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世界のネット通販成功企業

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世界のネット通販成功企業

流通業に与えられたミッション

流通が担う経済活動における役割とは、生産から消費の問に良好な循環をもたらし、消費者に適切な時間に、適切な品を届けることであることは言うまでもない。すなわち、流通業が担うべき使命は、流通段階の川下に位置する消費者の便益を追及していくという意味で、従来極めてローカルな二ーズと対応するものであった。このため、小売業の国際化はあまり考えられなかった。 確かに流通業はローカルなニーズを汲みとることをもって成り立つ。事実、各地の流通業はそれぞれの特徴をもって発運してきた(図表1)。

ところが、近年の運輸通信革命によってグローバルな視野で見た相互接続を果たしていくことが求められるようになった。先進国間にあって当初に掲げられたテーマは内外価格差の是正で、商品、価格、買い物の利便性に関する消費者の選択肢を増やしていくことであったが、やがて中国の品なしに生活が成り立たないほどにグローバル・ソーシングが進んだ。流通分野において、製造から販売までの効率的なサプライチェーンが主役を占めるようになったことに不思議はない。

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2014年に米SECに対し上場申請したアリババは、年間取扱額は27兆円と、商品取り扱いだけでも17兆円で中国での通販のシェア8割を占め、目本の楽天、アメリカのe-ベイを足した程の規模をもつ現代流通の最大手だ。一方、2013年にアメリカ随一の高級百貨店として知られるサックス・フィフスアベニューを買収した、カナダのアウトレット運営企業、ハドソンズ・ペイ・カンパニー(HBC)の前身は、1670年にロンドンで設立され、ハドソン湾南岸のヨーク・ファクトリーに拠点を持つ、イギリスの毛皮交易会社であった。当時イギリスのビーバーは捕りつくされ、良質の資源を求めて北米に進出し1957年まで毛皮交易も行っていた。カナダでの準化が進展したことがある。日本でも、サプライチェーンの効率化は、業界全体として進められたというよりも、むしろセブン&アイ・ホールディングス、イオンなど大手個別企業の経営戦略として位置づけられ発展し、結果としてほぼ同じようなポジションに立った。 こうして、三極の中のいくつかの小売企業が、独自のICTシステム、ビジネスモデルなどによって競争優位を獲得した。だが、小売の対象商品もそれを支える売り方も図表1にみるように三極でそれぞれであり、海外展開は難しいと考えられていた。ネットを流通業の裏方という見方を変え、ネットは顧客をとらえるための道具建てと考えるようになった現在にあっても、ハドソンズ・ペイも北米以外への展開を考えていない。 だが、ICTシステムで築いた優位性は顧客が欲しいものを効率的に顧客のもとに届けるシステムにあるという具合に考えれば、その競争優位をもって小売業の国際的な事業展開が可能であり、必ず成功するのではないか。こうした期待なり、コンセプトなりで国際化を試みたのが、フランスの流通大手、カルフールである。フランスでは、規制が厳しく、国内での展開がむずかしかったことも、背中を後押しした。 彼らは、ニーズを汲みとるシステムをもって同じ豊かな生活をしているトライアド市場ではそれなりの成果が上がると考えた。ところが、他国に進出し多店舗展開を行ってみても、先進国市場の成長飽和感が強まるなか、各地の商習慣を知る手ごわい地元流通業が立ちはだかり、当初考えたような成果を上げられなかった。 なぜだろうか。アレキサンダーとマイヤーズは、競争優位を構成するものには、革新的資産と模倣的資産の二つのブロックがあるが、これら資産は企業固有のものでもあり、市場特性に規定されるものでもあるとした。つまり、進出先で競争優位を獲得するためには、企業独自の強みを持ちこむと同時に、その国・地域での市場特性に合った形に多少とも適応させ再構築することで初めて成功することになるというわけである。 彼らのいう二つのブロックの移転という観点を受け継いで、矢作敏行は、部分適合と連続的な創造的な適合という問題提起をした。独自性の強い競争優位のブロックを持って国際化を図る場合には、いってみれば国際企業型になり、部分的な適合で済むことになるが、ビジネスモデルがコンセプチュアルなものである場合には、それを別の市場に翻訳し、移転するには、創造的な適合が要求されることになるというのである。つまり、その二つのプロセスを適度にミックスしていくことによって、国際展開の目的が達成されよう。 小売業大手は成長性の高いところに国際展開すべきではなかったのか。だが、小売業の国際化では、本国での成長性が限界に達して初めて海外に成長機会を求めていくという受け身の形のものが多かった。逆にいえば、小売業界のICTシステムで世界1、2を争うウォルマートやセブンーイレブン・ジャパンの場合、国内市場での拡大で満足していたのだ。たとえば、ウォルマートの場合、情報技術、配送システムは他社が真似しようとしてもできない効率的なマーチャンダイジングを可能にするものとして、トヨタのカンバン方式と並び、賞賛されてきたLU。 「イノベーションを論じる大学の講義でも、研究所から出てくる技術だけがイノベーションじやないよとこの2社の話をしている」というスタンフォード大学のポール・ローマー教授(現ニューヨーク大学)に、「それにセブンーイレブン・ジャパンを加えなくてはね」と筆者が茶々を入れたのは10年以上前のことだ。 筆者はセブン対ウォルマートという対照構造はセブンに多少優位で今も続いていると見ている。『セブン&アイHLDGS: 9兆円企業の秘密』を上梓した朝長久美雄も、オムニチャネルの時代に入り、多様な業態の子会社をもつ同社の強みが発揮できるのではないかと主張しているが、事業構造の面からも財務データの面からも同社の中核にあるのはセブンーイレブン・ジャパンであることも浮き彫りにしている。 一方、ウォルマートもまた「オムニチャネル化」を急く≒「顧客は好きなときに好きなように買い物をしたいという形に変わっている。そのためには電子取引と小型店の出店に積極投資をする」と14年1月決算での大幅減益を受けてCEOに就任したダグ・マクミロンは語る。 ウォルマートの成長を支えてきたのは、図表1にもある郊外に住み週末に大量の食品を買い込む中産階級の生活スタイルに照準をあわせた店舗展開をしてきたことだ。ところが近年のアメリカでは中産階級が没落し始め若い世代では自由、平等のシンボルである自動車を乗り回し、郊外に家をもつという生活スタイルが重荷に感じられるようになり、若者層での共稼ぎは生活ののりしろを失っているという状態なのだ昧政府が貧困層とする人の数は2012年末で4650万人と過去最大になった。一握りの富裕層に対し、アメリカ社会の全体といわないまでも多くの部分が以前よりも貧しい生活へとドリフトしているといえよう。こうした変化に対し、アナリストの試算では、ウォルマートは、顧客の約20%がフードスタンプ利用者とみられ貧困化のベネフィットを受けてきた。だが2013年には、年間50億ドル超のフードスタンプ支給額の削減が行われ、国民の7人に1人が打撃を受けたと見られている。2014年も追加削減の見通しとなっている。 以前よりも貧しい生活へとドリフトが起こっていることから買い物スタイルでも、週末にまとめ買いをするというものから必要なものをこまめに買うというスタイルが増えてきている。こうした層に対応し業績を伸ばしているのが、ダラー・ジェネラルとかファミリー・ダラーとかを名乗る廉価雑貨店チェーンだ。自身の「オムニチャネル化」を進めるに当たり視察に出かけたセブン&アイの幹部が訪れたドラッグストア・チェーンのウオルグリーンも、こうした傾向下での勝ち組のひとつだ。 ウォルマートもこうした小型の廉価雑貴店に対抗し、従来の大型店と比較して店舗面積を縮小した「ウォルマート・イクスプレス」や「ネイバーフッド・マーケット」の拡張テンポを速め、貧しい生活へとドリフトしている消費者ニーズに応えて行かなければならなくなったのだ。そしてウォルマートで商品を見て、ネットのアマゾンで買い物をするショールーミング族をウォルマートの中に取り込む「オムニチャネル化」を進めなくてはならなくなったのだ。 ウォルマートは、過去3年でネット企業を12社買収し、2013年だけでも5億ドルをe-コマース関連につぎ込み、研究開発をするイノベーション・ラボの人員を4000人雇い入れた。オンラインストアの「ウォルマート・ドット・コム」は、品ぞろえを過去1年間で2倍の500万点に拡大した。独自商品に加えて、出店業者の商品も購入でき、小規模店舗でテレビやトランポリンなど顧客がオンラインで注文した大型商品の受け取りもできるようになった。 14年1月期の米国の既存店売上高が0.6%減少するなか、ウォルマートの近隣型小規模店舗の売上高は5%増となった。オンライン売上高も急速に伸びており、2013年には100億ドル(約1兆円)に達した。この追い風を手にするために同社が打った手は、2014年の小型店の出店計画は従来の120〜150店を倍増し300店を開設するというものだ。これにより2014年末の小型店の数は8割増の670店になる見込みだ。オンライン注文専用の倉庫を5〜10ヵ所建設する計画もあり、品ぞろえと配達速度において、2年以内にアマゾンに追いつくことを目標にしている。 だが、ウォルマートのネット売上の100億ドルは、アマゾンの750億ドルに比べると取るに足らない規模にとどまる一方、オンライン部門はまだ米国事業とは別に運営されており、実店舗中心の従来型の慣行が完全に融合したオムニチャネル化か定着しているわけではない。アマゾンも、スマートフォンの出現によって身近に通販を考えるようになった顧客層を取込み、従来のパソコンを利用した通販を利用していた先駆者をピーナッツの存在に追い込もうと、2014年にATTから端末価格199ドルのスマホ、〈ファイヤーフォン〉の販売を開始している。〈ファイヤーフォン〉は、いねば動くショールームであり、試着ルームであり、想定する写真を取込みアマゾンのデータベースと照合してワンクリックで注文できる〈ファイヤーフライ〉という機能によって、ネット通販の入り口になっているのだ。これによって得た顧客情報をベースに購買予測するなど、ビッグデータを利用して顧客の購買予測をして、他社の追い上げを引き離そうとしている。まずは、その顧客に近い倉庫に在庫を集め配送時間の短縮化を行うが、将来的には、顧客のところまで無人ヘリコプターで送付する構想もある。 こうしたアマゾンに対抗すべく、ウォルマートが進めようとしているのが、店舗と倉庫U配送車両、技術を、他社の追随を許さぬ「市場エコシステム」として再構成していくことだ。店舗ごとにあるバックオフィスを改組し、複数店舗を担当できるようにすることでコストを削減する一方、SCに配送拠点の機能も持たせ、ここを発つトラックには小型店向けの商品を配送させる仕組みである。 顧客はネットで商品を選び受けとる店と時間を指定し、ウォルマートはそれを集配施設などからドライブスルー小型店舗など、顧客指定の店舗に配送し、顧客が自分でピックアップする。ウォルマートは、この受け取り型の商品に、果物や飲料などネット企業が手をつけていない食品を戦略分野と位置づけている。現在ではまだ実験段階だが、このエコシステムを試験導大した地域では、小型店が扱う一部商品の売上高が35%上昇したとされる。軌道に乗れば、全国展開していく。 一方、ショールーミング族を自社の中に取り込むための方策も実験中だ、オーストラリアのベンチャーを買収して得た〈セービング・キャッチャー〉という、スマートフォンで読み込んだレシート情報の読取り、収集ができるシステムで、近隣の競合店より高ければ自動的にその分を返却することで、ショールーミングをなくすというものだ。2014年中に全米適用を考えている。 セブン、ウォルマートに代表される日米の「オムニチャネル化」の動きは、いわばビッグデータの登場など新たな段階にさしかかったICTの高度利用をベースにした国内消費者の深堀りであり、これまで成長性の高かったBRICsなど途上国の経済が一種の停滞をしている中で、海外進出よりも国内市場重視というリバランスが起こっているとも見ることができよう。事実、小売アナリストの中には、ウォルマートは国内での大型SCの投資、海外展開を中断し、小型店の充実に勢力を集中すべきだとの意見もある。つまり、外資規制がある、システムを稼働させるための物流等の近代化が進んでいなければ進出の条件が整ったことにならないなど、成長機会はあるが参入障壁が高かった新興国を中心とした海外への進出よりも、「オムニチャネル化」による国内マーケットの深堀りの投資効率がよくなっている可能性が大だというのである。

確かに、成長機会への挑戦は、ヤオハンが障壁の抜け穴を利用して中国市場に果敢に挑戦し、壮絶な失敗をした時代からくらべれば敷居は低くなっている□。つまり、一般論からすれば、物流等、小売システムの適用が可能になり、外資規制が緩和されるようになったからだ。こうした条件が整ってきて、国内での出店機会を封じられたフランスのカルフールや、国内市場の飽和に直面しイギリスのテスコが海外市場に取組み始めたのである。日本企業でもイオンは、1984年にマレーシアとタイに現地法人を設立したのを皮切りにアジア進出を始め、2016年には1兆円の売上を目指す。 では、物流等の近代化が進み、外資規制が緩和されれば、国内市場に発展余地の大きい新興国への進出は先進国への進出より容易なのだろうか。 決してそうではないというのが、前出のアナリストの見方であり、国境間には依然、無視できない大きな差異があるとするゲマワットの主張でもある。先進諸国への進出で感じる差異は、言ってみれば大同小異で、国内で通用した経営戦略をそのまま待って行っても大丈夫だが、新興国へ行けば、たとえWTOに加盟しているからといって、期待通りに動いていないことに留意せよというわけである。 そしてゲマワットは、ウォルマートの中国など途上国への進出は失敗だったと位置づけている。確かに、1996年に中国へ進出し、深川にアメリカ式の店舗を開設して以来、ウォルマートの戦略は二転三転し、中国市場に適応できていないという見方もできよう。 2013年末にも、ウォルマート昆出店を閉店するなど、1年間で十数店を閉めた。ウォルマートは今後2年でさらに約400店舗全体の9%に当たる15〜30店舗を閉鎖する一方、今後3年間で、中国の三、四級都市を中心に110店舗を新設する計画だ。つまり、一、二級都市の不採算店舗を閉めると同時に、三、四級都市で新規出店を進めることが現在の戦略になっているのだ。 ウォルマートは13年、新興都市で布陣を固めるために30店舗をオープンした。第4四半期だけで14店舗を集中開業し、そのうち75%は三、四級都市に位置している。物流センターにも投資を行っており、2013年には湖北省武漢市、遼寧省瀋陽市の2拠点で物流センターをオープンした。だが、ウォルマートにとって、内陸都市の開拓は容易ではない。現地のライバルが既に根を張っており、筆者のいうところの下からの攻めのできる彼らはウォルマートの強みを学ぶことができる一方、本国に優れたシステムを持つウォルマートは現地業者から学びとることは容易ではない。厳しい競争にさらされるのは間違いない。ウォルマート昆出店は開業当初こそ好調だったものの、カルフールなどライバルが近くに出店してから、業績の下降が始まって、戦略自体の変更になったのだ。同じことの繰り返しになる恐れもある。 にもかかわらず、筆者は、新興国の市場をこじ間けながら、国際展開を図るウォルマートとセブン-イレブン・ジャパンを対比しながら紹介することにしたい。ウォルマートはアメリカ発の小売システムを掲げているのに対し、セブンーイレブン・ジャパンもまた日本発のコンビニのコンセプトを固めて中国の北京周辺、アジアに自社モデルで展開する一方、かつての指南役であったアメリカの親会社を買収し、その立て直しによって、そのフランチャイズ店を日本流に転換させることでそれらの経営効率を高めているからである。 これは、ゲマワットが多少とも最初から失敗はゆるされないと見ているのに対し、ビジネスシステムを移転するには多少の試行錯誤は必要だと見る対比でもある。筆者は、いわゆるネット時代というのは多くの可能性を素早くチェックしながら先へ進む時代になったという認識をもつ。だが、両社を比較する中で、経営効率の意味、誰の利益かという社会的視点からも比較検討してみたい。

高成長企業からの転落を挺子に海外進出図るウォルマート

国内展開での行き詰まり

ウォルマート・ストアーズは、2013年8月には製造業サミットを間催し今後10年間でアメリカヘの製造業の帰還を支援していくと声明し、2014年にはそのためのファンドも創設した。グローバル・ソーシングで国内の製造業を傷めつけたという批判をかわすと同時に、世界最大の購買者としての力量を見せようというのである。リーマンショックに見舞われた2010年1月期の売上は4050億ドルを記録し、大不況の中で新規店舗の開設によって国内で2万2000人の新規雇用もおこなってきた。だが、2014年1月の決算はすでに見たように減益になり、新CEOのもとでオムニチャネル化へ舵を切っている。 ウォルマートは、アメリカ発の優れたICTシステムを武器にアメリカ経済のニーズに応えてきたのではないか。確かにこうした見方が大勢を占めたことがあった。事実、フォーチュン誌の最も賞賛される企業のランクでも2003、2004年には第1位だった。だが、2005年には4位に、2006年以降はトップ10にあがっていない。同社が社会的責任を果していない、出店などで地元に迷惑をかけているなどと、国内で摩擦を起こしてきたためである。 これに対し、セブンーイレブン・ジャパンの親会社、セブン&アイHLDGSは、日本経済新聞による企業ランキングで2013年度の総合1位に選ばれた。この評価では、投資家、消費者・取引先、従業員、社会、潜在力の5つが指標になっているが、潜在力では満点を獲得し、ウォルマートのビジネスに疑問を投げかけられていることと対照をなしている。

ウォルマートのアメリカ内の既存店売上高が、ドイツのディスカウントチェーン大手アルディの米店舗や、アマゾン・ドット・コムをはじめとするインターネット小売大手などのディスカウントチェーンからの追い上げを受け、伸び悩みを見せていることに対する懸念が払拭されていないのだ。アマゾンとは売上規模が現状では1桁違うが、アマゾンやe-ベイなど、ネット通販の伸び率は高い。 手をこまねいていれば、モルタル派のウォルマートにも、書籍ではモルタル派のボーダーズが倒産に追い込まれたような事態がこないとは言い切れない。ウォルマートは、オンラインの販売体制を強化し、切れ目のない販売を目指し、スマートフォン(スマホ)を活用した新精算方式を導入レ消費者にとっての店舗の魅力を向上させ、既存店売り上げの落ち込みに少しでも歯止めをかけたいと懸命になっている。 だが、既存店の売上に翳りも感じられ、ウォルマートがさまざまな観点から毀誉褒貶にさらされるのも事実である。 なぜ毀誉褒貶にさらされるのだろうか。同社は従業員を「アソシエイツ(同僚)」と呼ぶ。これは創業者のサム・ウォルトン以来の伝統で、今も創業家が株式の38%強を握り、取締役会会長は創業家二世のロブソン・ウォルトン氏が務め、「家族経営」を貫く。労働組合もない。その家族経営を支えるのはスタート時で時給7、8ドル、フルタイム従業員の平均でも10ドル11セントと、決して高くない賃金で働く販売員たちである。そんな時給販売員を含む大半の社員に自社株を持たせ、企業成長への貢献を促す。したがって株主総会はさながら社内イベントで総会はその一体感を確認し合う儀式の様相がある。「誰が一番?」「お客様だ!」会場に響く掛け合いの声も恒例行事となっている。 また、アソシエイツたちにも管理職登用の途を開けている。事実、管理職の7割近くは時給販売員からの昇進だとされる。こうして長く勤めるほど見返りも大きいシステムが社員の定着を高めることになり、「アソシエイツと利益を分配すればするほど会社には利益が生まれる」という創業者の理念を実現していることになる。

だが、ウォルマートの成長率もかつての30十%から10%を割りがちになり、14年1月期は減益に陥るまでに低下してミラクルとは言えなくなる一方、ウァルマート自身が社会の中で大きな存在になってくると「内なる論理」を守り続ける同族経営に対し、内外の圧力も高まってきた。 2006年には、元従業員から28の州でウォルマートに時間外の賃金の支払いを求めて訴訟が起こされている。彼らは入社準備教育では働いた時間に見合った賃金を支払っているのだから私用に使うことはもっての外、レジの帳票をごまかせば4年の懲役もあるとビデオで教育をしていながら、従業員には時間外にも仕事をさせても時間外を支払っていない、これは同社こそ泥棒だと、経営のダブルスタンダードを突いてきたのである。日本流に言えば、「ブラック企業」だというのである回。 組合を認めないのはアメリカ国内でも批判の声があがっている。進出先のドイツでは2006年に組合も誕生し、組合問題を巡る混乱が起きたこともあって、その後撤退した回。そうした中、アメリカでは2005年に「ウォルマート・低価格の高い代償」という題名のドキュメンタリー映画が封切られ、話題を呼んだ。民間最大の雇用主である同社がエブリデー・ロー・プライス(毎日低価格)戦略を「従業員200万人の低賃金労働の犠牲のうえに展開している」と批判した。ウォルマートのアソシエイツに労組結成を長年呼びかけてきた米サービス従業員労組(SEIU)は、映画製作者と連携し「反ウォルマート」キャンペーンを展開した。数十万ドルを投じてのテレビ広告も流された。 医療保険のカバーの手薄なウォルマートはコミュニティを破壊するとの声が上がった。つまり、ウォルマートのように医療費のカバーが少ない住民、さらには現在5000万人を超えている巨大な無保険者の住民が増えると、彼らの未払い医療費用がシステム全体に再転嫁されて、企業や地方政府の財政に更なる経済負担を与えるからだ。このため、各地で大型店を規制する条例が相次いだほか、ニューヨーク市での出店は地元の反対で阻止されたままだ。地元商店街への被害だけでなく、自治体からは従業員が公的な医療保険に殺到し、財政を圧迫するとの懸念が表明されている。さらにウォルマートヘの批判は、そもそも同社は財界中から低コストで商品を調達することで国内製造業の職を奪っているということに向った。効率経営を突き詰めて成功したウォルマートが、好況下でも生活改善の実感を得られない国民服の不満をぶつけるスケープゴートになった観があった。 その理由はこうだ。仮にGMで解雇が起こり、その労働者がウォルマートで雇用されたとしよう。GM工場の従業員は時給75ドルとウォルマートの7倍で、医療費もGMが大半を肩代わりしていた。一方、ウォルマートなど小売業では年収200万円未満の低賃金労働者も少なくない。医療費の補助もないので州政府や一部住民は企業が十分な医療費を提供しないと社員が州の公的保険に頼り財政が圧迫されるというのである。同社社員130万人のうち、医療保険の加入者は半数以下である(図表2)。

同社の社員や宗族に対する公的医療支出は連邦分だけで年間25億ドルとの試算も出て、100億ドルの利益をあげたとしても、その4分の1は政府の補助が移転されたものだというのである。他の流通業でも同じようなリスクが加わることになり、流通業は「アメリカ医療保険制度のウォルマート化」を椎し進めている張本人だという見方が広がった。そこでメリーランド州議会は、1万人以上を雇用する企業が賃金総額の8%以上を従業員の医療費に支出することを義務付ける法案を可決した。違反した場合は同じ額を州に対して拠出しなければならない。福利厚生を充実させたい米労働総同盟産別会議(AFL ・ CIO)の働きかけもあり、同様の動きはロードアイランド、オクラホマ州などにも広がった。 だが、GMが倒産し、ウォルマートも新たな保険プランを提供し始めた。同社は、むしろ政府が主管する方がコストが低くなると考えるようになり、同業者の反対を振りきってオバマ大統領の医療改革法案に積極的に賛成した。低賃金との批判に対し、入社直後の従業員を対象に平均6%の賃上げをし、低賃金との批判をかわす一方、出店によって都市の再生への貢献ができることを訴え続けてきた。株価の上昇が十分でなく従業員持株制度が従来のようには有効でないというのならば、パート従業員にも勤続年数で傾斜をつけながらも1人当り650ドルのボーナス支給も始めた。 2009年6月に行われた株主総会にはマイケル・ジョーダンを呼び、彼の口からチームワークの大切さを訴えさせた。
そして、2010年には、医療改革法案も、希釈され難産ではあったが、とにもかくにも成立した。そして、冒頭で述べたように、オバマ大統領の経済政策に合わせるかのように、自身のもつ力を利用して雇用、そして製造業の復活に向けての施策を打ち出しているのだ。

挫折した先進国への進出

先進国の流通大手が行った海外展開とは、当初先進国への進出であった。ことに国内での出店規制の厳しかった仏カルフールなどでは、ニーズを汲みとるシステムをもって先進国へ参入すれば、豊かなトライアド市場ではそれなりの成果が上がると考えた。それは店舗営業時間などでの規制の多いドイツのメトロなどでも同様であった。だがウォルマートなど世界の大手流通業は、先進国市場への展開の失敗を経て、国内での社会的責任論議から少し距離を置く形で、国内・先進国市場での成長戦略をあきらめ、BRICs市場への注力を始めたといえよう。 尖兵であったカルフールは日本と韓国から手を引いた。ウォルマートも、先に触れたように、ドイツでは労使関係での蹟きから撤退をした。すなわち、ウォルマートはドイツで85店舗を展開し、売上高は年間約20億ユーロで、従業員は約1万1,000人である。消費の低迷が続くドイツでは、「アルディ」などディスカウントストアのチェーンとの価格競争が激しく、苦戦していた。そして、2006年の労使対立が引き金となり、ドイツ流通最大手のメトロヘ売却した。ライバルのメトロも国内で550店舗を展開するスーパーチェーンの「レアル」が低迷しており、テコ入れが課題となっていたからである。ウォルマートの事業買収で店舗網を強化し仕入れや物流などを効率化する狙いがあった。同じ2006年の韓国でも撤退の理由と売却先はドイツと同じ構造であった。不採算の先進国での事業縮小を迫られ、未開の新興国へ軸足を移すという構図である。 一方、ウォルマートは、日本市場で苦戦はしているが撤退しないと明言している。苦戦している背景は、自社システムヘの過信だ。ダイエーと提携を目指してイオンと競い合う姿勢を見せたのも、自社のスマート・システムに載せれば成功間違いなしという具合に考えていた節がある。ところが、買収した西友にスマート・システムを導入し、2005年には完全子会社化して責任体制をはっきりさせ、2006年には三郷の物流センターも完成させて、一応の体制が整ったはずであったが、2008年で連続7期最終赤字となった。品切れの機会損失を減少させたものの、日本市場に適合した肌理細かな品揃えができていず、本社直伝の生産性向上マニュアルも、値引き策も役立だなかったのだ。 競争的な市場で培われてきたスキルの多くが日本の実情にウォルマートの戦略は合わないとされる。つまり、ノウハウ移転になお時間を要するのではなく、大量仕入れによって値段は確かに安く、販管費比率も低いが、結局、その分だけ品揃えができていないという本社の体質が日本に移転されていて、それがベテランのパートが発注をうまくして品揃えをしている日本の実情に合っていない可能性が高いのだ。 ウォルマートは、子会社の西友の事業、及び今後日本で新事業を展開する可能性を含め、日本での事業成長を更に促進・支援していく目的で、2009年2月に、ウォルマート・ジャパンHDを設立し、西友をその100%子会社とした。同時に、本社の購買ルートを利用してユニクロの〈ジーユー〉の1000円ジーンズに対抗できる商品を用意したり、プライベート・ブランド(PB)の〈グレートバリュー〉の商品をサイズなど日本向けに手直しして商品を拡充する一方、本社人材の役人をするなどして業績の立て直しを図ってきた。 〈グレートバリュー〉は、メーカー品であるNB(ナショナルブランド)のトップ商品をベンチマークとして、NBよりも低価格の商品を提供することをコンセプトに間発したものである。東日本大震災に際しても、2005年のハリケーン「カトリーナ」の災害の経験からウォルマート本社が緊急時に必要な物資を倉庫に備蓄していた在庫を活かして、乾電池などを緊急輸入するなど日本の需要急変に対応することができた。 だが、ウォルマート流の経営を推進してきたはずの野田亨CEOが「個人的な理由で」辞任せざるを得なくなった一方、2012年12月には、全国371店で食品分野でくみなさまのお墨付き〉〈きほんのき〉の2ブランドを展開すると発表した。 PB政策の見直しである。西友は、ウォルマートのPB〈グレートバリュー〉を2005年から投入してきたが、当初はアメリカ的で日本市場にあわないとして2009年からは市場環境の変化に柔軟に対応する体制に切り替えられた。だが、環境の激変で消費者の購買行動が大きく変化し、PBにも低価格だけでなく、高品質や高機能を求めるなどポジション変更が求められた。西友では、その対応のために〈グレートバリュー〉もアイテムやバラエティを拡大したが、そのために、かえって総合的な商品力が低下したのである。 そこで、ウォルマートのイギリス子会社、アズダの手法を参考に、まずは食品分野に限り独自PBを3ヵ月〜1年程度で開発し適宜役人する一方、発売後1.5〜2年のサイクルで見直しをするという仕組みに切り替えたのである。これにより、西友は息を吹かえし、売上も増えたので4年ぶりの新規出店に踏み切った。自主経営で本格的回復に向かうのか、注目されるところだ。

調達先として見てきたBRICs

成長を図るには、BRICsを目指さなくてはならない。ところが、BRICsを初めとする新興国というのは、欧米の流通大手にとって、コストの安い調達先でしかなかった。海外調達の主戦場は中国である。中でも、繊維・雑貨の類は中国に集中している。中国はWTOの繊維貿易に関する特別措置の期限が切れた後、繊維分野で圧倒的な競争上の利点の大きさにより、EUの重要な貿易相手国となった。つまり、中国を原産とする35品目の繊維製品の輸入が自由化されたが、その後中国製品の輸入が急増したために、欧州委員会は、2005年4月に中国製品に対する特別措置を発表した。すなわち、中国製繊維製品の輸入量が一定水準を越えた場合に輸入制限措置(セーフガード)を発動できることを定めた特別セーフガード措置を導入せざるを得なかったのである。 個々の流通企業レベルの国際的な取引を世界貿易の中で位置づければ、ウォルマートの海外からの調達額は貿易ランキングで言えば世界12位のメキシコ並になる。そうした巨額の調達の先が、中国市場へとバリューチェーンを遡ることが結果として中国の輸出を促進していることを意味する。たとえば、仏カルフールは中国からの調達額が年間50億ドル規模まで膨らんだ。同社は世界的に仕入れオフィス約20ケ所を構えるが、うち12ケ所は中国に集まる。これはウォルマートなど米系企業をとっても同様で、個々の企業のレベルでも中国に偏った調達制度に警戒感も広がってきている。人件費の高騰に加え、人民元切り上げの可能性もあり、最近ではマテルが数度にわたって製品回収を余儀なくされるなど製品安全性の問題の頻発で、生産基地としての中国のリスクは低くないからである。 中国からどこへ調達先をシフトさせるのか。縫製加工ではバングラディッシュが突出しているが、品目を広げた場合に多くが調達を増し始めているのがインドで、たとえばウォルマートは繊維や宝飾品の仕入れを増やし2005年にはインド製品の調達は早くも10億ドルを突破したが、その後も仕入れ拠点を2ヵ所増設するなど拡大をつづけている。だが、ウォルマートのインドでの調達が注目されるのは、青果で50%以上を農家から直接調達という目標と共に、その施策が農業振興になっていることである。これは5年先のマークアップ率を引き上げるためには調達の先はサプライチェーンの川上まで遡り、さらには仕入先の分散を図らなくてはならないという方針に沿うものだ。 同じ発想でウォルマートでは、2006年から全米で販売を始めた独自衣料ブランド、〈ジョージ〉の乳児向け新製品では、トルコの農業生産者と5年の長期契約を結び、栽培の段階から協力して調達に取り組んでいる。有機綿の特産地であるトルコから調達することで、安価で安定した供給ができる体制を築いたことになる。2010年には、コスト削減と機動性向上をねらって、代理店も使い始めることにした。その第1弾となったのが、香港のリー・アンド・フォンで、同社はウォルマート向けの購買・調達に特化した子会社を設立して、ウォルマートが企画したプライベート・ブランド商品の製造委託先を世界中から探していく。こうしたプログラムの実施よって5年間で15%程度の調達コスト削減を計画している。

急展開したBRICsへの進出一中国市場を中心に

では、調達先として見ていなかった新興国ではどんな消費市場が形成されているのだろうか。成長のアジアに進出機会を求めるとして、今アジア新興国全体を見渡すと、世帯可処分所得で5000ドルから3万5000ドルに相当する中間層の人口は2012年の11億人が2020年にはほぼ倍増の20他人になると予想されている。この分厚な層への浸透を図るには、単に現地に販売網を構築するだけにとどまらず、現地のニーズ、現地の財布にあわせた品揃えの他にも現地に根ざした商品開発も必要になってこよう。 アジアの中でも人口増加が著しいインドや統一市場、AECを目指す東南アジアが狙い目だという見方もあるが、後述するように前者の市場はオープンされていない。その点で、市場開放をしつつあるAECや内需主導の経済に変わりつつある中国市場が当面の最大のターゲットとなろう。 こうした中、現地ニーズを知るにも、現地での競合を知るにも、まずは中国の小売業に目を向けるのがよいのではなかろうか。 さて中国の小売業界を見るには、まずは中国チェーンストア経営協会によるトップ100社の情況から見ていくと、2012年の12%増まで常に2桁の伸びを示していた売上が2013年に初めて1桁、9.9%増にとどまったことが注目される。 トップにランクされる蘇寧雲商集団は、アメリカのベストバイ、日本のヤマダ電機に相当す
る家電量販店で、中国にあっても小売の業態革命が進んでいることが窺われる(図表3)。

上位100社には、スーパーが56社、家電量販店が12社ランクインしているのに続き、ドラッグストア4社が顔を見せている。これは、外資という洗礼がなくとも、中国の地場小売業者は、かつての日本でスーパーマーケットの創業経営者たちがアメリカヘ毎年視察旅行にでかけ、いねば眼での学習、裁定によって業態、経営の近代化を行ったのと同様に、中国でもそれ以上のスピードで自前の流通近代化が進んでいることを示していよう。

だが、同時にここのところ不振が続く国美電器だけでなく、2013年には蘇寧でも90%減益になるなど、ネットの影響が強くなっていることを示していよう。事実、2013年において、トップ100企業のうちネット小売をしている企業は67社である。ちなみに、2011年は41社、2012年は62社で、2013年にネット販売を開始した企業は9社あった一方、4社がネット販売から撤退し、差引5社が実増という結果になっている。ネット検索の大手、百度と組み、楽酷天をスタートさせた日本の楽天も2010年の参入から1年半で退出を余儀なくされるなど、相当程度の確率で参入に失敗していることになろう。 だが、ネット販売が全体に占める比率は金額ベースで3.7%(2012年対比十〇.8ポイント)とまだそれほど大きくはないことから、業態の変化に話を戻すべきかも知れない。そして、中国の小売業界の特色を見るには、2012年の売上第2位から2013年には6位にランクダウンした百聯集団の説明から入るべきだろう。 百聯は、傘下に上海を中心とした地域で百貨店、スーパー、コンビニ、専門店をもつ国有の小売コングロである。上海第一百貨店は、同じ傘下にあるスーパーマーケットを展開する聯華超市に1999年にトップの座を奪われるまで、長年にわたって中国小売業界に君臨してきた。ちなみに、その傘下にある上海第一八栢伴は前出のヤオハンの流れをくむ地域第一の大型店舗で、45億元を超える売上は群を抜く存在だ。 さて国有企業の百聯集団が上海周辺だけで成り立っているとすれば、他の地域でも別の名前の「百聯集団」、たとえば重慶商社集団(9位にランク)、山東省商業集団(7位)などが存在することを意味しよう。したがって、中国の小売業は、トップ10社で5%、トップ100社でも10%といった具合に集中度がきわめて低くなっている。これは、歴史的にも、そして食文化などでも異なる地域特性を活かして政治的に諸侯経済が形成されてきたためだ。 そして中国の小売の今一つの特徴として収益の低いことがあげられ、百聯の売上利益率は好調であった11年でも0.8%だった。低収益性はどこからくるかと言えば、粗利率がコンビニで19%、百貨店で14%、スーパーでは13%とどの業態にあっても日本より10%ポイント低くなっていることに求められようJ。したがって、当然のごとく営業赤字になるが、これを生産者からの補填、つまりりベートで埋め合わせかろうじて黒字を確保するという形になっており、図表3のトップ100企業をとっても、増収率9.9%に対し、賃料支出が11%、人件費コストが18%増加しており、収益構造の悪化が著しい。百貨店、ことに地方の百貨店の悪化が厳しい。 13年になって習近平のいわゆる倹約今によって高額商品の売行きが悪化している影響からだ。 売り子にもインセンティブがなく、小売業者はメーカーからの出向者に依存することになる。ではどうしてこうした形態になったのかといえば、計画経済の中での流通の地位が低かった歴史的経緯を反映したものといえよう。 地域別の動きを見ると、第一、二級の大都市圈のチェーンの売上、店舗の伸びはそれぞれ6%、2%にとどまっているのに対し、第三、四級の地方の中小都市のチェーン店の売上、店舗の伸びはともに17%と高い伸びを続けている。2012年に新たにトップ100社にランク人りした企業は10社あるが、大宗が中小都市に立地しているものだU。沿岸都の大都市中心に進んできた経済発展が内陸部へと移行し、いわば国内の諸侯経済の雁行形態の発展を反映したものになっている。図表3で、外資系がトップ5に入り、比較的高い伸びを示しているのは、果敢にこの消費構造の変化を追っているからでもある。 小売の1位の蘇寧雲商集団は、スーパーの扱う食品のように地域差がない家電製品の量販であるから全国展開ができ、私企業であるがゆえに国有で地域の縛りのある小売を尻目に大きく業容を拡大してきた。家電量販店の間では、蘇寧は、旧社名の蘇寧電器集団時代から、ながらく国美電器とトップの座をあらそっていたが、2008年国美の創業者が相場操縦容疑で逮捕されこともあり、その後は蘇寧の一人勝ちの様相を呈してきた。すなわち、国美が100を超える赤字店の閉鎖がなされた2006年にトップから陥落した一方、蘇寧では1年で250店の新規開店など急成長が続き、2012年には再びトップの座を回復したが、2013年には一転大幅な減益となり、新店舗の開設も滞った。2012年こそ、口本のようにテレビ市場の崩壊はなかったが、インセンティブ販売、つまり「家電下郷」(農村部の家電の買い換え促進)政策の反動が出た。つまり、ここでも経路依存的な小売業の成り立ちから、蘇寧電器も、販売はメーカーからの出向者にまかせ、自社はアフターサービスに持化してきて、蘇寧電器の「売り」はサービスに求めた付けがまわったともいえる。一方、ネットの影響も大きかった。 張近東総裁は、こうした経緯をもつ蘇寧電器の経営風土を変革し、販売に力を入れる会社に変身させようと、日本のラオックスを買収したのである。当初27%の出資をしていたが、2011年に持ち株比率を6割強に引き上げ子会社化し、ラオックスに中国で日本式の家電量販店を多店舗展開し、2013年12月期末には中国での店舗数が31店にする計画をもっていた。自社の中に変革を進める出島を創設し、そこでの成果を本体に取り入れていこうという意図を持つ、筆者がいうところの出島政策である。これは、急拡大した中国の家電量販の世界には、アメリカの家電量販大手のベストパイの中国進出への対応策でもあった。同社が2006年に全額出資子会社を設立し、上海に中国1号店となる大型旗艦店を大型商業施設が集まる繁華街に出店しても誰も驚かなかった。だが、国内第3位の江蘇五星電器を2段階で買収し、2009年には一挙の250店を展開することになり一躍外資トタブに躍り出た。それと同時に、全店で中国では行われていなかったメーカー横断的な商品陳列を取り入れる一方、うち50店舗をアップル専門店に転換するなど積極的な販売政策をとり始めたことは、関係者の耳目を集めた。張総裁も迎え撃つ側にも対応策をしなければならないとの意識から、日本式の品ぞろえ、運営ノウハウを備えた大型店を中国国内に3年で30店展開しながら、それを他店にも学ばせつつ国内外で積極出店し、2020年までの10年間で売上高を現在の4.4倍の6800億元に増やす計画を立てたからである。 だが、2012年は売上こそ1位を回復する前年比13%増となったが、利益は45%減になり、2013年はさらに90%減益と、ほとんど利益がなくなった。長年のライバルだった国美は上場以来初の6.0億元の赤字に転落している。外資の脅威とは別の大きな変化がやってきたのだ。それは、中国経済を内需主導の経済に転換するといいながら前述の「家電下郷」政策が打ち切りになるなど、需要の不透明感である。そして不透明感の中で起こったショールーミング現象、家電のネット通販への移行である。事実、消費者の店頭でのネット価格比較による購買も急増しており、家電メーカーの中恰康が2012年初めに自社の製品がどのルートで売れているかを調べたところ、カラーテレビ、エアコン、冷蔵庫など白モノとの区別なくリアル店では2削減で、ネット通販での販売が1.6〜2.6倍になっていた。 確かに中国におけるネット通販は爆発的な伸びを示している。中国電子商務研究センターの観測によれば、ネット通販利用者人口は2007年の5000万人が2012年には2億4700万人へと拡大し、中国におけるネット通販の年商も2012年の1兆2,305億元から2013年には18%増の1兆8,851億元(3.1兆円)に遂した(図表4)。中国のネット通販は激しい価格競争を伴いながら5年の間に12倍という急膨張を遂げ、その市場規模が2012年に日本を、2013年には米国をも追い越して拡大しているのは、スーパーマーケットなどが先に発達し既存の流通システムの利便性が発達した先進国と比較して、中国の場合、ネット通販市場の利便性が相対的に高く認識されたからである。

 

既存の流通市場を上回る利便性を提供したのは、物流インフラに外ならない。その物流インフラを先に押さえたのが、ネット通販の最大手であるアリババの子会社、天猫商城である。先の商務研究センターの「2013年中国ネット通販市場トップ10」によれば、天猫商城の市場シェアは、2013年には50.1%と他を圧するまでに拡大した。 その一方、その後の新規の参入が、前述のごとく、厳しい情況にある。すなわち、2位は京東商城(22.4%)、3位は蘇寧易購(4.9%)、4位はテンセント電商(3.1%)、5位はアマゾン中国(2.7%)、6位はウォルマートが買収した1号店(2.6%)と続き、図表3での外資スーパーで抜群の利益を上げているとされる台湾系大淵発も、そのネット販売子会社、飛牛網では累計で2億元の赤字を出しているといわれている。

なぜ蘇寧のネット通販は振るわないのだろうか。箱寧の場合、ネット通販への進出が遅かったわけではない。2013年には改めてネット通販の子会社、蘇寧易購の売上をまずは300億元にすることを目標に掲げ、ネットとリアルの営業形態のインテグレーション、つまりオムニチャネル化を大胆に進めていくとしてICTインフラ、物流への投資をした。張総裁は、蘇寧電器から蘇寧雲商へと名称の変更もした。これにより蘇寧易購の売上は、通販専門の天猫、京東商城に次ぐ業界3位の地位を確保した。だが、2,000億元を超える天猫の売上は、小売最大手の孫寧雲商の1,640億元を上回っており、天猫の売上の仲びは2013年10?12月期をとれば前年同期比66%増と勢いがあるのだ。 ではなぜ天猫はシェア拡大ができているのか。 ICTインフラ、物流だけでなく、ネット通販に欠かせないのが決済システムだが、アリババは10年も前に〈交付宝(アリペイ)〉を導入していて、消費者になじみがあることだ。蘇寧のにわか仕込みの2013年に創設した金融子会社では対抗できなかったのだ。つまり、金銭授受でだまされるのが心配でネット通販を敬遠していた中国人も、〈交付宝〉というブランドで、安全にネットでの買い物を楽しめるようになった。蘇寧はこの習慣を容易にはとりこめなかったのだ。このため、2010年の10億元を2020年にはリアルでの販売に匹敵する3000億元へと拡大する計画では、急膨張した業界について行けず、専業2社に大きく水を開けられて頓挫してまったといえよう。張近東総裁は、リアルとネットの間でのインテグレーション、棲み分けなど十分な検討を加えていなかったと反省せざるを得なかった。 こうしたアリババの先行者としてのメリットの確立は、オンライン競売最大手、e-ベイがアメリカでそれを獲得した過程に似ている。日本では楽天の成功で撤退したが、同社は本拠地の米国を初めとして世界に巨大なコミュニティーを作り上げた。すなわち、同社は当初、競売ビジネスでスタートしたが、1995年の創業とまず先行者のメリットを生かし、①何よりも重要なビジネス規模を築き、②販売商品として希少品に事実上限定したことにより、ヤフーやアマゾンの追随を振り払ってきた。そして、1988年頃からはビジネスモデルを変え、競売方式に加えBuy-it-Nowという固定価格値での販売方式も加えることで小規模事業者のネット販売のプラットフオームとして機能し始めた。 さらに、2000年以降、それまで自社のAPIにアクセスするのを禁じていた第3者のソフトを販売することを積極的に認め、その開発者に協力するようになった。このため、プログラマー/アントレプレナーが輩出されるようになっただけでなく、彼らがe-ベイに集まる買い手や売り手に対して、e-ベイのサービスを使いやすくするための様々なソフトウェアを作成して販売する構図が生まれた。たとえば、e-ベイで車を販売する400社のディーラーから人気を集めているのは、ハイライン・オークションズ(Highline Auctions)のソフトである。ディーラーが在庫記録から特定の車両を検索してウェブに掲載するのに30分ほどの時開かかかったが、同社のソフトを利用するとわずか数分で済んでしまうという。 この結果、e-ベイ自身が提供するPay Palと呼ばれる決済システムなど様々なプラットフオームに加え、こうした外部提供の肌理細かなツールも充実されることで、全世界に散らばるe-ベイ登録会員の総数は2004年半ばには1億480万人に運している。コミュニティーが膨らむにつれて、同社をもはや単なる競売サイトとして片づけるわけにはいかなくなってきた。そこは、成功を夢見る無名アントレプレナーが続々と集結し始めている。IDCによると、ネット販売を行う小規模事業者の数は、1998年にはその数がわずか40万社だったが、2005年には170万社を越えた。 アリババ発展の軌跡もe-ベイに瓜二つだ。だが、アリババは2013年6月に新たに、銀行の定期預金利率をはるかに上回る年利5〜6%で回るMMF、〈余額宝〉を導入し、決済サービスに貯蓄サービスを付加するなど、サービスを進化させた。つまり、〈交付宝〉と〈余韻宝〉との開でおカネが行き来できるようにしたのだ。Finandal Timesによれば、〈余韻宝〉はすでにユーザー8100万人を獲得、運用資産総額は5000億元(約8兆2500億円)に達したとされる。アメリカでは、MMFのような自由金利のファンドはICTの発達に先行して存在していた。だが、中国では全く新しいサービスなのだ。 一方、ライバルのテンセント(騰訊)は、ユーザー6他人のソーシャルアプリ、〈微信〉に、13年8月に独自の決済システム〈財付遇〉を導入、ネット通販への取組みを本格化させた一方、2014年1月に〈微信〉上で蓄財できる〈理財遇〉ファンドサービスを開始して、アリババと全面対決の姿勢を見せ、テンセント電商は上位を窺おうとしている。 MMFでは、両社は運用利回りを競い、現在、法律で固定されている国営銀行の金利に風穴を開けようとしているのだ。 こうした動きに、アマゾンなど外資はついて行けず、苦戦を強いられている。また、蘇寧や百聯の例で見たように、中国の小売業は危機的状況に陥っているのだ。ネット時代の新しい小売の形態を模索しなければ生き残りもむずかしいのである。 最も有望な中国市場は、純粋に中国の国内事情だけから見ても、上記のごとく変革期にある。そして対日デモの嵐の中で、イトーョーカ堂の成都の店こそ難を逃れたが、平和堂やイオンなど、多くの日本の進出小売の店が暴徒たちに襲われるという9.11事件に遭遇した□。 その点で、かつて田村正紀が『先端流通業』を著し、小売りで国内市場の手詰まりが生じても、国際化できるのは一握りの流通業の先端にあるとされる一部企業にとどまるだろうと指摘したことを肯定する人も少なくないだろう回。しかし、中国の小売業に対してコンサルティング業務を展開している高木は、彼らの日本の小売に対する眼差しを見ながら、小さくとも専門店などでは大いに可能性かおるのではないかとの見方を示している回。

中国小売への外資の進出

日本の流通業者としての中国市場への進出では、パイオニアであり、壮絶な失敗者としてのヤオハンがある。日系ビジネスの敗軍の将の記事では香港本社のヤオハン・インターナショナルを率いた和田一夫が中国市場の持つ魅力、そして大物華僑、上海の有力者の開に人脈を築いたという自負が上海新世紀商厦という巨大デパートの設立という過大な投資をしてしまう結果を招いたと要約されている。しかし、卸売機能のない中国では、その物流を自らコントロールするために巨大物流センターを建設しなければならなかった。 では、中国の物流が課題である一方、消費者市場の展望を睨みながら、現行のランキングで上位にある外資は、いつ市場に進出し、現在どんな経営状況にあるのだろうか。上記の小売チェーン100社から外資を取り出して作ったのが図表5である。

 

トップの大淵発は台湾のスーパー、ショッピングセンターで、中国市場を知り、いねば需要のあるところに出店ができるという利点を活かして快進撃をしている。他の外資が閉店と新設をくりかえしているのと対照的である。
第3位にランクされるのが、アメリカの新業態小売を標榜するヤム・ブランズだ。KFCは早くも1987年に進出をし、マクドナルドを上回る店舗網を持ち、2012年の全社利益の47%を中国から稼ぎだした。すなわち、ヤムは2012年までの7年間、年率11%の1株あたり利益の伸びを続けてきたが、その源動力は中国市場でのピザハット4260店舗、KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)の889店舗を中心としたフランチャイズ方式で展開であったのだ。中国で最も成功している外食チェーンと言われてきたゆえんである。 だが、2013年の同社の中国KFCのオペレーションは急失速している。①成長促進剤を与えるなどして成長を早めた鶏を使っていた問題が表面化したこと、②上海市周辺中心に起こった鳥インフルエンザ(H7N9)の感染が広がったこと、③国営中央テレビが独自調査に基づ凱KFCやマクドナルドなどのファストフード店の飲料用の氷に含まれる細菌数について「KFCは国の基準の19倍、トイレの水の12倍」という放送番組を流したこと、など安全性をめぐるトラブルが立て続けに3度起こり、客離れが続いているからだ。このため2013年第2四半期には中国のKFC既存店売上高が前年より20%減となるなど大きな影響が出て、ヤム・ブランズの1株あたり利益も15%減となっている。 中国KFCでは、2007年にもチキンの味付けに用いられていたチリペッパーの着色ために発がん性のあるスーダンレッドが使われていたことから不買運動にあったこともあるが、中国の調達先に問題の原因があったことがわかり、売上は短期間にもとに戻った。だが、会社側も今回は影響が長引かざるを得ないと表明している。 そして14年に起きたのが、上海福音食品の期限切れ鶏肉事件だ。同社の親会社は、アメリカの世界最大級の食材会社、OSIグループで、その主要顧客には、同社の成長を支えたマクドナルドを初め、ネスレ、ウォルマートなどとならんでヤム・ブランズも含まれる。食品衛生・管理のシステムが確立していない中国では、いつでもどこかで手抜きが起こり得る。中国政府が、一罰百成の対象を選ぶにあたり、頂点の企業を選び、たたいたのではないかと噂されるゆえんである。 さて、KFCは、改革開放政策とともに中国進出を果たしているが、これは例外的だったといえよう。というのは、WTO加盟後に、中国では小売業に関し、ようやく外資政策を提示するようになってきたに過ぎないからである。すなわち、漸進的開放[1992-1997]、整理整頓[1997?1999年6月]の段階を経て、全面開放の時代に入ったとされるのは、1999年6月からのことである。それでも、先進国における経営管理手法を移転し、中国にベストプラクティスをもたらすことを目的として、外資比率は依然として49%以下を原則としていた。また、自由度は増したとはいえ、合弁企業はまず「試点」での展開の許可を受けて、当局の様予見をうけ、その後、ある程度の店舗展開ができるようになるという順序を踏まなくてはならなかった。 こうした許認可制度はある意味で当局に許認可をもてあそぶ手段を与えたことになり、合弁相手を利用して商業スペースを獲得する方便に使われることも少なくなかった。合弁相手に百貨店が異常に多くなっていることをその証左としてあげている。 こうした批判に応え、中国は2004年に小売分野の外資の出資規制と地域規制を撤廃した。外資の自由度を増し、スーパーだけでなく、専門店など様々な進出方法で機動的な事業展開が可能にしたのだ。これを契機に中国へ進出を果たしたのがイギリスのテスコである。合弁方式でスーパーを展開し、2012年末現在では111店を数える。他社もこれに続いた。 さて、2013年の中国小売業界で4位と上位に食い込んでいる仏カルフールは、先に見たように国内市場での制約から中国の進出も早く、1995年に進出している。外資の出資規制と地域規制がともに廃止された2004年以前どころか、いわゆる全面開放の1996年以前だったことになる。同社の海外売上比率も50%を超え、早い海外進出のお陰でブラジルでは流通業1位の座を獲得しているが、中国では、先行者のメリットを失い次第に順位を下げ、トップ集団からは引き離されつつある。同社は海外市場でも集中と選択を始めており、アジアでも日韓から撤退に続き、2012年にはユーロ危機の長期化もあってマレーシアの子会社をイオンに売却した。 逆に言えば、中国市場を重点市場としたことになる。だが、その中国で、カルフールは小売売上では上位をキープしているものの、長らく維持した外資のトップの座から転落している。国内流通業の強さに壁を感じたともいえるが、中国市場進出戦略を間違えていたのだ。すなわち、カルフールは外資の中国進出では先行してきたが、進出の常として上海、北京といった中国では所得の高い地域に出店してきた。ところが、同社はもともと本国では低価格を売りにしてきた経営スタイルである。常に自分たちが時代の先端をいっているという感覚をもって消費をしている中国の大都市の先端消費者から必ずしも歓迎されていないことが判明してきたのである。 そこで最近では、大型スーパーを新たに23店間くとすれば、北京・上海地域はこのうち4店舗に止め、黒竜江省に2店舗を出したほか安徽省や新顔ウイグル自治区など内陸部への出店をするという戦略に変えてきている。大都市部で日系を含む外資の競争が激化しているからというよりも、自社の得意とする顧客層が地方都市にこそ存在していることをようやく発見したということだろう。地方都市への出店を重点するのは、それに許認可が都市部に比べ容易であるという理由もあるが、雁行形態の経済発展に伴い地方都市の購買力が拡大していることが、その背景がある。そしてリーマンショック対応もあって政府が農村部での消費促進策を出したこともあり、カルフールなど外資の政策転換は良い結果を生むようになっている。 上位にランクされた外資を見た図表5では、中国進出が早い段階でなされているが、先進国の流通大手がBRIC s 市場の攻略に力を入れ始めたのは最近のことだ。中国の場合も、WTO加盟の2001年以降、おそらく2004年以降のことだろう。だが、多くの企業進出にもかかわらず外資系の占有率はあまり上がっていない。100社分析の売上高対前年成長率で見ても、2009年には中国系12.0%に対し外資系20.4%であったが、2012年には10.8%対11.3%と格差がなくなっている。格差縮小の背景としては、マスとしての中国系、つまり地元企業が地方都市での需要の仲びに対応できているのに対し、外資系は、カルフールの例に見るように、地方都市の仲びに対応し切れていないことが考えられる。もし規制が撤廃された中での競争であるとすれば、外資が必ずしもシステムで優位性をもっていると言えないことになろう。 ヤマダ電機も2010年12月に中国第1号店を瀋陽にオープンした。瀋陽店は7フロアで総面積は2万4000平

方メートルと、中国家電量販店の中でも最大級となっている。日本製や中国製など各国の家電製品のほか、化粧品やおもちや、日用雑貨なども含め品ぞろえは約150万点と多い。レストランや幼児が遊べるスペースも設け、宗族連れが長時間過ごせる空間を提供するなど、中国系量販店と差別化を図り、「地域で一番を目指す」としている。日本と同様のポイントカードサービスも導入する。瀋阻害の従業員約500入のうち約100人が日本で採用した中国人留学生で、管理職として経験を積ませ、今後開業する他の中国国内店の幹部社員に登用するという。同社の中国名は「亜焉達(ヤーマーダー)電器」で、2011年6月に天津に2号店をオープンし、1店舗当たり年間200億〜300億円の売り上げを目指す。ただし、店舗の開設は3年間で5店舗と控えめな計画になっている。 他の専門店では、住宅リフォーム、建材のホームデポ、玩具のトイザラスなどが進出し、ベストパイをならおうとしている。ホームデポも、本国ではどちらかといえば中産階級を対象としていたが、中国では背伸び消費をねらい、天津、北京など6都市で建材や家具を扱うホームセンター、家世界家居建材超市(大津市)を買収し、これをベースに展開をはかるという戦略を採用している。

ウォルマートの新興国進出策

ウォルマートの新興国進出に焦点をあてて見て、その中で中国市場への取組も見ることにしよう。海外15カ国で展開し売上高が100億ドルを超え、全体の売上に占める割合も28%を数えるまでになっていた同社の国際部門の売上が、2014年1月期に初めて減少した。ここ10年で4倍以上に膨らんでいた事業が、先に見た中国市場での店舗閉鎖、さらには拡大を急ぎ過ぎた主力のメキシコ、ブラジルでの不振が響き、減少したのである。メキシコでは政府高官への贈賄疑惑が浮上し、捜査は同社のインドやブラジル、中国での事業にまで広がっている。インドでは、小売業における外資規制の動向が不透明なことから進出が遅れている。 ウォルマートの海外部門への本格的な資源役人は2006年1月期以降のことだといってもよい。もちろん、その時点でも海外部門の売上は、それまでの10年で7倍の成長を見せ、627億ドル、ウォルマート全体に占める
国際部門の比率も2割に達していた。拡大を急ぎ過ぎたというウォルマートの海外部門の国別の店舗の増加を図表6によって見ておこう。

 

中南米が主力を占めるが、まずメキシコでは2010年1月現在1469店舗を展開し、同国でのナンバーワン小売業として、ソリアナなど地場スーパーをリードする。同社のメキシコ進出は1991年に当時メキシコの最大の小売業者であるシフラとの合弁を設立したことに始まるL回。金融危機に陥った1997年シフラを買収して完全子会社化する一方、倉庫型ディスカウントストアの展開によって低所得層へのアプローチにも成功し、同国小売業での独走態勢に入った。これに危機感を覚え対抗したのがメキシコシティ中心の展開にとどまっていたソリアナで、2008年に地方都市にも拠点をもつヒガンテを買収し、ウォルマートに対抗できるまでになった。ウォルマートも出店を続け、トップの座を守っている。 メキシコに次ぐのは、ブラジルだが、ウォルマートが同国に進出したのは1995年のことである。当初は商品戦略の調整などで苦戦したが、2004年にはオランダのロイヤル・アホールドのブラジル店舗を買収し、ブラジルの小売業界で3位になった。 2005年末にポルトガルのモデロ・コンティネンテ傘下のブラジル法人、ソナエ・リテール・カンパ二ーを買収した。これにより、ブラジルでの店舗数は295店に増え、1位の仏カルフールとの差が縮まったが、2010年には、22億レアル(1100億円)を投じ100店舗を超える出店をし、トップに踊り出、2013年1月現在も558店舗でトップだ。ブラジルに次いで、2006年以前にアルゼンチンにも進出したが、2009年にはチリでD&Sを買収することによってその国での核を得るだけでなく、その後にペルー、ボリビアに進出する拠点になり得るとの見方もある。 アフリカ大陸への進出は新興国の拡大でBRIICSといわれる一員、南アフリカでも、国内の小売り大手マスマートの普通株51%を24億ドルで買収するウォルマートの提案は、労働組合と関係省庁の抵抗に直面し、買収は難航した。だが、2011年にサハラ以南に290店舗をもつ南アフリカのマスマーケットの51%持分を25億ドルで買収したことで、南アフリカとそれに続くサブサハラ地域の国々への進出の手がかりを得た。 だが、ウォルマートの今後における店舗増強の中心的な課題が中国、インドになることは間違いないだろう。 確かにウォルマートの1996年にまで遡る中国への進出は、外国流通チェーンが中国市場に眠る可能性を利益へ転化しようとする際に突き当たる数多くの困難の例に漏れず、試行錯誤の連続であった。業態としても先行したカルフールと重なっており、量と低価格を売り物にするウォルマートの店舗は、都市部の中間居の好みに対応できない恐れも十分認知できたはずのものであったにもかかわらず、現実には同じ過ちを繰り返している。たとえば、品揃えの点でも、ウォルマートはアメリカ国内では家電販売でもベストバイなどに対抗して、大手の一角をなしている。だが、中国では、先にみたように蘇寧雲商、国美電器以下の数多くのライバルが目白押しである。食品でも冷凍食品の多いアメリカ流は通用しないことを中国進出から10年余りでようやく学んだ。そしてウォルマートが中国で初めて黒字を計上したのは進出から12年後の2008年のことだった。 にもかかわらず、ウォルマートは中国の水に凱れないままのように見える。中国の小売市場の競争が熾烈で、世界で最も難しい市場の一つだという認識ができていないのだ。たとえば、アジアを統括するジョー・ハットフィールドが「向こう5年間で中国人を15万人採用する」と発言したことがある。それは労使関係の政治化の洗礼を受けてのことである。中国では、企業が大きくなれば、いわゆる「赤い帽子」を彼らなくてはならない。つまり、共産党の政府の下の企業にならなければ大規模化できないのだ。全国労組は「外資に労組がないのは不当」と批判を強め、2006年には約20店で労組が結成された。瀋陽の店には中国共産党の支部まで設立された。 ところが、2011年に重慶の3店舗で、普通の冷凍肉を高級オーガニック食品と偽って販売していたことが発覚し、2013年末には済雨で、狐肉を牛肉として販売していことが明らかになるなど、食品の安全をめぐる事件が重なった。このため、ウォルマートは仕入れを一体化するなど中央集権を強めることで、品質の信新院を高めることにした。だが、中央集権的な管理は、各都市の競争力を弱める恐れをはらむものだ。 とはいえ、先に見たように、ウォルマートが採算性の低い第一、第二級都市の店舗を閉店し、経営資源を好業績の第三、第四緑都市の店舗に集中するのは、正しい選択だといえよう。また安全性を消費者にアッピールできる輸入食品に注力することも、同社の強みを活かせる道だ。事実、ウォルマートは2013年に店舗における輸入商品の陳列面積を前年比4割増加させ、売上を6割伸ばしている。郊外に移った小売店で顧客の絞り込みで、車を持つ富裕層に狙いを定め、彼らに魅力的なサービスを提供しようとする試みも悪くない。高級品、わけても輸入食品の売上増にも繋がるからだ。 だが、ウォルマートは中国では約400店舗の展間にとどまり、規模の経済が発揮できる段階にない中で、ウォルマートがネット通販のベンチャー、「一号店」を買収したことの意味は大きい。中国では市場が分断されており、また新規開店のコストが比較的高いこと、さらにはネットヘのシフトが急激なことなどを勘案すれば、新興国では早すぎるかもしれないが、オムニチャネル化を模索することができるからである。 「一号店」は、デルの勤務経験のある中国人二人が設立したネット上のスーパーを標榜する通販ベンチャーで、ウォルマートは、それを運営する上海益実多電子商務の51%の株式を取得し子会社化した。同社はすでに独自の物流組織を持ち、20H年の売上が27億元、2012年は60億元程度だったと推測される。ウォルマートは「1号店」を挺子にして、リアルの店舗とオンラインショップの業務の統合を図っている。現在、ウォルマートと「1号店」は物流やブランドなど多方面で協業し、売上を大きく伸ばしている。

「1号店」は売上が増えていてもまだ黒字化できていないが、店舗数が不足しているため、物流システムでの優位性も発揮しにくく、コストも下がらない中で、オムニチャネル化をはかるのは正しい選択だ。

抜け穴を利用してインド進出

ウォルマートの試行錯誤は中国だけで終わらない。インドでのウォルマートはいばらの進を歩かされている。ウォルマートは人口規模や中産階級の増加からインドが最も魅力的と見て、まだ外国小売業に門戸を開く2012年9月の規制緩和の前の2009年に抜け道としての現地企業との合弁の卸売として進出したのだ。すなわち、ウォルマートは、国民会議派のシン首相らと直接に接触し、外資規制の早期緩和を訴える一方、進出戦略を練りもう一つの抜け穴探しをした。卸売だ。 ウォルマートは、2006年携帯電話などを手掛けるインドの有力企業グループ、バルティグループと小売事業に閥する覚書に調印し、フランチャイズ方式での進出を決めた。というのも2006年には大手財閥のリライアンスがマークアンドスペンサーとの合弁で食品スーパー「リライアンス・フレッシュ」を南部ハイデラバードに11店舗を開店するなど先行したからだ。また、2011年には総合小売の外資解禁が51%出資の合弁を認める形で決まり、これまで20店舗を出店してきた。ウォルマートはバルティが展開するハイパーマーケット「イージーデイ」212店の運営でも協力していた。 しかし、2013年には、ウォルマートはバルティとの合弁を解消して総合小売業から手を引き、当面は独資による会員制現金卸売業(キャッシュ・アンド・キャリー)の「ベストプライス」事業に専念することを決めた。左派政党などがアメリカ主導のグローバル化の“負の象徴”としてウォルマートを名指しで攻撃する一方、街頭でも「ウォルマートの進出で失業者が大量に生まれる」と労働者らのデモが広がったほどだ。規制緩和後も、議会による野党勢力はウォルマートがバルティグループの転換社債を購入していたことは51%規制に違反する行為であると攻撃し、ウォルマートを防戦一方に追い込んだことも原因であろう。だが、外資系小売業者に対して商品やサービスの30%をインドの中小企業から調達することを義務づけた規制に対応できないとウォルマートは考えたのである。 ウォルマートとしては、国ごとのスクラップ・アンド・ビルドの一環として、韓国から撤退し、インドヘの進出に資源配分する備えをするほどにインドには期待をしていた。ウォルマートは、当面は「ベストプライス」事業に経営資源を集中する一方、2014年の総選挙で積極的な外資誘致を目指すモディ政権の誕生を待った。 左派政党の中核、インド人民党(BJP)を率いるモディ新首相は、2001年にグジャラート州首相に就任するとインフラ整備の加速を真っ先に指示し、典型的には州の電力供給能力を10年で3倍に増やし、現在は需要を約2割上回るまで伸ばした。徹底した親ビジネス路線で企業の投資を呼び込み、州は過去10年間2ケタ成長を続けた。平凡なインドの田舎を生まれ変わらせた魔法、「グジャラートの奇跡」の立役者となった。 モディ首相にはグジャラートの成功を国家レベルで再現するとの期待が寄せられる。インフラ整備に加え、煩雑な税制や規制を簡素化すれば投資は戻り、インド経済の奇跡が起こると言うのだ。アマティア・センからも「ヒンズー至上主義者」とのレッテルを貼られたモディ氏には、アメリカはビザを出していなかったが、ナンシー・パウエル駐印大使がグジャラートを訪問し、モディ氏も大きなバラの花束を差し出すサプライズで彼女を歓迎した。 果たせるかな、モディ氏率いるインド人民党(BJP)は、下院議席の約52%を獲得するという決定的勝利を収めた。一方、イギリスからの独立以来、ほとんどの間インドを支配してきた国民会議派は大敗を喫し、4分の3の議席を失うという過去最悪の結果となった。だが、誕生したモディ政権も外資を歓迎するとしつつも、複数ブランドの商品を扱う総合小売業の外資参入には反対している。インドには、小売の94%を占め、6000万人を抱える家族経営の零細小売、キラナと呼ばれる存在があり、彼らの応援を受けて選挙を戦ったためだ。インド政府としても、外資を呼びこむことで小売、物流の合理化を進めたいが、インド人民党ではキラナが外資に淘汰されることへの警戒が強い。インド市場開拓を目指す世界企業にとって厳しい環境は変わっていないのだ。 ウォルマートはインドの今後4、5年で卸売業での店舗を50店舗くらいに拡大し、ネット通販で周囲20キロ圏では配達のサービスを始め、当面のあいだ卸売業を展開していくことで将来的な総合小売り参入に備える。独メトロもインドで卸売店舗数を現在の3倍超の50店に増やす計画を明らかにし、英テスコも政権交代前に決めた小売業への進出計画を維持している。いずれも、状況の好転を持つという戦略だろう。 だがカルフールは、モディ政権が誕生した現在もスーパーマーケットの展開はできないという現実に直面し、2010年にキャッシュ・アンド・キャリー(現金支払い方式の卸売店)という業態でインドに進出し、同国内に5店を持つにもかかわらず、店舗を閉め撤退することを決めた。 ただ、消費の波が中間層まで及んできて小売業界は二桁成長を続けている。そこで、財閥や不動産会社などがスーパーマーケットを経営し、ショッピングセンターの建設も行い流通革命も起こっており、業界地図も徐々に塗り替えられつつある。インド政府は単一ブランドを扱う専門店の参入を51%外資で認めていたので、イタリアのサルバトーレ・フェラガモやベルサーチなど高級ブランド広が進出し、出店を加速して富裕層の開拓に着手していた。H&H、イケアなども、100%外資も認められた2012年時点でインド進出を決めた。H&H、イケアともに、インド政府が現地調達率などの条件をつけていること、物流の整備具合のチェックの必要性などから場所の選定に手間取っているが、早急に50店舗くらいを展開したいとしている。ユニクロのファーストリテイリングも、この単一ブランドを扱う専門店の参入を意図し、柳井正会長兼社長がモディ首相に面談し、インドに進出し、製品調達・生産を行う計画があることを伝えた。 ウォルマートも、BJPを初め反対勢力の誤解を解き、インドに受け容れられていくためには現地調達などで信頼を得ようとしている。キラナと共存できないとしても、インド社会の要の農村とは共存共栄の関係を築く必要があるとの基本観からだ。そこで、2015年までに350万人の中小農家から農産物を直接調達するという戦略を掲げている。先に触れた青果の50%を農家から直接購入するとの目標である。 そのためには何から始めるのか。インドの農業発展に向けて、支援助成し、共同で近代化に取り組み、サプライチェーンを構築し、雇用を生み出す。国家の発展に寄与するというアプローチで、市場開拓に乗り出しているのだ。農家の収入20%増を達成するためにアムリッツアールやデリー、バンガロールに研修センターを設置し、100万人規模の教育の意向を示している。実際に次の5年間で4万人の訓練を実施し、うち1万5000人を採用するという。ウォルマートが乗り出しているのは、その農業振興である。 確かに、米欧流通業界の「常識」がそのまま通用するわけではない新興国へのシフトは高いリスクも抱えており、市場への進出も上記のような失敗談にとどまらない。たとえば、BRICsの一角、ロシアヘの進出のため、ドイツ小売の元幹部を雇入れ、2010年にも第1号店をモスコーにオープンする構えでいたが、買収を予定していた先が国内企業に買収された。このためロシアの駐在員事務所を閉鎖した。 ウォルマートの海外戦略は、冒頭でも見たように、全てが順調というわけではない。しかも、国内市場ではオムニチャネル化に早急の対応しなければ屋台骨が傷みかねない恐れもある。このため、まずは国内市場でのオムニチャネル化に資源を割き、そこで蓄積したノウハウを海外オペレーションヘ活用するという戦略をとる選択があり得よう。 ただ、中国市場などでは、基礎店舗数が足りないなかで、オムニチャネル化への試みが始まっている。また、実物への投資は金融資産への投資と異なり、極端なシフトもできない。そこで、ウォルマート等、欧米流通大手は、原点に立ち返り海外事業を見直しBRICs市場の高成長性を取込むことによって、かつての輝きを取り戻そうとしている。

セブンーイレブン・ジャパンの海外戦略

コンビニの売上は2008年に百貨店を抜き、2013年10月末には4万9000店、年間およそ150億人が利用する店舗として日本人の生活の中に根づいた風景になっている国。このため、コンビニという業態は、日本発のビジネスモデルのように思われている。確かにコンビニエンス・ストアは、今目口本の小売業を代表する業態であり、高齢化が進む日本社会の生活を支えとして期待され、先の東日本大震災の復興計画にも盛り込まれるなど、その存在が口本の地域社会に必要不可欠との認識が確認されることになった。 しかレセブンーイレブン・ジャパンが、その前身、イトーョーカ堂の子会社ョークセブンとして設立され、同社が、1973年にアメリカの最大手コンビニエンス・ストア運営者であるサウスランドからエリアライセンスを取得して、日本で事業を開始した時に始まる。 したがって、コンビニエンス・ストアというビジネスのコンセプトの発祥の地はアメリカで、テキサスのオーククリフで、とある水の小売店が、サービス向上のため週7日/16時間営業を始め、さらにパンや牛乳なども置くようになったことに遡る。電気冷蔵庫が発達する以前には、冷蔵庫のために氷が必要で、どこの町にも氷店はあったが、セブンーイレブンの前身であるサウスランド・アイス社は当初、朝7:00から夜11:00(23:00)まで営業していたので、1946年に現在の名称を用いるようになった。日本へ導入されたコンビニ コンビニエンス・ストアという業態に眼をつけたのは、当時イトーョーカ堂に入社してまもない鈴木敏文である。当時、イトーョーカドー社内では、日本におけるコンビニ事業の将来性に懐疑的であったが、鈴木が失敗時には自己が保有するョーカドーの株式で穴埋めをすることを条件に、オーナーである伊藤雅俊の了解を取り付け挑戦したものである。一種の社内ベンチャーとの位置づけである。 鈴木は、しばしばアメリカとの商習慣や食習慣の違いからサウスランドのマニュアルが通用しなかったことを強調する。だが、クイックショッピングを顧客に提供するというコンセプト、そして粗利益をベースにフランチャズのロイヤルティを徴収するという会計システムなどビジネスモデルの根幹は輸入である。だが試行錯誤のなかから、ファーストフードにおにぎりや弁当を置くことによって「コンビニの顔」をつくるようになり、品揃えも棚の陳列も、次第に目本の市場に特化していったことも事実である。「既存中小小売店の近代化と活性化」「共存共栄」を創業理念として掲げ、酒販店や雑貨屋等の近代業態への転換も果たしていく。つまり、小売の近代化とは大型店舗化、郊外化、そしてそれに反対する地元の小売という不毛の対立を乗り越えて、文字通りの小売の近代化、生産性向上への共同チャレンジという位置づけである。 その意味では、後に業界ではA型契約と呼ばれる上地、店舗をフランチャイジーが用意して加盟する契約が中核をなした。矢作は、この利益相反の起こりにくい会計システムの輸入が重要だったと説く。

ちなみに、下の図表7に現行のA型契約の3社比較を示したが、セブンの日販67万円に対し、ローソン54万円、ファミリーマートが54万円と、ほぼ10万円の格差となっており、契約はそれを反映しているといえそうである。だが、後者2社は、この格差をうめるべく、ファミリーマートは親しみやすいブランドづくりと海外展開に邁進し、ローソンは先端的プロモーション手法の開発を不断に追求している。

フランチャイズ・システムでは、本部と加盟店がいわゆるフランチャイズ契約を結び、あたかも本部と加盟店が通常の企業の本店と支店のような外観を呈してビジネスが行われるが、本来、両者は独立した別組織である。加盟者にすれば、従来の小売を捨てて参加するのであるから、当然、以前の事業を続ける以上のリターンを期待する。一方、本部からすれば、強いインセンティブで売上を伸ばし、そしてロスを少なくして欲しい。 このため、①加盟店が一定の商品を横流したり架空の商品ロスを出して、見せ掛けの利益を減らす、②発注に最大の関心を持ち、意図せざる在庫を保有して在庫ロスを出す、といったことを防ぐために、業界特殊の売上総利益に対してロイヤルティを賦課していることが多い。だが、最近では従来の酒屋さんや米屋さんからの転換が少なくなり本部が店舗を用意し、会社員などから転じて店舗を運営するケースが多くなっている。そこで、本部としては、出店を促進するために、すでにコンビニ経営のノウハウをもつ既存店のオーナーが複数の店を管理する複数オーナーに対して加盟金を減額したり、奨励金を上げるなどの優遇策によって複数オーナー制の拡大をはかっている。セブンでは12年2月で27%であるのに対し、ローソン、ファミマでは50%を超えている。 さて、1974年にセブンーイレブン第1号店である豊洲店は日本式コンビニエンス・ストアの最初の店でもあるという見方ができよう。開業2年の1976年には出店数100店舗達成し、その年の9月には、ベンダーの集約化、共同配送を開始している。社名を株式会社セブンーイレブン・ジャパンに改称し、1979年には東証第2部に上場を果たした。企業としての形式、実体を整えるまでになったのだ。 それを効率的に展開するために、店を分散させないドミナント作戦はほぼ当初から行われたU。売れ筋の商品を細かに配送し、鮮度を保つ商品の提供をしていくには、サービスが提供できる版図を限る必要があったからである。点や線ではなく、面で出店をコントロールしながら、1980年に加盟店I,000店舗を達成したことや、1981年の東証第一部へ指定換えなったことは通過点といえよう。 1982年のコンビに経営の柱である自分の仮説で商品を容易に発注できるEOB(電子発注台帳)の導入、死に筋商品をはやく消滅させるとのコンセプトで開発されたPOSシステムの開始は、セブンーイレブンの雨期となった。 1984年には、最初の1000店舗の達成の半分以下の時間で、加盟店の2000店舗達成を果たしている。それだけ、モメンタムがうまれたのだ。精度の高い発注をバックアップする情報ネットワーク、そして販売指導員制度が国内最大の販売網形成の原動力となった。 売り手と買い手の一般的な関係性としては、ポーターの業界分析を見てもわかるように対立関係にあり、バーゲニング(価格交渉)によって取引が成立する。つまり、買い手が強くなれば買い叩きが起る。アメリカでは、こうしたことは常識ではあったが、ウオルマートはサプライヤーとの間に協業関係を築いた。つまり、買い手と交渉するのではなく、相手と協業することでそれまで流通企業のみが持っていた販売情報をサプライヤーと共有し、共に対策を講じるという取り組みを始めたのである。たとえば、P&Gに、店舗の棚を提供し、そこに置かれた製品が販売された時点でウオルマートヘの売上として建て、同時に発注情報とする形で販売情報共有する仕組みである。この仕組みはリテールリンクと呼ばれており、いわば中間組織的なものだ。 リテールリンクはどのような効果があったのだろうか。まず、この協業によってネゴシエーションにおける取引コストは大幅に減少したとみることができる。情報を共有情報の非対称性をなくすことで、結果として機会主義を排除し、限定合理性による駆け引きが低減することは効率化につながる。一方で、情報の非対称性から来る限定合理性がお互いに強いていた重複業務をこの協業によって節減できたことも、先の両社の合意点からすれば想像に難くない。こうした効率化の一例として「Pretty Dam Quick (スラングで『すごく速い』の意)」を挙げることができる。これは配送のための段ボールをそのまま陳列器具に転用できる仕様としたもので、リテーラー側は陳列作業のコストが削減でき、メーカー側も自社の広告を売場でアピールできるといったメリットがある。 セブンーイレブンは、最大の小売業として、価格交渉力を持つようになり、独自商品つまりプライペート・ブランド品が企画された。その第1号として1991年に「焼きたてパンの直送使」というコンセプトで山崎パンと交渉に入ったが、結局山崎パンはナショナルブランドとしての製品納入という地位に止まる決意をした。 しかし、この山崎パンの離脱が、セブンーイレブンのPB商品開発の方向を決めたといってよいだろう。つまり、流通業の方が消費者の好み、望んでいるものを知っているとの自信である。死に筋商品の排除に始まり、売れ筋商品の発見へと進んだ商品企画は、ついに消費者の望むものを開発製造するという段階へ進んだのである□。小川進は、この開の事情を理論的に解明しようとして、フオンヒッペルの提唱した情報の粘着性という概念を用いて、消費者の望むものの情報をメーカーに伝えようとしても情報が粘着性をもっていて不可能だと分かり、自分たちで開発するよりなかったと説明していた。 焼きたてパンでは、1994年に首都圏で始まり、九州のフランソワ、北海道のロバパンとの提携が進んだ。つまり、その後も冷凍技術が進んでいるからといって、いたずらに規模の利益を道うのではなく、ドミナント戦略の成果をいかして地域ごとの特性を活かしたPBブランドの開発が定着したからである。現在、セブンの「工場」は全国200箇所に分散している。ナショナルなブランドでの取引が少ないかといえば、必ずしもそうではない。 2006年に始まった飲料メーカーとの低価格飲料の共同開発も、その例である。自動販売機のシェアが落ちてくるなかで潤ったコンビニが、スーパーのディスカウントに対抗せざるを得なくなった背景がある。 実はこうした分散した「工場」が生まれたのには長い歴史かおる。セブン・イレブンでは早い段階からおにぎりや弁当などのファーストフードを扱い始めた。ところが相手は中小の企業群である。彼らは、食中退事件を契機に品質管理のために米飯、食パンメーカーなど10社で日本デリカフーズ(NDF)という協同組合を立ち上げた。 NDFは5年をかけて食品衛生上のマニュアルを完成させた。しかし、同時にこのNDFが原材料の共同質付の窓口にもなった。 また、キューピーの子会社、ハウスの子会社、プリマハムの子会社がNDFに加盟して野菜サラダをセブンに納入するという構図を生み出すようになった。大手が参加するようになると、最終製品の衛生管理、品質管理のためにも中小に技術援助を行うようになった。これが、買い手であるサプライヤーと「チームマーチャンダイジング」と呼ばれる、取引先との協力態勢である。つまり、NDFがサプライヤーとの間の中間組織として機能し始め、その実体が『工場』なのである。 買い手、売り手の緊張関係を保つために、セブンはNDFには出資していない。しかし、系列と同様に、NDFメンバーは、セブン,イレブンで販売するための特殊な設備投資、セブンーイレブンの愛知県への出店をサポートするために当初は赤字で工場を設置するなど、まさに協業と呼ぶにふさわしいものだ。セブンーイレブンと弁当ベンダーであるわらべや日洋との関係がまさにこうした関係である。こうした仕掛けを偽装とみれば、セブンーイレブンのプライベート・ブランド比率は55%、食品だけ見ると80%近いものになる。いまやおでんは屋台のものでも、家庭のものでもない、コンビニの味ということになる。 この延長線上に2007年にスタートしたナショナルブランドの社名が小さく記入された、セブン&アイ・グループのプライベート・ブランド、〈セブンプレミアム〉かおる。社名が入っていることで、消費者はナショナルブランドとの価格品質の比較ができる。セブン&アイは、製造者責任をメーカーに押し付ける一方、比較購買から消費者をPBに誘導できることになる。これは、アメリカの流通大手やイオンなどとは、行き方がちがうことを意味する。 さて、セブンーイレブン・ジャパンは「変化への対応と基本の徹底」をスローガンに、つねに変化し続ける消費者のニーズに対して、メーカーとの提携による独自商品の開発、店舗周辺の住民構成やそのロの天候・近隣の学校のイベントなどに合わせたきめ細かい売場構成を行うなど、需要の開拓や流通効率性の向上に努めてきた。つまり、製造・物流・販売の仕組みを革新しながら、加附庸の店主をして、売れる商品を選択し、機会ロスがでたり逆に棚卸し損がでないシステムサポートである。その一つが1995年の夏に試験的運用され1996年から全店に導入されたウェザーニューズの提供する局地の気象情報である。端末では発注のタイミングにあわせ、6時間ごとの予報、1週間では毎口のきめ細かな予報が利用可能になっている。運動会は開かれるのか、皆がドライブに出かけるのか、それとも家に止まるのか、売れる商品が大いに異なるからである。 第5次オンラインシステムでは、マルチメディアの利用によってOFCサポートだけでなく、アルバイト店員への教育などにも適用が可能になった。それにより、セブンは差別化された高品質の商品や生活をサポートする便利なサービスの提供を通じて成長を続けている。つまり、効率的で環境にやさしい物流システムなどの経営基盤も強化し、さらに、銀行ATMの設置やインターネットを活用したサービス、高齢化社会を背景にした食事配達サービスなど、消費者像の変化を承けて、セブンーイレブンもまた、さまざまなニーズにもきめ細やかに対応し、新規性と効率性で、高収益が維持できていた。 コンビニの場合、購買動機が異なることから電器専門店やスーパーほどにはネット通販の影響は大きくない,そのためウオルマートなどのようにネット通販の利便性に埋没しないよう、必死にセルフレジを導入したり、リアルとネットの間の統合を図ったりしなくても済まされる側面もあるが、その成長神話にかげりができており、それへの対応が強いられていることも確かだ。それを象徴するふたつの出来事があった。 一つはロイヤルティ算定方式に対する訴訟だ。物理的に磨耗したような場合を除けば、本部の持ち込んだものが売上だということになるロイヤルティ算定法につき一部の加盟店が起こした訴訟では、2007年に最高裁が合法と判断したが、2009年6月に公正取引委員会は賞味期限の追った弁当などの値引きを認めるよう値引き制限の排除命令を出したため、契約の効力がどこまで厳密に及ぶか不明な点も出てきた。セブンは定価販売を維持し売れ残った商品の廃棄損失の15%を補てんするということで決着をはかった。だが、排除命令が出た以上、一部のフランチャイジーは値引きでさばく方法をとることが考えられ、低温管理によって消費期限を3〜4口伸ばすことにした。 そして今ひとつはコンビニの店舗展開に限界点がみえてきたといわれたことだ。大手4社の2010年2月期における閉店数は1800店と全店舗の5%にも相当するものになったが、2012年度末には大手4社すべてで海外店舗の数が国内を上回り、5万店あたりが限度ではないかとの見方も出た。 だが、3.11で社会資本としてのコンビニが強く認識された。東口本大震災では、コンビニが行政の対応よりも実測に被災者のニーズを汲み取り、まずは調理の必要のないおにぎりやパンを無料で届けることから始まり、次いで自身の店舗を開店し、そこに簡単な調理ができる即席麺などを配送していくという時間軸をとりながら救援活動がなされた。当然、商品をつくる工場も被害を受けている、配送のためのインフラも整っていない。そうした環境の中で、そもそも救援をするという意思決定をすること、意思決定があったとして救援活動と通常のコンビニ営業を続けるという業務との振り分けをどうするか等々、短期間の内に乗り越えるべき課題は山積している。筆者は、阪神淡路大震災の時のコープこうべの行動を念頭に、収益性と社会性の追求の「時間差モデル」を提示した。 だが、ローソンの新浪岡史社長の話を開いてみると、大企業になっているコンビニの場合、「時間差モデル」

ではなく、企業分割モデルであったことが分かる。新浪氏がサントリーに転じる前のことだLU」。つまり、通常営業は玉塚元一副社長(現社長)のもと大阪に拠点を移し業務を続ける一方、東京は新浪社長(当時)のもと救援本部として現地のニーズを聞き、それを満たすために行動するという通常業務とまったく逆の流れで遂行されたというのだ。現場は「私たちは、みんなと暮らすマチを幸せにします」という企業理念の下、それがベストだと思う支援策を考え、それを社長、本部が支持し、その要求に応えたのである。新浪社長は、救援活動を収益モデルでみると100億円の損失だったという。だが、被災地の中に灯ったコンビニの明かりが被災者にとって希望の光を意味し、無くなった店舗に代わり移動コンビニで代替したことはフレキシブルな発想の必要なことを認識させた。高齢化先進地域、東日本での社会資本という観点から改めて高齢化社会の現実をながめて見れば、そこには店舗の新たな可能性も見えてきた。 コンビニ社会資本論の台頭は、オムニチャネル化の流れとも相まって、コンビニ店舗の立地の余地がなくなったとの見方を払拭することになって、各社は強気の出店計画をもつようになった。そうした中、セブンーイレブン・ジャパンは店舗空白地帯であった西日本で、jR西口本の駅ナカのコンビニ、ハートイン200店、キオスク300店を2014年からの5年間でセブンーイレブンに切り替えていく西日本プロジェクトを始めた。具体的には、それぞれの運営会社とフランチャイズ契約を結び、小型コンビニの営業ノウハウを提供し、商品配送をしていく。駅ナカ店をセブン-イレブンに転換した京浜急行の例では売上が2〜3割上昇したとされJR西日本の利益となる一方、セブンーイレブン・ジャパンとしても当初からドミナント展開が可能になり、短期間でローソンに対抗する店舗展開ができるメリットがある。 共働き世帯の増加で駅ナカのコンビニの利用価値は高まっており、他社も鉄道各社へ働きかけを強めていくと考えられる。高齢化、単身者世帯の増加もまたコンビニヘの需要拡大要素だ。このまま行けば、遠からず6万店を超える勢いである。 コンビニ飽和説の中で出てきた「中国に乗り遅れるな」という熱は現在ではおさまっているが、なお東南アジアヘ熱い視線を送る日本のコンビニのアジア進出は続いている。そうした中、本家を救済する形で始まったセブンーイレブン・ジャパンは後塵を拝しているように見えるが、国内のオムニチャネル化に注力できるという意味では、他のコンビニ、ウオルマートに比べ有利のようにも見える。 こうした情況をどう見るかは、判断の分かれるところだろう。だが、海外展開の評価に関して言えば、本家を救済する形で始まったセブンーイレブン・ジャパンが、どう本家を立て直し、その立てなおした本家のフランチャイジーたちによる海外市場での展開をどう評価するかによって大きく変わる。 本家を買収するという形で始まったセブンーイレブン・ジャパンの海外進出ケースを時間を遡って見てみることにしよう。

傾いた本家の再建がセブンーイレブン・ジャパンの海外進出

アメリカの小売業は、日本の小売業の経営者が毎年視察し、そこから先進的なものを取り出すことが常套手段化していた教師的な存在だった。セブンーイレブン・ジャパンの目からみても、サウスランドは自身が1974年にエリアサービス並びにライセンシングを受けた相手先であり、サウスランドは1984年のロサンジェルス・オリンピックでは、巨大な自転車競技場を寄付した、コンビニ業界の巨人という存在であった。
しかし、その巨人の経営が傾き始めていた。1987年の後半のことで、早くもその暮れには関係のあったセブンーイレブン・ジャパン、IYグループに支援の要請をしてきた。サウスランドは北米でガソリンスタンドを併営する形でコンビニを経営していたが、競争力の上昇を図るべくバリューチェーンの上流、つまりガソリン精製に手を染め、精製設備へ投資をしたばかりか不動産にも投資したところへ買収の嵐が吹き荒れた。すなわち、カナダの投機家、サミュエル・ウオルツバーグが徐々に買い占めを始め、4.9%を保有したところでTOBをかけて来たのである。サウスランドは対抗上トンプソン一族の支援によるMBOに出た。MBOといってもファンドからの資金は2億ドルと少なく事実上LBOでまずは銀行からの47億ドルの借入で自社株を買取り、非上場化した。ところが、短期を長期に乗り換えるところでブラックマンデーとなり借換えは失敗に終わった。つまり、18%というジャンク・ボンドでの借り入れが残り、金利が増えたことで、急激に業績が悪化したのである。すでに、サークルKも、ミニストップも倒産し、サウスランドはチャプター・イレブンでの再建を目指さなくてはならないところまで追い込まれたのである。 セブンーイレブン・ジャパンは、1989年にサウスランドの申し入れてきたハワイのオペレーションを買収した。だが、7500万ドルの代わり金程度ではサウスランドは苦境から脱することはできず、サウスランドは13億ドルの赤字決算となり、破綻の危険が高まった。ブランドを第3者には渡したくない。担当はセブンーイレブン・ジャパンの鎌田誠皓だったが、セブン社長でイトーョーカ堂副社長でもあった鈴木はもちろん、イトーヨーカ堂社長の伊藤雅俊も前面に出てリスクと成果を議論し、伊藤は1000億円までの資金はいつでも出せるとした。1990年になるとIYグループによる負債の再交渉を条件としてサウスランド救済・再建の道を探る動きが始まった。 しかし、債権者はデットイクイティスワップと6億ドルのゼロクーポン債に交換するという案には同意しなかった。さらに混乱に乗じて、カール・アイカーンが13.5%の債権を取得し、IYグループに揺さぶりをかけて来た。サウスランドの経営陣の中には、急激に悪化した業績の原因をもっぱら買い占めグループから買戻しのために巨額の短期借入をしたことに求め、金利の上昇を恨むばかりの者もいた。確かにそれは直接の原因であり、業績悪化の大きな要因ではあったがそれに尽きるわけではない。そうした原因と対応に混乱をきたしているうちに、コンビニ業界のトップ3が総崩れになったのである。逆に言えば、IYグループとしては、ブランドは守らなくてはならないが、中途半端な手出しはできなかったといえよう。

IYグループは1990年9月、「プレパッケージド・リオーガニゼーション」つまり一種の計画倒産に出た。債権者の3分の2以上、社債権者の2分のI以上の賛成を事前に取り付けて、破産を前提にした事業計画案のSEC登録と承認である。この手続きをとることの利点は何と言ってもスピードである。倒産の事後的な再建計画の承認を受けようとすれば、5年を要することもあるが、これが数ケ月で得られることが多いからである。IYグループの計画も1991年3月になってゴーとなり、チャプター・イレブンでの再建策としてサウスランドの株式70%を4億3000万ドルで買収することになった。 アメリカの小売業は前述の如く日本の小売業の先を言っていると見られてきた。シアーズのジェネラル・マーチャンダイジングストアから、スーパーマッケット、コンビニエンス・ストア、ディスカウントストア、さらには大型専門店型ディスカウントストア、ショッピングモールヘと大きく業態進化があったという見方である。 業界のトップ3が全て倒産したのだから、内外でコンビニという業態が賞味期限切れになったとの見方が出ていた。経営学者や業界の一部には、こうした業態進化論に立つ見方をし、コンビニの雄、サウスランドが倒産したことはコンビニという業態が行き詰まったのであり、最早存続できないことを物語っていると解釈するものもいた。確かにアメリカでは、スーパーやディスカウントストアが十分な駐車スペースをとり、営業時間も延長して24時間営業をして顧客サービスをしているとすれば、朝の7時から夜の11時まで店を開け、顧客の利便を図ってきたコンビニの出番がなくなってきたようにも思われたのは無理もない。 いくらチャプター・イレブンの会社で安い買い物だといっても、あるいは本家がだめでは店子のセブンーイレブン・ジャパンの評判が落ちるといっても、それだけでサウスランドの再建にコミットするお人好しはいないだろう。ハワイの事業を引受けるにしても、そこにはある程度の成算がなければならない。 ハワイ事業の買取を依頼され、初めて現地のセブン・イレブンの店舗を視察したセブンーイレブン・ジャパン会長の鈴木敏文は、ひとめ見るなり「これはコンビニの体をなしていない」と感じた。

コンビニの店であったはずのものが、なぜコンビニエンス・ストアの基本から外れていったのか。最大の原因として、吹き荒れたディスカウント商法への傾斜以外に考えられなかった。アメリカではディスカウント店が躍進し、これへの対抗から業態を問わず、ディスカウント商法を取り入れなければ負けるとの混乱の渦中に巻き込まれたのである。この悪循環に巻き込まれると、つまり一旦ディスカウント商品を店頭に並べ始めて競争し始めると必然的にディスカウントしやすい商品を主体に並べなくてはならず、一部の売れ筋商品はケース買いに走り、それ以外の商品は問屋任せの、これまたケース単位の納入が日常化し、陳列してあっても売れない商品が増える一方、アイテム数が減少するのである。この結果、ハワイのセブンーイレブンでは、店によってはアイテム数が1500〜1800まで減少してしまい、3500〜4000という当時の日本のレベルの半分以下に落ち込んでいた。また在庫も1店舗の売上が日本円換算で40万円でありながら、在庫は平均1400万円と、日本の日販55万円に対し在庫500万円と比べると、店舗効率が極端に悪化していた。これでは、店頭を一目見ても、コンビニでないと見分けられる程だった。 では、競争相手のスーパーやディスカウントストアが広い売り場面積と品揃えをしてディスカウント攻勢をかけているのに、ディスカウントなしの商品を少ない品揃えで並べていても競争に勝ち残っていけるのか。ハワイ救済に派遣された現社長の井坂隆一は、日本でのコンビニ経営の経験からすれば、弁当やおでんなど、ファーストフードの強化を中心にコンビニらしい品揃えをしていけば、対抗して行けると、ねばり強くオーナーたちを説得し、転換を果たした。 せいぜい50店舗しかなく、社会の状況も日本と比較的似ているハワイでは、こうした直感で再建への目途は立った。しかし、サウスランド本体になると、本格的な準備がいるだろう。IYグループがハワイの事業を買収してから、本体の買収を決意しなければならなくなったときまでに2年近い時間差がある。つまり、ハワイでの建て直しの実験のかたわら、セブンーイレブン・ジャパンには、アメリカにおけるコンビニの他の業態に優る利点、つまり競争優位の源泉は何かを調査、分析する時間があった。 社史では、「それでも調査、分析を進めていくと、コンビニエンス・ストアの積極的な意味合いは、やはり厳として存在していた。その最たるものはクイックショッピングである」と記しているL回。冷えたビールや清涼飲料水、ただちに口に入れられるスナックの類が直ぐ欲しいといった場合、スーパーでは購入しても駐車場に戻ってくるだけで10分かかり、飲みごろ、食べごろの温度で管理されていない。日本では自動販売機がニーズに応える役割を担っているが、ハワイではセキュリティ面などの理由からほとんど設置されていず、そうした顧客ニーズはコンビニエンス・ストアが満たしていた。 そして分析の結果はやはりファーストフードの強化が鍵を握っていることを示した。しかし、本体の買収はハワイでのファーストフードでの成功を、すくなくとも完成形に近い形では、見る以前になされている。つまり、当初からファーストフードの強化は目標であり、詳しい調査、分析を進める以前からそれなりの下地と歴史があった。 ハンバーガーの販売の強化が行われた。すなわち、コンベクションオーブンが全店に配備され、温度管理、鮮度管理、衛生管理に対する意識を全従業員が持たせていった。また従業員は先天的にアロハスピリットと呼ばれるもてなしの心、フレンドリーな姿勢が備わっていて、セブンーイレブン・ジャパンの支援スタッフの指導を受け入れた。 だが、ハワイ事業のたかだか60店舗の買収と6600店舗を持ち、ガソリンスタンド等の併設設備を持つ本体の買収としては、当然その再毬栗は異なってくる。サウスランドの再建では、現地人材の活用が全面的に打ち出された。つまり、サウスランドの会長には伊藤雅俊、副会長に鈴木敏文、佐藤尚武、前述の鎌田らが就いたが、執行役員には日本人は加わらなかった。だが、両方のケースでモデル店を選び、そこでの成功を全店に浸透させるという手法が採用され、いずれも成功している。

まずハワイ事業部での手法を見てみよう。目指しだのはコンビニエンス・ストアとしてのインフラ整備である。その指導のため鈴木はスタッフを引き連れ毎月一度現地に向った。 具体的に何をしたのか。各店舗で清潔感のある店づくりと親しみのある接客姿勢を徹底させる一方、オアフ島の2店舗を選定して単品管理をベースにしたオペレーションが試みられた。その際、現地スタッフの間ではディスカウントをやめることに対して抵抗感が強かったが、鈴木は、規模、スペースの面でスーパーマーケットなどとは比較にならないコンビニエンス・ストアが同じ土俵で競争することの愚を説き、トップダウン方式でこの論争を決着させた。そしてその結果、前年同期に比較して売上を伸ばしつつ、モデル店舗で60%、58店舗平均でも40%の在庫を減少させた。コンビニ回帰へのモメンタムが形成されたのである。 1990年12月から翌年6月にかけて、1店ずつ新しい陳列棚の導入を中心にコンビニらしい店づくりを一挙に進める一方、発注方式も仮説に基づくバラ納品へ切り替えた。そして「仮説と検証」に対する理解が深まったところで、1992年6月にPOSシステムを導入した。 ただ、ファーストフードの目玉を開発し、コンビニ経営という画龍に点睛するには時間を要した。ハワイで親しまれたランチョン食材スパムを用いたおにぎり、スパムムスビがオアフ島全島に導入されたのは1994年1月であった。次にヒットした同じくオアフ島全店で1995年4月に発売したマナプア(中華まん)では、あんまん、カレーまんと続くが、味のバラエティの他に色がヒットしたポイントと考えられ、カレーまんは黄色、シーフードまんがブルー、野菜まんはグリーンと次々にカラフルな中華まんが誕生した。ハインツがケチャップの色を7色にして子供のケチャップ嫌いをなくし、売上を仲ばしたことと軌を一にしたものだ。 ハワイ事業部では、経営者がおらず、現社長の井坂など日本人スタッフの支援での蘇生は可能であったが、サウスランドの場合、日本人経営者を直接送り込んでも十分やっていけるだけの人材がIYグループにはいなかった。サウスランドの経営陣に任せ、彼ら自身にコンビニエンス・ストアの原点に帰るという決定と行動をとらせる以外になかった。その点で、チャプターイレブンという倒産の儀式が行われたことは再出発に相応しい情況を生み出した。 1992年6月、サウスランド社ではトップマネジメント層の人員削減を、同年8月には一般社員1,800名のレイオフを骨子とする合理化が行われた。 もちろん、財務的なテコ人れも行われ、前述の再建スタート時のIYグループからの資本役人によって長期負債の返済が行われ、ついで1992年9月にはイトーョーカ堂の保証をもとに、有力格付け機関から最上級の格付けを取得し発行した低金利のコマーシャルペーパーの借り替えによって金利負担は著しく低下した。 同時に、再建モデル地区としてサウスランドの本社があり、顧客層もアメリカの人口動態をよく反映しており、適度に店舗網のドミナント化が進み、競合店も併存しているなどの条件のあるテキサス州オースティンの50店舗が選ばれた。 まず、それまで日常化していたディスカウント販売を一切取り止めることが宣言され、棚を埋めるために放置していた死に筋商品が全て撤去された。そして鮮度、品質を重視したサンドイッチ、パスタなどが取り入れられるとともに、店内の証明を明るくし、ホップ(POP:販促用表示物)の多用を図るなどコンビニエンス・ストアの原点に戻る店づくりが推進された。店内を明るくし、棚も、男性向け雑誌を除去し、パンティストッキングなどを置き、女性客の呼び込みを図る工夫もした。 ハワイ事業買収での調査分析からクイックショッピングを望んでいる消費者がいて需要もあるなら、やるべきことをきちんと実践すれば一定レベルまでの回復は意外に早いかも知れない、と判断したからである。結果は明白だった。オースティン市のセブンイレブン各店は平均17%の成長を示したからである。ちなみに、最も伸びた店舗の成長率は35%にも達した(各店の成長は一時的なものではなく、その後も年平均で二桁の伸びが続いた)。

この間のアメリカ国内小売業の売上推移で前年同月比がマイナスになった企業が多かった中でのこの成果は、社内の日本とアメリカは違う、コンビニエンス業態はもうだめだといった疑念を一掃するに十分だった。1993年2月から全米既存店のリモデリング計画が本格化し、その後、年間I,000店以上のペースで進められ、1994年までで計約2,800店、さらに1997年3月までに残る全店で実施された。 日本とアメリカとではコンビニエンス経営に差はあるのか。アメリカの流通業界では物流施設を自社所有することが常識とされていて、そのために軍の兵站専門家がスカウトされることも少なくなかった。コンビニ業界のトップ企業であったサウスランドも軍の兵站専門家を招き、1970年代に同分野に巨大な投資を行い、ディストリビューションセンターをはじめとする物流、配送網を自前でっくりあげていた。これらは計11箇所のセンターから成り、全米でもトップクラスの規模と設備と評されていた。 物流センターはプロフィットセンターか、それともコストセンターか。サウスランド程の規模の物流設備を持ち、エリアごとにメーカーや問屋から商品を集めて店舗に配送するとなると、それなりに維持費が必要になってくる。それを独立採算にすると、各配送センターがそれぞれ独立した利益を上げることが要求され、固定費をカバーするために他社の物流受注に走ったり、ボリュームディスカウントにつられて結果としてセブンに押し込み販売をしたり、センターに売れ残った商品が山積みされることもあった。店舗のイニシアティブによる単品管理の本筋から大きくはずれた行為である。鈴木はサウスランドのトップに物流の外部委託と施設売却の決断を促し、1992年11月、これを実行させた。 自社保有の施設を売却し、物流機能を一括してアウトソーシングすべく、白羽の矢を立てたのは、アメリカ有数の卸売企業マクレーンである。マクレーンはその後、ウオルマートの100%出資子会社となり、同社の店舗をはじめ約3万店の物流を担当するようになる。しかしマクレーンが両社のエリアの枠を取り払って商品仕入れを一本化した結果、サウスランドは以前より低コストで商品供給が受けられるようになった。また定時配送率も98%ときわめて高水準であったため、各店舗の計画的な発注による機会ロスの解消に寄与することになった。 矢継ぎ早の改革でサウスランドは1993年前半で黒字転換し、そのまま1993年は通期でも約7,120万ドルの純利益を計上した。これはセブンーイレブン・ジャパンが経営参画して3年目のことであり、旧経営陣の時代からすると実に1986年以来の黒字決算であった。さらに買収時、1ドル50セントまで下落していた株価も、決算発表時には7ドル近くまで回復した。コンビニ業態の消滅論を退けたことになる。 しかし、コンビニ経営の原点であり、基本である単品管理の定着には時間がかかった。あるいは、メーカー側のルートセールスのメリットを信じるフランチャイジーもいて時間をかけたというべきかも知れない。 単品管理の重要性はサウスランドの本部スタッフには理解され、略してTKとして経営改革のキーワードとなった。しかし、それを実行するには物流、仕入れから商品政策まで、経営のすべてに単品管理の思想で統合したシステムとして築かなくてはならない。これをベンダーのセールスマンが定期的に店を訪れて自社の取扱商品の在庫を調べ、必要量を発注したり陳列したりしてくれるのに慣れたオーナー層に浸透させるのは容易ではなかった。 オーナーからすれば面倒な作業をせず、しかも人件費の軽減が可能となるルートセールスは便利な仕組みに見えたからである。 ハワイの例でもコンビニの原則に戻したことで在庫が大きく削減された。そこで、オーナー向けに単品管理の利点を訴える用法として、AIM(Accelerated lnventory Management)が用いられた。AIMは日本語に直訳すると「在庫管理の促進」となろう。そこで、まずオースティンのモデル50店で、店舗従業員が朝晩2回、陳列されている商品数量を手作業でチェックし、リストに記入していく方式を取り入れた。 POSに比べればかなり原始的であるが、死に筋商品の素早いカットが可能になった。新商品、売れ筋商品の役人にも直結する。

オースティンのモデル店に並行して、全米20箇所からモデル店舗を選んで同様のことが実施された。後者では専従の人2名を張り付けての朝から晩までの手作業である。単品管理の利点を体で覚えてもらうためである。単品管理のよさをオーナーに伝えるためのチャンネル整備も行われた。 社員から「セブンーイレブン大学(University of 7-Eleven)」と命名されたイベントである。ディスカウント商法の採用でメーカー主体になっていた商品展示会をフランチャイザー主導の本来の姿に戻し、フィールド・カウンセラー(FC)による店舗指導トレーニングの場、本部とフランチャイジーのコミュニケーションの場として再構築したものである。1993年6月に第1回が催された。 そして、社内外のいろいろな層から日本にあるようなPOSをアメリカでも導入してくれとの声が上がってくるのを待った。そうした時期が来るまで鈴木は早期導入という幹部やスタッフの提言を頑として受け付けなかった。POSとはデータを集計して打ち出すだけの機械であり、それをどう分析し、今後の発注に生かしていくには多くの人がそのメリットを実感しなければ意味がないと考えたからである。 一方、サウスランド再建の過程で日米の流通業の雄が出会うことになった。イトーョーカ堂は、マクレーンのトラック輸送の効率だけでなく、ウォルマートの豊富な品揃えにも惹かれた。1993年には実験的に2億円相当の雑貨や衣料などウォルマート商品を購入したのに続き、1993年12月?1994年2月期には秋冬商品を50億円発注した。対するウォルマート側でも、イトーヨーカ堂グループのサウスランドの再建を目の当たりにして、同社のもつきめ細かな商品管理のノウハウに注目した。その結果が94年3月のウォルマートとイトーヨーカ堂グループの提携となったのである。商品管理で定評のあるウォルマートが折り紙をつけたことでセブンーイレブン・ジャパンのPosシステムは世界1と認められたことになる。 ウォルマートのお墨付きを得て、サウスランドの再建も加速され、システム利用にも熱が入った。黒字化定前後の1994年になり、マシューズ社長は週に1回、火曜日の午前中を社員に対する単品管理の講義の時間にあてるようになった。本社の会議室に備え付けられたテレビカメラに向って全米42箇所に集結している約1,800名の幹部および営業担当者に語りかけた。それでも、先行店舗でPOSシステムの導入が開始され、一挙に73店の新店オープンも一気に加速していく方針が示されたのは、1997年6月になってからのことである。 では顧客遡及度の高いフレッシュフードの開発にはどう取り組んだのか。モデル店でチームマーチャイダイジングの第1号として選んだのがサンドウィッチである。サウスランド社スタッフがセブンーイレブン・ジャパンの全面支援を受けて取引先とともに商品仕様書をつくり、パン、具材の納入、サンドウィッチ製造はそれぞれ別の企業に委ねる方式で1994年3月からダラス地区で専用工場が稼働を開始した。このフレッシュサンドウィッチは好評で、同種の規格がフィラデルフィアなどテキサス州以外にも広がった。また1998年4月には、サンドウィッチ工場が展開されている地域の約2,000店舗で、新たにスーパービッグサブと名づけられたロール型サンドウィッチの販売が一斉に開始されている。 その時、対象をディナーアントレ(夕食用惣菜)に広げたり、店舗への配送回数を増やして深夜から早朝にかけてもフレッシュフーズを販売するなどの努力が続けられたが、フレッシュフーズの売上構成は10%前後に止まり、日本国内の34%に比べ大きく見劣りするのはもとよりハワイの24%をも下回った。また、日本では本部推奨商品がほぼ100%を占めるのに対し、商品の50%が依然として店舗独自の購入、あるいはメーカーの搬人品となっているため、日本では全面的に利用できるオープン・アカウントシステムの利用が限定的となってしまう。仕入れ体制を一本化し、協同配送の比率が上がらず、それだけ非効率なのだ。とはいえ、サウスランドがコンビニエンス・ストアとして蘇ったことは確かである。 1999年5月に社名をThe Southland Corporation (ザ・サウスランド・コーポレーション)から7-Eleven,lnc.(セブンーイレブン・インク)に変更したのは、IYグループがコンビニエンス・ストア、セブンイレブンを日米のみならず全世界に拡大していくうえでの統一ブランドを知らしめるためでもあった。2000年7月にナスダック店頭市場からニューヨーク証券取引所への移管を果たしたのも、その一環であった。 セブンーイレブン・ジャパンは、2005年9月にアメリカのデラウエア州に設立されたセブンーイレブン・ジャパンの完全子会社IYG Holding Co.を通して、TOBを実施し、7-Eleven lnc.を完全子会社化した。 7-Elevenlnc.の経営陣の同意を完全には得ていなかったため、買い付け条件が不十分との難色を示され、TOB価格の15%引き上げや期間延長を余儀なくされたが、11月9ロにTOBは終了し、95.4%の株式を取得した。テキサス州法に基づく略式合併(残存株主に金銭交付)により、一旦セブンーイレブン・ジャパンの直接の完全子会社なった。 7-Eleven lnc.の完全子会社化か成ったことで、発注システムの導入など経営の日本のコンビニの良さを取り入れることもできた。だが、それには時間もかかった。従来の方法でもフランチャイジーの数は増えた。しかし、ジャパン方式で「コンビニの顔」をきちんとつくった店舗との格差は開いたままであることは分かっていたが、フランチャイズの自主性ということの意味を吟味する必要もあり、アメリカのセブンーイレブンによるアクセラレーテッドマーチャンダイズという方法では店舗あたりの売上が増えていたため放置されていたのだ。本格的な発注システムの導入を要望する声も上がり、経営指導をしてフランチャイジーをリードしていくことも可能だと判断し、経営ノウハウの日本化を進めることにした。そこで、2012年度からジャパン本社は6入の経営指導員を送り込み北米のコンビニを本格的に日本流に変え、いわゆる惣菜の構成を上げ、店内にピザを焼ける窯をもうけるなどの改善を加え、2012年には利益400億円を稼ぎだすまでになった。買収と新たな出店で2014年には1万店を目指す。

世界戦略を練る

IYG Holding Co.のもと旧サウスランドからライセンスされてコンビニエンスストアチェーンを20ヶ国程度に国際展開しているセブンーイレブンも傘下に収めることになり、店舗数では世界1の国際的な小売りとなった。 こうしたセブンーイレブン・ジャパンの海外進出は、タイヤ業界の海外進出に似ている。すなわち、ライセンサーである親会社のサウスランドを買収したという点で、親会社のダンロップを買収した住友ゴムエ業に、まず手初めにハワイのオペレーションを買収し、その成功をステップにその本体を買収した点では、まず工場を買収し、その成功をもってファイヤーストン全体を買収したブリヂストンのケースに酷似している。 そして、タイヤ業界では不振企業を蘇らせたのが日本のオペレーションで培った品質管理であったとすれば、セブンーイレブン・ジャパンではコンビニエンス・ストア本来の品揃えと死に筋商品の排除、売れ筋商品の発掘、発注での成功の角度上昇を促す単品管理の販売管理システムであった。 だが、タイヤ業界の場合、そこには製品のグローバル市場が有り、製品の競争力がひとつの目安として自社の競争優位を確認できたが、コンビニの場合、自社のシステムの国際競争力を相対的に見る市場なり、競争力を相手側に見せる手段が存在していなかった。そのためもあってか、セブンーイレブン・ジャパンが、買収した親会社を十分に活用しきれないという時開か長かったように思われる。すなわち、コンビニエンス・ストアの経営ノウハウは、セブンーイレブン・ジャパンでの蓄積が断然多い。しかし、そのノウハウは、7-Eleven lnc.を通じて、単品管理がアクセラレーテッド・インベントリー・システムという希釈された形でしかライセンシング会社に伝えられない状況にあった。また、セブンーイレブン・ジャパンでのフランチャイジーは全て個人を対象にし、個々人の企業家精神に依存する形で展開してきたのに対し、7-Eleven lnc.を通じての国際展開は、地域ごとにエリアライセンスを与え、フランチャイジーは企業として展開してきたものである。それだけ、自由度が与えられ過ぎであった。 だがセブンーイレブン・ジャパンも、サウスランドを買収するまでは、そうしたライセンシーの一員に過ぎなかったわけである。もともとアメリカの7-Eleven lnc.系由でライセンシングを受けて展開している地域には、カナダ、ノルウェーなど北欧、韓国、オーストラリア、中華民国(台湾)、中華人民共和国、香港などがあった。
そこで、セブンーイレブン・ジャパンは、当面の間、あえて二つのルートを競合させる方針を打ち出した。つまり、十分な成算がないままにフランチャイズ権を本社に移転したりすれば移転価格税制の標的に恐れもあり、時期を待つ戦略である。中国市場とインド市場は重要な市場と見て直轄展開をすることにし、他の従来フランチャイズは自主性にまかせたままにした。マレーシアでは、2014年に上場し上場に伴う公募増資で得た2億2600万ドルで今後3年で600店舗を展開する一方、タイでは、最大の華僑CPがフランチャイジーで7000余の店舗展開はCPのドル箱になっている。
インドネシアでも、同じフランチャイズ形式で2009年から進出しているが、コンビニ規模の小売業で外資の参入規制を回避する目的で各社は飲食業の認可で進出しているため、カフェテリアの様相を呈している。個人消費が好調なインドネシアではセブンイレブンの進出前から地元大手各社がいわゆるコンビニを1万店以上運営していた。国内規制でコンビニの資本構成は「国内資本100%」と定められているからだ。政府もフランチャイズチェーン(FC)方式の店舗展開ならば、日本で起こったように既存の零細商店がうまく業態変化をしたように、ある意味で日系コンビニを呼び込んだ。ところが、FC振興では日本のコンビニと一致するはずだったが、規制回避のために小売よりもカフェ的性格が強いものになる一方、その運った新業態がどんどん伸びて見込み違いになっている。店舗は24時間営業で無線インターネット「WiFi」が使える場合が多く、ノートパソコンやスマートフオン(高機能携帯電話)が普及するなか、飲食が楽しめて日用品も購入できる魅力があるからだ。こうした店舗の急拡大によって、地元の小売店や庶民が営業し利用する屋台にも影響を広げつつある。
政府は、思惑とは異なる展開に、①商品の原料や店内設備の80%以上をインドネシア製とする、②ライセンス供与を受ける1社が直営方式で開業できる店舗数を原則として150に制限、③認可業種以外の販売比率を10%以下に抑える、等々の規制をかけ、新たな制度作りを模索し始めている。

セブンーイレブン・ジャパンは、こうした東南アジアでの展開から一歩引いた形になっているが、いずれにせよセブン・イレブンの世界展開は店舗数では5万店をこえるまでになっていることは確かだ(図表7)。
経営指導の進め方などではセブン・アメリカの改革で大きく変わりつつあるが、形式としてはこの2方式の混合であることに変わりはない。中国は、この縮図で、フランチャイジーを利用するものと、直轄型の2本立て担っている。セブン・イレブン香港が1992年に深川へ第1号店を出店したが、広州でも350店のフランチャイズ権を獲得していたことから、2002年から広範なフランチャイズ展開をし、現在では1925店になっている一方、直結型の進出は273店になった。

中国進出までの経緯に遡って見ておこう。中国にはセブンーイレブン・ジャパン茶巾の合弁会社「セブンーイレブン北京有限会社」を設立し、日本方式での展開を始めた。直轄の合弁での進出には、歴史的な経緯がある。1990年代に中国政府が流通の近代化のために伊藤忠商事を通じて進出を依頼してきたが、物流などインフラが未整備だったため時期尚早と判断し、代わりにイトーョーカ堂を先行させた。しかし外資系コンビニが運営するチェーン広が都市部で展開されるのを見て得たコンビニ運営ノウハウをベースに、いわゆる地元業者が模倣的に参入した。外資系が規制などで制約を受ける一方、地元業者が地元情報を生かしながら、少なくとも店舗数では後発優位を保っている。 そこで、コンビニエンス・ストアの本場とされる日本からもローソンが1996年に上海のスーパーの華聯との合弁で運営する華聯羅森便利店を上海で展開した。だが、聯華、可的など後発の地場コンビニに押され気味である。ファミリーマートも上海と広州でコンビニの展開を始めた。上海では100店舗に達しだのを機に、仕入れルートを見直し、手始めとして人気が高まっているパンの調達先として現地工場を利用した敷島パンにして独自商品として一本化し、店ごとにばらつきのあった風味などを改善した。出店拡大をにらみ、品質の高い商品の安定供給体制をようやく整えるまでになった。 こうした動きに対し、1990年代には中国市場への参入を見送ったセブンーイレブン・ジャパンではあるが、先の流通近代化のための進出を断った時とは異なりインフラも整備されてきたので、コンビニ世界1に踊り出たセブンとしても進出の時と判断したのである。 本格的なコンビニエンス運営のノウハウをベースにするとともに、小売はドメスティックなものという信念から、店づくりでは思い切って中国化をした。責任者の牛島章の発案で日本国内では行っていない店内調理を取り入れた。店ごとの格差が出かねないおそれもあったが、中国の商品本部長として赴任した、セブン・ミールサービスの商品本部長を務めた経験のある大西宮正のアイディアでプレクッキングして持ち込み簡単な調理で済ます仕組みにしたのである。開業した1号店は大盛況で入場制限が3日続いた。おでんや弁当、おにぎりが好評で、単価は低いが日本以上の入店者数が確保され、上海の日茶店が6000〜7000元であるのに対し、1万2000元となっていた。2014年3月末までに直営店で291店舗になった。 先述したアメリカ国内での経営改善とともに、新規国への進出に関してもアメリカセブンとジャパンとによる共同方式にあらため、前者が法規、ブランド管理を担当する一方後者が店づくり、ビジネスモデルの移管で責任を負う形でブラジル、ベトナム等へ進出をしていくこととした。そして既存ではあっても希望する韓国、台湾などのフランチャイジーに対してもジャパンが直接目本流の店づくり等を指導していくことにし、中南米などではアメリカセブンが新方式を指導することとした。インドの場合コンビニの進出は2012年に法的に認められたもの、なお不透明な点も多く、現実にどのように展開するかは今後の課題である。

セブンーイレブンの出店数は、2014年4月末現在では5万2800余店となっている。これに対し、ウォルマートは1万1,000店弱で、来客数もI週2億4,000万人とされ、セブン&アイの2億5000万人を下回る。そして、ROE(株主資本利益率)がウォルマートとセブン&アイとでは、23%と7%と大きな格差かおるが、前者が従業員に対し年金も十分な医療保険も提供できず反社会的な側面をもっているのに対し、セブン&アイでは、いわゆる|[jJ間並みの年金、医療保険を与えているなど社会的責任を果たし、2013年の日経企業評価でもトップの評価を受けている。 ツァーノンやダニングの系譜をたどれば、多国籍企業がどれだけの国に進出しているかという見方がありえよう。多くの国に進出しているのはシティコープだとされるが、店舗の数で言えばマクドナルドか、セブン&アイになるのではなかろうか。 このコンビニを主体とした顧客ベースを基づき、セブン&アイは日米共通のワインを〈セブンプレミアム〉のグローバル商品1号として、今後ツナ、とうもろこしなどの共通買い付けによる商品開発、ペプシなどナショナルブランドの独自風味や容器のPBを用意し、世界的に展開しているフランチャイズ店に毎年100点程度載せていく計画だ。2016年2月期にグループ全体でのPBの売上を1兆円にもっていく目標は前倒しで達成できる見込みだ。量的にはウォルマートの〈グレートバリュー〉に及びもよらないが、利幅が通常品より2〜4割大きい商品が役人できていることが強みである。コンビニの場合、価格を売りにするのではなく、便利、そして嗜好を反映する形で〈セブンプレミアム〉〈セブンゴールド〉などの商品企画が成り立っているのだ。PBではないが、新サービスとしての100円コーヒーの提供などは、スーパーではできない企画だ。 そして、3D-CADを利用した売り場設計で新規店の開業までの期開か3週ほど短縮されるだけでなく、看板の見えやすさや中の売り場のイメージ図が1000以上用意されることで、改装が機動的に行えることになった。それだけ2014年をとれば1600店舗の新設のコストが下がり、毎年1割近い伸びを見せる店舗の棚の価値上昇の可能性も高まり、その分、単位面積あたりの売上増につながる好循環も生まれることになる。 だが、ビッグデータの時代が到来し、テスコ、ローソンを初めライバル企業たちがビッグデータの解析の中から、素早く売れ筋商品を発見し、それを機動的な商品管理へ、あるいは商品企画へとつなげていく体制を整え、「オムニチャネル化」を進行させており、ウォルマートとセブン&アイとが誇ってきた効率的な商品管理システムとしてのICTシステムの優位性が薄らいで行くことも懸念される。ローソンが発売日のデータ分析から〈焼きパスタラザーニャ〉が好感をもって受け入れられていることを探知し、同商品の大ヒットヘと結びつければ、セブンーイレブン・ジャパンもまた衰退商品である酒類が実は他の消費を誘発するキー商品であることを発見し陳列棚づくりに活かすなど、ビッグデータの利用をしながら「オムニチャネル化」での競争ははじまったばかりである。 「オムニチャネル化」の流れは、ウォルマートが必死になって小型店舗の拡充を急ぎ、アナリストやコンサルタントたちがSCのデスティネーション化を提唱しており、その点ではコンビニの店舗をもち、レストラン、複合SCを展開してデスティネーション化が進んでいるセブン&アイは一歩進んでいるようにも見える。だが、楽天、アリババやアマゾンなど、ネット通販の伸びはリアル店舗を上回るものであり、ビッグデータ分析でもリアル店のデータを上回る優位性をもっている。ことに楽天市場にメーカー、小売を招き入れネット販売を構成している楽天の場合、まさに「オムニチャネル」そのものだとの見方もできる。つまり、セブン&アイが広島で実験している、そごう・西武のショッピングサイトで取り扱う銘菓をネットで注文して広島地区にあるセブンーイレブンの店で受け取るサービスは、楽天市場のコンセプトなのだ。 攻め入られる楽天でも、28才の物理学者の北川拓也を執行役員に据え、感性をビッグデータ分析して行きネット通販の世界に招きいれるという戦略をとれば、セブン&アイでも、これまで2社あったネットショッピングの子会社をセブン&アイ・ネットメディア1社に統合し、リアル店舗とインターネットを融合させる役割を最年少執行役員、鈴木康弘に損わせる。セブンのもつ天候など予想イベントを思い巡らせながら発注する、商品企画をする社風、そして多くの業態を傘下にかかえるグループ経営を、ビッグデータ、オムニチャネル流通業の時代での「新たな強み」に転換させることが課題であろう。

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