙いもあるようです。

「カワイイ」を売る夢展望

ここまで取り上げてきた三つの枠に入らない、ケータイ通販だけのために作られた会社も活躍しています。そのひとつに、夢展望というファッション系のケータイ通販会社があります。 夢展望は98年に脱サラした岡隆宏さんが設立しました。常務である夫人の美香さんが商品開発を担当していますが、自らのデザインで制作した若い女性に向けの服や靴などの商品がケータイで評判を呼び、今や年商46億円をあげるまでになっています。 そうした商品はむろんのこと、経営のコンセプトとしても徹底的に追求しているのが「カワイイ」です。商品のデザインやケータイの画面が「カワイイ」のはもちろん、他社の半額ぐらいという価格の安さも、夢展望では「カワイイ」値段となるのだそうです。 その低価格の秘密は、東南アジアの工場に直接大量発注することと、デザインから始まって商品の製造や画像制作に至るまですべて自前主義を貫いていることにあります。 「カワイイ」のなかでも、特に力を入れているのはあの小さなケータイ画像です。かつて民放テレビのニュース番組が夢展望を取り上げたことがあります。「カワイイ」商品を身につけているモデルさんが、より「カワイク」見えるように映像処理をして行く過程が放送されました。その時の説明では、背景のデザインだけでも「カワイイ」を強調するように変えると、売れ行きが一変するということでしたが、それだけではない。モデルさんの肌の色からまつ毛に至るまで、「カワイク」なるようにデジタル編集で大胆に改造するのです。当然つけまつ毛はしていますが、その画像のつけまつ毛の上にまるで落書きみたいに数本の太い線を書きくわえる。そんなことをして大丈夫かと心配していると、ケータイの小さな画面のなかでは、それがごく自然な「カワイイ」眼に見えるではありませんか。「なるほど」と、それこそ目から鱗が落ちる思いでした。 独自性と価格と画像は、カタログ、テレビ、ネット、ケータイを問わず、通販共通の成功条件です。ことに商品を紹介するスペースが極めて小さいケータイ通販にとっては、ケータイ版楽天市場のところでも触れたとおり、説明の仕方や画像作りが事業の成否を決める要になります。それだけに想像力と創迫力が問われるわけで、ことに若い人たちには夢とやりがいに満ちた仕事場であり市場といえるでしょう。
なお夢展望は、07年度のモバイルショッピング大賞の優秀賞を受けています。

ケータイ通販の潜在力

ケータイ通販を代表する会社には印象的な共通点が二つあります。 まずは、あの小さなケータイの窓で展開したとは思えない、大きな挑戦です。ことに起業家である人たちの発想と経営戦略には、爽快感すら覚えました。大浜史太郎さんの「東京ガールズコレクション」、佐藤輝英さんの「ちびギャザ」、南場智子さんの「ポケットビッダーズ」。いずれもケータイという新しいメディアが、それまで私たちが勝手に思い込んでいた限界を、はるかに超える可能性を秘めていることを証明してくれたのでした。 次の共通点は、カタログ、テレビ、ネットといった他のメディアの通販との連携です。持ちつ持たれつの相互補完と言い換えてもいいでしょう。ケータイ通販は「いつでも、どこでも」という特性を生かして、他の媒体の通販を補完しています。と同時に、他のメディアの通販は、ケータイ通販の画面や情報量や操作の弱点を補完しています。もっと言うと、他のメディアの通販との連携なしに独力だけだとしたら、ケータイ通販はこれはどの業績はあげられなかっただろうし、ケータイ通販なしには他メディアもこれほど機能的に連携しなかったでしょう。 そうはいっても、ケータイ通販はまだまだ緒についたばかりです。弁当箱ぐらいの大きさから始まったここ20数年のケータイの技術革新をみても、次の10年のケータイがどんな等比級数的な進化を遂げるのか想像もつきません。だからそのケータイを使う通販の先行きも見通しをつけにくいのですが、インターネットの利用者はパソコンよりもケータイからのほうが多いという歴とした事実をみただけでも、ケータイ通販が通販全体の核になることは十分予想されます。 東京キー局の実例です。テレビ番組のなかで人気モデルたちが企画した通販商品を紹介するのですが、同時にネットの買い物サイトのトップページにも同じ商品が登場します。むろん注文は電話でもネットでもケータイからもできます。ある女優さんがデザインしたニット帽を売ったときのことです。
テレビでその映像が流れたとたん、ケータイからの注文が殺到して、十数分で売り切ったといいます。
テレビで購買意欲をそそられて、手元のケータイで注文する。こうしたメディアの連動が、これからの通販には欠かせない仕組みになるのです。

次世代通販を読む

メディア・ミックスからクロスメディアヘ
こうやって日本の通販の流れをたどっていると、はっきりと浮かび上がってくることが二つあります。
第一は、メディアの技術革新とともに、通販が飛躍的に発展するということです。
印刷技術は出版事業を生んで、郵便事業とともにカタログ通販を発達させました。 電波を利用した放送を通じては、テレビやラジオの通販が、更に衛星放送やCATVが始まると、24時間放送の通販専門局が誕生しました。 インターネット時代に突人すると、ネット通販が普及しました。ことに楽天やヤフーショッピングなどのバーチャル・モールの展開は目覚ましいものでした。 そしてモバイル端末機器の発達とともに、ケータイ通販が注目されています。 第二は、新しいメディアによって新しい通販が登場しても、ほかの事業と違って世代交代に結びつかないということです。 良い例がテレビ通販。先輩であるカタログ通販のビジネスモデルやノウハウを踏襲しつつ、自前のビジネスモデルとノウハウを構築すると同時に、そのカタログ通販はもとより、ネット通販やケータイ通販との共存共栄も図っている。競合のマイナスより、相乗効果のプラスのほうがはるかに大きいからです。 同じことが、インターネット通販やケータイ通販にも言えます。だからほとんどの通販会社は、可能なかぎり多くのメディアに参入して、商品情報がより多くの顧客に到達するように努めています。いわゆる「メディア・ミックス」で、これは売る側からみた販売戦略です。 昨今はそれを更に推し進めて、他のメディアと連携して情報を完成させる「クロスメディア」という手法が日常化しています。これも販売戦略には違いないのですが、同時に買う側からみた利便性も含まれている。つまり双方向性の多メディア活用といえます。 QRコードをご存知でしょう。よく新聞や雑誌の広告の隅などに印刷されている、幾何学模様の小さな四角形です。 おなじみの直線型のバーコードは、業者が商品管理や売り上げ管理のために記入しているもので、あの記号でホストコンピュータの情報を引き出します。一方QRコードは、バーコードより格段に記録容量が多いので情報自体を記録できます。今ではほとんどのケータイがその記録を読み取る機能を持っているので、手持ちのケータイでも利用できるのです。 たとえば新聞や雑誌広告の場合。紙面だけでは入りきらない情報をQRコードに入れて印刷すれば、読者はそれをケータイで読み取れるだけでなく、音声や動きのある説明も得られます。更に直接広告主のサイトヘ飛ぶこともできる。ややこしいサイトヘのアクセスが、一気に容易になるのです。むろんそれを通販に結びつけることもできます。時にインターネットのホームページにもQRコードが見受けられますが、あれも同じようにケータイを使う仕組みです。 具体例としては、楽天市場が07年に発行した『ZERO90』があります。誌上の全商品にQRコードがついていて、そこの情報をケータイで読み取るのです。読者は誌面を読みながら、ケータイで映像を楽しんだり、商品を購入したりできる。印刷媒体とケータイが連動した、世界初のクロスメディア型情報誌です。時期尚早ということもあって実験の域をでませんでしたが、異なるメディアの通販が緊密に連携して全く新しい展開を図るという、通販もそんな時代に突入しつつあるのでしょう。 また、テレビのCMで、「続きはホームページで」と広告主のアドレスが表示されることがよくありますが、あれもテレビとネットの両方を使って情報を完成させるクロスメディアの手法です。まず顧客である視聴者の興味をひいて、くわしいことは場を改めてといったところでしょうが、別の効果も期待できるのです。一方的に情報を押しつけるのではなく、情報を引き出させることで顧客の参加意識を高めるという効果です。これは通販にとって、買い物という前向きの行為を誘発する格好の手法といえます。 また、前述の通りインターネットの普及率は8割近くになっています。クロスメディアを受け入れる下地ができているということでしょう。 今のところ、印刷、電波、通信につづく、全く新しいメディアは考えられません。しかし、この三つのメディアの体質は格段に変化しつつあり、それにつれて通販もまた新しい形を生み出そうとしています。ことに電波と通信の変化は、革命的と言えるほど目覚ましいものになりそうです。そこで、今後について探ってみましょう。

通販2・0の行方

まずは通信から、と言えば、むろんインターネットです。
ご承知のとおり、インターネットの出現はおよそ20年前、アメリカの軍事用アーパネットを学術研究用に転用した86年のことです。それが一般化したのは91年にウェブサイトが開発されてからですが、わずか10数年の間に私たちの生活に浸透して、今ではなくてはならない通信手段として定着しました。すでに世界のインターネット人目は18他人を超えるまでになっています。

そして今、インターネットは「ウェブ2・0」と呼ばれる新時代に入っています。 といって抜本的な新しい技術が開発されたわけではありません。むしろ新しい使い方の問題です。当初のインターネットの発信者と受信者は、ワン・トゥ・ワンとその延長線上にあるワン・トゥ・メニーの関係でした。が、最近では、同じネットを使ったコミュニケーションだとしても、メニー・トゥ・メニー、つまり双方向の関係に進化したのです。 ブログや、会員制の情報交換サイトSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)、アフィリエイトなどはその象徴的な例と言えましょう。ここでは誰もが情報発信者になり得るのです。 そうした双方向性のネットを核とした新ビジネスの流れを「ウェブ2・O」と名付けたのは、アメリカの出版社オライリーメディアのCEO、ティム・オライリーさんです。彼はこんなことを言っています。(『ウェブ2・0で稼ぐ!』日経産業新聞編) 「ウェブ2・0は技術の話ではない。重要なのはビジネスモデルであり、どこで価値が生み出されているかだ」 「ネットは当初パソコンの付属品でしかなかったが、今や価値を生み出す場所へと変わった。ウェブ2・0とは、ネットを最大限に生かしたソフトやサービスの開発手法、その考え方ということもできる。 その考え方は猛スピードで具現化されつつあります。価格比較の価格ドットコムの口コミ掲示板には毎日数千件の投稿があるし、誰でも参加できる百科事典ウィキペディアも活況を呈しています。またあっという間に一般化したブログやツイッターは、いまや子供さえ利用するようになっています。 通販業界にとっては、利用者の参加性が高いこの 「ウェブ2・0」を活用した、「通販2・0」の開発が急がれます。 たとえばブログですが、ブログの口コミからヒット商品が生まれることも少なくないのです。そこで楽天市場やヤフーーショッピングやアマゾンなどのバーチャル・モールも、ブログと連携する方向にあります。なによりコストが安くすむので、費用対効果が抜群なのです。「アフィリエイト」というビジネスモデルも盛んになってきました。アフィリエイトとは、「提携」のことです。その仕組みはというと、契約したスポンサーの広告をAさんが運営するホームページやブログに掲載するとします。それを見た利用者が、その広告をクリックしてスポンサーのサイトで資料を請求したり商品を購入したりすると、Aさんに手数料が入ります。日本ではまだそこまで行っていませんが、アメリカの場合、電子商取引の25%はアフィリエイト経由だと言われているほどです。 日本の小売市場は年間135兆円ですが、そのうちインターネットを経由する電子商取引はおよそ1・8%。逆に言えば、それだけ将来性が大きいわけで、通販2・0への挑戦が大いに期待されます。 さて、オライリーさんは前掲のインタビューの続きとして、「ウェブ3・O」はどうなるのかという質問にこう答えています。 「10年後にはネットがあらゆるものの中心になっているだろう。だが我々は「ウェブ3・0」とは呼ばない。なぜなら次に来る変化は今ある(ビジネスの)エコシステム(生態系)を超えるものになるはずだからだ」 こう言われても想像がつかないだけに、胸はずむ思いもしますが、空恐ろしくもあります。果たして 「通販3・0」は一体どんな形をとるのか。もっとも、通販はこれまでも常にメディアの革新に対しては、「遅れてくる子」でした。ケータイの場合もまず本体が広く普及して、それから着メロや予約といったサービス系の商売が先行し、そして最後に物販系の通販が売上で最上位を占めるようになったのでした。信用される市場が確立していなければ、物の売り買いは成り立たないからでしょう。としたら、「通販3・0」は「ウェブ3・0」を十分見極めてから動いてもいいのではと思っていたところ、ジャパネットたかたの高田社長の言葉で思い直しました。 「テレビと通信の融合とか、いろいろな技術が次々に出てきていますが、今後どれが主役になるかわからない状況です。だから我々もそれらを勉強し、いまできることに全力投球しなければならない。5年後、10年後を迎えたとき、いま何もやっていなければ、その時点で何もはじめることはできません。」 (『テレビではわからない ジャパネットたかたのすべて』より)

放送と通信の融合

次はそのテレビですが、こちらはデジタル化に伴う変革が目前に迫っています。2011年7月24目に、地上波テレビが完全にデジタル化するからです。 送り手のテレビ局側の設備投資には、民放だけでも一兆円かかります。ことに山間地が多く中継設備に金のかかる地方局は四苦八苦の状態ですが、最終的には国の支援を期待するほかありません。それよりも大きな問題は、この大不況の煽りを受けている視聴者の受像機の買い替えと、共同アンテナの対応です。一足先にデジタル化したアメリカでも、四か月延期してようやく09年6月に実施しましたが、それでも2%余の視聴者が当初テレビを見られないことになってしまいました。他山の石として、十全の対策を講じておくべきでしょう。 それにしても、なぜテレビのデジタル化か2011年7月24日という半端な日に設定されているのかご存知でしょうか。年はともかく、7月1日か8月1日のほうが分かりやすいのにと、疑問に感じる人も少なくないはずです。 答えは極めて簡単。電波法のなかで「アナログ放送に使う周波帯数は、10年間を使用期限とする」と定められているからです。そしてこの法律が定められたのが、2001年7月24日だった、ということです。 そのデジタル化によって、高画質の大型ハイビジョンと大容量のブルーレイディスクとを併用すれば家庭の娯楽は膨らみますが、それだけではありません。通信と連動した双方向性も得られるのです。 日本は、通信で使う光ケーブルなどのブロードバンドの普及率では世界一、95%に達しようとしています。これをテレビのデジタル化と重ねると、放送と通信が融合するインフラが整うのです。 放送と通信の融合に注目するのは他でもありません。「見る」と「買う」を直接つなげたい通販にとって、双方向性はなによりも重要な条件だからです。そして放送と通信の融合は、その双方向性を可能にするのです。そのうえで、テレビ通販とネット通販が変身したり合体したりすれば、「見る」と 「買う」が同時にできる、全く新しい通販システムが生み出されることも想像に難くありません。 10数年前、こんなビデオを見たことがあります。アメリカの大手IT企業が作ったフアッションショーの実験映像ですが、新しいデザインの衣装を身につけたモデルが次々に現れます。気に入った衣装があったら、テレビのモデルに指先を触れる。と、画像が止まって、値段とかサイズとかいった商品説明が現れる。更に興味があれば、また指先を使って購入手続きまで進む。いうなればタッチパネル式のテレビ通販、いや、ネット通販と呼ぶべきで でもその時はこれは夢のまた夢、もし実用化されるとしてもずっと先のことと思っていました。ところが、それが早くも目の前に現れたのです。革新的な携帯の情報端末機器として世間の注目を集めている、アップル社の「IPad」です。10年4月にアメリカで売り出されると僅か1か月で100万台に達し、翌月には日本やヨーロッパにも登場しました。タッチパネル式のこの機器は電話とカメラの機能こそないものの、携帯電話回線とつながってセールスポイントである電子書籍をはじめ、音楽や動画やゲームなど様々なコンテンツを楽しめます。が、ここで強調したいのは通販としての能力です。例えばファッションの場合、音楽をバックに色彩豊かな動く映像で商品を見たり、双方向の機能を生かして好みのコーディネートをいろいろと試したり、気にいったら買うこともできる。しかも画像も機能も、あのビデオとは次元を異にするほど進化しているのです。言うなれば、カタログ・テレビ・ネット・ケータイのすべての通販を集約できる新世代端末と言っていいでしょう。日本ではまだ出版界の賛同が得られず電子書籍としての機能は十分に生かしきれていませんが、その将来性には恐るべきものがあります。 これに対抗して、ネット検索最大手のグーグルとソニーが、動画再生や検索などのインターネット上のサービスも利用できる「グーグルTV」を共同開発。10年秋にアメリカで発売することになりました。インターネットにもつながるテレビは既に市販されていますが、機能的には未だしの感があるだけに、グーグルのOS(基本ソフト)を搭載したこのテレビには世界の関心が集まっています。しかもグーグルは電子書籍など、地球上の全情報のオンライン化を目指しており、テレビ十ネットの新しい形の通販が生まれそうです。

「一寸先に光」と「知らぬ間」の通販
そんなメディアの変革とは関わりなく、今のままのメディアでも、活用次第で突然変異のような価値が生じた通販の実例に接してきました。 思いがけないアイデアから実現したビジネスモデルが、そのメディアの通販の主流になることすらあったのです。「一寸先は闇」という言葉がありますが、予想外の発展だから、「一寸先に光」と言い換えてもいいでしょう。 テレビ東京の通販番組「テレコンワールド」が始まった時分には、夜中にテレビで買い物をする者がいるかと誰しも思ったものですが、今では深夜から明け方のテレビはまさに通販番組の花盛り。創業時の出店数は13店舗だった楽天市場も、わずか12年後には3万店を超えネット通販市場の中核を占めるまでに成長しました。ファッション会場という限られた空間内でのケータイ通販を思いついた東京ガールズコレクションもまた、脱帽ものでした。 これから、いつどんな形で通販がやって来て、それに巻き込まれてしまうのか。それこそ一寸先が読めません。自分で気づかぬままに、通販に引き込まれていることだってあるのです。 あまり話題になってはいませんが、年賀状に 「ケータイPOST」というのがあります。ケータイで日本郵便に申し込むと、先方に年賀はがきが届くというものです。一枚157円で、文面はもちろん自由に作れるし、ケータイで撮った写真を貼り付けることもできます。たったそれだけのことでも、このシステムには幾つかの通販の要素が潜んでいます。「物販」としての通販はハガキだけですが、もう一方の「サービス」の通販としては、印刷、文面のレイアウト、写真の貼り付け、そして最後に配送と、年賀状にまつわる一連の作業を委託しているのです。今後、こうした日用化した通販が、様々な形態をとって現れるに違いありません。それもどこがどう通販なのか、気づかぬままに。 もっと大がかりな話をしましょう。 あなたが職場で使っている文房具。もしかすると会社が通販で購入したものかもしれません。通販には、BtoCと呼ばれる消費者向けのものと、BtoBと呼ばれる企業向けのものがあります(Bはビジネスつまり会社、Cはコンシューマーつまり消費者の略)。そのBtoBのなかでも、オフィス用品の通販の躍進ぶりが際立っているのです。 アスクルという通販会社は、文具やオフィス用品の大手企業プラスの子会社です。急成長を続けていて、09年度の売上荷は1889億円。東証一部上場会社です。親会社のプラスは、株式未公開で、売上は約800億円。数字の上では子会社に及びません。 このアスクルの会社発足までには長い準備期間がありました。92年にプラスの事業部として実験的にカタログを発行したのですが、その商品数はわずか600点でした。それから試行錯誤をつづけ、97年にようやくアスクルとして独立。現在の取扱商品は4万9000点に達しているのです。 成功の要因は、なにより社名の由来となっている 「明日来る」。当日配送、翌日配送を掲げた物流システムを構築したことです。ネット時代にはいると受注・配送のシステムが一層合理化され、オフィスにとっての利用価値は更に高まったのでした。 文具用品最大手のコクヨも、2000年にオフィス向け通販の子会社カウネットを設立。09年の年商は702億円に上っています。以前お笑いタレントを起用したテレビCMを大量に放送していましたが、「カウネット」と連呼するだけだから、「カウネットって?」と首をひねった視聴者も多かったはず。むろんその効果を狙った広告戦術です。顧客である日本全国の事業所は、600万を超えると言われています。それだけにこの分野のBtoB通販の将来性は計り知れません。 話が飛びますが、ユビキタス・ネットワークという言葉があります。ユビキタスはラテン語で「至る所にある」という意味で、次世代デジタル社会のキーワードとして使われています。 そのネットワークとは、テレビやケータイを始めとする情報端末機器から商材や消費用の物品まで、すべてを通信や電波のネットワークにつなげて、いつでもどこでもサービスを受けられるシステムのことです。 ケータイ電話の「お財布ケータイ」と呼ばれる決済システムや、スイカやパスモなどのIC型の乗車カードもその一例です。また商品にICチップを貼り付けて、一つ一つを識別すると同時に、商品の出自はむろんのこと、出荷から納品までの流通過程を追跡する機能も、ユビキタス・ネットワークを活用したサービスです。 近い将来、家庭内のユビキタス・ネットワークが現実のものになるのは間違いないところでしょう。というより家電業界は、ケータイやパソコンと家庭の全電化製品を結ぶネットワークを、次なる目玉商品として計画しているのです。 現に、圧力センサーでペットボトルの在庫数を確認して表示する冷蔵庫が販売されています。数えやすいボトルだけではなく、行く行くは各種各様の食材にも適応できるようになるのだそうです。その時には、自動的に冷蔵庫のなかの食料品の在庫を認識して、自動的に不足分を補うような通販のシステムも夢ではありません。こうなると、通販なんかしないと決めている人でも、知らず知らずのうちに通販をすることになるわけです。

詰まるところは人間

終わりに近づいたところで、「はじめに」の冒頭に戻ります。
日本通信販売協会がおこなった09年の「通販の利用状況」の調査です。
その結果をみると、利用率の最も低いのは、男性の60代と70代の45%前後です。この辺に食わず嫌いの人たちが固まっているようで、なんとなく納得のいく気もします。
が、ネット通販の章には、一番リピート率が高いのは50代の男性という数字もあったはずです。食いつきは遅いが一度食いついたら離れない、保守的な性向も年配男性の特徴なのです。それに加えて、通販やインターネットに慣れ親しんだ人たちも、次第に高年齢に選していきます。好き嫌いだから100%とはいかないまでも、通販人目が年々着実に増え続けるのは間違いありません。 そうでなくても高年齢者にとっては、実際に売り場に出かけて行って、数ある商品から目当ての商品を選び出すのは大変な作業です。でも通販なら家にいたまま、店頭では望めない商品説明をしてもらえるし、気に入ったらすぐにも買えるし、なによりも届けてもくれる。そのため、同じ利用状況の調査では、70代の利用率が前年より7%近くも急上昇しているのです。仕事を持っている女性たちにしても似たようなものでしょう。黎明期から続いてきた「あればいい」の日本の通販が、アメリカの西部劇時代のような「なくてはならない」通販に変わろうとしているのです。 別の角度から見ます。百年に一度というこの大不況のなかでも、元気印の旗を翻している店舗販売があります。代表的なものが、ユニクロであり、アウトレットであり、H&Mやフオーエバー21などの外国系衣料企業であり、デパ地下やコンビニの弁当です。

その共通点である商品の安さと豊富さとブランドカは、販売者がじかに内外の生産者に大量発注することで得られるもので、流通革命の新段階といえます。進境著しい通販は、なによりも便利さを利点とする無店舗販売として、この流通革命の一翼を担っているのです。 大手スーパー自らが農業に直接参入し始めていることにも、それは如実に表れています。軒並みシャッターの下りた商店街の荒涼とした光景がテレビに映し出されるたびに胸が塞ぎますが、その要因にはアメリカのサブプライム・ローンの破綻に端を発する不況以上に、この店舗・無店舗を両輪とする流通革命が深くかかわっているに違いありません。その一方で、ケータイは恐るべき勢いで進化し、インターネットの機能を完備したスマートフォンも普及してきます。それは取りも直さず、今後の通販の鍵とも言われるケータイ通販の発達につながるでしょう。 むろんそれに呼応して、様々な利用者のニーズを満足させる商品の品揃えも必要です。そのためには通販事業者の体質も変わってくるはずで、現に商社やメーカーといった天資本の企業が、通販市場に積極的に乗り出していることは前述のとおりです。いうなれば「一億総通販」時代の到来です。

が、それには必須条件があります。「安かろう悪かろう」のイメージからの脱却です。 日本の通販の歴史が、自ら招いた不信の歴史であったことは繰り返し述べてきたところで、高年齢者層が通販にすんなりと踏み込めないのも、そのあたりが影響しているのかもしれません。 通販の世界にも、次世代通販などという呼び声が聞こえてくるようになりました。たしかにそんな時代もくるのでしょうが、店と商品の信用が決め手になることは、旧世代通販となんら変わりはないはずです。 「何もかもが変化する世界にあっても、絶対に変わらないことがある。そこに生きているのは、常に生身の人間であることだ。人と人の絆や信頼関係は、人類がこの世に存続している限り未来永劫に続いていく。僕が世界一に育て上げたいのは、その絶対に動かない人と人のつながりをベースにしたインターネット産業なのだ」 先に引用した楽天の三木谷浩史さんの著書の一節です。 三木谷さんと、カタログハウスの斎藤駿さんと、ジャパネットたかたの高田明さんを通販業界の三大異端の雄と書きましたが、この三人の共通点も極めて人間的な経営者であることです。もちろん、三人だけではありません。この本に登場した通販界の創業者はすべて、発想において、実行力において、経営努力において、優れて人間的な人たちでした。殊にインターネットとかITとか間くと、なにか技術優先の非人間的な匂いがします。でもそれらはただの道具に過ぎず、だからこそ余計に人間性が事業の成否を決めるのだということを、この本を書きながら改めて実感したのでした。 高知空港から車で約1時間半。馬路村は人目1200人の山間の村です。 初めて馬路村を訪れたのは、10年ほど前のことでした。細い山道を車でのぼって行くにつれてだんだんと山の空気が濃くなり、よくこの先に人が住んでいるものだと思ったものです。村を貫くように音を立てて流れる安田川を吊り橋から眺めたときは、山と樹木に覆われた絶景にしばし息をのみました。 昔は林業が盛んでした。が、この地もまた若者たちが村を出てしまい、過疎化の危機に直面します。そこで村のあちこちに生えていた柚子の生産に乗り出したのです。しかし商売にはならず、80年ごろから「ゆずの村」と銘打ってジュースや醤油やボン酢などの加工品を作ることにしました。むろん販路があるわけでなく、窮余の一策で日本中の百貨店の物産展に出店したのです。そこで買ってくれたお客さんのなかには、宅送を希望する人が少なくありませんでした。そのリストを利用して商品のダイレクトメールを送ったところ、思わぬ注文が入り、それではと通販に乗り出すことにしたのです。 ところが、この通販が風変りなものでした。馬路村は「物」を売るのではなく、山奥の「村」を売る戦略を打ち出したのです。地方のテレビCMや山手繰の車内広告を使った「村」そのもののPRは反響を呼び、それが「物」の商売につながって、88年には年商1億円、93年には10億円、02年には村の予算規模を上回る30億円近くまでになったのです。同時に、通販事業の要員として50人に上る雇用を生み出し、今では観光客の宿泊施設まで設けています。その問、94年に朝日農業賞を受賞するなど、馬路村の名前は全国的になりました。 今後も新しいツールが生まれ、それに即した斬新な手法が生まれることでしょう。しかし、ビジネスの原点はシンプルな気がします。「詰まるところは人間」なのです。

 

 

 

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